コロナ対策がワクチン頼みと、人の流れの制約に、集中しているようにみえる。医療体制は簡単に増えない、ベッドがあっても、人の態勢ができないという。人の流れを止めるといっても、生活補償がないではないか、飢え死にするほかないではないか。という問題がある。
医療体制は、金だけの問題ではないのだろうか。本当にどうにもできないのだろうか。医師がたくさんいて、看護師資格を持つ人がいるというではないか。なぜできないのか。
国に金はないのか、手だてはないのか、国債を出して、必要なところに、そして、国民に金を配ればいいではないか、そうすることでなにか支障はどう生ずるのか。そもそも国の借金とはなにか。国際的にはどうなるのか。
国民の税金で、国の借金を払わなければならないものなのか。そういう人もいる。だが、そうではないという人もいる。どちらが正しいのか。本当に、国債で、金を用意することは、いけないことなのだろうか。国民から税金を徴収するのは、早いのに、国から支出するとなれば、なんで遅いのか。
コロナ騒ぎで、対処するのに、国の財政的役割、本当のコロナ対策の総合的な司令部がどこにあるのか、がみえない。首相が単独で、思いつきで、何かいうと、間違える恐れはもちろんあるが、組織的にスムースに問題に対処する真のセンターがみえない。そのセンターと首相が密接に絡んでいないといけない。
政治家、官僚が、自分の役割分担のことだけをやって、総合的に問題対処する真の司令部がない。検査を充実して、感染者を保護する。中国が成功したやり方であるが、どういうわけか、日本では頑なに、それはしない。首相が言ってもすすまないという。では誰が止めているのか。議論がチャンとなされているのか。テレビ朝日など、相当前から、なぜやらないのかと悲憤慷慨の体である。なぜ、どんどん、取材攻撃がかけられないのか、取材を拒否しているのか、誰に取材すればいいのかわからないのだろうか。わからない。
どこがセンターになって、具体的な手立てを打っていくのか、システムがみえない。首相は専門家の意見を聞くと言い、専門家は政治家に、中途半端に意見具申をする。経済のことがあるから、学者としていえることは、ここまで、などという。こうしてみると、やはり政治の責任は免れない。政治がセンターを構築しなければならない。滅茶苦茶頭の良い政治家を配置すべきだ。頭がいいという条件は必須である。本当に頭のいい人を、中心的役割に据えなければならない。彼は、いずれ、国の中心となっていく人である。政治家と書いたが、そう限る必要もない。どこの分野であろうと、そんな人材がいるのなら、大胆に起用すべきである。
方針を明確にして、実行するということがなければ、物事がすすまない。なにをやっても、中途半端であり、確信がもてないのは、責任をもって、事態に立ち向かうという本気の態勢ができていないからである。
首相が何か言っても、その通りには動かない。とすれば、そこは司令部ではない。止めているのは誰で、どこがそうしているのか、詰めなければならない。放置しているところに、問題がある。責任は私にある、とだけ言っても意味はない。実際に事態に対処する俯瞰的な視点から、全体を動かさないとならない。
医療体制をどうするかについて、本当に、あるべき姿を議論しているのだろうか。政治、医師会、専門家が事態に対処する動きがあるのだろうか。誰が中心になって、やるのか、センターがなければ、組織は動かない。人の世の仕組みというのは、どうやって決めたのかが、明確にならなければならない。独裁政権なら、国民に、なにも知らすことはないのだが、民主的国家であるなら、その決まる過程が、周知されなければならない。
日本の場合、敗戦によって、はじめて民主主義に触れたわけで、国民が勝ち取って民主主義国家になったわけではない。おそらく、多くの民主的でないやり方、感覚が残っているのかもしれない。議論をしない、空気で決めるなど、おかしいところがモロにでてきているのではないか。部分部分にとんでもないボスがいて、邪魔しているのではないだろうか。一つひとつおかしいところを、何故、何故、何故で追い込んで、明らかにしていくべきである。