空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

また日常生活に

2013年01月31日 07時46分10秒 | 思考試行

放送大学のテストが終わり、また、日常生活にもどる。新学期は、4月だから、それまでの間が自分の本当のやりたいことを探す時期となる。

それで、「元素周期表で世界はすべて読み解ける」をまた手にとった。この本は、9割近く読んでいたのだが、周期表を暗記できるまで読んでいたわけではなく、いつか必ず、周期表を暗記したいものだと思っていて、試験が終わった今が、絶好のチャンスなのである。

いそいで読む必要はない。なんせ試験がないのだから、味わいながら、ゆっくりと最初から読んでいく。著者の吉田たかよしさんという人は、量子化学を学んだあと、アナウンサーとなり、さらに医者になった人で、こんな人は、めったにいない経歴の方である。

わかりやすく数式を使わずに、周期表を材料にして、世界観を提示している。いい本である。フィクションもいいのだが、なんといっても、実際の世界こそ、まずは、きちんと理解したいものだから、こういう本はワクワクさせてくれる。

森羅万象の基の話である。面白くないはずがない。きっと何かが見えてくるに違いないことを期待して挑戦する。


魅力の変遷

2013年01月30日 23時11分50秒 | 思考試行

スマップが人気、嵐が人気、というが、昔の石原裕次郎は、もっと、すごかった。そして、中村錦之助もよかった。いったい、どこが違うのだろう。

雰囲気がいい。表情もいい。存在感がある。何本彼らの映画をみただろうか。無茶苦茶感動するというのではないが、不満に思ったことはない。うまく作っていたんだろうなあ。

表情やら、物腰を何となく意識して、まねをして、日常を過ごしていたような気がする。

今、あれほどのスターがいない。やはり、彼らは、何年に一度というスターなのだ。

映画に登場するような人は、よく見れば、みんな男前だし、女性は美人である。

俳優になるときから、始めから悪役だなんて思っていないのかもしれない。みんな二枚目のつもりで、俳優になったのだろう。

それが、意に反して、悪役をやらされ、強面を作っている。ご本人は、本当は、主役をやりたいに違いないのかもしれない。

みんな思い通りにはならないんだろうなあ。思いのままに、生きていけてる人というのは、それほど多くはないと思うけれども、矛盾をかかえて、それらを、改善していけるように、力をだせるようだと、生きがいがあるというものだ。


お金なしに生きることを可能にする

2013年01月29日 11時00分24秒 | 思考試行

坂口恭平氏の記事が、朝日新聞に載ったことから、彼の存在を知った。インターネットで検索するとたくさん出てくる。この人に、新しさを感じる。人類のゆく末、生きる道を予感させる。

彼は、お金のない人のために「新しい国」を作った。自殺者が年間3万人をこえる実態に立ち向かっているのである。この方向は、すばらしい。精力的に活動しているようだ。対談番組をネットに流しているが、相手には、いろんな人がいる。

政治家がいないのは、残念だが、既成政党の側が相手にしないということだろうか。共産党などは、もっと評価してネット対談などに登場してほしいものである。方向性は合致するのではないだろうか。

安部内閣は、生活保護をカットし、賃金引き上げをさせず、一方では業界の意向にこたえて、無駄な公共事業をまたやろうとしている。それでも、本音のすべてを出さずに、「安全運転中」らしい。

紙幣の印刷をやりまくって、インフレを起こすんだという。こんなことで、円安となり、株が上がり始めたのをみて、なんと内閣支持率も上がっているらしい。

なんという馬鹿さ加減であることか。たしかに、タンス貯金をしていた人は、お金をつかうかもしれないが、もしか本当にインフレとなれば、庶民の虎の子の貯金は雲散霧消してしまうのだから、この企みは、卑劣なものがある。

それにしても、テレビの評論家やコメンテーターなどが、「貧乏人づら」をして何か言ってるのは、これも騙しの手口であって、大金持ちのバカ野郎が、小芝居をしているにすぎないことを知っておこうヨ。


究極は助け合いしかないだろう

2013年01月28日 11時21分51秒 | 思考試行

アルジェリアでの悲劇をみても、武力でのたたかいが続く限りは、人間世界の究極の姿ではないのは明らかである。では、どうすればいいのか。

たたかいのない世界というのは、相互に助け合うということである。国益やら何やら持ち出して角付き合わせていれば、いつかは戦争に訴えるほかなくなる。

そこからどうして、助け合いの世界に移れるのかが課題である。それは、困難なことかもしれないが、観念的には、簡単なことであって、難しいことではない。

まともに取り上げて、その要因を明らかにすることである。誰が邪魔をしているか、犯人探しをしなければならない。日本のように、憲法9条をもっていて、戦争できない国であるにもかかわらず、なんとか戦争できる国にしたがる者がいる。

なんと国会議員の約9割が憲法9条を変えたがっている。国民は5割だという。こういう数字は、事情が少し変われば、すぐ変わる。戦争しない国からする国への転換は、あっという間である。

馬鹿な事態を招かないために、どうすればいいのか、国民一人ひとりがしっかりしなければならない。

助け合いの精神こそ、庶民の知恵である。これを世界に広げる。政界に反映させる。今のような議員を選んでいるようでは、とてもそうはならない。


試験直前

2013年01月27日 19時33分45秒 | 思考試行

放送大学のテストが、もうじき始まる。この期間が、一番勉強に力が入る。ここで、何もしないと学費を払った意味がない。単位認定テストをクリヤして、一応完了なのである。

教科書の中味が多くて、どんな問題がでるのだろうと考える。通信指導問題や自習型問題が、単位認定テストの傾向を知る手掛かりとなる。

教科書が高度の内容であっても、問題が難しいとは限らない。くらいついていくと意外に、なんとかなる場合もある。向学心を挫くのが目的ではないのだから、意地悪な問題はでない。だが、テストはテストである。

一切の温情はない。とにかく教科書を読み込み、試験に備えるのである。家内は、自分が受験するかのように、早く試験が終わらないかなあ、と言う。こちらがテストを控えていると、レクもできないと考えてしまうらしい。

そういえば、今度の受験科目の一つである「家族のストレスとサポート」には、女性がケアする立場にたつこと、男が結婚でストレスが少なくなることがでてくる。

まさに、その通りである。家内は、自分のことのように心にかけてくれているのだ。夫として、本当に心しなければならないと思う。家内はこのブログをみることがないから書けるのだが、心からありがとうと言いたい。


吉本新喜劇をみて

2013年01月26日 11時51分21秒 | 思考試行

20年以上前に見たきりで、その後見る機会がなかったのだが、知人のお誘いにのって、なんばグランド花月劇場へ行った。

映画の予告編のようなスクリーンを使ったり、時代は変わっているのだなあと実感させられた。出演者の漫才など、テレビでみる人たちが登場するが、新喜劇の方は若手というのか馴染みのない俳優がほとんどであった。

それでも、中心の脇役などに、名前は知らないが、顔は知っているという俳優がでてくると、親しみを感じる。なるほど人気商売とはよく言ったものである。

全体として、昔の華やかさが、感じられない気がした。漫才など、街中で見かける若者たちの服装のままのように見えて、特殊な感じがないのである。矢野・兵藤もいわば普通人の格好である。ただ、漫才そのものは面白かった。

芸人らしい異常さというか、コテコテの頭とか、パリッとした普通の人は着ないだろうという派手な背広とか、それが、結構華やかであったのが、今は、普通になっているのである。それが、なんだか淋しかった。

ただ、トレーニングというか、芸の修練は、流石である。プラスマイナス、スマイルなどの漫才や、新喜劇やコントなども、よく訓練されていて破綻なく面白い。久しぶりに笑った。


生活者の味方になる気はないかい?

2013年01月25日 09時37分35秒 | 思考試行

まずは、大資本、それから中小企業、その後、生活者の順番を、自民党は考えている。低所得者のことは生活保護の切り下げなどみてもわかるが、つめたいものである。

思うに、弱者への給付をあげることなしには、世の中良くはならないのは当然であるのだが、これを効果的に実行するのは、なかなか難しい。となれば、期待できない経済政策である。

経営者は、自らの信念で弱者切り捨てをしようとは思っていないのだが、背景にいる不労所得者の株主がいる。彼らは、有り余る金の力で、さらに儲けようとする。

株主は、何をしているのか。贅沢の限りを尽くし、ゲームとしてさらに儲けるために、経営陣に対し圧力を加える。賃金はじめ、間接経費を削減し、生活弱者の切り捨てを要求する。

彼らのあくどさは、自分たちのやっていることに、罪悪感を感じていないことである。なにしろ金が金をよぶスタイルだから、自分の手を汚していないという感覚なのだろう。

彼らが、改心して、生活者のことを考え、真の味方になるのなら、かなりのことができるはずである。彼らの、考えひとつで世の中変わるのだが。


よりどころ

2013年01月24日 10時45分33秒 | 思考試行

よりどころをどこにするのかが、悩みどころである。他人の眼なのか、財力なのか、自らの価値観の実行なのか、神なのか、自分以外の人の価値観なのか、あるいは何もよりどころとせず、独立独歩なのか。

思いのままに、突出すれば、当然非難の嵐がきたり、人間関係に支障が生じる場合もあるだろう。さりとて、我慢ばかりでは身が持たない。塩梅を考えるしかないのだが、それが、難しい。

そうなると、自分の価値観が大事であって、それが、人類にとって、また周囲の人間にとっても、害ではなく、むしろ有益な考え方であれば、なお良い。いや、価値観は、常に、誰にとっても有益なものでなくてはならない。有害な価値観の存在価値は認められないはずである。

ということは、相当有害な価値観が、我々の周りには満ち溢れていることになる。でなければ、これだけ悲惨な事件が、次々と起こるはずがない。

それぞれの個人が、試行錯誤でやっているなかで、よりどころを、自然の流れの中で、決めていっているのかもしれない。とまれ、それぞれ人生の成り行きは、その人の価値観によるところが大きいのは確かで、止むにやまれない「情熱」を有する人が、結局はリーダーとなり、よくも悪くも中心的な役割をはたしていくようになるように思う。


終日ラジオを聞いていて

2013年01月23日 20時49分24秒 | 思考試行

才能のある人はいるもので、喋らせたら素晴らしい人々。どんな格好、顔、様子なのかを知りたくなる。おそらくシュッとしてはるのやろなあ。

どうでもいいことを言っている。だけど、それが大事なんで、本格的な世の中の仕組みのあれこれを、自由に言えるとすれば、彼らは、ものすごい権力を持つことになる。

昔むかし、デモに出かけたとき、集会が始まる前に、集会の雰囲気をもりあげるウタゴエのお兄さんやお姉さんたちが、最も素晴らしい力のある人たちだと思っていた。

本番の演説が始まると、なんだか退屈であり、歌声のお兄さん、お姉さんがそのまま、司会して、演説すればいいのではないかと思っていた。いい声で、元気があって、精神状態だってすばらしいと思っていた。

だが、世の中の仕組みを知るにつれて、政治の分野については、格別「勉強」した頭のいい連中であるとか、仲間内で、人気のある者とか、力のある者とか、声の大きい者などが、中心らしいという風に理解するようになった。

はずみのような、要素もあるみたいで、そうなると、なにもかもイヤという人もいる。いろんな事が見えてきて、ウタゴエのお姉さんや、お兄さんは、あんまり本質的な力がないことを知るにつれて、虚しい思いをしたものだった。

力とは金。票を集める名人。騙しの上手い人。弱いものいじめが趣味の人。ケチ。人類て何なんだ。神はひとつ、お前の宗教は邪教だ、とののしり、殺し合い、人を殺す道具を、いまだにつくり続ける。

だけど、すべては神に、てな具合ではないと思うし、人それぞれ役割というものがあって、どれが一番とも言えないような気もしてきている。多分そうだと思う。それぞれ、それでいいのであって、それぞれに、協力して、共に生きていけばいいのではないか。大事にしようじゃないか、お互いを。

 


妥協、身を引く、譲る、その中から「主張」できないか

2013年01月22日 09時40分50秒 | 思考試行

お互いが、譲ることなく主張しあうばかりでは、最終的には「戦争」しかない。それが、正しい選択だろうか。多大な犠牲、新たな憎しみの発生、悲劇の誕生が継続する。

相互理解ができないのであれば、この結果を免れない。だが、「譲り」を選択するならば、問題はたちどころに解決する。譲れるものであれば、何でも譲ってしまう。対立は生じないから、事件は起こらない。残るのは、譲った側の心理状態である。

譲れる心理状態は、どのようにして可能になるだろうか。もっと低レベルでの段階で、満足できるようにするのか、あるいは、より本質的なレベルでの解釈、理解があって、解決できるようにするのか、何らかの方法論が獲得できるのならば、それは可能な手段となる。

常に、対決を避けながら、新たな水準に移行して、問題を解決していく。対立の中身を、よくよく分析して、どんどん譲っていくのは、無理というものだろうか。

喧嘩を恐れていては、どこまでも軽く扱われ、その事態のすすんだ究極は、結局お互いのためにはならない、という見方も考えられる。侮りを受けても、これに抵抗しない、ただただ受け入れるばかりでは、動物としての人間の基本的存在に関わることかもしれない。

とすれば、妥協なんてありえないとなって、戦争するしかない、とならざるを得ない。何が正義か、譲ってはならないのは何か。余分なものを、そぎ落として、考えていくと、いろんな解決策がでてくるかもしれない。

明石家さんまが、自分の娘に「いまる」という名前をつけた。「生きてるだけでまるもうけ」の考えであるという。これは、深い考えである。基本がここにあれば、大抵なことは譲れる。世界に繋がる「思想」と思う。


対人関係の改善

2013年01月21日 20時11分28秒 | 思考試行

人生のすべては、人と人との関係であるといって過言ではない。それが、人生の大半を決める。これに絶望すれば、ほとんど生きる意味さえ見い出せない。人は、人との関係を無視しては生きてはいけないのである。

にもかかわらず、それは、真剣に検討、研究されてきたのだろうか。それは、個別にはされてきているだろうが、組織的に、あるいは、体系的には、すべての人のものになっているとは到底思えない。矛盾は放置されたままである。

常識的といえるほどに、諸問題を解決するノウハウが獲得されているとも思えない。、その解決手段は、今後、完成の域に達することがあるのだろうか。争いのたえない地球上において、研究がすすみ、個々の争いや、集団としての問題解決がなされる日が来るのであろうか。

つまらない争いや、諍い、恨み、怒り、悲しみ、これらが克服されるときが来るであろうか。それらが、解決できたときには、人間はどうなるのだろうか。その時は、案外近いのではないかとも思う。これしきのことが、解決できないはずがないと思いたい。

しかしながら、アルジェリアの問題、中国、北朝鮮、等々深刻な問題が顕在化しているなかで、どうすればいいのか、の答を、人類が出し切れていないのは否めない。なんとかしたいものだ。


テロとの闘いの相手は?

2013年01月20日 13時20分58秒 | 思考試行

邦人にも犠牲者が出たようすだが、テロ事件が起きたら、人質に犠牲がでても致し方がない、と考えて対処しているようにみえる。それなら、鎮圧する方は、ある意味簡単である。人質の安全よりも、犯人側を倒せばいいだけである。テロ事件の背景には何があるのだろうか。そんな背景があるから、テロを起こす方は起こしてきているはずである。

何も、矛盾がなく、我慢するような事情がなければ、通常テロ行為には及ばないと考えるのが常識だろうが、これは、機械的に判断することはできない。これなら、テロでもやろうか、と思えるような背景、事情があったのか、なかったのか、報道が全てを伝えることができるならともかく、いろんな力がはたらいて、報道がすべてであるとは思えない側面もある。

ただ、自らの事情をのみ正しいことだと思い込んで、事をすすめてはいないだろうか、という検討は必要である。787の事故についても、電池が燃えた、という点がクローズアップされているが、電池部品だけの問題に矮小化されるならば、これは、大問題である。日本部品が35%もあるのに、総合的な調査に参加できないようでは、話にならない。

総合的に、チェックができるかどうか、問題の本質を、明らかにしなければならない。テロ事件も同様である。何故そうなったのか、問題の背景からの調査が必要である。テロを起こしたサイドだけではなく、起こされた側での事情も対象でなければならないのではないか。


「赤ひげ」をみて

2013年01月19日 10時29分46秒 | 思考試行

もう二度ぐらいはみていると思うが、昨日偶然、また「赤ひげ」を見てしまった。丁度始まるところだったから、そのまま見てしまったのである。筋は、すっかりわかっているのだが、そのために、細部への観察ができるし、話のつながりの理解が浅かったことなども解って、例によって、映画は何度みても意味があると思い知らされる。

途中5分間のインターバルがあり、中身はこいし、時間も長い。予定していた仕事もすべて後回しにしてしまった。それでも、その意味はあったと思う。生きる意味、仕事の根本、そして娯楽性と倫理、庶民と為政者、画面の構成、演技、演出、見所満載である。そして、「貧乏と無知」に対処するべき、お上の仕打ちについてのまっとうな怒りのわかりやすさ。この怒りの存在こそが、人類の普遍的な課題であって、今の時代にあっても、この課題こそがもっとも基本である。

ここへ向けて、全人類がベクトルを揃えて、努力するならば、簡単にクリアできそうな課題であるにもかかわらず、それができない。人類よ、しっかりせんかい!と言いたい。

何度も、涙ボロボロ状態で、こんな風になったのは、「赤ひげ」では、初めてであった。家内が、出かけていたので、そのせいもあった。いくら夫婦でも、いるときと、いないときでは、自分への対応さえも明らかに違う。正直になっているのかもしれないが、裏表のある人間なんだ小生も。


自民党の本音

2013年01月15日 17時34分41秒 | 思考試行

日々の暮らしのなかで、大きなことでなくても、明日への見通しがたち、何かとやるべきことがあるならば、個人的には、それだけでいいのだろうが、将来の子孫たちのことを思うならば、原発問題など真剣に考え、正しいと思うところを主張し続けなければならない。

今や、自民党政権になって、ことごとく昔に戻ろうとしている。弱肉強食の世界に、つきすすみつつある。真剣に、まともな国づくりを考えているとは思えない。世論の動向などは、無視の構えである。国民は馬鹿であると思い込んでいる。舐めきっている。

原発は、あれほどの事故があったにもかかわらず、路線を変えないことは、明らかとなってきている。安全の基準をちゃんとすればよし、と原発再開の姿勢が鮮明になってきている。燃料の最終処理の問題も、将来の技術問題として、先送りを決め込んでいる。

アメリカやフランスもやっている、大丈夫というわけだ。日本のような災害の多い国であるにもかかわらず、その特殊性を軽くみている。何度痛い目にあえばわかるのだろうか。

国益を全面に出して、憲法9条をかえ、軍事的にも普通に戦争のできる国を目指している。こういう政権に力を持たせたために、今後どういうことになるか。参議院選挙で彼らに、勝利を与えるならば、その害悪を、国民は本当に思い知らされることになるだろう。

彼らは、参議院選挙までは、細心の注意を払うとしている。今は、本音を吐きながらも、表現としては、極力柔らかくしている。しかしながら、参議院選挙にすめば、いよいよ本性をむき出してくるにちがいない。


年齢のこと

2013年01月13日 16時03分52秒 | 思考試行

いつの間にか、年齢を重ねて、我ながらエーっと思うのだが、親戚の叔父、叔母などの驚き様をみると、いかに若く見られていたかを実感する。

お互いに、一つひとつ年齢を重ねているのだが、絶対的な差については、ずっと同じながら、年金の話や、健康のことなど、環境や事情が、同じとなってきて、いつの間にやら、追いついてしまった感じがある。

ものすごい年寄りに思えたのが、友達の感じになってきている。そのかわり、若い人との関係は、いよいよ希薄となって、いるのだが、それでも、たまにテレビのアニメなどみると、結構面白くて、漫画世代ではなかったので、あまり馴染みがなかったが、これではいけないかなと思い始めている。

もう少し、娯楽の対象を広げようかなと思ったりする。食わず嫌いにいつの間にかなってしまっている。フィクションドラマとしては、小説と同じだし、むしろ、具体的な分だけ表現としては強い力があると思える。

可愛い人形のような女の子が、「自分のなかの自分と闘う」と台詞を吐くのを聞いて、これは馬鹿にできないと直感したのだ、おじさんは。