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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

成長しないとダメか

2015年11月29日 12時24分38秒 | 思考試行

成長しないとすべてはうまくいかない、そう安倍政権は考えているようだ。成長できないと、なんにもできないような口実となっている。

要は、分配である。片や有り余る富を持ち、片や、生活にも事欠く状態にしてしまって、成長をいうのは、さらに、この貧富の格差を拡大するだけである。

日本は、そういう国ではなかった。非正規雇用が合法化され、派遣業が合法化され、労働者の賃金は、どんどん下げられ、手数料でくう保険代理店なども、一挙に五分の一の手数料になってしまった。

こんな馬鹿げたことをやって、貧富の格差を拡大して良しとするものの考え方こそ、追い込まれた人々が本気で怒り、行動を起こすとき、テロのうまれる素地ができる。

武器をもてば、当然殺人が増える。アメリカでは、年間1万人もの人が、銃で殺されているという。だが、銃規制に反対する根強い「文化」がある。防御のために、必要だという。

とんでもないことである。人を殺める以外に、用途ないものを、誰もが持てるというのは、とんでもない状況だと思う。

経済は成長が必須だという口実も、この武器所持自由とつながるものがある。


よくするために

2015年11月28日 08時26分14秒 | 思考試行

生きている限り、人はどういう思いで生きて行くかに、ほぼ決まってしまうように思う。金儲けがすべてであると考えれば、にこやかな笑顔も計算づくということかもしれない。

だが、金儲けのことは、結果であって、目の前のやるべきことを、コツコツやるだけ、ともかく誠心誠意に生きて行くだけだと、いう人も、同じような笑顔をみせているかもしれない。

世のため人のためといいながら、本当にそういう生き方になっているか、疑問を持たざるをえない人もいるかもしれない。

本人の思いとは別に、その行動が、客観的にそうはなっていない、というようなケースである。

口では、金がすべてといいながら、その実際は、世の中全体のことを考えながら、行動している人もいるかもしれない。

通常は、しかしながら、力あるところに群がり、自分の事業をいかに有利にすすめるかに腐心しているだけであって、庶民、「下々」は、二の次、三の次であって、いかにここから搾取するかしか考えていない連中もいる。

この連中の動向は、徹底的に注視しなければならない。戦争だって、なんだって、起こすし、金もばらまくのである。こういう連中に権力を握らせてはならない。


本命の仕事に掛かる前に

2015年11月27日 14時48分23秒 | 思考試行

どうしてもやらなければならない仕事があるのだが、すぐに、取り掛かれない。段取りとか、気持ちが入らないとか、一応の事情があるのだけれども、要はよしやるぞ、という気合がはいるかどうか、にかかっている。

気合を入れるために、急がない片付けを延々とやってみたり、そうこうするうちにくたびれて、さらに先送りとなってしまう。締切がきまっているのに、なかなか筆をとれない作家の気分もこうだろうか。

こっちは、そんな創造する部分はないので、手順を考えて、着手すればいいのだが、どんな仕事もそうだろうが、結構手順は、大事で段取りがもう一つ決まっていないから、一歩が踏み出せないのかもしれない。

 


本音は?

2015年11月25日 08時50分32秒 | 思考試行

現代の世において、国王とか天皇とか、大統領とか首相とか、教祖とか、権力者とか、権力に関わる構造、仕組、はどういう意味を持っているだろう。

直接、権力を行使する場合もある、利用される場合もある、「利用」は結構横行したし、今も、そのような感じが濃厚である。敬い、大事にしている風を粧い、自分の権力のために、利用するのである。悪質である。

フランスのテロ事件で、イスラム国に対する爆撃が連日続いている。何人もの人の命が失われている。これらの決定は、権力者が行い、システムのもと、爆撃機が飛び立つ。

恐ろしい現実である。何年、何十年後になるだろうか、人々がどんな暮らしをしていたかが、問われたとき今の時代は、どう評価されるだろうか。

貧富の格差があって、富者が欲望の限りをつくし、希望ももてず、平和に暮らすことさえできない人々をかえりみない仕組が起こした事件が頻発していたこと、なんでこんなバカを人類がしていたのかと、そこには人間社会の明らかな未熟な状況がみてとれる。

橋下氏は、ウソをついた。言い切ってウソをついた。そして大阪府民、市民は、半数足らずの投票率のなかで、かれらを「勝利」させた。ウソが許された。当然とした。ウソをつかないように心がけている人には、強烈なパンチだろう。

ウソをつくことをものともしない人々には、なんの問題もないことだ。だが、この行先は、何処へ行くか。国のため?人々のため?何を言っても、そこにはウソがある。かれらの笑顔のうらの、本音は、騙すことにある。

騙してどこへ引っ張っていくのか。国歌を歌わせ、教師を起立させ、口元を監視する連中である。彼らが何を狙っているのか。みんな見えていないのだろうか。


危ない維新政治!

2015年11月24日 12時34分38秒 | 思考試行

橋本維新政治は、教員の国旗、国歌に関して、教員にたいする「締め付け」に象徴される。まことにおぞましく、醜い締め付けを展開した。歌っているかどうか、口元を観察したという。なんてこった!

民主主義に逆行する橋本維新政治の象徴的な本音があらわれた。笑顔の背景に、ちらつく本音である。何をもって、人を従わせるか、管理するか。

従わなければ、処分をかける。恐怖政治を展開する。こんな輩がうまいことをいって、権力をねらるのはどんな本音を持っているかである。

安部クンと仲がいいという橋本市長は、どんな話をしているのだろうか。憲法改悪が二人の本音である。普通の国になるとして、軍隊を持ち、世界中どこでも出かけられる1人前の国になりたいとする。

戦争もやむなし、それができなければ、何が国か、ぐらいに考えているのではないか。笑顔の背景の怖い本音である。

地球全体を考えるならば、戦争は不要である。なんの利益ももたらさない。だが、戦争、紛争をビジネスにしているものがいる。それも半端ではない。デカイ力を持っているのである。

こういう連中の、裏からのアクションもあるかもしれない。日本が、戦争できる国になるように、相当な工作が展開されていることは想像に難くない。何をするか、維新政治を、よくよく観察していかなければならない。非常に危ないのである。


ものごとの推移

2015年11月23日 11時01分50秒 | 思考試行

生きとしいけるものは、常に変化する。その場にとどまっていることはない。日常のすべてがそうであって、退屈な日常とみえても、常に変化しているという事実は、驚くべきことでもある。

それでも、日常生活のなかでは、日々なんの変化もないように見えることもある。電車は決められた時刻に動いている。決められた時刻にしたがって、勤務にはいり、休息にはいる。身体の状況も、日々これ変化なしとなれば、退屈になろうというものである。

だが、事実は、日常のあれこれは、変化の連続であり、ひと時もとどまっていることはない。ある日突然のように変化が、顕在化する。健康であると思っていたのに、異常が積み重なり、突然の大変化となってくることもある。

生きていることの、面白さ、楽しみは、その変化にあることは明らかであるけれども、いつの日か、それももういいや、という日がくることも感じられる。もう疲れた。もういい、という具合に。

その時が、生命を持つものが、その命を終えるときなのかもしれない。チョットした身体の不調が、大げさにいえば、人生観に影響してくる。永遠とみえたものも、実は、もう終わりがみえたりするのである。


「一億総中流」からどうなったのか

2015年11月22日 12時23分35秒 | 思考試行

貧富の格差を、わざと大きくするような経済活動が一般化してきている。政策的にも、労働法を改悪して、いままで違法であったものが、合法となり、人をクイモノにすることを、違法から合法としたのである。その罪は深い。

アメリカの影響を受けた、小泉野郎が持ち込んだものだが、その影響は確実にひろがり、日本は今や相当な格差社会といわれるようになった。彼は、今反原発で、いろいろやっているようだが、それはいいとして、過去にそういうことを「やっちゃた」ということである。

人と人が助け合い、力ある者は、自分の富とするばかりではなく、周囲の者、後進の者のことを考え、富の分配を考えていた。そこには、真面目に働く気さえあれば、それに応える社会があった。本人はそうして一人前となり、家庭をもち、子供を育ててきたのである。

そのおかげで、戦後の困難な状況から一億総中流といわれる社会ができたのである。その後はどうか、本当に、自らの力で民主主義をかちとったわけでもなく、誰か力の強い者が現れて、そいつがバカみたいな政治家であれば、前述のようなバカなことをしても通ってしまうのである。

その結果、真面目な若者達はクイモノにされ、結婚もままならず、人を愛することもできず、少子化の勢いはとまらないのである。こうして、社会が壊れていく。

金さえあれば、それが勝者だ、みたいな感覚、価値観が広がり、世の中ますます浅薄に、味気ないものとなる。強いものはなお強く、富がふえれば、ふえたで、「もっともっと」の連中共が流す害悪は、深刻である。

イスラム国はいかにしてうまれたのか。その背景には、助け合う文化のとぼしい、闘争と支配、被支配の連続のなかで、分かち難い深い溝ができたのではないか。移民をうけいれても、決して同化させない狭量さがある。

日本もそうならないとは限らない。だが、金がすべてだというシンプルで、バカな人間がふえなければ、それなりに社会の改造は可能とも思う。だが、こういうバカ共は、やはり害を及ぼすことは明らかであり、勲章をやるなり、なんなりして、その富をうまく召し上げ、地球社会全体に還元できないものかと思う。


人類の共生は不可能だろうか

2015年11月21日 11時17分41秒 | 思考試行

イスラム国のことで、世界は緊張している。イスラムから移民してきた子孫が三代になっても、受け入れられず、差別にあい、出世もできなければ、就職も困難、という状況に陥り、テロの温床となる人々を生み出している。

それを抑えるのに、軍事力を使う。これでは、解決するはずもない。反抗する人々の事情を知り、その生活状態を改善しようということがなければ、共生は不可能だろう。

日本の場合も、難民受け入れをほとんどせず、その審査の具合がどうなっているのか、実態はそれほど報道されていない。他国と比較しても、あまりに排他的すぎるのではないだろうか。

その排他的な態度の背後には、政治の姿勢がある。困った人を助け、強者ののさばりを調整するような姿勢があるかどうかである。

強者を助け、弱者切り捨てが基本姿勢であれば、難民指定に関しても、消極的であるのは、いわば、当然の成り行きである。

恥ずかしい政治の姿勢が、白日のもとにさらされていることになる。これも結局は力関係ということになる。日本の場合、ほんとうの民主主義ということについて、自ら勝ち取ったものではなく、与えらえたものであることが、よく現れている。

民主主義について、本当にチェックして、厳しい目をもって政治を見なければならない。これは、国民の仕事である。政治の姿勢は、結局のところ国民が決めるのであるから。


差別区別不公平が温床

2015年11月20日 10時32分36秒 | 思考試行

なんでも原因がある。テロでもしようかというのは、明らかに深刻な事情がある。この事情を外して、テロとの闘い、などといっても、何の解決策にもならない。

みんな感じてきている。裏に武器業者がいて、ビジネスにしたいものだから、紛争があってほしいと願っている連中がはっきりいる。それが彼等の生きる道なのである。

弱者を切り捨て、救おうともせず、ただ取り締まるだけであったり、悲惨な状況に追い込んで、問題解決にとりくむことを怠るならば、追い込まれた方はどうするのか。

状況打開のためには、武器を手にすることは充分ありえる。そうならないためには、そうしなくてもよい状況、環境がどうしても必要である。

問題解決のために、真剣に考えるならば、解決の方策は、それしかない。武力、弾圧、不合理な力での押さえつけで、ものごとの本質的な解決は不可能である。

人類は、環境問題だけではなく、生きるということについて、その本質を考えなければならない事態をむかえている。


難民受け入れを積極的に

2015年11月19日 13時21分00秒 | 思考試行

難民を受け入れていない国の代表みたいになっている日本。どんな審査基準なのか、困っている人々を積極的にうけいれて、共生できる社会を作ることは、これは、当事者の難民のみならず日本社会の改善にもつながると思う。

そもそも、日本の現状では、難民を受け入れるだけの度量が国、自治体、国民にもないということを意味する。まったく恥ずかしい限りの現状にある。そんな姿勢では、国内の難問を解決することもかなわない。

ドイツやヨーロッパ各国の対応は、国によって相当の違いがあるようだが、国情が許す限り、なんとかしようという気分がある。また、実行している。

それにひきかえ、日本の場合は、受け入れに伴う、困難を避けようとするばかりか、国情の遅れた部分が、どうしても一歩踏み出せない態度になっているように見える。

日本がひと皮むけて、真に国際的に生きていけるようになるかどうかは、まさにこの難民指定をどれだけ進められるかが、ものさしになるような気がする。

しっかりと困難な人々をうけいれ、日本文化が世界のなかで理解され、弱肉強食ではない、そもそもの日本文化というものが新たな水準にレベルアップすることになるのではないだろうか。


構造的な矛盾の有無

2015年11月18日 14時34分12秒 | 思考試行

世の中に、不合理だと思われること、不公平だと思えること、これが存在するかぎりにおいて、もめごとが絶えることはないと思われる。

それが、明確であり、誰の目にも、改善が必要だと思われることは、速やかに改善していかなければならない。

そんなことは、当然である。当然なことをやるべきなのである。不公平や、不合理を放置したままでは、人類は生存できないのである。

矛盾があって、その矛盾をビジネスのタネにしている連中もいる。紛争が続くことを願い、それが、ビジネスだと思っている連中がいる。

思想の背景には、他人のことなどどうでもいい、自分さえよければいい、世の中全体のことや、秩序など、関心の埒外である。

そういう人々の存在が明らかにいて、一方では、やむにやまれず、闘いに立ち上がったと感じている人もいるかもしれない。

どういう解決策ができて、どのように、人類の抱える課題が解決をされていくのか、本当に話し合いは不可能なものなのだろうか。

日本と韓国の問題にしても、本気ですべてを出し合って、認識の違いを突き詰めていく作業がなされているだろうか。真実とは別の思惑があるとすれば、ああいえば、こういう、だけで、解決するつもりはないわけだから、これは解決できない。

命をかけなければ、生きてはいけない状態では、人類に明日はない。生きて行く価値もないといわれても、言い返せない。こんなんでいいのか、人類よ。


病根の存在

2015年11月17日 10時18分34秒 | 思考試行

テロのような、激しい事件が起こると、何事かしなければならないとか、いてもたってもいられないと思う人がでてくる。

それは当然のことであるが、一方では、ことの本質に本当にせまろうとする方向と、本質にせまることをせず、直ちに、報復がどうとか、戦争だといって、力の対決に問題の解決を求めようとする傾向がある。

なんで、わかい命を捨てて、人の命を奪うようなことをするのか。なぜ、そうなったのか、の分析こそ実は一番やらなければならないことではないか。

力の対決ならば、相手の戦力を奪い、降伏させるより解決はない。しかし、降伏させるためには、「組織」対組織の対決の構図が必要だが、相手に組織がなく、緩やかな連合体であれば、だれかがやられたら、また、その意思をひきついであらたに闘いに参加してくる。

さらに、憎悪を高めて、闘いのエネルギーとしていく。問題の本質の病根をなくさない限り、闘うときめた相手を説得することはできない。欧米白人社会の齎した罪悪についても検討しなければならないだろう。そこで、改善すべきはないのだろうか。

問題が起きたということは、解決の手段も存在することを意味する。これをどのように解決していくのか、人類の課題である。


一切のことは全て解決するわけではないが

2015年11月16日 08時45分47秒 | 思考試行

理不尽なことが起こる。ちょっとした行き違いから、深刻なすれ違いになり、さらに抜き差しならない対立となる。

なぜそうなったのか。回避することは、絶対にできなかったのだろうか。今後についても、どうしていくべきなのか。

フランスでの大規模な銃乱射事件は、人類の深刻な対立の課題を白日のもとにさらしている。フランスはさっそく報復の爆撃をしたと伝えられている。

このまま、とことんまで対立が続けば、対立当事者の双方が消滅するまで続けるほかなくなる。そもそも、どうして、このようなことになったのか。詳しい事情が、意外にも語られていない。

どこかで、行き違いがあり、問題の発生があり、命をかけて闘争に立ち上がる事情があったのだとすれば、その原因、背景がとことん分析されなければならない。

人類の哲学が、今問われている。生存について、根本から問い直されなければならない。起きた事件の被害の詳報や、表面的な報道では、なんの解決にもならない。

 


杭打ち問題にみる病根

2015年11月15日 09時32分40秒 | 思考試行

建設業界の問題は、深く広い。一部のエリートは、自らの手を汚すことなく、利益を手にし、今回のような問題のときにも、当事者でありながら、責任を負うことはない。

それは、なにもしないで、といえば、語弊がある。指示命令系統にたって、建物の設計や、デザインなどには関わっても、工事全体に責任を持つといいながら、実質的には、下に丸投げしているわけで、しかも、全体の利益の分配構造の強弱があって、その不公平さからくる必然的なものである。

重層下請け構造には、罪深い不公平さがあるにもかかわらず、これに深くメスをいれようとしないところに病根がある。今朝も、テレビで専門家があれこれ話しているけれども、本当に問題解決にむかう姿勢が充分とはいえない。

世の中全体に潜む、ひどい不公平、弱肉強食の非人間的構造をそのままにしては、根本的な解決はないわけで、こういう事件の度に、一般庶民は、事の本質から、政治の実態、支配構造を見抜いて、投票行動に反映させなければならない。


病抜け

2015年11月14日 08時55分52秒 | 思考試行

今朝、明らかに身体の調子が変わった。小便の出方が違った。前立腺が大きくなっており、このために、小便の出が悪くなっていたのは加齢のせいで、仕方がないものと思っていたが、昨日、新しい薬が出て、寝る前に服用したのが効いたようだ。

今朝、午前3時に、小用したとき、しばらく経験してなかった、小便の勢いが復活していた。これが、病抜け感覚第一号である。そして、今朝、二度目の小用のときには、これまた、経験したことのなり「クッサイ」おならが出た。

ヨーグルトを食するようになってから、大便の匂いは、まったく気にならなくなるぐらいにほとんどしなくなっていたのが、久しぶりの匂いに、まずは、驚いたが、感覚としては、隅っこに隠れていた悪いものがあぶりだされたという感じなのである。

ともあれ、普通の状態に戻れた感覚があり、異常発生以来9日目の復活感である。健康のありがたさを味わっている。

ところで、世の中も、病根を取り去り、ことを複雑にし、さまざまな害悪を齎しているすべてを洗い出すならば、よほどスッキリするにちがいない。