「民度」という言葉が、今回の中国の騒乱を契機に話されている。国民の程度、水準という意味ぐらいだろう。暴徒と化し、放火、破壊、略奪、そしてケガをさせられた人もいるらしい。こういう騒ぎを起こす国民の民度は低いというわけだ。
その動機が、辻褄のあう論理もなく、与えられた情報に盲従した発想であって、理不尽としかいいようのない場合、民度が低いとしか言いようがない。国民を導く、権力者の程度もある。
この低い民度の国とどう付き合うのか。まさに、相手を見抜き、相手の状況を変え、その関係性をいいものに切り開いていかなければならない。
価値感に係わり、認識に係わる、小説やドラマ、漫画などのソフト関係の仕事の意味が、本当に重要である。おそらくは、人類にとっての、基礎的な、大事な価値意識の共通するものが、あるはずである。
それが、まだまだ共通のものとはなっていない。日本だって、問題はある。いじめ問題、虐待問題、さまざまに社会問題があり、困った状態がある。
これらのどこが問題であり、どのようにしていくのか、今回の事件が人類進歩の契機となれば、それも意味があったことになる。