空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

やはり自民党はだめだなあ、そして公明も

2011年02月28日 11時10分39秒 | 思考試行

伊吹さんの質問を聞いていて、何と程度が低いのか、と驚いた。基本のしっかりしている菅さんに、基本をきいたものだから、話にならない。ばっちりと答えられて、間抜けな質問になってしまった。余裕綽々の菅さんの表情が印象的である。

予算を通すつもりのない、自民党が、自分の責任を回避したくて、菅さんの努力が足りないようにいうが、論理の通らない筋の悪い言い分は、まったく話にならない。

この調子で、どうなるのかと見ていたら、野次が激しくなると想定していたらしく、民主党の議員席を見渡して、「この野次を飛ばす議員をみてください」と、まるで、詐欺集団のようにいうのだが、それほど、騒いでいないので、何を言ってるんだという雰囲気になった。

逆に、自民党席にむいて、もう少し静かにいこう、と声をかけるシーンもあって、まるで、コントだった。

ちぐはぐな質問をしたうえで、この質問をみて、国民の皆さんは、チャント判断するだろうといった。そのとおり、自民党に政権をわたしたらロクなことにならないな、ということはよく解った。

公明党の委員長も、菅さんを「居丈高」と批判したが、正直にいって、いじめっ子がいうセリフとしか聞こえない。本当に程度の低さに驚くばかりである。

 

 

 


自民党に、能力なく、マスコミに正義なく

2011年02月26日 09時19分35秒 | 思考試行

自民党の組み替え予算案は、真面目に検討されたものであろうか。そうだとすれば、暗澹たる思いがする。 政権交代が起こったのは、何故か。この意味が問われなければならない。

政権交代の原因は、弱者を無視し、大企業や富者に有利な政策を続けてきた政権に、ついに、弱者が抗議の声をあげて、立ち上がったものではなかったか。

マスコミの力の源泉は、何だろう。それは、情報を一度に、広報できることにあると同時に、価値観の提供がある。世の中の矛盾や、問題点を明らかにし、その解決の方途を探るオピニオンリーダーとしての役割がある。

となると、その価値観が問われる。マスコミを、構成している人間像を考えてみる。そこは、やはり、支配層であり、成功者であり、エリートの一員なのである。

考える方向は、庶民であるとか、弱者には向いていない。 国のあり方であるとか、世界の方向を考えるときに、富者や成功者の既得権益を守るという考え方は、いずれ破綻するだろう。

無責任な、商業主義や、その場しのぎの、いい加減なことでは、世間に害悪を流す、武器ともなる。政権が安定できないのも、そういう国民感情を醸成してしまったマスコミにも、その責任はある。

 


良く出した自民党の「予算案」

2011年02月25日 09時49分50秒 | 思考試行
そうだ。そういう具合に出せばいいんだよ!
それで、話が始まる。

それにしても、エライ違いだね。

民主がやりたいことを、すべて削ってしまった。それは、考え方の違いがこれだけあるということだろうが、果たして、国民の生活を本当に考えているのかと思う。

また、ハコモノ作りに戻ろうというのだろうか。これで、支持されると思っているのだろうか。

まあ、どうなることか、プロセスを見守りたい。

おとなしくすれば、「元気がない」。元気を出せば、「居丈高」。なんとでも言える

2011年02月24日 09時16分54秒 | 思考試行
昨日の党首討論で、菅さんは、ついに、本音の声をあげた。公明党の山口委員長は、「居丈高」とこれを評した。

これに、マスコミは乗っかる。この傾向は、どう考えればいいのか。

菅さんの反応は、どうあっても、解散を叫ぶだけの自民党に対して、どうせまるのかであった。

どうしても、協議にのってこないで、国会の機能を意味のないものにして、解散に追い込む、一点張りの自民党に対して、抗議の姿勢をとるのは、当然である。

それは、国民を思うからである。

自民党の作戦を、あたり前にしてしまうと、政治の世界は、なんとも落ち着きのない、単なる多数の取り合いになるだけである。話し合いはしないというのだから、衆参両方で、多数をとらない限り、なにも決まらないことになる。

衆参両議院で、多数をとらないかぎり、延々と選挙をやり続けなければならないことになる。システムの問題もあるかもしれないが、それだけではない。

システムの中で、工夫もしなければならないのは、あたりまえであろう。話し合って、決めるという、いわば、初めての経験をする、もっともいい機会であるはずである。

それをしないというのである。

これこそ、国民をバカにした話であって、相談してモノゴトを決めるという民主主義の原点を理解していないし、考えてもいない、ということである。

自民党、公明党、彼らは、このままでは、国民の敵であり、権力亡者と言われても、反論できないだろう。

さまざまな動きが出てきている。この時期に、よくよく監視しなければならない。日常ではみられないさまざまな現象がみられるのだから。

日本の現状・・・海部氏に何故反応しない、大新聞よ!

2011年02月23日 07時55分41秒 | 思考試行
新聞は、日々のニュースを流すことが、任務であるが、大ニュースを黙殺することによって世論をコントロールしたりもする。

先に、新聞記者の体質にふれたこともあったが、権力に近い、ある種の特権意識と、実際に特権を持つ、新聞は、現実に政界と結びつき、暗い闇のなかに、蠢く怪しい連中の巣窟でもある。

文藝春秋3月号には、海部俊樹元首相の、「政治家・小沢一郎に生前葬を」が寄稿されている。中味は、当然小沢氏に関するものであるが、付随して、自民党時代の政治と金の実態が、詳しく述べられている。

官邸機密費についても、その使い方について、赤裸々に述べられている。しかるに、新聞はこれを黙殺している。これこそ、新聞記者もそのオコボレに預かってきた証拠である。黙っているのは、まことに情けない。

また、それを知っても、騒がない国民も「おかしい」だろう。それが、日本の現状である。これでは、正義がはいりこむ余地はない。

オピニオンリーダーが笑わせるぜ!

嘆いていても、事態は変わらない。北アフリカのような、ギリギリに追い込まれないと、悪い連中は、退陣しない。これは、人間の性癖であるのかもしれない。

さて、日本の「カダフィ大佐」がいるのかどうかであるが、どうやら、「集団」を形成しているようだ。各界各層に、またがって、「団結」しているのである。

個別に参加している「シモジモ」我々は、いつ、どのように反応するのだろうか。そして、市民運動から出てきた菅さんは、この今の状況にどう対処するだろうか。


権力をにぎれば

2011年02月22日 09時34分18秒 | 思考試行
北アフリカのデモは、いろんなことを示している。権力を永年にわたって、握っている者がどうするかのことである。

個人、親族の蓄財、有り余る財宝、現金をしこたま溜め込む。判で押したように、同じありさまである。

日本だって、同様だろう。今朝の朝日新聞の、天声人語は、控えめな表現ながら、マネーゲームで、欲の塊の者達が、飢えた人々を作り出している状況を批判をしている。

これこそ、今の北アフリカの状況であり、多かれ少なかれ、全地球上の問題である。富者と貧者。この問題を正面からとらえなくては問題の解決はない。

人が、人をくいものにして、いいわけがない。それは、常識といいたいところだが、そうではない。この現状を、打開できなければ、人の将来はない。

菅さんは、市民運動をつうじて、政界にはいり、ようやく首相の地位についた。仕事をなかなかさせてもらえないようだが、この状況から、どうしていくか。

いま、権力を握ったのであるから、これを最大限に活用して、人類社会に貢献する仕事をしてもらいたいと思う。

熟慮し、腹を決めて、また、賢い奥様とも議論を交わしながら、そして、恵まれたスタッフの協力のもとで、魑魅魍魎の蠢く、政界を浄化し、健康な人類社会の建設にむけて、確かな前進をかちとっていただきたいと願う。

秘密

2011年02月21日 09時27分41秒 | 思考試行
けっこう、秘密というのは、あるもので、たとえば放送大学に、小生は永年在籍しているが、単位認定テストなどについては、多くの情報を持っている。

それを言ったらオシマイヨと、いえるようなことがらもある。それを聞いたら、明かに、合格するのは、容易になるだろうこともある。

しかし、それだけ楽しみも減るというように考える。従って、言わない。こういう秘密である。それは、言わないほうがいい、という選択である。

長くやっていると、そういう副産物も生じて、これは、密かな自信に転化する。

誰かの評価を期待したりとか、金銭についても、そのほかの欲望についても、自然に扱えるような余禄を戴いている。

勿論、その過程のなかで、自らの実力、足らざるところも、認識できる。嘆いても仕方がない、現実を知るということである。これは、もちろん秘密ではない。

秘密は、必ずしも、本人のためというより、他者のことを考えてというケースもある。秘密を知っている身としては、それは、楽しいことでもあり、温かい目で、他者をとらえる余裕でもあり、何もしないことの意味を知ることでもある。

しかし、基本は、何でもオープンが、いいことだとは思う。オープンにすることは、明かに、他者にとって、参考になり、役に立つことが多いと思われるからである。

すべてはルール次第

2011年02月20日 10時22分48秒 | 思考試行
支持率が、民主党と自民で、逆転したという。それがどうした。瞬間的に、風向きが変わる。そんなことに一喜一憂していても仕方がない。

菅政権は、菅総理が辞めると言わなければ、誰もこれを辞めさせることはできない。ルールである。

菅さんは、何か不都合なことをしたのか。何も、不都合なことはない。能無しだとか、決断がどうのとか、言われても、言うのは勝手である。

要するに、こうすれば、ああしたほうがいい、ああすれば、こうしたほうが・・・、の連続である。話にならない。

ルール通りに、思うところを実行するほかない。予算を、野党が通さないというなら、協議するしかないだろう。すればいいのだ。

どうしても、反対だけして、協議にも応じないというのは、国民のことを、まったく考えない、権力亡者の姿勢である。

国民が、そんな連中を支持してどうするのだ、といいたいが、それが、およそ7割を占めるといわれる、あまり、オツムの良くない人びとの傾向なのである。

誰もが、知っていても、公然とは言いにくい現実なのである。だから、大衆受けの政策を、ポピュリズムという言葉があるのである。

本当に、何が大事であるかを、真剣に考えるならば、とるべき道はでてくる。菅さんは、古い政治に戻す気はない、としている。それでいい。

とことん、ルールにのっとり、行動あるのみである。論理的に、スジを通して、行くことが、政権交代をした効果を、国民に知らしめることである。

正しい認識とは

2011年02月19日 12時22分25秒 | 思考試行
何が正しいか、間違っているか。

正しいと信じて行動したことが、結果的に、意図とは違ってしまって、都合の悪いことになったとすれば、それは間違いであったと言わざるをえないこともあるだろうし、反対に、間違っていることを、自分では、自覚していながら、それが、後になって、怪我の功名で、うまく事が運んだとすれば、それは、正しかったということにもなるだろう。

精神衛生的には、自分の利益は後回しにして、正に、奉仕の精神で行動する、というのが、古来日本的な行動精神ではなかったろうか。そのように行動することが、正しく、潔いとしたものである。

今では、自分の利益を、とことん追求することが、全体にとってもいいのだ、という自分にとっても、都合のいい考え方で、しかも、全体のためでもあるというなら、何ら悩むこともない。そして、こういう考え方は、アメリカ流の思考方法として、かなり、日本にも、浸透しているようにもみえる。

解りやすく、自分のことは、自分でする。結果は、自分が責任を負う。こんな考え方は、ドライで、勝つか負けるか、であって、自然の動物の世界の成り立ちに、沿っているようにもみえる。

だが、これでは、自分以外は、極端にいえば、全部敵であって、自分の利益になるモノだけが、味方であり、協力すべき相手となる。これは、随分と、厳しく、また寂しい世界である。

これで、人類社会は、いいとは思えない。では、どうするのか。これが、今後の課題である。すでに、実行に移されている方法もある。しかし、全体として、仕組み、システムが完成しているとは言い難い。これからの、人類の課題として、あげておくことから始めよう。


首相の品質

2011年02月18日 09時09分22秒 | 思考試行
ただ明るいだけでは、いけない。といって、思いつめて深刻なのもいただけない。一国の総理だから、理想をいえば、キリがない。

ただ、あれこれの駆け引きに終始して、チャントした考えもなしに、すぐ交代させようとするのは、嘆かわしい。

予算関連法案をめぐって、民主党内から、新しい動きがでてきて、社民党は、これではといって協議から抜けたらしい。

というわけで、菅さんの資質とは関係なく、早くも、総理の首と引き換えに、予算成立を図ろうという党内の意見があるというわけだ。

菅さんは、得がたい人物である。本当に、日本という国の政治家は、今のこの時期に、よくよく考えてもらいたい。

彼は、新しい息吹を、政界に齎している。今、その大事な、始まりのときである。旧勢力と、拮抗している最中であるともいえる。

彼の、新しさに気付いた政治家は、彼に対する、真摯な判断で、将棋のコマのような扱いをしてはならないと思う。

ああ言ったこう言った?!

2011年02月17日 09時05分05秒 | 思考試行
鳩山さんの言葉が、また、エライ騒ぎになっている。沖縄の米軍海兵隊の位置づけで、何だかはっきりしないが、「方便」という言葉が、問題になっている。

マスコミ記者などが、言っても問題ないが、元首相が言うのは、問題だという。そうだろうか。事実は、海兵隊の役割は、殴りこみ部隊であって、言い方によって、どうとでも言えるのではないか。日本の国防に関係するとか、しないとかは、絶対的な話ではない。

どちらにしても、ひどいことを言ったと騒ぎ立てることではない。それを、問題にしたがるのは、まともではないだろう。

伸び伸びと、そのとき思ったことをいって、間違いであれば直せばいいではないか。口は、重いよりも軽い方がいいように思う。何を考えているか解る。

黙ったままで、恨みを抱えてなんて、いいとは思えない。

個人の秘密であったり、他人の、そんなことをペラペラと、明かしたりするのは、当然いけないが、自分のことを、あけすけに言うのは、むしろ好ましい。意見も同様である。変だと思えば、変更すればいいではないか。

願いは何か

2011年02月17日 00時27分59秒 | 思考試行
生きることを、意味あることにしたいと思っているようだ。意味はない、という声も聞こえてくる。正しくありたいと思う。キタナイことはしない。

役に立ちたい。自分の存在価値は、誰かの役に立つことで、あるかのようにも思っている。もしも、周囲に誰もいないで、見知らぬ他人ばかりであれば、生きがいはもてるのだろうか。

何らかの、行動を起こして、関わりを求めるのだろうか。それが、利他であると共に利己でもあることを知っておかねばならない。

仕事というのは、そのまま、誰かの役に立っていると自覚できるのであれば、幸せである。そのように心がけることも大事だ。

キレイゴトを言ってはだめだ。平常心は、そこからは、生まれない。公平に、真っ当に、人生に対することができているか。


真剣な検討

2011年02月15日 22時08分57秒 | 思考試行
マスコミの流す、移り気な支持率の変化の報道は、どんな意味があるのだろうか。政治不信をあおり、折角の真面目な政治家の努力を無駄にしてしまう。

もっと、落ち着いて、世の中の問題点を、とりあげ、解決へむけて方策を探るような、前向きの努力を、何故しないのであろうか。

野党は、ただただ、権力の奪取にのみ、関心があるようだ。そこには、世の中を良くするという意欲は、ハナからないかのようだ。自分達が権力を奪取することのみに関心があるだけである。

マスコミも、それに手を貸す。長年の「恩義」があるのだろう。特権をいろいろ受けて、便宜をはかってもらってきたのだから、手のひらをかえすわけにはいかない、というところだろうか。

これが、世の中を暗くする。そのため、民主政権には、邪魔が、内外部から入って、思うように、モノゴトを進めにくい状況にある。それでも、とことんトライするほかない。

支持率は、どうでもよい。衆議院で多数を占めたのだから、そして、参議院選挙でも得票数で、第一党であったのだから、主張するところを、懸命に実行するべく、奮闘するのみである。

やってみなくては、結果は解らない。問題点も、大胆に改善していく。その実行のなかで、新しい方向性が生まれてくる。その努力は、決して無駄にはならない。

常に変化すること

2011年02月14日 08時26分45秒 | 思考試行
なにもかも、変化する。とどまるままのものは、なに一つない。この事実は、日常生活においての感覚と、相当違う。昨日と同じの今日があって、退屈になることもある。それは、普通に幸福とも不幸とも思わなくてすむような、「幸福」な状態にあるときの、状況である。

いてもたってもいられない状況にあるとき、行動が強制される。本人の意志は、そこへ収斂される。選択の余地のない状態である。

選択ができることは、幸福でもあり、不幸でもある。それを、幸福にするのは、環境が大きい。配慮する態勢の有無である。後へ後へと、取り残されてきたものであるが、個人の、自分のことだけを考えていたのでは、環境まで頭はまわらない。

その余裕ができて、社会は、はじめて、成熟への道を歩むこととなる。そんな時代は、まだ来てはいない。今、世界は、そのプロセスにある。エジプトの状態は、そのことを現実化した。権力の腐敗、対する民衆の怒り、システムは、明かに変わりつつある。

今、おいしい思いをしている人は、時代の流れを知っていつまでも、人を犠牲にして、自分の利を計るということを、良しとしないで、戴きたいものである。

どういう世の中がいいのか

2011年02月13日 12時48分44秒 | 思考試行
昨日のNHKのテレビ番組で、無縁社会について、討論番組があった。いつものことながら、現状の話が延々と続く。では、どうするのか、の話について、どうして、みずほ総研の主任研究員の案だけなのか。それも、参加者の胸を打たない代物だった。!

行政サイドの、番組への参加呼びかけをしたのだろうか。行政サイドの真剣なとりくみがあるのか、ないのか、現状をなげくだけでは、ただ、困った困ったと言い合うだけになる。「今の若者は」の、しょうもない精神論が飛び出したり、時間の無駄みたいな話もでる。これでは、番組の意図が何なのか、さっぱり不明である。

政治、行政、財界、解決のキーを握っている面子がないのは、真剣に問題解決の姿勢があるとは到底思えない。

貧困問題は、共産党など、もっと真剣に取り組まなければと思うが、選挙でなければ、すべては改革出来ないとでも、思っている風で、もっぱら演説だけの感じもある。具体的な、取り組み、運動が必要だと思うが、どうもニブイ感じがある。

自公は、今や、邪魔でしかない。どうでも解散というのでは、話にならない。菅さんは、ここで踏ん張って、道理を通すべきである。自公は、道理を通されて、なおかつ、自説をまげないようであれば、それこそ、存在そのものが害悪である。

どういう世の中にするのか。みんなビジョンを描けないでいる。もう、そういうビジョンを出し合うこともいるのではないかと思う。

金儲けのためには、手段を選らばない者がいたり、金融の仕組み、構造が、現状でいいのか、とか、問題の背景に、大きな原因があって、その害悪が明確になってきているように思えるからだ。