空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

サギかと思いつつ。

2008年08月31日 09時02分53秒 | 思考試行
エコキュウトーを発注した。大気の熱を利用しての、給湯設備である。突然の電話による勧誘に応じた。

設備に、相当の金額がかかるために、ローンを組む仕組みとなっている。設備業者も、代金回収の手段が確実でないと、事業が成立しないし、相互に、ややこしい手続きが、からんでくる。

技術的なこと、設備の信頼性、効率化、環境問題、国からの補助金、工事にかかる段取り、スペース、等々、午前中を使ってしまった。サギ的要素がないかとか、そういう考えもあって、テスト的な質問を手続きにきた若者にぶつける。

若者は、システムのこと、生い立ちから、仕事の体験から、信用獲得のために、総動員の情報提供をする。機械本体の値段が大きく、果たして、費用対効果の関係は成立しているのかどうかは、はっきり言ってわからない。若者は、我が家の場合は確実に得であると断言する。

ただ、環境にはいいのだろう。国がCO2の削減に効果ありとして、補助金を出しているのだから。

若者の名刺から、ホームページを開いてみる。事業はきちんとしているようだ。小生はあまり、生産的な、実用的な仕事をしてこなかった。紙の上の話ばかりで、収入を得てきている。ところが、あまり、厳密な仕事ぶりではなかった。不備があれば、体力でカバーというやり方であったように思う。要するに、要領が悪いのである。段取りを充分しないから、そうなる、ということが多かった。

若者は、逆に実際の現場の仕事をしてきているようだ。それが、性に合うという。頭は良くないといい、勉強は苦手であったという。仕事に必要なことを、その都度してきたという。

今回の、このヤリトリの中で、この若者は、そうとうしっかりしていると思った。ただ、自己評価がかなり低い。彼女に振られたばかりだという。自分のセイもあるという。大きな原因は、相手の親の意見のようだ。

そんなことを言いながら、手続きには、キチント対応している。説明しすぎると難しいところは、省いていて、微妙なところも、うまく回避する。ただ、かれらが必要とするポイントは外していない。要するに、要領がいいのである。こういうことは、小生は苦手であった。


人材は充分活用されているか。

2008年08月27日 19時56分59秒 | 思考試行
日雇い派遣が問題になっている。要は、低賃金で、労働の成果を巻き上げる仕組みの程度問題である。明らかに、中間搾取があってそのオコボレにあずかるのは、雇う側であり、雇われる方は、簡単には報われない。とことんまで、めしあげるのが弱肉強食の世界の例である。

ちょっとした、リズムの違いから、素晴らしい才能が、ネグレクトされていく過程を見たことがある。どうしょうもない流れのなかで、その才能ある青年は、流されていく。なんという無駄なことをするのか、と嘆いても、この大きな流れは変わらない。

そして、こうした例は、山ほどあるのだ。珍しいことではない。あとから、後から優秀な人材は、枯渇することなく現れてくるのである。

人の世の、仕組みに貢献するためには、多くの人たちのためにも、こうした、埋もれてしまうような人材を、きちんと生かすことである。そのことによって、人間世界の進歩と問題点の状況が明らかになることだろう。


催促

2008年08月27日 08時47分26秒 | 思考試行
庭ネコが、伸び上がって、窓の外側から、食事の催促をする。

これは、いつものことなのだが、辛抱強く、間をおいて、何回でも、要求してくる。したがって、彼らは、食事をとばされることはまずない。もし、催促しないとすれば、あるいは、忘れられるかもしれない。

きちんと、要求することの意味を教えてくれる。求めよさらば与えられん、である。欲しいものは欲しい、と言わなければならない。

英語と日本語の違いには、言語の大きな違いとして、日本語は、同音異義の言葉がおおく、前後の脈絡から、相手側が、その意味を把握していくという。英語は、同音異義の言葉が、少ないから、発せられた言葉を、そのまま相手は受け取ることになるというのである。

日本語は、相手の理解力にまつところがあり、あうんの呼吸が不可欠であり、英語の場合は、相手はそれほど斟酌することはない、というのである。

これは、庭ネコのケースにあてはめてみると、基本的に言わなければ、解らないということで、教訓的である。何を、思うかということが、もっとも重要であるが、表現の大事さを思う。おおいに、発言しようではないか。

我らみな宇宙人

2008年08月27日 00時51分44秒 | 思考試行
我らみな宇宙人。

家内の母親が亡くなって、早くも20日がたった。まだ、存命中に、ひ孫にあたる小学三年生と中学一年生、孫にあたる母親の3人が、ほぼ毎週土曜日に見舞いにきてくれていた。

その小学校3年生の子供は、動物好きで、ネコとよく遊ぶ。そして、子供達と、コンピュータゲームなどを通じて、交流が始まる。
クイズやゲームや、けっこう楽しい時間となる。

その時の、会話で、宇宙人をみたことがあるか、と聞いてみた。二人の子供はない、という。そこで、小生は、いつも見ていると言う。

二人は、エーっとなったが、地球は宇宙にあるんやで、みんな宇宙人やないか、というと、小学生は、新しい発見をしたような様子で、新鮮なおどろく顔をみせてくれた。中学生はすぐ理解した。

これは、けっこう、盲点のようになっていて、人間は、すぐにセクトを出して、争いあったりするのだが、地球規模で考えなければ、やっていけない状況になっているのだから、いま、この考え方は、重要な意味を持ち始めていると思う。

われらみな宇宙人。忘れず、生きていきたいものである。


人類は生き延びることが可能か。

2008年08月26日 00時05分41秒 | 思考試行
多くの人は、みんな仲良く、平和に暮らせることを願っていると思っていた。たいていの人は、人を蹴落としてでも、自分だけは、相対的に有利でありたいとは、思っていないのではないかと、考えていたのだが、それは、甘すぎる考え方であるようだ。

生物界の状況は、どうだろうか。相当に厳しい生存競争があって、これに対応していかなければ生きてはいけないのだから、それほど甘い世界ではない。必死の生存競争があって、成立しているのである。ただし、目茶苦茶なむさぼりはない。そんなことをすれば、一時は良くても長続きはしないのである。

バランスがくずれ、結局は生存できなくなる。それは、意図することなく行なわれているのかもしれないが、このバランスに適合しなければ、その種は、絶滅するしかないのである。

形をかえ、機能をかえ、生存に適するように、生物自身は変わっていく。というよりも、多様な変種を次々と、産み出しながら、条件に適合するものだけが、生き残るという形なのかもしれない。

生存のための営みには、道中、無駄とも思える、ありとあらゆる工夫が凝らされている。そのようにして、みんな生きている。人間は、この生物界にあって特異な存在である。最強の生物として、人間の行くところ、多くの大型生物は、滅び、幾多の種を絶滅させてきたといわれている。

今や、ようやく、最強の生物である人は、生態系に本気で関心を持たないと、自らの身が守れなくなってきた。それでも、「経済」がどうのこうの言っている国もある。はたして、地球上で人間は、生存を続けることができるのだろうか。いよいよ正念場をむかえつつある。

損保代理店の「乗り合い」効果

2008年08月25日 07時56分44秒 | 思考試行
損保代理店で、「乗り合い」をしている。乗り合いというのは、複数の保険会社の代理店をすることなのだが、通常、保険会社は、これを歓迎しない。それどころか、こういうことを、絶対に認めないというところが多いようだ。

小生の場合は、顧客の要望に、現保険会社が応じないことから、やむをえずというスタイルで、保険会社に乗り合い契約をすることの「承認」をもとめたのだが、当初は、認められないといっていた。

その後、当方から、現契約の優先、とか、もともと、「承認」を求める業界慣行の不当性をいったところ、「通告」文書の日付の翌日付けで、「承認」してきた。

後の保険会社は、規模的には、小さいのであるが、そうはいっても、全国展開しており、機能的には、大きな違いはないようだ。いま、新しい状況下で、手探り状態であるが、「乗り合い」は、いろんな効果をもたらした。

まず、もう止めようかと思うぐらいに、現保険会社の対応が、一方的であった。ルール変更をして、手数料を下げてくるは、新規契約などをとっても、なんの反応もない、いってくるのは、従来の商慣行の否定であり、そのため、代理店の労力がふえるのは、平気の平左。しかも、担当社員の態度は、横柄とくる。

現に、廃業したり、合併吸収されて、代理店の数は相当減ったようだ。これは、保険会社の株主にしめる外資の率が、増えたために、「経営効率」をあげて、株主配当の増加を、経営陣にせまったためと、いわれている。

従来の日本的な、やり方でなく、際限なく弱者から利をとりあげ、力の強い者に移転する方向に、保険会社が舵をきったのである。そして、その考え方に、顧客の利便を考えている様子はない。保険料は下げないのである。業績は、間接経費が減った分、明らかに、良くなっている。その成果は、株主に行くのである。

マネーがマネーを呼ぶ仕組みに、この業界も巻き込まれているのである。そこには、健康ではないビジネスのニオイが立ち込めている。

そこで、乗り合いの効果であるが、まず、こちらの考え方が変わった。専属の場合は、他に、交渉の相手はいないので、一方的なルール変更を受けざるを得ず、それどころか、代理店契約自体が、いつ破棄されてもいいような構造であるから、基本的なところで、不安が付きまとう。それが、なくなった。商売としての競争原理が働いてくる。後の保険会社の対応は、丁寧である。人間的である。昔のスタイルを思い出す。契約をとって、ナンボの世界である。

代理店のやる気を削ぎ、辞めさせて、契約だけをブンドルという、現保険会社のタクラミを粉砕する可能性が出てきたのである。損保代理店は、「乗り合い」をすべきである。自由に、これができるためには、業界の慣行を変えること、行政の関与の仕方も問題がある。代理店自身が、法律どおり、保険会社との契約の手続きに関与していく仕組みにしていく必要がある。

戦争をさせない世の中にしよう。

2008年08月24日 00時30分45秒 | 思考試行
戦争はない方がいいに、決まっている。戦争が起これば、誰がタイヘンな目にあうことになるのか、それは、過去の事例がやまほど示している。

国や民族や宗教や、意味のないことを理由にして、戦争は起こってきた。一部の戦争成金がうまれ、その政治的、経済的欲望を、満足してきた。戦争を展開してきた政治家は、人殺しをして平気でいる。人間の顔をしているが、これは、ケダモノである。

戦争を起こす者は、決して許してはならない。人間の歴史をみれば、まだまだ、人類社会が、充分成熟しているとは言い難い。それこそ、戦争の存在そのものが、そのことを証明しているといえる。

どのようにすれば、戦争を起こさないで、暮らしていけるのか、真剣な考察が、まだなされていない。まじめに取り組む動きになっていない。アメリカは、人を殺すためだけの道具を、自分の身を守るためと称して、合法化している。

容易に殺人が可能となる道具を、合法化して、これを提供して、どうして、殺人をやめる事ができるのか。

人間は必ず死ぬ。放っておいても、寿命がくれば、それで、個としての生命は終わる。そのことが、自然なことである限り、死そのものを忌むべきものであるとするのは、間違っているのかもしれない。もっと、前向きにとらえることが良いようにも思う。死があるから、生の意味も生きてくる。死の意味、生の意味を、日常的に考えなくてはならない。

考えると、生きることは、楽しいことばかりではない。しかし、楽しみを見つけることは可能である。楽しい世の中にしようではないか。憲法9条は、本当に宝物である。この宝物を大事にして行こう。戦争勢力は、この宝物を奪うたくらみを止めようとしない。彼らを監視し続けなければならない。

意思疎通

2008年08月22日 08時23分39秒 | 思考試行
人間同士、スムースに意思疎通をはかることは、重要である。これさえできれば、なんでも解決可能ではないか、と思う。愛し合っていた人が、うまくいかなくなったり、敵対するようになったり、国や、民族や、なんらかのセクト同士が、血まみれの戦いを余儀なくされる場合もある。これらの、根底には、意思疎通ができなかったことが、その原因にあるのではないか。

ちょっとしたことから、徐々に相互に憎しみをうみだしあい、抜差しならない関係にいたる。どこかで、修復は可能ではなかったのだろうか。

我が家には、ノラ出身のネコが、今7匹いるが、それぞれ個性、相性が違う。それでも、時間が解決する場合もある。極端な場合としては、理由は不明だが、とにかく排除されるようなネコもいるのだが、その場合でも環境を少し変えて、少し保護すると、迫害していたネコも、時間の経過で、なんとか、折り合いをつけるようになる。慣れるということだろう。

ネコの世界をみていると、人間同士にも、応用可能な現象も多くみられる。言葉こそ話さないけれども、要求や、配慮や、距離感、など多くの共通するような、感情の交流が体験できるのである。

ここから、テクニックもうまれる。これを応用して、イジメの解消や、人間関係の改善につなげられないものだろうか、と思ったりする。

「父の肖像」の効果

2008年08月21日 08時59分09秒 | 思考試行
「父の肖像」を読んで、伝記小説の幅広い、可能性を知った。時代背景、登場人物の人間関係、具体的な事件を通じて、そのなかで、人がどう行動し、考えるのか、多くの教材に満ち溢れている。

そして、一般に言われている、情報との乖離があることをはっきり示してくれる。インターネットで得た情報(ウイークペディアなど)は、かなり詳しいのであるが、当事者の書かれたものとの、肌合いが違う。細部が違う。それは、本質的に違ってみえる。本物に触れずして、解った気になってはいけないのである。

情報の質について、認識を変えさせられた。良いものに触れないと、その良さを理解できない。本物の良さに触れて、その素晴らしさを体感すること、そして、そのことで、不要な予断、思い込みからの脱却が可能となる。

雲の上の人ではなく、親近感と、同時に、安易な自分の生活態度に、これではいけないという姿勢を与えられる。人間だれしも能力の違いがある。それでも、基本的な共通項もある。単に、コンプレックスだけを、モンモンと持っているだけでは、せっかく生を享けた甲斐がない。有名な人との、多くの共感しうる接点がたくさんあるのだ。

実態をみせてもらうことによって、自分の生きる姿勢、覚悟ができるための、貴重なアドバイスが得られる。「父の肖像」は、多くの刺激を与えてくれた。

「父の肖像」を読んで。・・・これはすばらしい。

2008年08月20日 09時00分33秒 | 思考試行
「父の肖像」を読み終える。すごい家庭があったものだ。しかし、よく観察するとどこの家も似たような現象がある。

とりわけ、家父長制度が生きている家庭にあっては、避けがたい、人間模様、状況が生まれる。その複雑で、分析し難い事情を、よく表現されたものである。これは、日本文学のなかで、相当な位置を占めているのであろう。

作者自身も、作品の、その渦中にあって、作品は展開していく。父への反発、共産党での活動、故なき理由による除名、渡米、大統領に会う、詐欺師とのこと、異母妹とのこと、肺結核、療養所でのこと、なにより、作者自身の出生の秘密、・・・歴史の流れ、ビジネスのこと、心理的要素、などなど。

壮烈な小説である。これは、明らかに、日本人が客観視して、「肥やし」とできる材料をふんだんに有していて、今後の世界のあり方や、個人の生き方についての大きな示唆を与えてくれている。

作家の、この姿勢には、自分が書かずにはいられないという動機があるには違いないだろうが、それを、人に読ませるには、別の動機、愛が必要であり、それを貫徹して、この作品を提供してくれているのであって、本の最後に、解説者がいっているのだが、作家は、「世界を許していない」と書いているのだが、そのようには、とても思えないのである。

すごい人、すごい作品があるものだ。これから、辻井喬さんの世界にせまりたいと思っている。

望郷の道 正太とやる気

2008年08月19日 11時15分00秒 | 思考試行
望郷の道は、いよいよビジネスの方向に、向かっていく。すでに、かなりの成功を、正太は勝ち取った。

ルイさんや、サキさんは、いまや、どこか、その存在が希薄となりつつある。いい製品を作り、ビジネスをどう展開させていくのか、まさに、仕事の話に重点が移ってきている。

それは、それでいいのだが、どこか寂しいという気がする。サキさんの正太への思いは何処へ行ったのか、ルイさんとの対決で勝負がついたとするのだが、ルイさんとのその後は、ビジネスの影に隠れた。

そういうものだろうと思う。時期的なもので、恋に狂うことは、一時期であったほうが良いのだと思う。あまり、はまりすぎると、健全な人生では終わらない。べつの世界にはいる。日経新聞の連載小説なのである。読者は、ビジネスマンが圧倒的に多いのだ。かれらの需要を満たさなくてはならない。

それにしても、正太のやる気の源泉はどこにあるのだろうか。九州を所払いとなったことから、九州へもどることが、その源泉になっていることもある。すでに家族ができ、その存在もあるだろう。周囲の有為の若者達、彼には、おおくの、やる気をおこすためのシサンがある。

それも、台湾へわたる船のなかで、みせているが、やるべきことを、男らしくやりとおす姿勢から、うまれてきたもの、獲得してきたものである。

この姿勢は、彼の生い立ちにさかのぼる。人間、まともに育っていくのは、タイヘンである。周囲の条件もあるが、要は、その本人がどう考え、どう決意し、どんな心構えかによって、その方向は、大きく変化するのだ。

やる気について

2008年08月19日 10時43分37秒 | 思考試行
やる気のことについて、その根底には何があるかを考えると、まず、愛情という言葉がでてくる。対象にたいする愛がなければ、やる気はおきない。誰かのためということなら、命さえ惜しまない、という人がいる。

母親の子供の愛、ということは、今や普遍的とはいえないかもしれないが、それでも、説得力のある愛の存在の証明にはなるだろう。

ものづくりであれば、その仕事自体に対する愛ということもある。仕事を愛することができる人は、間違いなく幸せ者である。人間だれしも、仕事をしなければならないとすれば、その仕事を愛せる人は、最高に幸福である。

仕事そのものは、愛せなくても、それが、家族なり、誰かのためになっていることに、やる気の根源を見ている人もいい。

これは、どのような仕事にもそういう要素はあるから、応用力はあると思う。有益な仕事は、それぞれ、意味があるから、やる気の根源となりうる条件を備えているのである。

そして、人との競争や、恥をかかされ、見直してやる、というようなやる気の起こし方もある。けっこう、このパターンも多い。動機は、ともかく、結果的にそのことが、成果を生み、その人の成長を促して、最初の動機とことなるやる気に変化する場合もある。

こう見ると、動機はどうでも良いように見える。やる気は、どんなモノであっても、構わない。ただ、変化していくことは必要なことはあると思う。いつまでも、不健全な動機を持ち続けていると、どこかで、壁であるとか、不都合を生む場面に遭遇することになるのではないか。

動き回るとするか。人間だもの。

2008年08月18日 08時56分31秒 | 思考試行
今朝は、5時ごろ目が醒めて、「父の肖像」(下)を三分の一ほど読む。生活の苦労をしらない境遇から、作者の状況は、やはり、そのままでは、共感し難いものがあるけれども、それでも真面目に、共産党の活動に取り組み、青春時代の息吹を謳歌し、それを素直に表現している作家の姿勢は、好ましい。

こういう傾向の作品には、触れたことがないので、本当に新鮮である。作家の人生を、正直に語ってくれている。学ぶこと、味わうこと、豊饒な世界を提供してくれている。まさに、人生の師である。

本をもっと読むようにしないと、こんな世界を知ることはできない、見逃してしまうこととなる。もっと、意欲的に読書の習慣をつけたいと思う。

今、八ヶ岳の結核療養所が、舞台になっているところを読んでいるが、昨秋に旅行したばかりのところなので、周辺の風景をなつかしく思い出した。旅行も、大いに意味がある。

人間、動物なのだから、大いに、外出して、旅行して、なんでも挑戦しながら、テーマが見つかった人は、それは幸運だと考え、邁進すればいいし、まだハッキリしないという人も、自由に、動き回って、探しまくるのもよい。沈思黙考するのもいいが、やはり、基本の、動くことを忘れては、人生勿体無いと思う。

人生は、けっこう豊かなものになる可能性があって、どうするのかは、本人の姿勢、考え方によって、相当の幅ができる。どうせなら、豊かな人生にしたいものである。素晴らしい作品に触れることができて、些か興奮している。

人を大事にしているか。

2008年08月17日 11時37分00秒 | 思考試行
お盆休みも今日で終わり。ユーターンの道中での交通事故があって、死傷者がでている。年間の交通事故の死者数は、年々減少しているというが、それでも万に近い数なのではないだろうか。

不本意な、突然の出来事になるから、家族の悲しみは如何ばかりだろうか。技術の進歩でかなりの改善がされてきているだろうが、真剣な対策がどこまで取られているのかは、不明である。恐らくは、利益主導の論理で動いているのだろう。いかにして売らんかなというだけで、交通事故を絶滅するための、真剣な対策が望まれる。

紛争が絶えない。アメリカのように、自分の主張を展開するのに、武力を以って侵攻しておきながら、ロシアをせめることはできない。グルジアもまた、南オセチアを力の論理で、手を出している。みんな同類項なのである。

日本は下手に、憲法をかえたりしたら、どんなことになるか。小泉のタクラミにそのまま、のって、憲法をかえたりしたら、アメリカの属国として、思う様利用されたに違いない。戦争はどんなことがあっても、しないという憲法は、本当に宝物である。

この宝物を大事にし、そして、今ある平和は、本当に賢い国民でなければ、守りきれないことを知るべきである。騙されないようにしなければならない。

お盆に思う。

2008年08月16日 00時29分42秒 | 思考試行
お盆も終わり、今日は、近所のお寺で精霊流しがあり、お参りをする。例年のことながら、その寺の役をしている従兄弟夫婦に会う。午後5時から役についている。もう10年になるという。役員の一人が辞めたとあって、従兄弟は、また仕事が増えたという。

なかなか風情があって、今や、名物行事になっている。お寺のカキイレドキでもある。

これも、ビジネスとみれば、生産に関係しない職種はいろいろあって、都市部では、ほとんど本質的な、第一次産業に従事している人は、ほとんどいない。都市部には、どこか健全でない雰囲気がただよう。

誰のお陰で、毎日の生活が成り立っているかと言えば、それは、まさに、全国規模、地球規模で、展開されている流通機構のおかげであり、生産者のおかげなのである。

そして、それらの背景には、お盆で帰ってきた、ご先祖様のおかげもある。お盆を、あの世とこの世の交流に時期と思えば、それこそ、すべての関係が、自分達の生活を支えてくれていることにも気付くはずである。

自分一人で、生きてきたなどと、考えるところから、傲慢な、アコギな考え方を是認する傾向がでてくるのではないか。相互関係、共存ということにもっと敏感にならないと、健全な経営、ビジネスは展開されず、この世は闇となる。