その基準は何か。金ということになっている。ひどいものだ。システム次第で、金儲けが可能となれば、どこまでも金儲けが可能で、一旦、システムから外れた時には、人生の落伍者の扱いをうける。
アメリカのシステムは、まさにそうなっている。1%の勝ち組と99%の勝ち組。何が自由か。貧乏になる自由しかない。貧しければ、軍事資本の手先となって、兵隊になるしかない。そして、罪もない外国人を殺しに行かされる。何が愛国か。
これが、人類のめざす道か。そんなはずはない。現実に、人間は助け合うことができる。共に生きていく。その中に、生きる喜びや、進歩の成果を共にする本当の生きがいが生れる。
人を踏み台にし、自分と家族だけの繁栄をめざすようでは、世の中を暗くするだけである。こんな価値観からは、敵を設定して戦うぐらいしかないつまらないドラマしか生まれない。
人間らしい深みのあるすてきなドラマは、人間の本当の喜びを追求しなければならない。民衆のことを考えなければ、上下関係の生きている江戸時代でさえ、よき支配者とはいえない。
支配層は贅沢の限りをつくしているようで、なかに、こうした名君がいて、そこに、ドラマができる。「天地明察」にも名君が登場する。この小説は、本当にすばらしい。
勝ち組と負け組を作るようでは、バッカだなあというほかない。富裕層には、徹底して税金をかけ、お互いが助け合うことに喜びを見出すようなシステムにする。金儲けなんぞやってしまえば、それは恥だというぐらいでなければ、よのなか面白くない。