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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

前川氏と福田氏

2018年04月26日 11時21分38秒 | 思考試行

誰も欠点のない人間はいない、というが、それは対象がはっきりしていると、人によって好き嫌いがあり、万人にひとしく好かれることはないということなのかもしれない。

あるところでは、認められる価値観でも、あるところでは、とても受け入れられるものではないかもしれない。そういう違いは、どこでも見られることであって、そういう現象を言っているのかもしれない。

文部科学省の事務方トップだった前川氏は、官邸サイドから悪意のコメントを浴びたが、そのコメント自体が自らの品性の劣悪さを示したひどいものだった。そして、財務省の同じく事務方トップの福田氏は、セクハラ問題で辞任した。こちらは、逆に保護する姿勢が目立つ。

どちらが、いい人だろうか。前川氏のなにも隠し事のない様子。官僚のトップとして、恥ずかしくない人物であり、その表情や、発言も好感が持てる。すばらしい。まさに、心地いい人である。一方、福田氏は、みっとも悪い人だ。セクハラを認めず、マスコミに追い回されて仕事にならないから辞める、など理屈にならないほど低レベルである。政権はどちらの肩をもったのか。政権側の品位がはっきりわかる。

疑惑を解明せず、議席の多寡で、押し切る自民党のやり口に、野党は審議拒否の手段に出た。議会が正常にならないのは、明らかに、自民党の政治姿勢なのだが、そこで、事態の解決は、不祥事の解明しかないのだが、それをしたくない自民党は、解散で乗り切ろうという話もでている。

野党は随分馬鹿にされたものだが、その背景は、国民が馬鹿だから、大丈夫と思っている支配者層の考えがある。自民党の支持率が下がらないのである。国民はいつ目覚めるのだろうか。

野党は、自民党にかわるだけの説得力をもたなければならないし、不都合があれば、いつでも政権を替えてみようと国民に思わせなくてはならない。野党の成長がのぞまれる。

 


「まああんまり変らない方がいいのかもしれない」をどうする?

2018年04月24日 23時47分50秒 | 思考試行

どれだけ富が偏在していても、学歴がよければ、いろいろと、有利にはたらいて、凡人には及ばない境遇が与えられたとしても、そして、そのエリートが、凡人を馬鹿にしたり、歯牙にもかけないとしても、そんなことは気にもせず、凡人として、与えられた境遇のもとで、自分なりのペースで生きていけるのならば、それでいいのではないか。

と考えるならば、あまり急進的な変化を求めず、そこそこの不具合は、目をつぶっているのが実は賢い選択なのかもしれない。選挙しても、自民党が結構強かったりするのは、そういう傾向があるからかもしれない。

情熱をもって、世直しを叫んでも、警戒の対象となって、胡散臭い目でみられ、不当な扱いを受けることも多く、人生を楽しむというよりも、苦しむことが多かったりする。折角の能力を生かすこともできず、あれこれと世の中の不具合を指摘はするのだが、労多くして成果が得られることは少ない。

国民がなかなか乗ってこない現状がある。大多数の国民は、安定をのぞみ、大望は抱かず、目先の利を求めるばかりであるとするなら、自然のままに放置しておくのがいいのかもしれない。

という誘惑を乗り越えて、努力している人々がいる。公平な目でみて、これらのひとの努力に目をむけて、いくことが必要ではないだろうか。

 


選挙が大事だけれども果たして反応がでるのか

2018年04月23日 21時56分09秒 | 思考試行

政治家が、権力をもって、明確な意志をもったとき、官僚はこれに抵抗することは不可能である。直接命令される形を取らず、その意向をちょこっと漏らすだけで、官僚は忖度しなければならない。

明らかな、不都合な仕事もしなければならない。力関係はあちこちに波及する。裁判所だって、検察だって、どこも権力の意向には弱い。

最後は、国民一人ひとりの意志の力であり、選挙の投票によって、権力に反映がされるかどうかである。その政権の力が弱ければ官僚は次の権力者が誰になるかに目が向く。

その権力の中身が、民意のしっかりした裏付けがあるかどうかである。すぐにひっくり返るような政権であれば、官僚はその意に、添うことはないだろう。

資本主義社会において、どのような社会構造にしていくのか、国民がしっかりした社会構造についての価値観を持ち、あるべき姿、生活についての、健康で社会の健全な発展に資する価値意識をもっているかどうかが試される。

社会に階層が持ち込まれ、うまく立ち回ったものが、富を独占する構造が是とされるようであれば、社会はうまく発展はしないだろう。根本が問われている。


ちょっと変ですね

2018年04月20日 08時10分40秒 | 思考試行

セクハラで天下の財務省事務次官が辞任した。音声まで出されて、それでも粘っていたが、マスコミに追い回されて、仕事にならないから辞めるという話だ。

だが、女性記者がひとりで、「男」の事務次官と会食、(お食事じゃないか)をするのは、事情があるではないか。ムクツケキおっさんに、女性が取材と会いにきてくれるのだ。会社の方も、女性を武器にネタをとってきてくれたら有難いと思っているにちがいない。

大物官僚だって、男である。相手にその気があれば、いいことがあるかもしれないと、少しは思うのではないか。男と女の関係は、本人同士が恋愛するというのは、普通のことであって、ましてや出世コースのトップに上り詰めたような人間は、当然自信もあるだろうし、女性にももててきたのではないだろうか。

軽く、エッチな話をして、相手がのってくるかどうか間合いを測りながら、そして、取材に応じるような会話をしているわけだ。

それをセクハラと言われてしまって、まるで、猪が罠にかかったようなものともみえる。セクハラとして、マスコミの儲けのタネになる材料ともなるし、この問題は、いろんな側面がある。

もっと言えば、恋愛に持ち込んで、取材をするケースもないとはいえない。そうして取ったネタでも、取材の仕方を攻撃されて、大事な問題が、ウヤムヤになったこともあった。

新潟県知事のケースは、人間的に正直な人で、むしろ好感がもてる。彼の、華々しい経歴にも関わらず、男としての、幸せがつかみにくかったのだろうが、これも罠にはちがいない。

相手がリークしたら、これは逃げようがない。お金をはらって、生理的欲求を満たすことが合法であれば、問題はない。今の時代、合法とされる地域もあるだろうが、タテマエからは認められない。

都合のわるい人間を、落とすには、「違法な状態」に引きずり込むことだ。その実績ができれば、彼は、もう独自の行動をとることはできない。「なにものかに」しばられるのである。


安倍首相の発言のおかしさ

2018年04月16日 15時34分26秒 | 思考試行

自分がもっとも関係のある話を、誰かが、ヘンなことをしたかのように、膿を出し切るなどと、他人事のように発言する姿は、不思議な光景である。

こういうことが言える人間は、もっとも信頼できない相手であり、恥を知らない人であり、人でなしである。そして、こんな人にくっつくならば、東大法学部を優秀な成績で出たといっても、とってもカッコの悪い役回りをさせられることとなる。そして、最後は、トカゲのしっぽとして、悪いことをした人間として、貶められる。

改竄をやらされて、自殺者まで出てきた。耐えられなかったのだろうか。こういう事情こそ、詳しく取材してほしいものである。ここに問題の本質がある。安倍首相のような、子供でもわかるようなうそをつく人間が、平然としておれる世の中というのは、腐敗しきった道理が通らない、とんでもない世の中だということである。

いつまで、こんなことを続けておれるのか、それは、国民の責任も大きい。国民が馬鹿にされているのに、気づいていないのである。気づかなければ、権力者は、好きにできる。力でねじ伏せるか、騙すか、権力は使い分ける。国民がしっかりと、自分のことばかりではなく、他者との関係や、人類、社会、他の生物、環境などなど広い視野を持たなければならない。

しっかりした目を持たなければ、みんな共倒れになるほかない。


落ち着き払ってうそをつく

2018年04月15日 22時41分00秒 | 思考試行

うそがバレバレとなって、恥ずかしくなるということはないのだろうか。平気で、うそをつく人の顔なんて、日常生活でそう見られるものではない。

だが、東大法学部卒の超エリートが、記憶の限りではあった記憶がない、などと言う。会ったことを認めれば、安倍首相に直結するものだから、絶対に認めるわけにはいかないのだ。だが、愛媛県庁、農水省から、「首相案件」というキーワドがでてきた。もはや、うそを付きようもない状況となった。

それでもシラを切り続ける。どこに、その可能性を見ているのだろうか。これは、国民というのは、相当に馬鹿だから、まともに取り合う必要はなく、とにかく時間稼ぎをして、忘れるときが必ず来るから、今は、ともかく耐え忍べということらしい。そして、そのために陽気に、こたえた風をしないで、平気でいなければならない。

かならず、国民は忘れるはずである。検察も、政治家も、マスコミも、支配者側はそう考えているだろう。事実、国民は日常生活でいっぱいいっぱいであるから、すぐ忘れるし、もっと言えば、関心もないのだ。そんなことはどうでもいい。

安倍チャンは、そう考えているだろうし、結構それは正しいのである。国民が論理なり筋なり、道理を考えるようになるのかどうか、それは、途方もない道のりではあるのだ。国民が本当に賢く、とても騙せる相手ではないと彼等が自覚できるのは、選挙で惨敗するぐらいしかないのだろう。だが、それは簡単ではない。公明党のように、司令部が右といえば、直ちに反応できる組織もあるのだ。彼らは強力だ。その盲目ぶり。

理屈などない。仲間同士の連携がある。この仕組みが自民党を補完する。彼らは、池田大作氏を人質にして、公明党をコントロールする。池田氏は婦女暴行の罪を、「時効」で逃げ切った人物なのである。この弱みを自民党は、利用する。


西欧ならどうだろうか、どうかしてるぜ、この国は

2018年04月14日 18時04分51秒 | 思考試行

首相秘書が、これは「首相案件」だと言ったのかどうか。受け取る側は、権力を行使する方と、何事かを頼む側とすれば、首相案件などという言葉は、どちらから出たのかは明らかである。

こういうやりとりが、米国の公聴会あたりでなされているとしたら、どうだろうか。「記憶のかぎりでは会ったことがない。」などとこたえる場面が想像できるだろうか。極めて日本的な、特殊な言い訳である。こんな恥知らずな言い訳は、西欧ではしないだろう。

秘書と首相は、これは同一だとみるのが普通だろう。秘書が首相本人の代わりにいろいろ行動するのがあたりまえだから、秘書がこんな発言をしたのが事実であれば、安倍首相の意向にそっての行動に違いない。いまさら、秘書が勝手にやったことだとでも言うつもりだろうか。

安倍氏が、「目配せなり、なんなりして」秘書がその意をうけて、動いたのであろう。そして、その意向は官僚の人事権を握る権力者におもねる動きとなった。絶大な威力を発揮した。土地の値段の、思い切った値引きがおこなわれ、配慮が働き、校舎を完成させるまで進んできたのである。籠池氏が言うように、神風が吹いたのである。

極めて自然であり、誰にもわかる道筋である。にも関わらず、「どっちかな、どっちが正しいかな」などと、評論家がとぼけ、マスコミもそんな扱いをする。検察も、立件しないという。どうかしてるぜ!この国は。

 


誰が主人か

2018年04月13日 11時46分50秒 | 思考試行

官僚は、誰が主人で、誰のために働かないと、自分がどうなるかを知っている。おそらく、人間としての誇り、理想もあるのだろうが、現実を考えるとき、人事権をもっている親分を見て行動する、というのは当然のことなのだろう。

このあたりが、官僚の魅力を半減させている。今の秀才達は、おそらく官僚を目指さないのではないだろうか。医学部に集中しているという話しもある。

どんな仕事が一番いいかというので、なんでも出来る立場に立った人が、選ぶときに、裁判官と思った人もいるという。裁判官が最強と思ったらしい。だが、彼らも、どこかの意向にさからえば、僻地のとばされ、出世などままならない。

どの仕事も、気楽とは思えない。みんなタイヘンだけれども、生を与えられて、いろんな仕組みのなかで、どうすればよくなるか、少しでも良くしていくということがなければ、世の中よくはならないのだが、そう簡単にはいかない。

首相がある意志をもって、それが公的であろうと 私的であろうと、周囲のものは、親分のご機嫌取りに躍起となる。それなりの見返りがあり、それが世の中だと思っているのだろう。どうやら、検察もその筋に乗ったようだ。あとは、国民がどう考えるかだが、国民は自分の生活でいっぱいいっぱいだ。暇人だけがあれこれ、言っているが、精々選挙で投票するぐらいのことで、大半の真面目な働き者は、騙されていればいいのだって。


権力者のために滅私奉公

2018年04月12日 11時07分22秒 | 思考試行

カッコ悪いとは思わないのだろうか。組織を守るため?出世のため?権力者に付き従う官僚の醜い姿を連日見せられて、国民はそれでも、安倍政治をとことん見放したりしないようだ。

とにかく、日常生活が穏便におくれるならば、少々問題があろうが、うそをつこうが、問題ないということだろう。

国民は、日々、追いまくられることがあって、余裕がない。記憶にないとか、うそをついているのが明確であっても、たかが学校の問題ではないか、それぐらい、首相の友達のためというなら、やらせてやればいいのだ、ぐらいの感覚だろうか。

だが、その背景には、古い天皇中心社会が日本の原点だと思っている怖い本音があるということだ。日本の原点が民主主義などと思ってはいない。敗戦以後、押し付けられた民主主義であり、国民自らが立ち上がって、民主主義を勝ち取ったわけではない。

国民が、民主主義を深めて考えてはいない、権力者はそう考えている。舐めている。この国民が、民主主義のなんたるかを理解し、あるべき政治を志向し始めたとき、現行のやられていることは、貴重な教訓となるだろう。官僚がそのすばらしい頭脳を生かせなかった時代として。


人との関係

2018年04月11日 22時32分48秒 | 思考試行

まったく他人を必要としない、少なくとも、頼ったりしない、という構えの人間がいる。ある時期までは、そのぐらい、他者を無視するぐらいでなければ、ちゃんとした成長ができないということもあるかもしれない。

だが、自分が生きるにあたって、どれだけ、他者のおかげで生きてこれたか、いつかは知るときがくるはずである、といいつつ、ひょっとしたら、そんな風にはおもわず生涯を終える人もいるのかもしれない。

歴史をみれば、人間というのは、実に捉えがたい。なかなか一括りでは理解できない。残虐だったり、心優しかったり、ひとりの生涯をみても、いろんな時期があったりして、一概にその人間を評価ができなかったりする。

ただ、人間というのは、結構利己主義的であったり、ご都合主義的である。 親の介護などには、一切の手出しをしないくせに、親が死ねば、途端に遺産を狙って、積極敵な動きをする。周辺は利用するべき存在であって、そこには、利益追及の嗅覚が働いている。

まことに、人間らしいというか、その変貌ぶりをみることは、たいへんな失望を呼ぶ。恥を知れといいたいが、シレっとしているのをみると、気づかぬ風を装うのが最善かもしれない。人間らしく生きるとは、まことにむずかしい。

 


本質を求めて

2018年04月10日 00時38分15秒 | 思考試行

本質といえば、すでにあることで、誰も気づいていなかったことを、発見したという意味もあると思う。特に、科学技術の分野では、自然現象のなかで、次々と発見されたものがいくつもある。

電気など、誰も知らなかったのが、実は、自然現象の中にあって、見事に人間はそれを活用するまでになった。今や、暮らしのなかで、なくてはならないものである。

さまざまな分野で、そういうことがある。人間の築いてきたものは、使えるものを発見し、掘り起こしてきたといえるのではないか。

科学技術分野では、法則の発見が、そのほとんどだと思えるが、人間のくらし方、社会の現状はどうだろうか。人間の本質は、いまだに、はっきりしていないようだ。

仲良く暮らすことさえままならない現状にある。権力にしがみつき、他人を蹴落とし、利用し、飽くことなく争う。どうあるべきか、などと言い出せば、まちがえるのだろうが、なんとかならないものだろうか、人間社会。


地位か名誉か富か・・・すべてか・・・そんなもの関係ないか

2018年04月07日 18時39分02秒 | 思考試行

結論を言えば、少しの金があれば、なんとか暮らしていく金があれば、あとは、心がけ次第で結構いい暮らしといえるのではないだろうか。

そういう意味では、年金生活で、なんとかやっていけるとすれば、それだけで人生成功だったといえるのではないか。

そこへ、ちょっとした趣味や、やりがいのある何か、それは仕事でもいいし、研究課題でもいいし、調べたいことでもいいし、退屈しない何かがあれば、最高である。

他人と比べて、優劣を競ったりしないことが、大事である。そこへ焦点を向けると、途端に生きることが苦しくなり、不満が生じてくる。

そこを抜けさえすれば、人生捨てたものではない。結構実り多い、楽しみの多い暮らしとなるのではないだろうか。

病気になったり、いろんなことがあっても、基本は受け入れざるをえない。出来る努力はしなければならないが、諦観は用意しておかなければならない。

人間はそういう動物であるのだ。


軽い調子でとんでもないことをする傾向

2018年04月06日 22時36分58秒 | 思考試行

シレっとした顔で、とんでもないことをする。現行憲法のもとで、集団的自衛権があるとして、憲法解釈を変えてしまった。集団的自衛権があるとなれば、誰か「お連れ」があるとするなら、その相手と組むなら、なんだってできることになる。

戦争ができない憲法のもとで、誰か「お連れ」がいるならば、戦争だってできるのだ。

そもそも自衛でない戦争なんてない。口実は、自衛といって戦争をするのである。戦争そのものは、国と国との関係のなかで、もめごとがあれば、最終手段として行われてきた。多くの悲劇を経験して、絶対に戦争はしないという覚悟が現行憲法にはある。

国とはなんだろうか。ヨーロッパあたりでは、国境線が変わるのは、普通である。中国なんて何度も国の名前が変わっている。現代社会において、戦争を不可避だと主張するものは、戦争をビジネスとするものである。儲けのタネにしているものである。

一人ひとり、個人が大切にされなければならない。集団のために、個人を切り捨てることはあってはならない。それこそ現代の基準である。ヤスヤスと集団のためになんて、思ってはならないし、そんな風潮には従ってはならない。個人を最重要にすべきである。個人は主体的に、他者たる個人を大事にするのである。


選挙の重要なことは言うまでもないが

2018年04月04日 23時41分30秒 | 思考試行

どこの政党が力を持つか、それはひとえに議席数ということになる。とはいっても、日常活動は何をしているのだろうか。もっぱら、挨拶まわりだったり、会議だったり、そんな議員活動では、有効な活動といえるだろうか。

国民生活における問題点をあぶり出し、行政や政治における課題を明確にする活動がなされているだろうか。そうした日常活動のなかで、議会に反映していく活動にとりくんでいくことこそ、議員の仕事ではないだろうか。

イデオロギーとして、国民をある種の価値観、宗教観に導こうとする動きがあるとすれば、警戒を要する。天皇制をより強固なものにしようとしたり、宗教観の押し付けが画策されているとすれば、大いに問題である。

公明党は、創価学会の政治部門として今や、政権与党にはいっているが、そのなかみは、時の政治権力に寄り添い、指導部が右といえば右、左といえば左という集団組織を形成している。

マスコミ、出版、に対して猛烈な工作が展開されている。かれらは、何を目標としているだろうか。教祖が指示すれば、どこへでも行く組織だとするならば、恐るべき組織である。明確な理念、方向を示さない、動きは不健康である。要注意の政治勢力である。