平和が邪魔になると、ひょっとしたら考えているのかもしれない。平和であれば、武器はいらない。武器産業は、衰退するしかない。経済の中に、組み込まれて、否、組み込んでいる以上、その動きを止めるわげにはいかない。
したがって、紛争は必要である。なくても、紛争の火を絶やすわけにはいかない。そんな恐ろしいことを考えている者が確かにいる。でなければ、紛争は続かない。人を怒らすために、そのタネを投入する。
平和なところへは、何かしらの矛盾を持ち込む。落ち着いているところには、抗議の怒りをぶちまけていく。破壊する。なにかしらの不満を起こさせる。落ち着かせず、焦らせる。競争させる。ルールをもちこみ、遵守しているかどうか、監視する。従わなければ処分する。職を奪う。
何のためにそんなことをするのか。日常の当たり前を打ち壊し、何か新しそうにみえることを、人々に期待させるための下工作である。何か新しいものに人は惹かれる。そして、騙される。
大げさなパフォーマンスは、ついてまわる。逆にいえば、そんなパフォーマンスをする者には油断してはならないのである。そして、強面のあとは、にっこり、可愛い笑顔が準備される。
庶民は、常に疑っていなければならない。憲法がなぜ、権力を監視する内容になっているのかを知らなければならない。権力は、拡大の方向を探る。権力は、自分に任せてくれと絶叫する。そんな者に任せたら大変なことになる。そして、今、任せそうになっている。少ない支持を多くみせかる制度を持ち込んで、その効果を使っている。