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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

現役時代の夢をみる

2025年04月14日 10時57分25秒 | 思考試行

 仕事をやり残して、その始末をどうつけるか、というような夢をみる。仕事を辞めてもう何年もなるのに、これをどう始末をつけたらいいかと、いろいろ考える。仕事の段取りや、パソコンの暗証番号とか、覚えていなくて、どうすればいいかとか、解決のつかない問題に頭を悩ませる。そのうち、目が覚めて、現実は楽になっていることを確認する。

 別段現役中に、取返しのつかないミスをしたわけではない。いろいろミスはあったが、その都度、隠したりせずに、「やり直し」をしてきた。顧客の温情もあって、大事件になることはなかった。ところが夢では、けっこう自分がキチンとしなければならない要素があって、当然ながら、まずは自分がやるべきことをやらなければならないのだが、それが、いままで簡単にできていたことが、夢の中でそう簡単ではなく、できないことから、焦る気持ちが、わいてくる。

 目が完全にさめるまで、続くので、悪夢といえるのだが、そのなかでも落ち着いていて、さほど大変だとは思っていない。どうにもできないのに、余裕がある。夢だとわかっているようなのである。

 なんでこんな夢を今頃見るのか、不思議だが、現役時代のなんとも落ち着きのない生活が思い出されるようで、結構ストレスがあったのだなと思う。

 義務的にやらなければならないことは、何もなくて、いわば、本当に自由を与えられているのだが、周囲とは、なんの関係もなく、どのようになっていても、しばらくは発見されることもなく、時が過ぎることになるのかと寂寥感もある。

 なにごとか、やれることをやろうとしなければならないと、思い始めている。なにをすればいいのか、真剣に探さなければならない時を迎えているようだ。

 


e-Taxで確定申告、「苦労」してなんとか成功

2025年02月23日 11時59分46秒 | 思考試行

二日間あれこれと「つまずき」同じことを三回も入力したり、途中で動けなくなったり、さんざんな目にあいながら、最後に送信までたどりつけた。市販のソフトもあるようで、国税庁のシステムには欠陥があるのではないかと、本気でそう思った時間もあった。

はたして、このシステムでちゃんと申告ができる人がいないのではないかと疑ったりもした。成功した今は、システムはよくできていることは認めるものの、自分が足をすくわれたと思った部分については、親切ではない、あるいは配慮がたりないシステムという印象は、今でも持っている。

それは、データーの保存のことから始まる。保存の時期を適切なときにやらないといけないことである。中断する前に、一旦保存しないと、そこから、継続して元に戻ることができないことである。

元へ戻ろうと、いろいろそこで試行錯誤して、時間と労力を使うのだが、結局はどうにもならず、最初から入力をし直すほかないと覚悟を決める。まず、その覚悟を決めるがつらいのである。結局は、保存しない限り、その場面には戻れない、ということがはっきりすれば、いいのであるが、それが認識できないうちは、このシステムを使い最終まで行くことは、おそらくできないのではないだろうか。

確認のために印刷を要求される場面で、保存しないままで、そのまま印刷などしてしまうと、中断ということになるのか、その続きの入力ができないのである。印刷の前に、保存しなければならないことが重要である。これさえすれば、何度も入力する必要はなかったのである。

印刷が中断となることを示して、ここで保存が必須であることを表示すべきだし、このあたりが不親切なのである。これがわかって、私の場合は、最初の最初に戻って、入力し直し、結局なんとか成功したものである。

わかってからは、短時間で最後の送信までいき、申告は終わった。書類を添付する必要もなく、在宅ですべては完結したので、すんだ今は、便利さを実感できる。

だが、途中で、ヘルプデスクの電話番号もでてきて、これは助かったと思っても、これがいつも話し中になっており、なんどかけなおしても無駄で、この電話はつながらないようにできていると、判断した。この覚悟を決めるのにも時間を要した。これが、ちゃんと機能していたら、もっと短時間で成功していたと思える。ともあれ、ストレス満載ではあったが、成功した今となれば、すべては小さいことと思えるのが、不思議である。

やはり、こういうシステムは徹底的に親切であるべきだと思うが、そうなると、市販のソフトの売れ行きに影響があるかもしれない。そんな配慮があるかどうかは不明だし、今後、システムはまだまだ改善されるのかもしれない。

やっと、e-Taxを使えて、ようやく時代の波にのれたような感覚がある。せっかくのマイナンバーカードとパソコンで読み込むカードリーダーを持っているのに、これを生かせなかったのが、すべてを生かすことができた満足感があることは、今回の大きな成果であった。

 


どうやって暮らしていくか

2025年01月18日 11時55分16秒 | 思考試行

結局は日々の暮らしができるのかどうか、どうやって暮らすかが、自分のなかで明確になっているか、それができていれば、何も不安に思う必要がない。不安に思わないのは、何も考えないということではない。考えて、対策を考えて、可能な方法を把握していれば、いいということである。

では、その方法とは何か。考えられることはすべて考えつくすことである。できること、できないことを分ける。できないことであっても、代替する手段がないか考えてみる。必要と思っていたことでも、必ずしも必要とはいえないかもしれない。

最後は結局のところ、人生を終えることは確実なのだから、そこを踏まえて考えることである。死なない生き物はいないのだから、当然のことであるが、どうせ死ぬのに、死ぬことを不安に思うのは、無駄なことで、なぜ怖いのかを考えてみればいい。

怖いことは避けるわけだから、死ぬような恐れのあることはしないように動くわけで、それは生きることにつながる。生きる方向へ、導かれているわけで、何々のためなら、命を捨ててもおしくないと考えるならば、平気で死を選ぶ人もいる。

自動車の運転免許の更新通知がきた。また、認知症の検査を受けなければならない。もう積極的には運転することはないから、もう更新しないでおこうかと思ったが、もしか田舎暮らしをすることになったら、自動車免許はあったほうがいいし、都会にいても、そのうち、技術の進歩で、安全対策が万全になれば、運転しても安全と思われる時期がくるかもしれない。となれば、更新はしておこうかということになる。

睡眠薬が必須と長年思っていた人が、ある時、もう薬に頼ることはやめよう、いつかは寝るのだから、なにも不安に思う必要もない、と考えて、やめてみた。そうすると、最初の日は、よく眠れなかったが、格別不安に思うことをしないようにしていたら、次の日からは何の支障もなく眠れたという。長年、睡眠薬に頼ってきた日々はなんだったんだろうと思ったそうだ。

要するに考え方で、いろいろ改善できることはあるわけで、そんな発見があることも人生の味わうべき要素なのかもしれない。

人生、捨てたものではない、と亡くなった叔母が言っていたが、目はみえず、動けば圧迫骨折、晩年は寝たきりで、客観的には大変な状況であった人からの口から出てきた言葉で、何かしら、人生の味わうべきことを見つけていたのかもしれない。


マイクロソフトの「Copilot」の使い心地

2025年01月12日 22時47分21秒 | 思考試行

なんでも質問に答えてくれる。まとまった文章で返してくるから、まるで、先生と話しているみたいである。そうとう専門的なことであっても、反応してくれるし、これでは、学生の「何とかについてまとめよ」なんていう課題など、簡単にまとまりそうである。エライ時代になったものだ。

もうかなり、使い込んでいる方もいらっしゃるだろうが、知らないと本当にもったいない。マイクロソフトのEdgeの検索のところで、Copilotのロゴをクリックすれば、質問の入力画面がすぐ出てくる。たとえば、「人生において大事のすべきことはなんでしょうか」と質問すれば、ただちに、下記の返事が返ってきた。

 

「人生において大事にすべきことは、個人によって異なるかもしれませんが、以下のポイントが多くの人に共通して大切にされていると感じます。

1.家族や友人との関係:信頼と愛情とに満ちた関係は、心の支えになります。

2.健康:体と心の健康は、幸福に生きるための土台です。

3.情熱と目的:自分が情熱を持てることを見つけ、それに向かって努力することは、人生に意味を与えます。

4.学びと成長:新しいことを学び続け、自己成長を追求することは、人生を豊かにします。

5.感謝の気持ち:小さなことにも感謝する習慣は、心の豊かさを育みます。

あなたにとって特に大切にしたいことや、今考えている目標は何ですか?」

 

どうだろうか。この回答が瞬時にかえってくるのである。当たり前といえば、当たり前のことにみえるが、要点をわかりやすく述べていて要領がいい。この調子で、なんでも答えてくれるのである。そして、無料。使わない手はない。ただし、時々明らかな間違いもある。それはこちらで見抜かなければならない。鵜呑みにすることは、してはならないのである。

 


止まらず準備はしている

2025年01月02日 22時49分59秒 | 思考試行

好天気で、いつもの散歩に使っている公園の人出はけっこう多い。杖をついている人も目立つ。けっこう暖かい感じがするし、風も強くなく、「やる気」が出るのだろう。条件が揃えば、人出も増えるのである。

桜の木はすっかり裸になり、葉が残っている木はもう見られない。だが、枝には、すこし膨らみが出てきている。準備は着々と進んでいる。

危ぶまれた万博も、どうやら間に合いそうで、宣伝にも力が入ってきている。近所のマンション建設もいよいよ完成の時期を迎えようとしていて、カバーの下には、建物の外壁が見える様になってきた。すぐそばの道を散歩コースにしているが、工事中の慌ただしい雰囲気はあまりなくて、気付かぬうちに、工事は順調に進んだようだ。

当方の終活についても、着手し始め、生前契約受託機関と契約して、さまざまの意思決定を機関に、表明しつつある。たしかに人生の終末が近づいている実感はあって、世の中の動きをみていても、自分の存在が徐々に「関係ないもの」になってきている。

犬も吠えなくなって、怖さを感じていたころが不思議なぐらいに観察できるし、知らない犬でも親しみを見せてくれることもあって、犬は、害を与えない存在であることを感じているのだろうか。

癌の治療で、男性ホルモンを押さえる薬の所為か、女性にたいする好奇心が、相当に減退しているようで、感じ方がすっかり変わっていることに気付いた。

万物が、変わっていく。


新年を迎えて社会にどう参加していくか

2025年01月01日 13時51分07秒 | 思考試行

去年は、野球界では大谷選手が大活躍をして、野球だけに限らず、人間としての生き方、社会とのつながり、アメリカ社会など、多くのあまり知られていなかった情報に触れることができた。莫大な報酬を手にしながら、少年のような健全な風貌や、ふるまいは人を感動させずにはおかない。

野球に関して、彼がチームの勝利のために貢献していく姿勢は、人類が社会を構成して、お互い助け合って、「勝利」にむけて進むことと、同期している。彼の姿勢は、チームのメンバーにも知られて、受け入れられ、というかドジャース自体が、チームプレイを伝統としているらしく、このチームのすばらしさを見せてくれた。

野球はチームプレイといいながら、どうしても個人の成績に注目しがちだが、プレイヤーとしての彼は、そんなレベルにはいないで、本当に実践している明らかさ、朗らかさ、があって、好感がもてる。素晴らしい青年がいるもんだと実感する。

こういう人ばかりだと、人類社会は展望がもてるし、希望もわいてくるが、ロシアのプーチンやイスラエル、北朝鮮の為政者の姿勢やその行動は、人類を滅亡への道を現実のものにしかねない。アメリカのトランプ氏もその危うい人々の流れに入る感じがする。彼らに妄信して動く人々は嘆かわしい。

健康で、展望がもてる流れと、相反する流れ、そのなかで、人類社会は歩みを続ける。一人ひとりがどのように生きていけるのか、為政者の役割は大きいが、これを選ぶことができる人々は、その代表者をキチンと選ばなければならない。へんてこな政治家が跋扈するのは、選挙民の責任でもある。賢く、たくましく、健康な価値観をもち、生活者として真面目に生きていくことを実行していきたい。

 


年末番組をみていて・・・

2024年12月29日 17時43分03秒 | 思考試行

力作があると同時に、幼稚な遊びのものもあり、溢れるコマーシャル、そして、総じて、これは見たいと思わしてくれる番組はほとんどない。

そのなかで、人類の先行きがいよいよ怪しくなってきている兆候がみえるような雰囲気も感じられる。コメンテーターが、もっと議論すべきだ、などと言うたびに、議論している人びとの姿などみたことがない。そんな場もないのではないか。

原発が危険で、しかし安上がりだから、これをやめるわけにはいかないのだ、ということで、日本の支配者はそう考えているようで、政権もそのように動き、大企業もそう考えている。庶民は、なんとか安全に暮らせていきたいと思っているので、原発なんて本当は望むはずもない。安全なエネルギーを望むのが当たり前だろう。だが、お金を配られたり、勤務している企業の事情から、原発推進の意見をもっている人もいるかもしれない。

トランプ大統領が復権し、世界はどう影響されるか、自分の国だけを見て、政策を実行すれば、どうなるのだろうか。相手の力に恐れおののいて、逆らうことができないと考える国ばかりであれば、アメリカの独り勝ちとなって、案外世界は落ち着くのかもしれない。自分が選挙に負けたら、不正があったと声高に騒ぎ、自分が勝てば、不正はなんにもなかったと、いうのか。こんな無茶苦茶な人物が、アメリカという超大国の大統領というのだから、人類の運命も危ういかもしれない。

メディアの取材力があるのかどうか、以前ほど儲からなくなって、与えられた情報を流すだけなら、存在価値がないに等しい。要するに、金さえ儲けられればそれでいいわけで、どのような社会が、人類の生き様が、良いのか、それにどのように貢献していくのか、そういう姿勢があるのかどうか、信頼できる存在なのかどうか、吟味しなければならない。取材力がなく、裏付けだって本当に取ろうとしているのかどうか、はなはだ疑問のように感じる。

あちこちで、人間の能力をはるかに超える事象がおこり、これに対処できるのは、コンピューターということになりつつある。いまや、コンピューターなしの人類世界は考えられず、政策の根源の意思決定は、コンピューターに任せた方が良いのではないかとさえ思わされる。

自民党が裏金騒ぎで、衆議院での力を削がれた。そこで、政治の世界は変わろうとしているようにみえるが、状況が変われば、どのようにも変化するので、そこに、健康な方向に向かうかどうかは、まったく見通せない。

環境破壊が継続していて、まともに為政者が対処していない。戦争は続くし、そこには理解し難い考え方の指導者が存在していて、独自の価値観で動く。こういう連中がいる限り、世界は危険千万の状況から抜け出せない。まったく困ったことだ。

 


詐欺にあって

2024年12月11日 16時35分35秒 | 思考試行

 やはり下心があって、どこかに「楽に儲けたい」という気があったことを認めざるを得ない。根本的に弱い心理構造である。いかに人生を生きるかについて、だらしのない、弱い部分があることを思い知らされる。そんな下心が詐欺師のねらい目であって、そこをみごとにつかれてしまったということである。

 それを隠して、好奇心とか興味とかのせいにはできない。そこの反省が必要である。あれこれの画策はやる資格はない。金額は大したものではないと思うけれども、しかし、それは悪意の犯罪者に取られたわけで、かれらに貢献したことは間違いない。その意味では単に被害にあっただけではなく、世間に悪のタネをまいていることでもある。

 何か事を仕損じると、幾つもの、マイナス面がでてくる。人生は、いつも完全とはいかないけれども、本当に、まじめに生きるということについて、考えていないと馬鹿げた失敗を何度もすることになる。独善的にならないように、視野を広くもって、深く考え、しっかりと行動しなければならない。

 電話をかけてきた外国人の女性は、おどおどせず、のびやかな声をしていた。こちらを馬鹿にしているような素振りはもちろんない。かといって、お客として尊重されている感じもない。獲物を見つけたハンターのような心境だったろうか。こちらの様子を観察しながら、大胆にしかけてくる。

 彼女の日常生活はどんなものだろうか。その背景を考えるとき、どのような犯罪集団であるかを想像すれば、いずれは、正常な生活を送ることはできないのではと思う。どんな風な人生を送るのか、調べることができるのならば、知りたいものだ。


詐欺にあってしまった

2024年12月08日 21時58分20秒 | 思考試行

 つい最近詐欺にかかってしまった。ネット詐欺である。インターネットに、面白い番組を本物風にやっている写真と記事があって、手続きをすすめ、カード番号までいれて、支払い完了となった。途中で半ば気づいていたが、あとで取り消すか、まあ教習料でもいいかと、考えていた。

 手続きが済んだ後、早速、番組内容が本当にあったのかどうか調べてみると、果たして、去年の12月28日放送の「徹子の部屋」の体裁をとっていて、写真は本物を使い、そして、その文字で書かれている番組内容はまったくニセモノであることがわかった。TELESAで、過去の番組をみることができるのだ。

 はっきりとニセモノとなると、対処しなければならなくなって、にわかに忙しくなった。カード会社への連絡、カードの機能停止、番号変更など、警察、消費者センターへの連絡。

 消費者センターの勧めに従い、カード会社への申立書を送る。これが、カード会社は簡単には、宛先をなかなか教えてもらえず、初めて知ったことも多い。この事件について、カード会社はこの手の詐欺は知っていて、すでの百万円をこえる被害者もいるという。私の場合は、最初のタネ銭だけだから、珍しいぐらい低額という。

 実際に相手にこの3万円なにがしの額が届くのはまだ先のことではあるか、消費者センター、カード会社からは、一応の手続きのあとは、どこからも反応はない。このままでは「順調に」相手にこの金額が渡るのだろう。

 はっきり詐欺と分かっているのだから、相手への送金を止めさえすればいいのだが、それをやるかどうかは、来年1月の支払いでわかることとなる。ともかく、このような、一旦支払い手続きをした以上、相手の同意がなければ、取り消すことはできないとして、必ず支払うという状態では、詐欺犯罪は簡単にはなくならないわけだ。

 


兵庫県知事選挙について

2024年11月18日 18時28分57秒 | 思考試行

テレビ報道だけ見ている人々ばかりだと、県議会議員全員の不信任となって失職した知事が出直し選挙で当選することは考えられないだろう。陰謀があったとして、いな、あったとしても県民の全員をだますことは不可能になっていることを意味する。議会がとった、知事の処分を県民は受け入れなかった。マスコミは今回の事態を受けてどう考えているのだろうか。今後どのようにこの事件を報じていくのだろうか。まことに興味深い。

国の行政から、睨まれるのを恐れ、さまざま制限を受けていて、本当に真実を追求していく姿勢が報道機関全体にみられなくなり、そのことを国民が理解し始めたのかもしれない。インターネットのなかで、見たことのない情報が流れる。国民がそれに反応する。もちろんそうではない人もいる。日本も分断が始まるのだろうか。

真実を話すことは、力の源泉である。真実からいろいろ条件を配慮して逃げていると騙せている間は、それで通るけれども、いつまでもそうはいかないことが実現できれば、人の世は、明らかによくなる。真実が覆い隠され、権力が好き放題やれる世界は、住み難いことは明らかだ。

それにしても、まるでドラマである。不信任になって、斎藤さんは駅前に一人で立った。これはなかなかできない。石を投げられるかもしれない、殴られるかもしれない、よほどの覚悟がいる。そのなかで、事実はどうかと、調べ始める人がでてきた。その人はインターネットの世界から動き出した。

ボランティアが動き、はじめ一人だったのが、マスコミが報じないなかで、事態はどんどん変わり、とうとう不信任で失職した元知事を当選させてしまった。投票日前日の演説会には、大勢の人がつめかけていた。この勢いは生きた動きである。そして、当然ながら、インターネットなど知らない人もいるし、「常識」として、議会の動向に素直に反応した人もいる。正反対にほぼ同数の人々がいる。

県民全体が同じような意見を持たないという現象である。マスコミとインターネットが対立するのではなく、補完できるような関係性がうまれないことには、お互い受け入れないという不幸なことになる。どうなっていくのか、今後を注視したい。

私は、実は、あまり関心がなく、このように事態が進んでいることを知らなかった。まさか、斎藤知事が被害者であるとは思いもしなかった。いな、本当に被害者だったのかどうか、議会の議決がどのようになされたのか、できることならば、徹底的に調べあげ、明らかにすることを望みたいが、もはや老齢のガンと心不全の私に出る幕はない。


後世の「生き物」は、人類をどのように語りあうだろうか。

2024年11月15日 12時15分10秒 | 思考試行

究極的には、宇宙も永遠ではなく、勿論太陽系の運命、地球の滅びることも現代科学で確実に把握できているわけで、その時間が途方もなく、あるわけであるが、現実の今の状況は、人為的に人類が滅びることも可能になってきていること、それどころか、そんなことも意識しないで、国家とか人種とか民族だとか、なんやかんやの思い込みが、人類のリーダーと呼ばれる、権力者たちに蔓延していて、多くの人々がこれに巻き込まれてしまっているという現状が展開されている。

異常な気象が続き、異変が起こっているにもかかわらず、そんなことは眼中にない。そんな連中が人類の運命を握っているかのような事態は、どうすれば、改善できるだろうか。彼らの意識が変わり、目覚めたように世界人類のことに思いを馳せるという状況が生まれないものだろうか。

イスラエル人とパレスチナ人が仲良く、お互い共生できる世界を目指して、活動しているテレビ番組をみた。それぞれ親族が殺されたりしているなかで、「許す」という考え方になって、苦しみから抜けることができたと言っている。たしかに、憎しみ、復讐はあらたな憎しみ、復讐を呼ぶ。「許す」となればそこで悲劇の連続性は止まる。それどころか、人類の破滅すら防げることになる。トランプ氏やプーチン氏、中国の習近平氏、などなど、世界で「王国」を築こうとしている人々が、自分や身の回りの人間たちだけのことしか関心がなく、すべては取引だと、ものごとを極めて単純にとらえている人々が、いかにすれば、目覚めてくれるのか。人類は知恵を絞らなければならない。

こんな簡単なことができないから、人類は消えてしまったんだと、いう知的な後世の生き物が語り合うのではないだろうか。


れいわ新選組の山本太郎さんはすばらしい!

2024年11月03日 18時22分08秒 | 思考試行

ユーチューブで山本太郎さんの演説を見た。目からうろこの演説内容である。衆議院選挙で伸びたのは当然である。もっと、伸びるべきである。マスコミは、彼を「排除」している。彼は、焦らないで、もっと仲間を増やしてほしい。彼だけでなく、もっともっと、彼のように演説し、世論を動かす力をつけてほしいと思う。

彼がどんな生い立ちで今の政治家になっていったのか、詳細を知らないが、大いに興味がある。心配なのは焦って、変な失敗をしないこと、策略や陰謀に乗らないこと、したたかに、賢く、勢力を伸ばしてほしいことである。新選組は悲劇的な組織であったが、決して悲劇的な組織にはならないでほしい。

どうやれば、仲間を増やせるか、タレント仲間とか、有能な若者たちを巻き込むような工夫を重ねてほしい。もっと、ユーチューブを活用して、議員になった人々と、なにかイベントを起こしたり、日常的な「仕事」を我々のような老人も参加できるような企画ができないものだろうか。消費税のことなど、もっと世間に知らせるべきだ。

それにしても、どうやって、あのようなすっきりした演説ができるようになっていったのだろうか。努力もされたのだろうが、その根本的な信念というか、世界観をもっと知りたいとおもう。

できれば、ユーモアをいれて、余裕をもって、ほしい。真剣度が高くて、まじめで、少し痛々しいほどである。健康に、明るく、楽しく活動される姿がみたい。


選挙の結果をみて

2024年10月29日 12時00分00秒 | 思考試行

当たり前の感じがした。金の問題で、税金のかからないようにする収入を使って政治活動をしていたことが露見して、権力維持の活動に使っていたことがはっきりしたのに、改善する気がない。どういう次第でこういう状況になったのか、その訳を知らなかった、わからない、で乗り切ろうとした自民党のやり方に、さすがに、お灸をすえなければならない、と思った人が増えたということだろう。自民党自身、わからないはずがない、知っているけれども、明らかにすることはできないと判断したのだろう、あくまで隠し通そうとした。こんな国民を舐め切った態度に、さすがに、こんなことは通らなかったということだろう。

しかしながら、この事態を明らかにしたのが、共産党の機関紙「赤旗」のスクープというのだが、他の取材陣はなにをしていたのかが不思議である。知らないはずがない、と思うのだが、知っていても、報道しなかったということなのだろうか。それとも、やはり、まったく知らなかったのであろうか。であれば、共産党の赤旗にできて、他の多くのマスコミができなかったことは、大問題だ。マスコミがスクープ合戦をして、ドラマになったことがあった。今は、新聞さえ読まない人が多くなってきたせいか、そんな厳しい競争関係は見られないような気がする。マスコミは、どこからか、与えられたものを流すだけで、真剣なスクープ合戦が行われているようにはみえない。お互い協力して、情報交換しているようにさえみえる。あちこちに忖度して、あたりさわりのないニュースばかりを流しているようでは、話にならない。それでも赤旗の報道に、後追いしたのは、功績である。無視したり握り潰したりまではしなかったのは、いささか歯がゆいけれども、いいことであった。

ところが、共産党は議席を減らした。一番の功労者であれば、評価されてしかるべきだが、そうはならなかった。どこに問題があるのだろうか。若者にうけいれられていない、権力との関係において、対立関係にあって、雇用者側からは目の敵にされ、つねに支配者から迫害をうけてきた歴史があり、反共思想は常識だと思う人も多い。中国、ロシア、など専制主義国とつながるような印象も持たれているかもしれない。日本は、敗戦以降、ようやく与えられた形で、民主主義の考え方が持ち込まれた。与えられたもので、勝ち取ったものではない。そこから公に共産党は政党として活動できるようになった。今でも「アレルギー」として、他の政党とは区別され続けてきている。いわば、かなり不当な扱いを受けている。

ともあれ、今までいいように扱われてきた、割をくわされていた人々に光が、少しでも、あたるようになれば、今度の選挙の意味は大きい。国民民主党が、大きな力を持つようになるが、反共を隠さない連合会長にさっそく会いに行くなど、その動向はよくよく、見なければならない。要はこれから、日本の政治が本当に国民に寄り添うものになる方向が見えてくるかどうかである。

 


世の中変わりかけているのかもしれない

2024年10月27日 18時27分21秒 | 思考試行

いつも変化しながらすべては進行しているのだが、今の時代にまさかと思うようなことが起こっていながら、他方で、確実に「いい方向」を向いて動き始めているような気もする。

生まれてこの方、物心がついた幼年期から、常に世の中にいて、さまざまな体験をしてきて、今やはっきりと老年期を迎えているのだが、人類がどう動いてきているのかを眺めるに、滅亡寸前のような事象とともに、いい方向も実はうまれてきているとも思う。

様々な不都合な出来事自体が、よき方向へと動き出すための必然の「悲劇」かもしれないと思いたい。そうでなければ、とんでもない事件が続きに続いて、人類はそのまま、せっかくの積み上げてきた様々な「宝物」をもちながら、宇宙の片隅で消え去ることとなる。

私のような普通の老人がこのような認識にいたり、様々な事象に疑問を持ち、かなり明確に不都合を具体的に指摘できるような状況はかつてなかったことではないだろうか。なにがなんだかわからないという状況のなかで、強制的な力に押されるままに、世の人々が流され、あるいは、誘導されてきたのが、徐々に、自主的な判断で動き出そうとしているように見える。

民衆がそれぞれ個人の立場で自主的に動き出したとき、意図的な支配被支配の関係は必ず破壊されると思うし、またそうであってほしい。歴史は迷信や強制から、霧がはれるように、すべては理解されているなかで、ものごとは進行していくのではないか。隠されて、一部の者だけが、幸福であるという事態はいずれは消え去ることになるのではないか。

力を誇示し、何事かを隠匿したままでの支配は、いずれなくなると思う。今日、まさに衆議院選挙が行われている。民意の公平な反映をめざす制度ではなく、低い支持率でも利権を生かすことができる権力維持の構造を守る意図をもつ制度のなかで、行われている選挙であるが、それでもものの真実が明らかとなるとき、権力構造が変わる可能性もなしとしない。より多くの人々にとって、どういう政治がいいのか、真剣に探索されなければならない。

それぞれ個人、個人が勉強するほかない。そこから世は変わっていく。


全身麻酔を舐めんじゃネ~

2024年06月10日 12時00分00秒 | 思考試行

いろいろ事情があったようで、手術時間が相当長くなり、麻酔等も追加があったのか、目覚めたときに、呼吸がうまくできず、痰も喉にからみつき、夢うつつの中、パニックを起こしたように思った。というのは、両足を抑えられ、両腕をつかまれて動けない記憶があるからだ。術後の話では、一切その話はでなかったので、苦しかったことのみ覚えていて、経過がそれほど明確には、わかってはいなかった。

術後、酸素マスクをつけられて酸素濃度が監視されるのだが、この呼吸が苦しい。鼻から息を吸うのはできるのだが、あおむけに寝ると鼻から息を吐けないのだ。喉の奥がはりついてしまうのである。仕方なく鼻から息を吸い、口から吐く。これは意識的にやらないとできない。酸素は鼻からチューブで入れているので、データーとしては酸素は十分といくことになる。呼吸が苦しいと言っても理解されない。絶望的な思いで朝を待つ。身体は足に機械装置が付いていて、エコノミー症候群がおきないようにふくらはぎを自動的に揉んでいる。身体にメスがはいっているから、ひねったりすると傷口に影響すると看護師からの注意もあり、なので、顔だけひねって呼吸を続ける。だが、それもそう簡単にはいかない。

手術当夜は、そんな具合で手術をしたことを悔やんだ。これほどの苦しさは初めてだったので、その意味では画期的であった。ロシアやイスラエルの爆撃にあっている人々の苦しみは如何ばかりだろうか。これしきのことで、この騒ぎをしているのはまことに情けないことだが、当事者となれば、そんなものだ。今死ぬか、それとも我慢するか、となれば、勢いで楽にしてくれと言いかねない、だらしなさである。

手術からもう日にちもたって、ようやく少しずつ不具合が軽くなってくる、と思えば、しばらくぶりの低血圧症がでてきたりして、頭はふらつくし、まだまだ油断ならないが、十分生にたいする執着は消えてはいないようだ。日頃は覚悟ができているつもりであったが、なかなかそんな腹の決まった状態ではないことがはっきりした。

いささか全身麻酔を舐め切っていたようだ。さっそく、耳鼻科へも行かなくてはならないと思っているが、そこで又、全身麻酔などと言われたら、どうするつもりか。まだ、腹は決まっていない。もう寿命の関係もあるので、放置するのもありだが、膀胱がんが擬陽性と宣告されていて、また、その検査の予定もある。結果によっては、また全身麻酔が待っている。生きるということは、なかなか大変なことである。