空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

「自信をつける」について

2010年07月31日 09時04分24秒 | 思考試行
自信は、どうしてつくのだろうか。人の目を気にする生き方では、自信など生まれない。自分自身が決め、行動する。主体としての行動が行なわれなくてはいけない。そのためには、人の意見を聞いたり、学ぶことは、勿論必要であるし、人生は、それは、完成ということがないから、努力は、生涯続く。

自信というのは、自らの行動のなかに、自分自身の意志が貫徹していなくてはならない。早い段階で、仕事と、自分自身の気持ちとの「相性」があっていることは、これは幸せなことである。

こういう状況下では、自信は、真面目にやっている限り、獲得されやすい。だが、いったん迷いの世界を経験すれば、簡単ではない。どこで、この迷いから脱出できるかは、人それぞれの道があるだろう。いろいろトライしなければならない。

これが、解答という決まったものはない。それぞれの生い立ちから、内省も必要だろうし、新しい知識や知恵も、求められるかもしれない。あるいは、考え方だけの問題かもしれない。

拘っているものが、見方によれば、そんなに拘ってどうするのか、と質問されれば、タチドコロに解決されるものかもしれない。そのコダワリが、自信を奪っていたかもしれない。

多様な状況があり、解決法も従って、多様である。楽しいことを体験することもいいかもしれない。何でもいい。うちこめるものがあって、それが、自信につながる場合もある。不安からの解放ができれば、それが自信かもしれない。

自信の定義自体が、多様である。本人が、どう感じるかによって、決まる問題なのである。

タブーの崩壊

2010年07月30日 09時46分46秒 | 思考試行
週刊誌に、マスコミ記者やコメンテーターなど、ジャーナリスト達に、政府官房からの機密費の支出があったことが出ていた。

以前から、マスコミの様子をみていて、ヘンだなと思っていたし、そういうことを書いたこともあった。案の定である。こういう風に、記事になっているのを見ると、やっぱりなあという感想である。

実に、卑劣な連中である。買収されていながら、シバイをしている。正義の仮面をかぶりながら、国民をあざむく、同じ穴のムジナだったのである。

大相撲然り、ジャーナリスト然り、何の問題もないかのように扱われてきたところが、ウラがあった。まだまだすべては、出ていないのだろう。長い歴史があるのだ。仕方がない面もあったに違いない。

人間社会が、始まって、まだそれほど時間がたっていないともいえる。これから、どんどん改善されていくべきである。

科学技術の進歩によって、従来の常識を変えなくてはならないことが出てきている。時効制度が、凶悪犯罪について、撤廃されたのもその一つである。

時効制度なんてものは、本来、凶悪犯罪に限らず、どのような犯罪であっても、必要ないのであって、犯罪があったのかどうかが問題である。

時効という、逃げ道は、許すべきではない。被害を与えたのなら、きちんと賠償すべきであるし、刑に服すべきである。過去に時効で、裁判が終わっているものなどで、証拠がはっきりしているのがあれば、蒸し返すのもありではないか。

時効で逃げている、トンデモナイヤツを、このままにしておくべきではない。

事件の背景のなかで、自分は何をしているか。

2010年07月28日 08時28分33秒 | 思考試行
秋葉原の事件の裁判が始まった。犯人の供述で、何故こんな事件を起こしたのか、その原因が触れられている。犯人の言葉には、この社会が、どんな風になっているのかを、如実に示す。個人的なことしか述べていないが、その背景がある。

特殊な事件であることは、確かであるが、その底流に、必然性を思わせる現状が、そのまま露呈しているようにみえる。非人間的な扱いを受けて、インターネットの世界に、逃げ込むものの、そこでも、居場所がない。

邪魔がはいる。そして、キレル。性格形成について、育った、家庭環境が、原因に持ち出される。はたして、そこへ収斂できるか。できるはずもない。

圧倒的に、経済的、社会的に追い込まれている若者の典型がそこにある。ここを抜かして、事件の真相が見えない。

であるにもかかわらず、マスコミは、決して踏み込まない。スポンサーは、すべて、本当の理由を明かにしてほしくない事情がある。コスト主義のなかで、踏みつけられる人びと。当然のことながら、その影響がでてくる。

ソマリヤの海賊問題も、なぜ、漁民が、海賊をするようになったのか。その背景がある。先進国の勝手な都合で、漁場を荒らしまくり、生活の根拠を奪ったのである。

いわば必然である。そして、そのことさえ、新たなビジネスのタネとして、海賊そのものを、利用しているムキもでてきた。取り締まりを調節しているかのような動きさえ見られる。

なんだ、この世の中は、と言わずにはおれない現状、実情がある。これを、改善していくのは、簡単ではない。援助しても、実際に必要なところにとどいていない現状もある。

それでも、希望がないわけではない。現実に、着実に、具体的な問題にとりくむ人びとがいる。理屈ではなく、実際に、仕事にとりくんでいる。

こういう動きが、実際に動き出したときに、もっと、活発になったとき、いかに、今の状況が、人類として、恥ずべき状態であったかということが明らかとなるだろう。

今のいま、どうしているのか、後世の人びとに説明できるような生き方をしていないと、恥ずかしいことになるだろう。すべては、記録されているのだ。



数理ファイナンスに玉砕

2010年07月25日 11時21分54秒 | 思考試行
今日から始まった放送大学の単位認定テスト。「数理ファイナンス」を、午前受験する。問題の量が多く、また、放送授業をうけていなかったこと、数学の基礎力の不足等によって、みごとに玉砕となった。

次回への挑戦課題ができた。午後から、あと一科目を受験する。こんなことを書いているヒマはないのだが、試験当日になって、今からどうのこうのというのは、とかなんとかいいながら、実は、少し焦っている。いまは、休息である。

なにしろ当日こそ、もっとも勉強が捗るのであり、成果も多い。このときやらなかったら、いつやるんだ、てなもんである。というわけで、早々に、勉強にかかる。済んだことは仕方がない。切り替えて、前へ進むしかない。

午後からは、「科学的な見方・考え方」である。印刷教材の持ち込みが許されている。こういう場合は、たいてい解答に相当のエネルギーを要する場合が多い。

そして、試験の最中に、いろいろと、学びの成果があるのである。したがって、受験しなければ、この宝物は得られない。

受験することが、新たな世界への可能性を開くかも、と思いつつ、頑張るのである。それでは、頑張ってきます。

戦うことを恐れない

2010年07月24日 07時40分04秒 | 思考試行
人間の生き様は、それぞれの出生の環境なり、その幼児時代における教育などが、大きな影響を与えることは、間違いないと思うが、人生は、短いようでも長く、いつまでも、環境や教育のせいにはできない。

明かに、本人の覚悟、努力に関わる、自己責任の要素が大きくなってくる。そこで、事勿れ的になるのか、熱情を注ぐ対象があるのかどうか、人生の選択という場面も出てくる。

生存競争は、過酷なところもあり、いつも平穏であるとは限らない。ただ、生きるだけで大変だともいえる。理屈立てがあって、生存という現象があるとは思えない。まずは、生きているという実態があって、そこから、どうするのかは、本人の選択によるという仕組みではないか。

そうなると、本人がどのように生きるのかについて、すべての責任を負わなければならない。誰のせいでもなく、自分が引き受けるという姿勢は、必要である。

だが、それだけでは不当な仕打ちをうけても、それもこれも自分のせいだ、となってしまう。そんなことはなく、人を道具として扱い、自分の儲けのためには、手段を選ばないという、人でなしも、確かに存在しており、こういう連中の思惑にはまった場合には、戦わなくてはいけない。

自分のせいにしたり、諦めてはならない。対決しなければならない。そのことが、自分を助けるのみならず、人の道を外れている連中への支援でもある。戦い方は、いろいろあるだろうが、自分なりに戦っていくのである。

トレーニングの必要性

2010年07月21日 09時10分15秒 | 思考試行
「また君に恋してる・・・」のフレーズにそそられて、カラオケ練習をする。その甲斐あって、なんとか歌えるようになった。これは、ただ練習あるのみで、繰り返しやっているなかでしかできないし、そして、必ずできるようになる。

久しぶりに、成果をだせたことに、ちょっとした満足感がある。最初は、音程がとれないし、声もでない。繰り返し聞き返し、トライする。このなかで、徐々に、できるようになってくる。

歌えさえできればいい、と思っていたのが、感情をこめるとか、味わいであるとか、結構深まっていく感じもある。

おりしも、放送大学の単位認定テストも、あとわずかとなった。数学などは、まさに、このトレーニングがかかせない。教材のなかに、演習問題の解説のDVDがあるので、くりかえしこれを見ながら、理解し、自在にこなせるまで、トレーニングをする。

馴染めなかったことが、身につく感じが出てくる。ワザをまね、繰り返しのトレーニングのなかで、これが実感できる。

かつて、まったくいい加減にしかできなかったことは、結局のところ、このトレーニング不足であったことである。数学に、かなりのコンプレックスがあった。マスターしきれないイメージが強かった。

かつては、こんな、素晴らしいツールはなかったし、今は、すばらしい環境にある。その気になれば、必ずモノにできるのである。繰り返しのトレーニングの意味が、今や、本当に理解できる。数学の認定テストを、必ずクリヤする決意で、残された数日を頑張りたいと思っている。

そして、それは数学だけの問題ではなく、こういうなかで、人生すてたものではない、という実感がうまれてくることだ。できなかったことができることや、知らなかったことが解るようになるということは、失うことが多い中で、稀有であり、努力の意味、喜び、を教えてくれる。

方針をたてて実行するのみ

2010年07月20日 06時55分09秒 | 思考試行
どうするか。問題が生じたときに、どうするのかの方針がいる。方針がなければ、方向が定まらず、船はどこへも行けない。

船は、どこかへ、移動するものである。停泊もできるけれども、動かなければ船とはいえない。

国家も同様である。人間は動く。動かなければ生きてはいけない。どう動き、どう生きていくのか。

昨日、BSでソマリヤの海賊問題をとりあげていた。海賊になった本人のインタビューもあった。漁業で暮らしていた現地住民に対して、諸外国が、根こそぎ漁業資源を奪い取り、その暮らしの根底を奪ってしまった。

その結果、海賊になったという。

そして、海賊対策としての、警備会社、保険会社などの関連ビジネスが、盛況となっている、ということである。そして、こういうビジネスにとって、海賊がなくなっては困るのである。

人間社会の悲劇の実態。これをどう解決するのか。国連からの援助金は、実際に動いている人には届いていないという。

問題解決のための方針を、真剣に考えているところがあるのだろうか。どうやら、それは、ないかのようにしかみえない。

人間というのは、そんなものだろうか。日本から見れば、遠い国のこととしか思えないが、今や遠い近いではなく、誰でもがその気になればできそうな問題である。

解決しようと思うか、思わないか、実行するかどうか、である。その気になれば、方針はたてられるはずである。当事者に誰がなるのか、ということである。


構造

2010年07月19日 08時35分48秒 | 思考試行
悪い話でなければ、それは、大いに話されるべきだし、そのことで、何らかの役に立てればいいのだが、本人の思いとは、別に、なんでもしゃべるオシャベリだともいわれる。

それでも、喋るほうがいい。黙っていると、何を考えているのか、本当のところ解らないから、意思疎通は困難となる。相互に、心地よい関係をもてれば、それがいいのだが、人間の構造というのは、どうなっているのだろうか。

求め合っているようでも、お互いの存在が、負担となったり、コミュニケーションをとるにも、その基本が、なければ、どうしょうもない。人嫌いになる所以である。

喋りあえば、余計な詮索は必要なくなる。どの程度の人間か、などと、測りあうことがない。喋っていれば、自然とその立ち位置が明らかとなってくる。誤解もあるだろうし、行き違いがあっても、そのうち、おさまるべきところに納まる。

そのうえで、相互に心地よい関係を築くという努力がはじまる。前提ができなければ、始まらないが、まずは、問題意識があれば、解決の方法も、自ずと発見できるだろう。

コミュニケーションを計ろうとする気持ちがあれば、まずは始まる。そのうえで、何が材料となるのか、映画でもいいし、旅行でもいい。歴史もいいし、すべてが対象である。ツールの開発を自分なりに心がけることが大事ではないだろうか。

思いやりのない世界の疲れること

2010年07月18日 23時38分01秒 | 思考試行
むき出しの、ワレガワレガの世界に入ると、これは、つらいものがある。傍若無人の子供たちを叱ることもなく、子供らは、目イッパイの声を張り上げている。これは、疲れる。

昔というと、話にならないが、人に迷惑をかけないとか、最低限の躾はあったもので、この調子で成人するとなれば、少し心配である。

ある時期になれば、キチンとなるだろうか。それは、安易にすぎるように思う。その子らの親世代が、躾など教育されてこなかった風である。自分本位の、自分のことだけにしか関心がなく、他を見る余裕なんて、さらさらない。

それが、ため口で、会話するとなると、そんなに、親しかったのだろうか、と思わされてしまう。必要な礼儀というものがない。こういう集まりなら、もう参加したくない。

品というものがない。これでは、日本文化といっても、崩壊そのものであり、いささか寂しいかぎりである。

バランスのとれた関係や、人間修養は、必要であるが、どこか根底から崩れてきているように思う。

蝉がなかない

2010年07月17日 08時24分35秒 | 思考試行
気になることだが、蝉が鳴かない。梅雨がもう終わろうとするのに、蝉がなかない。いつもは、その第一声を耳にして、ああ、もう夏だ、と思わされていたのだが、なかないとなると、なんだという気分である。

水がでて、避難する人びと、崖がくずれ、大きな岩に崩された家、異常な気象が、今や、当たり前になったのだろうか。

参議院選挙の結果、日本の国が、どのようになっていくのか、知恵をださないと、またまた混乱が始まる。これをチャンスにして、本当の民主主義を体現してほしいものだが、はたして、それができるだろうか。

楽観はできない。昨日、正確には、今日になるが、BSでアフガニスタンの、世界各国からの援助が、どうなっているのかの報道があった。

なんと、汚職がはびこり、それらの資金は、有力者や、NGOなどにながれて、援助を必要とするところにとどいていない実態が赤裸々に暴露されていた。

日本も同様のことがあった、否、今もあるにちがいない。権力のあるところ、利権に群がる連中。これが、実態である。

どこから、事態が打開されていくだろうか。アメリカは、金融規制法を成立させようとしている。法外な儲けをする連中のために、多くの民衆が、その犠牲になった。当然ながら、やるべきで、あれから2年が経っている。

世界は、どのように推移していくのか、まだ、蝉はなかない。



ねじれ

2010年07月16日 06時08分01秒 | 思考試行
マスコミの報道姿勢は、まことに問題が多い。高額所得者たちが、貧乏人が世間相場とみて、いかにも肩を持つような言い方をする。かれらは、目茶苦茶、収入がある。本心は、大衆をバカにしている。少しの、良心もない、騙しの手数料だ。

そのイイグサは、真実から遠いにも関わらず、親近感を求めて、演技をする。それに、大衆は騙される。ショッチュウやる人気投票に、政治家も振りまわされる。

何もしないうちに、数字が一人歩きして、コメンテーターは、ピントはずれの聞くに耐えない、ゴタクを並べる。おかしい現象である。マスコミは、何もさせないような、道具と化している。

政治家は、どうすべきだろうか。今こそ、やるべきことを、熟慮しながら、優先順位を定めながら、対処することである。やるべきことをやる。右往左往せず、実行する。民主党は、今からが本番である。頭を冷やしながら、対処してほしい。

政治が、国民のためなら、それを各党がいかに実行するかである。ねじれのなかに、さまざまな現象が起こるだろう。その姿勢を、如実に示させる事態が起こる。誰が何を言っているのか、今こそ、よくよく聞いておかなければならない。

議員定数の減を言って、少数政党の生きる道を奪うたくらみがある。弱者の味方が、いなくなる。弱者が、政治に期待しない風潮を育てる。余裕がなければ、政治なんぞに関心をもてない。彼等の本音は、本当は、関心などもって欲しくはない。

そうなると、やはり、国民がいかに賢い振る舞いをするかで、政治は決まる。ありとあらゆるツールを活用して、賢くなることである。浮ついたものと、そうでないもの。ホンモノとニセモノ。きちんと見分けて、行動することである。

「ねじれ」こそチャンスである。すべての姿が、ここに現れてくる。与野党が、どういう行動をするのか、よくよく見ておくことである。どのように日本をよくしようとするのか。世界にどう目をむけるているのか。きちんと見なければならない。

異常気象や、問題あれこれ

2010年07月15日 06時50分53秒 | 思考試行
あちこちで、洪水が起きている。これに対する対策は、万全なのだろうか。今や、治山治水対策というのは、あまり問題にならないのだろうか。ニュースにするまでもなく、復旧工事がされているので、なんの問題にもなっていないように見える。

こういう土木工事問題に対してほどは、景気であるとか、雇用問題などのことや、たいへんな思いをしている中小企業の会社経営に対して、きめ細かい対策が取られてはいないのではないだろうか。

あまりに、長い不況のために、小生の知人の会社も、とうとう解散した。火達磨になる前に、整理するとのことであった。

異常気象については、その根本的な原因はどこにあるのか、といった話になっていない。マスコミは、その問題を深めていくつもりもなく、世界的にも、話題になっていないようだ。この原因を、明かにして、対策をする、という動きにはなっていないように見える。

西欧の力の論理は、自分の立場の主張には長けている。彼らの考え方は、勝つか負けるかしかないようにみえる。力の強いものが勝ち、負けたものはこれに従う。人が何を考えているのかを気にしない。これでは、勝ったほうはいいだろうが、負けたほうは、たまったものではない。

イスラムの文化は、そういう考え方ではないようだ。であれば、外からやってきたアメリカが、自分の考えを、主張をしても、他人の国に来て、何をいうかと、地元の自分達が引くいわれはない、というところだろう。理屈は簡単なのである。

アメリカや、西欧の武器商人は、なんだかんだと、理屈をつけては、世界中に武器を売り込み、戦争をアチコチで起こす。戦争がなくなれば、彼等は失業である。人命は、このようにして、浪費される。

昨日、テレビでアフガニスタンの、ゲリラ部隊に潜入した、西洋人ではないジャーナリストの映像、音声が報道されていた。戦闘部隊は、住民と深くむすびついていて、兵士達は、地元の人間ではないようであるが、アフガン住民とは、自然な形で共存している。

アメリカは、これで、問題解決ができるのだろうか。イスラム世界に対して、武器で問題解決をせまるのは、たいへんな間違いのように思える。


野党からの資料要求について

2010年07月14日 08時48分05秒 | 思考試行
実態の詳細は、不明だが、政府与党の資料要求には、官僚は従うらしいが、野党になると、資料要求しても、なかなか出てこないという。

それは、官僚が判断していることなのか、政府与党がおさえていることなのか不明であるが、これからは、与野党が、話し合うほかに、国の政治を、動かせないのだから、極力資料などは、出さなくてはならないのは、勿論である。

従来の慣習なども、この際大幅に見直さなければならないのではないか。報道関係も、さまざまな制約があって、そのなかで、ジャーナリズムが生きていない面もあるときく。競争で取材競争をするようでなければ、世の中、良くはならない。

とりわけ、官僚政治をなくさせるために、与野党の協力で、それを、すすめることは、日本の永年の、念願である、身内優先の官僚政治にメスをいれることになる。

官僚には、国民はシモジモとしてしか写っていない。民主も与党になって、ようやく、試練のときをむかえたのだが、これは、日本の政治の方向を、新しい段階へすすめる大きなチャンスを迎えたともいえる。

何が、ネックになっているのか。どこに問題があるのか。すべては、検討しなければならない。強権政治が、できないのだから、本当の民主主義的手法が、展開されなければならないのである。面白い展開になるのではないか。

それにしても、選挙期間中の小沢氏の、「川上」での活動がテレビで報道していた。にこやかに、気さくに演説している。なんとも味がある。地元の状況を、私兵といわれる秘書が、統括して把握する態勢を作っているようだ。

選挙で票をいれてくれるのは、一人ひとりの、具体的な人間である。ここと接触しないで、ただがなりたてて、演説するだけでは、何もつかめないし、生きた情報も得られないだろう。その意味で、こういう活動は、どの議員にとっても必至のように思うが、これが、なかなかできない。

ただ彼の場合は、権力がないと駄目という感覚が強いようにみえる。党のなかで、所在不明であったり、接触さえできないとか、気難しい。もっと、率直でなければ危ない感じがする。

人間社会が、どうなっていくのがいいのか。課題を明確にして、ベクトルが揃うようにのぞみたいものである。

菅さんは、退陣などしてはいけない。

2010年07月13日 09時32分30秒 | 思考試行
自民、「みんな」が、有頂天になって、菅氏の退陣を言う。馬鹿か。まだ、何もしていない。今やめたら、どうなるのか。本当に、責任を持った、発言とは思えない。

国民の生活を思うならば、そんな言葉は出てこないはずだ。関心は、自らの都合だけだろう。どうやって、国民の生活を、よくしようかという発想がない。

民主は、なんといっても、一番、多くの支持を集めたのである。比例、選挙区とも、得票総数は、一番なのである。自民が一番、一番と騒いでいるのは、チャンチャラおかしい。

責任をもった発言をしてもらいたいものである。それにしても、菅さんは、誰かに嵌められたのかとも思う。官僚の影がちらつく。ギリシャがどうのこうの、と言っているが、陰謀、権謀、いろんなニオイがする。

ニオイといえば、マスコミは、前から言っているように、とんでもない実態があるのではないか。正社員に隠れて、非正規雇用の人が多くいる。これらの、人びとの、悲惨な雇用実態は、全然明らかではない。

それに、タレントが、何か言ったとかで、突然消える。誰がどうしたのか。ウラ社会の、強力な専制支配のニオイがする。こういうことが、不健全な連中の存在を、炙り出している。

ソウカ学会タレントが、テレビに溢れ、新聞業界にも、広告などで、買収し、その発言を封ずる。資金を提供する。得体の知れない「権力」と結びついて、さまざまな企みを実行している。

危うい状況が続くが、菅さんは、慌てず騒がず、スタートしてほしい。永年の希望が、かなったのだから、したたかに、粘り強く、頑張ってほしいものだ。

野党と、まともに話し合うしかない状況は、ひょっとしたら、チャンスかもしれない。安定多数なら、話し合う必要なんかない、となると、官僚の思う壺にはいるからである。野党との、話し合いのなかで、より、さまざまな真実があきらかとなる。

それがいい。この際、ありとあらゆる問題が、炙り出されるいいチャンスである。民主に、大いに期待したい。ただ、戦争だけは、やらんとってくれよ。

あらゆる部面、場面を公開する方向へ

2010年07月12日 07時58分49秒 | 思考試行
とかく密室であった、政治の世界。それが、政権交代によって、不十分ながら、それを公開の方向へと、舵をきり始めた。

この方向は、いいことである。民意はある意味、簡単に操作されうる。マスコミや、裏社会の存在など、暗部は、まだまだ多くある。

隠されたままである。真に、明かにされるべきことが多くあると思う。勇気をもって、事実、真実をだして、問題解決にあたるべきであろう。

宗教の世界などもそうである。公明党がなぜ、あんなに勢力があるのか。宗教と政治が、まさに合致して行動しており、今や、皇室にまで、その影響力があるようだ。マスコミにも、広告タレントがしょっちゅう登場する。隠然たる影響力がある。

公明党のなかには、東大、京大などの一流大学出身者や、医師、弁護士などが、結構多くいて、なぜ彼らが、創価学会信者になったのか、大いに、興味があるところである。

オーム真理教に、似かようカルト的体質をみる、危惧する小生としては、公明党の存在が不気味ですらある。池田教祖の思うままに、この集団が動くのは、まことに、不健康である。

こういう実態を知りたい。キリスト教だって、その教義をまともに、考えるならば、時代遅れであることは否めないし、イスラムだって、科学技術の進歩している現代において、相当な違和感を感じざるを得ない。

親が信徒であったから、そのままとか、あまり、宗教的な意味がないならそれでもいいのであるが、「まじめな」動機があるとすれば、そのほうが恐ろしいのである。

健康に、人間社会が進化していけるように、その手法としては、秘密の部分の解明の作業が必至だろうと思う。民主政権は、これから大いに、心がけていって欲しいものだ。