空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

あの世があるのか、ないのか

2022年04月27日 18時37分07秒 | 思考試行

 あの世があって、この世との関係が「調整」されているとすれば、この世でいくら理不尽な目に会おうとも、あの世に期待することができる。逆に、我ながら、悪事を働き、この世での成功を勝ち取ったと自覚できる人は、あの世の存在があるなどとは思わないかもしれない。あの世でひどい目に会うのはまっぴらごめん、と思うことだろう。

 この世で、はっきりとあの世の存在が証明できるとは思えないから、あると思っても、ないと思っても、それはこの世のことには、直接関わらないことではある。だが、あの世があると思って、他人のことを思いやり、できるだけ自己利益の追求を控えている人は、結局のところ、他者にとって、好ましい人物であり、この世での成功の可能性の高い人であるといえる。ただ、あの世の自己利益の追求ということであれば、少し寂しい気はする。

 この世かぎりと、この世での戦いに全力を挙げている人は、厳しく、苛烈な自己中心主義者となるのかといえば、ただただ、あの世があろうが、なかろうが、懸命に努力し、その結果この世での成功を得たとするならば、それは、非難すべきことではない。

 他者を騙し、突き落とし、あらゆる手段を講じて、自己の望みを満たそうとする人は、周辺の人々に、おおいに迷惑をかけている。この世で素晴らしい成功を収めたとしても、こういう人こそ、あの世でひどい目に会ってほしい、と誰しも思うだろう。

 さて、どうなるのか。それは死んでみないとわからない。いずれにしても、あの世があろうが、なかろうが、関係なく自ら正しいと思うことを、実行することにすれば、悩むこともない。

 あの世をあるとして、怪しい説に惑わされることもない。あの世があるかないかは、私にはわからない、という立場でこの世にのぞむということである。「神」が存在するかしないか、も同様である。神の存在は、わからないけれども、宗教者の言う、良いと思う点は、とりいれ、神が、いてもいなくても、自ら信ずるところを生きるのみである。

 多くの騙しのテクニックは、あの世があるとして、さまざまな手練手管をこうじてくるのだから、豪華な装飾や、構築物に騙されることはなく、まっとうな暮らしを続けることができるのではないか。


約束が守られない・・・ウクライナの気持ち

2022年04月26日 22時40分34秒 | 思考試行

 アメリカ、イギリス、そしてロシアも入って、ウクライナを守ると約束していたのに、もろくも約束は、反故になってしまった。

 当事者となって、ロシアの進攻を止める戦いには参加しないとなった。もしかウクライナが、NATOにはいっていたなら、進攻を受けることはなかった、と言われている。

 もっとも、NATO対どこかの国という戦いが起こったことはないのであるから、実際にどうなるのかは、わからないことだが、それにしても、ロシアは簡単にウクライナには、進攻しなかっただろう。

 当初ロシアは、進攻に対して、ウクライナは、すぐに降伏するに違いない、と思っていたといわれている。

 それは、たいへんな認識の相違ということになるが、さらに、ロシアは、西側がウクライナに武器の援助や、情報提供などの、肩入れをすることで、戦いは容易ではないものとなっている。ウクライナは最後まで戦う姿勢を明確にしているから、西側も途中で援助をやめるわけにはいかない。

 かくして、戦争は簡単には終わらない。たいへんなことになったものだ。プーチンのような権力者が現れたことで、この状況がうまれたと言えると思うが、言論の自由を奪うところから始めるのが、こういうタイプの権力者の常套手段である。

 住民の立場でいえば、平穏な日常生活が欲しいだけであって、とにかく戦争をやめてほしいということだろう。どちらが勝とうが、そんなことはどうでもいい、と言えば言い過ぎだろうか。

 戦争をどうしてもやりたがる考え方というのは、どこから出てくるのか。人類は、この兆候を正しく見抜かなければならない。言論封殺をし、そこまでいかなくとも、権力に阿る傾向があるとすれば、敏感に対処できなければならない。

 当ブログにしても、いつの間にか、「検索」では、到達できなくなっている。今まで、書いた内容は、それほで過激ではないと思っているし、理不尽なことは書いていないと思うが、権力の目からみれば、そうではないのかもしれない。それにgooが反応して、何らかの「処理」がされたのかもしれない。

 無料で、こういう場を提供してもらっているのだから、文句を言える筋合いではない、ということかもしれないが、いつのまにか、抑圧されているのかもしれない。

 

 


久しぶりのカテーテル治療

2022年04月24日 15時54分29秒 | 思考試行

 少し胸が苦しいような気がしてはいたが、まあ日常的に左程の支障がないという感じなので、家内にも黙っていた。ところが、布団の上げ下ろしに、しんどさがあり、ついに問い詰められて、しんどいような気がする、と言わされた。

 前歴のある身でもあり、早速、病院に電話することとなり、翌日、診察を受けた。医師は、当日の諸検査の結果をみて、カテーテル検査を勧めた。前回の手術から、もう7年も経つ。

 そう言えば、前回のカテーテル治療の結果は、万全の合格ではなく、いわばスレスレの合格であったことを、思い出す。

 今回、自転車漕ぎなどでも、あまり異常を感じなかったので、検査は合格だろうと思っていたが、さにあらず、やはり異常はあったらしい。

 7年も経つと、治療のやり方など変化していて、僅か2泊3日で退院となった。

 腕からのカテーテル検査の結果ほとんど心臓の冠動脈が2本つまりかけているという。これから治療に移ります、となった。術中は、かなり胸が苦しく、手術は、ほぼ2時間を要した。これはかつて経験しないことだった。

 技術の進歩もあるのだろう、医師は全部通りました、と明確に、いい、さらに明日、退院です、の声を、直後の手術台のベッドのうえで聞いた。

 安定剤を飲んでいるし、先ほどの痛みの余韻もあって、さらには腕には大層なガードががっちり巻かれていて、これで明日退院できるのかいな、とぼんやり思っていた。

 だが、時間が経過するうちに、胸の痛みは徐々にひき、点滴の管が外され、ウデのガードも外されると、退院の実感ができてきた。

 7年前はこうはいかなかった。まず、検査のカテーテルをやって、対策が決まってから、治療に移る。一度に検査と治療はしていなかったから、日程的にも負担だった。

 手術後、体感は相当変わった。今まで、しんどかったことが実感できる。新しい命をもらった感じである。それにしても、徐々に体調を崩していたことをまったくと言っていいほど、気付いていなかったことに驚く。

 いつも手術前には、「五蘊皆空」を思い、それなりに覚悟を決めているのだが、ウクライナの人々のことを思うと、命を大事にされていることの有難さを感じるとともに、プーチンの「価値観」の所為で、多くの人々の命が、実に粗略に扱われ、その扱いの残虐さに、あらためて怒りを禁じえない。

 


「命をかけて」の実際

2022年04月22日 12時31分56秒 | 思考試行

何か、するのにいちいち「命がけ」でやるつもりだ、という人は、口には出さないけれども、案外多いのかもしれない。

些事であればあるほど、こういう覚悟で、取り組んでいる人がいるとすれば、それは本当にいい仕事になるだろう。

ロシアのウクライナ進攻は、人間とは何だろうか、明らかに攻める側と攻められる側に分かれた戦争であるが、否応なく命がけの「できごと」が今、展開されている。

普通に考えて、ロシアに「正義」があるとは思えないが、プーチンの頭の中には、どうしてもひくことのできない事情があるのだろうか。彼があるべきと思う「我が国」の現状には我慢がならないのだろうか。

その実現のためには、自分の命だけではなく、国民の命をかけてでもなしとげなければならないものなのだろうか。

しかしながら、客観的にみて、こんな戦争を誰が望むだろうか。兵器産業の資本家はホクホクかもしれないし、戦争があって、大儲けできる人々がいることも確かなことだし、人類の戦う本能が満足されるということもあるのかもしれない。

現実に命をかけた戦いが行われていて、この決着はどうなるか、見えていない。ロシアが勝ち続けることは、戦いがやむ事態を招来するとは思えない。ロシアが負けるまで、この戦争は続くと思う。

そうなれば、ロシアが、というよりプーチンが負けるときに、いよいよ核を使ってしまうかもしれない。使い方にもよるが、本格的な核戦争となれば、これはいよいよ人類の滅亡となる。

ロシアのない地球なんて意味はない、などとプーチンが言っているらしいが、プーチンがいなくなれば、ロシア国民がそうとは思わない可能性が強い。

彼がたとえ核のボタンを押そうが、それは直接核ボタンでないとすれば、最後の最後のひとが、ボタンをおさなければ、いいのであるが、世界の核ボタンの最後の人々が、示し合わせて、絶対にボタンを押さないようにしようと、決意していたら、人類はまだ生存できる。

独りのとんでもない人間のために、多くの人々が生存の望みを絶たれるのを許してはならない。人が集まれば、悲劇がおこり、喜劇があり、様々なことが起こる。すべてが心地いいものだけではない。

だが、生きるということには、すばらしい喜びもある。人類の歴史は、このような事件で、終幕とするには、まったく割にあわない。

人類はこの問題をどう解決するのか、「命がけ」で考えなければならない。

 

 


信じてはいけない人々、国

2022年04月14日 11時08分51秒 | 思考試行

個人一人ひとりは、信じられない人がいることは、理解する。が、ロシアの外相、国連大使や、在日ロシア大使など、要人と言われる人々が、口を揃えて、真っ赤なウソをつく姿には驚かされる。在日ロシア大使は、流暢な日本語でテレビキャスターの質問に平気な表情で、明らかなウソをついていた。論理的に破綻していようと、「それはあなたが信じているんでしょ、私は信じません」という調子である。

インタビューしているテレビキャスターは、驚きと不快感を隠さないが、そんな表情にも、平然としている。激昂することもなく、(そこまで芝居はできないか?)怒りを表すことはない。表情のない眼が印象的である。これが、嘘つきの人間の眼の実例である。そんなはっきりした場面に出会うことなんて滅多にないから、よくよく見ておくべきである。

情報統制下のロシアでは、プーチンの支持率が上がってきているという。これだけ科学技術が発達して、世界の事情を瞬時に理解できるようになっているにもかかわらず、大勢の国民を騙し続けることが可能だということに、驚きを禁じ得ない。

ために、ロシアの軍隊は、ウクライナの国民の命をうばい、力で領土を奪おうとし続けている。国民の支持を背景に、戦争を続けることが可能である。国民が事実を知ったとき、プーチンは支持を失い、戦争遂行勢力は勢いを失うことは明らかである。

外部からの、情報提供の努力はなされているのだろうか。

一般に独裁政権が内部から崩壊するのは、非常に困難なことで、その技を人類が獲得することは、人類が今後、克服すべき課題だろうと思う。とんでもない独裁者がでてこないような、情報伝達の仕組みを人類は構築しなければならない。

結局国民一人ひとりが、賢く、良く眼がみえていなければならない。プーチンの歴史観、国家観に引きずられて、他国の平和に暮らしている人びとが理不尽に命を奪われ、暮らしを壊される事態を招いていることを知ってほしいものだ。


お笑い芸人の皆様へ

2022年04月10日 15時44分51秒 | 思考試行

ウクライナの大統領がお笑い芸人の出身であることで、お笑い芸人の皆様は、たいへん注目を浴びているのではないか。関西のテレビ番組「正義のミカタ」では、芸人の皆さんが、大活躍している。自由闊達に意見を述べている。意見のすべてに賛同するわけではないが、まずは、いろいろな意見が飛び交わされていることが素晴らしい。

よく勉強もなさっているのだろう。が、もっといえば、もっと勉強していただきたい、と思う。大事なことをお笑いの技術を生かしつつ、啓蒙的な役割を果たす役割をになってくださるのなら、なおいい。

芸人は政治向きのことを言うことは、控えるという雰囲気がある。だが、公共の電波を有効に利用することは重要ではないか。プーチンのような人物が力を得ることのない、賢い庶民を育てるような仕事を、お仕事の底流にしのばせることを切に望みたい。

面白おかしく、人生の機微を語るなかで、いつの間にか、賢い人間性の底力を育ててくれるような、人間同士の共感と、未来社会の建設に資する、きれいごとではない本物の、お笑い文化を実現してほしいものである。売れればいい、と言いながら、チャランポランにみえながら、ちゃんとしている芸人さんの登場をのぞみたい。

ウクライナ大統領は、芸人出身でなければ、不可能と思われる精神がある。思いのたけを表現し、主張する力がある。これこそ芸人魂の発露である。これは、単なる政治家ではなし得ない仕事である。これからの時代は、お笑い芸人の皆様が、真に大活躍されるかどうかで、変わるような気がする。

 


ロシア駐日大使の信じられない「演技」から

2022年04月10日 15時41分54秒 | 思考試行

ロシア大使のウソを言い放つ姿は、これでも人間か、と言いたいぐらい異常な姿である。まさに、自分自身がうそをついていることは、もちろん承知で、しかも、相手が世間が、自分がウソをついていることを、知っていることを、知っていて、そのうえで、自分がウソをついていないと主張するのである。

いかなる証拠があろうと、全部否定する。論理が通っていなくとも、まったく気にしない。こういう相手は、どう扱うのがいいのだろうか。これは、同じ人間としては、決して暮らしてはいけない人々である。自分たちの欲望を満たすためには、なんだってやる、実現するまでやる、勝ってしまえばそれでいいのだ、勝つまでやるから、何度負けようと関係ない。一緒に暮らせるだろうか。

ロシア大使は、真実を認めれば、良心のかけらでも見せようものなら、その命は保証されない。否、必ず粛清され、ロシアでは生きてはいけない。日本にいても怪しい。自分ばかりではなく、親戚縁者にその影響が及ぶ、権力者の言う通りの発言をする他に道はない。そういう状況にいるのだろう。

一人の人間の世界観、価値観に添わなければ、誰も生きてはいけない。そういう国、世界がある。社会全部でなくても、主要な権力機構の人間が、そんな風になってしまえば、社会全体がその毒素にまみれてしまい、全体がまさにその一人の人間の世界観、価値観に同調する他、方法がなくなってしまう。

地球上に、まさにそんな国が結構あって、また、社会の構成単位のなかに、そういう要素が結構あって、「権力者」は尊大に我が物顔にふるまう。抵抗すれば、生存さえ危うい。明らかにこんな現実があり、それが現代である。

こういう現実がいつまで続くのか、いつかは無くなるのか、それとも地球上に人間存在が続く限りは続くものなのか、結局は力の強い者が支配するのが世の中であって、弱者は滅びるほかなく、悲劇は際限なく続くということなのか。人間がそこから、新しい世界を作りだすことができるかどうか、いつかは作り出すことを願いつつ、これは、いつか、努力の甲斐もなく、なにもかも壊れてしまうことも覚悟しつつ、それでも、壊れてしまうそのときまで、努力していくよりないということのようだ。


中国がロシアのフェイクだという「言い分」を後押しした、中国が「ワルであること」を証明した。

2022年04月05日 22時33分11秒 | 思考試行

ロシアが虐殺事件を起こした。ロシアはフェイクだと言う。言い続けるといい。フェイクと言うたびに、ロシアは自らの墓穴を掘ることとなる。平気でウソをつく政権が、国民をだまし、戦争反対の国民を次々と捕縛している。情報を隠す必要のないウクライナは西側の「控えめな」援助を受けながら、戦い続けている。

西側の第三次世界大戦を避けるという言い分は、自己利益にしがみついていると言われても、ウクライナの犠牲のもと、影の力で援助するしかないということだろう。いずれにしても、この虐殺事件をフェイクだというロシアに寄り添う連中は、間違いなくワルと決めつけていいだろう。

人類にとって、将来(しばらくの間かもしれないが)、生き延びる指針として、ケッタイナ、ワルイ連中が焙りだされることとなった。中国の政権など、とるに足らない、馬鹿政権であるということだ。

嘘つきは、苦しむがいい。否、嘘つきは、自分が正しいと確信するらしいから、苦しんだりはしないのかもしれない。プーチンはコロナ期間中に、歴史書を熟読していたという。昔の世界に戻すことを、真剣に考えている風がある。そうしなければならないと、思い込んでいる風である。

国民の意識が変わり、時代がかわり、そして、今がある。これを覆すことに、理が通るかどうかである。中国にもその気配がある。支配地域を、もっともっと拡張したい。そのためには、なんだって、やりかねない雰囲気がある。

もう人類は、この辺で、歴史の幕を引くのであろうか。彼らが、拡張を続けようとするかぎり、衝突は必ず生ずる。力こそ、自分たちの欲望を満足させる唯一のものであり、ウソだってつくし、約束は破るし、彼らは、勝利の日までその考えをかえるつもりはないのだろうから、戦いは終わらない。

光明は、大多数の国民が違う考えをもったときにのみ、生まれる。少数のとんでもない考えの連中を、政権から追い出し、こういう連中が二度と政権につくようなことがない世界を作り出すことである。それ以外に、人類が安心して生き延びる道はないのではないか。

 


情報の重要性

2022年04月04日 17時01分46秒 | 思考試行

ロシアの情報統制が効いていて、プーチンの支持率は反プーチン派といわれる調査会社によっても、ウクライナ進攻時よりもさらに上がっており、4月にはいって、83%を越えるという。ロシアがどんな具合の進攻をしているのか、どういう大義名分なのか、伝えられている情報では、ウクライナの現実とは真逆と言っていいほどの情報を、ロシアは、国民に流し続けている。

この支持率の高さは、あきらかに、ロシア国民が、実態を知らされていないところからくる。情報は本当に大事である。日本でも、国民が自由にものを言えない時代もあった。戦争の実態が隠され、悲惨な事実が隠された。厳しい弾圧事件もあった。今、ロシアの状態もそれに近いようだ。

民主主義の時代にあって、信じられない事態が続いている。ロシア国民に真実をとどける方策が続けられているのだろうか。留学生や外国に在留している人びとが、ロシアの故郷の親などに連絡しても、全然受け入れられないという。それほど、情報統制が完璧になされているということらしい。

しかしながら、プーチンのやり方はあまりに非人道的であり、今までもチェチェンやシリアなどでも、実行済みであり、「手口」としては、完成しているようで、このまま放置するわけにはいかない。

こういう人物が現れたときに、多くの人々が巻き込まれてしまい、容易にその事態から抜け出せないようでは、本当に困ったことである。

中波、あるいは短波等、ラジオによる放送などできないのであろうか。比較的に設備が簡易なもので、機動性があり、真実の報道がされる機関を用意できないものだろうか。日常的に、こういう放送局が設営されていて、独裁者の情報統制を破る報道が確保できないものだろうか。

あるいは、世界の報道を、誰でもどこでも得られるようなシステムができないものだろうかと強く思う。人類がそれぞれ、お互いをうけいれられるような関係性を作るためには、まずは、相互に知り合わなければならない。国際的に誰からもしばられることなく、各国の言い分を知ることができるようにする工夫をすべきである。

自国の権力者からの、一方的な情報しか得られない状態というのは、まことに不健全である。人類が生き延びていくためには、必須のアイテムになると思う。国際放送局を作るべきである。