空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

戦争しないは正しい

2013年08月31日 08時52分51秒 | 思考試行

アサドがどんな人物なのか知らない。調べれば、といってもインターネットで調べるわけだが、そんな意欲もわかない。雰囲気で、独裁国家が次々と倒れたなかで、しぶとい独裁者がでてきたということだ。

21世紀のこの時代に、国家を私物化し、国民を苦労のどん底に追い込むものは、政治の舞台からは退場すべきだが、富の偏在、集中についても、同様な問題がある。

富を持つ連中が、表面にでることなく、仕組みのなかで、多くの人民を貧困においやり、自らは、さらなる富を築いていく。

そのためには、人民がいかに苦しもうと、我関せずであり、その力で、態勢の維持を図ることに熱心である。銃規制に反対したり、公共部門の切り捨てなど、その言い分の一部をみただけでも彼等の、本音が透けてみえる。

こういう連中と、席をならべて、コーヒーでも飲むと想像してみよう。どんな会話になるだろうか。貧者はいかに蔑まされているか、思い知らされることだろう。

それでも戦争で、彼らを駆逐はできない。一人ひとりの良識で、仕組みを変えていくほかない。


シリアはどうなる

2013年08月30日 08時27分36秒 | 思考試行

政権側が、生物化学兵器を使ったとして、アメリカなどが政権側に武力攻撃をかけようとしている。通常兵器なら問題ではなくて、化学兵器だから問題だとするのは、すぐには、うなづけないが、それでも、基準を引いているのだろう。

人道的でないのは、いずれも同じだが、程度が違うということだろう。武力攻撃が始まれば、シリアで犠牲者がでる。兵士だって、普通の国民である。悲劇が広がる。家族だっている。

そうなれば、戦争そのものが、なんだということになる。アサドだけが問題なら、彼をどうにかすればいいのかということになる。人が人を殺す。アサド側だって、必死だろう。

いままで、政権を維持してきたからには、それなりの態勢を維持しているということである。それにしても、いつまでこんなことを続けるのだろうか。

富の偏在、権力志向、利害関係、・・・助け合い、強力しあって生きていくことが、どんなに困難なことか。人類の哀れさ、低い水準、まことにあわれな存在、実態である。


逃げない

2013年08月29日 08時34分32秒 | 思考試行

無理はしないが、問題から逃げない。まず、覚悟しなくてはならない。とにもかくにも、人間として、この世に生を享けたものとして、人生を放棄してはいけない。

いろいろ条件が出てきて、選択する場合も、逃げるのではなく、きちんと選択する。日本軍が、敗走のことを転進といったそうだが、その意味でもない。

逃げるというのは、自分自身でわかることである。今まで、逃げたことがないのか、といえば、ある。誰かに非難されたわけではない。だが、自分でわかっている。

生活のなかに、介護のことが現実化して、いよいよ本格的な、老老介護が始まった。いろんな制度を使いながら、周囲の援助も受けながら、生きていくわけだが、早くも、現実の試練がおそいかかってきている。

周囲のことだけではなく、自身の内部にやどってきている。これから、どう進化していくのか。プラスにするかマイナスにするのか。まさに、自分自身にかかっている。


学力テストの報道をみて

2013年08月28日 16時58分53秒 | 思考試行

大阪府の成績が振るわないらしい。まあ、47都道府県があれば、どこかがトップとなり、ビリがどこかになるのは、当然であって、成績の振るわなかったということは、努力の具合が相対的に充分ではなかった、ということになる。

では、成績の良かったところは、どんな努力をしているのか。これが、記事に充分でてきていない。結果だけを報道するのは、簡単だが、そこから取材が始まる。また、逆に、なぜ成績があがらないのか、分析があまりなされていない。

それは、これからということか。追跡の記事が重要であり、個々人の努力についても、努力の仕方、ノウハウみたいなことは、意外に語られないし、具体的な話が、あまり聞かれない。

どうすれば、算数ができるか。どこがひっかかているのか、その解決ノウハウなど、もっともっと記事にすべきだろう。新聞記者は、文化系ということになるからだろうが、数学に強い人が志望する分野ではないかもしれない。

だからといって、数学に関する記事がない、というのは寂しいし、積極的な分析、実態の報道を強めてほしいと思う。

世の中、すべての分野の学問が必要なのであり、小学校、中学校、高校レベルの学力をめぐる教育の問題点など、もう長い歴史があって、経験的に、明らかになっていることだろう。

少しずつでもいいから、改善のための具体的な、ノウハウの取材し、記事にしてほしいものだ。そういう記事がどんどん出るようになれば、記者のみならず、国民一人ひとりのレベルは、格段にあがるのではないか。


創造

2013年08月27日 09時05分09秒 | 思考試行

新しく付け加えることも、創造に含めるとすれば、人間社会というのは、創造の連続であり、個人としてのやりがい、生きがい、の感じられるのは、この創造部分ではないだろうか。

亡くなった叔父が言っていたのは、何事かこの世に残すことが、人生には不可欠ではないか。と一度聞いたことがある。その叔父は、確かに、あるものを残した。はっきりと形をなしている。

知る限りの、準備と研鑽を深めて作品を作り上げた。その一点で、叔父は一定の満足は得ていた。その話はもっと、詳しく聞いておきたかったが、それでも、エッセンスはつかめた。テーマにむかって、全力で向かう姿勢である。

創造する姿勢を教わった。徹底的に広げ、深めていく。それを世に出すのである。その姿勢が大事である。それで、何に取り組むのか。実は、それこそもっとも大事なのであるが、探し求めるしかない。自然とテーマに遭遇すればいいが、思うに、日常生活のなかで、やるべきことを、なすなかで、テーマにあえたらいいと思う。

それで、結果的に、見つからなかったとしても、致し方のないことである。もうすでに、何事かなしてきているのかもしれない、とでも考えてもいいのではないか。


統計学が最強?

2013年08月26日 08時14分53秒 | 思考試行

統計学が最強、というタイトルの本が、売れている。しばらく前に、題名に惹かれて購入したが、パラパラと見ただけで、放置していた。

ところが、ほかに確率統計の本があって、これも前から、関心があったものの、読みさしになっているのがあって、この関連で、「最強」をまた、読み始めたのである。

読み物風であるから、まともに、統計学がわかるという本ではない。CMみたいなもんである。統計学がいかに有用であるかの宣伝である。

たしかに、数学的な理屈が背景につくと、力が違う。選挙のときなど、開票0%で、当確を報道したりできるのである。たまに、ミスもでたようだが、まったく問題になっていない。事前の出口調査で、わかるのである。

全数調査をしなくとも、サンプルの取り方で、誤差の範囲までわかるというのだから、たしかに、有用な学問であるとは思う。課題として、マスターしたいと狙ってはいる。

だが、なかなかの難物であることは確かである。数学の場合は、積み重ねが必要で、一足飛びに「悟った!」というわけにはいかない。地道な努力が必要なのである。


エグザイルが来ていた

2013年08月25日 09時02分57秒 | 思考試行

たくさんの女性が、長居公園に列をなしている。去年落雷事故で、死亡した人もでた同じコンサートである。傘がたくさんあって、昨日も雨模様だったが、落雷はなかった。

話によると、午後3時からのコンサートというのに、午前中からものすごい人並みである。人気というのは、大変なものだなと思う。

われわれ若い頃は、こんなに人が、列をなすということは皆無であった。同じ時代に生きているといっても、世代が違うとまるで異文化といえるほどの、感がある。

テレビで見る限り、エグザイルの魅力は、小生にはわからない。というか、歌とか音楽に関して、ダンスに関してもそれほどの魅力を感じられない。これは、能力の問題に違いない。

モダンジャズが流行したこともあったが、これなどは、熱狂する風にはならないし、むしろ、無気力な感じにさえなる。とはいいつつ、クラッシクを聞いたときに、音楽でなければ響かない感情を引き起こされるという体験はある。

音楽でなければ、表現できない境地であり、影響力を認めざるをえないのである。それにしても、人間というのは、いろんなことをしてきているもんだ。


事実が知らされないなかで

2013年08月24日 09時05分31秒 | 思考試行

「はだしのゲン」が、力を持ち始めた。皮肉なことに、表現がどうのこうのと、島根県松江市教育委員会が、いちゃもんをつけたことが、問題になり、作品に注目が集まり、力がついてきた。

作家が、心血をそそいで作り上げた作品が、いよいよ、その真価を発揮しようとしている。抹殺しようとした人間がいて、そのことが、意図に反して、作品の力を再認識させる。

否定という作業にも、反作用があり、否定した当事者の意図に反する効果をうむのだから、人間世界の不思議なところである。あるべき方向に向かって、人類社会が進化し続けているかどうかは、不明であるが、そう信じたい。

福島原発は、事実を隠蔽する東電の体質をくりかえし明らかとし、取るべき道を明確に示している。だが、支配層は、結託して、東電サイドに立つ。今や、原発ゼロは、マスコミも充分には、とりあげない。亡びへの道を、歩み始めた。

人類は、どうなっていくのか。滅びるのも勝手である。当面の、「国益確保」にきゅうきゅうとしているようでは、大したことは、できそうにない。滅びるものは、滅びる他ないのだろうか。

しかし、事実隠蔽のことが、事実解明につながる可能性も秘める。支配層の隠蔽作業が、構造転換の大いなるエネルギーに転化する可能性もある。


自分さえよければ

2013年08月23日 10時39分23秒 | 思考試行

はっきりと自覚していないにしろ、結局は、「自分さえよければ」となっているものが多い。相手の行動、言動、の中に、その傾向をみてとれると、ゲッソリするが、自分もそうではないかと、チェックしていないと、簡単に陥る道である。

母の入院騒ぎから、周囲の様子をみていると、自己都合をベラベラと聞かされたり、自分の要求実現のためには、容赦なく利用してくるモノがでてくる。

ここまでの長い積み重ねで、それぞれの人生を過ごしてきているのだから、急には変われないのだろうが、いまさらではあるが、人の気持ちを推し量ったり、できない性格のものに囲まれると、より、ガッカリ感がでてくる。

いたわりあい、慰めあい、思いやりを交歓する世界と、そうではない世界は、外見はさほど違わないのかもしれない。だが、中味は違う。

夫婦として、長年連れ添ってきて、妻の思いやりに感心することが多かったが、それでも、価値観の違いが当然あって、すべてが一致というわけにはいかない。だが、今回の事件で、本音を話し合える関係であることを、再確認できたことは幸せなことである。

 


久しぶりの病院

2013年08月22日 09時11分09秒 | 思考試行

母親がついに入院ということになった。近所のかかりつけ医に来てもらったところ、心房細動、不整脈、がある、と救急車で、〇〇病院へとなった。

在宅で介護と決めていたので、突然の方針変更となる。病院へは、ごご7時20分ごろ到着。全身の検査があって、出るは出るは、動脈硬化、血栓の存在、大動脈の乖離、動脈瘤の発見、・・・。

不整脈は、そうこうしている内に、解消し痛みも消えた。50代、60代の人なら、これで帰ってもらうのですがといいつつ、入院を勧められる。

その後も、待たされ待たされで、最終的に病院を出たのは、午後11時半ぐらいだったか、夕食もとれず、意味不明の長時間の待機は、本当に、病院システムの異常を感じさせられる。

患者本人は、不整脈がとまったら、痛みも消えて、こちらのことが心配で、心配で、とどちらが、保護者かわからないような言動。

ともあれ、疑心暗鬼の不信感を抱きつつ、今日から、あらたな生活となる。思うようにはいかない生活ではある。病院へ入院となれば、こちらは、毎日の見舞いぐらいとなる。家庭で介護よりは、恐らくは楽だろう。

だが、覚悟をきめて、長期戦の構えでいるところに、不整脈の登場ですべては、くつがえった。このまま、全身状態を悪くするまで、病院生活を続けるのか、それとも、在宅で、それなりの個人としての私生活をしながら、いくのか、早晩決めなけらばならない。


マット・デイモンに同感

2013年08月21日 15時37分11秒 | 思考試行

今朝の朝日新聞朝刊に、オバマを批判する、マット・デイモンの発言がでていた。いわく、富裕層への課税や、貧富の格差、核兵器廃絶にむけての動きなどで、不十分であると、オバマ大統領を批判しているのである。

彼は、オバマを支援し、選挙でもハリウッド俳優として、活発に活動してきた。その彼が、今、オバマを批判している。オバマにしても、選挙当時と、今では、現実にふれて、妥協を余儀なくされている面もあるのだろうが、やはり精力的にデイモンのいうとおり、しっかりやってもらいたいものだ。

政治家が、初志を忘れて、現実に埋没していくことは多い。ドラマでもよくあるシチュエーションであるが、あちこちで本当に、あるべき方向を目指すべきだ、とする意見がどんどん出始めている。

オリバー・ストーン監督も広島を訪問し、5.6年前までは、日本への核爆弾使用について、戦争を早期に終わらせるために、仕方がなかった、と考えていたそうだ。

しかし、人道的に許される行為とは、とても思えないとして、こういう意見がだんだん大きくなってきている。健康である。政治家たちが、これらの声を踏まえて、行動するかどうか、期待薄だが、そんなことでは、早晩淘汰の憂き目に会うことは明らかである。


官僚支配の完全復活

2013年08月20日 10時50分32秒 | 思考試行

自民党は、大雑把な「方針」だけ出して、あとは、官僚任せというスタイルに復活したとみる。そして、弱者のことなど眼中になく、相変わらずの、国民しわよせの、放漫経営をやるつもりである。

軍事経済をめざす、軍事資本奉仕の政策もみえる。経済のためには、武器輸出だってやりたいし、戦争だって、辞さないという姿勢、本音がみえる。国民は、先の大戦の経験を踏まえて、どう判断していくだろうか。

戦争があったことを知らない若者たちもいるという現在である。選挙はしばらくなく、また、政策提言についても、きめ細かい政策がどこかで準備されているとも想えない。人口現象、少子化、超高齢化が進むなかで、どのように政策をくみたてていくのか、特別な研究チームがあってもいいと思うが、はたしてあるのだろうか。

軍事資本から独立して、政治的にも弱者の味方になろうとする勢力といえば、共産党があげられるが、はたしてそういう態勢が出来ているだろうか。単純に票だけあつめればすむという話ではない。政権転覆をはかる勢力もあり、なおかつ、具体的な仕組みづくりも必要である。

しかし、実は、もっと根源的な新技術の発展が、新しい価値観、政治勢力の出現という可能性もある。食料、環境、・・・重要課題をクリヤする状況が、もう、そこまで近づいているような気もする。


経済から命軽視の不思議

2013年08月19日 08時11分44秒 | 思考試行

経済活動を活発にするために、武器をつくる。これを輸出できないのは、経済活動において、問題であるとする議論がある。経済活動をするのは、命を守るためではないか。にもかかわらず、命を奪うためだけの目的の物品を作ろうといい、しかも、自分の国の分だけではなく、世界に輸出したいというのである。

憲法9条をもつ、我が国が、武器商人となるわけである。

考え方というのは、重要である。へんな連中の思う通りにさせるわけにはいかないが、これを防止する手段というのは、何なんだろう。力しかないのだろうか。

たまたま、早朝のラジオをつけたら、宗教の時間があった。聞いていると、まともなようで、頼りない。これでは、獰猛な人間どもを、すべて納得させることはできないと思った。

だが、どんな方法があるだろうか。どうやら、一言では済まない。組み合わせ、総合、論理の組立、・・・、何しろたくさんのツールは揃っているとは思う。これをどう組み合わせ、論理を完成させ、へんな連中を悔い改めさせるかであり、どう新しい、指針を作り出すかである。

標題のような、へんてこなことを真顔でいう人間がいることが問題の根源だが、こんな国がアメリカをはじめ、先進国といわれるところがそうなのだから、まことに深刻な話である。


人間社会をどうするか

2013年08月18日 14時05分28秒 | 思考試行

世界には、多様な価値観、文化、それぞれの思いがある。歴史がある。日本からすれば、先の戦争は、止むにやまれぬ戦争だったという議論がある。それ以外に道がなかった、という見解もある。では、だれが、そこへ追い込んでいったのか。

欧米列強は、アジアで何をしていたか。中国、朝鮮、東南アジア諸国は、どういう目にあっていたのか。中南米諸国がどのような目にあっていたのか。かつて、弱肉強食があたりまえの世界であった。

強い者が、弱い者を従えて、これを利用する。アフリカ大陸からは、労働力として人々を強制的に拉致し、商品として、奴隷として売買し、労働力として、こき使い、巨万の富を得、財力をつけてきた。

これに対抗して、日本は、明治以来、国を守るために、必死の努力をし、背伸びをし続けてきた。資源のない国として、外へ出て行かざるを得なかった、という。そして、ついに、欧米と衝突し、とことん痛めつけられて、あげくのはてに、無条件降伏をしたのである。

戦争には、大いなる犠牲を伴う。それは、常に、被支配層の人民である。人民が真に主人公となった経験のない国である日本の場合、いまだに、まことに中途半端な民主主義国家ではある。

だが、今、アメリカに押し付けられようが、自主憲法でなかろうが、通常では有り得ない、戦争放棄、武力放棄、文言だけみれば、外国が一度その気になれば、いつでも占領可能な憲法9条をもっているのである。

これは、世界のリーダーの条件を叶えている国である。国民が高い意識を持ち、人類社会を根本的に転換し、人類社会を格段の進歩をさせるための条件を有しているのである。

ただ、本気でそれを実行しようとする気が、現政権にはない。民主党政権もそうではなかった。では、共産党政権になればどうか。アメリカが認めなければ、選挙で共産党が多数をしめたとしても、CIAかなんか知らないが、そんな政権は直ちに転覆させる可能性がある。

それでは、徒労である。世界をかえる準備と、イメージと戦略が必須である。そのためには、ひとり政府だけでは、不可能である。国民一人ひとりの質的向上がなければできない。はたして、可能だろうか。難しい道である。

 


枠組み、人としてのあり方

2013年08月17日 12時51分40秒 | 思考試行

エジプトの騒ぎは、ひどいことになっている。選挙で発足した政権を、軍部がひっくり返す。こういうことをやると、揉める。よほどの正当性がなければ、許されてはならないことである。

選挙民の意思を、問うて発足した政権なら、これを尊重し、そのなかで、矛盾の解決をはかることとなる。それを暴力で転覆すれば、再現なく、力のあるものは、民意とは関係なく、その意思を貫徹できる。

ただ、選挙が万能でないことは、歴史が教えている。民意が、常にまちがいなく反映するとは限らず、また、民意が反映されているにしろ、後世になって、間違った選択であったと指摘されることもあるだろう。

絶対に正しく、間違いがない、といいきることはできないけれども、およそ、正しいのではないかという枠組は立てることができるのではないか。

個人にしろ、集団、国にしろ、今の時代には、なんらかの最低限の枠組みをこしられていこうとする動きがあってもいいのではないだろうか。