goo blog サービス終了のお知らせ 

空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

国会審議、自民の本質、悪意まるだし

2011年05月31日 09時29分15秒 | 思考試行

今、テレビで国会中継が始まっている。田中康男クンが質問中である。かれの、質問は、枝野官房長官に向けられている。政府の指示、命令、要請などの問題をとりあげている。現地での対応についての、具体的な問題などあげているがそれは、攻撃内容は、誤報にもとずくものであった。質問の調子が、なんとなく悪意である。同志としての前向きの話方ではない。冷たい。

さらに、中川議員が質問中である。これも、経緯について、コマゴマと喋っている。どうでもいいことである。よくも、こんな質問をするなあという感じ。枝野さんは、的確に経緯を説明する。この説明力はすばらしい。

通常、こんな話になると、前後の脈絡や、状況というのは、そのときそのときで対応しているわけで、小生など、この種のせまられ方をすると、嫌になってしまうばかりで、中川君の術中のはまってしまうだろう。

何が何だかわからなくさせるのが、こういう質問のネライである。これも、被災者に目をむけた質問とはいえない。「罪」とか「万死に値する」とか、どうして、こんな言い方をするのか。

なんだか、それに関わった政府関係者が、すべて犯罪を起こしているかのような口ぶり。さらに、すべて政治的パフォーマンスであるかの言いがかりである。あまりにひどすぎる。パフォーマンスといえば、中川クンは、左手をポケットにいれて、カッコつけている。こういう手合いなんだ、彼は。

次の西村君も、被災家屋の数は?と総理に聞く。その調子が、けんか腰であり、ののしり口調である。これも悪意を全面に出している。こいつもバカだ。

非難すべき中味がないにもかかわらず、なんとか、辞めさせたいだけで、論理がまったく通っていない。

かれらの特徴は、被災者のために、また、国の経済のために、今何をすべきかにふれないことだ。やるべきことを進めようとせず、妨害をする。それは、菅内閣を倒してからやる、ということらしい。こんなバカどもが、何をするのか。これだけの大災害が起こっても、国民のことを本当には考えていない自民党の本質がよくでている。


あんたは偉い。偉そうにしなくてよい。

2011年05月30日 07時58分09秒 | 思考試行

自分で偉いと思っている人は、偉そうにする必要があるらしい。資産だったり、学歴だったり、収入であったり、地位だったり、名誉だったり、を持っていて、それを誇らずにはおれない人びとは、それをひけらかさないではおれないようだ。

高級官僚といわれる者は、木端役人など相手にしない。シモジモの国民など、眼中にない。自分達は、特別のコース、入省年次で、区分けされながら、出世コースを歩む。途中で覚えることは、山ほどある。自民党政権時代は、事実上の支配者として、国の方針を決め、主導してきた。

代議士は、彼らに陳情して、政策のオコボレに与ることを使命としてきた。財界と結びつき、有力者は、思い通りに利権にありつき、それを自派の資金源にする。官僚達の大事にするものは、守る。彼らの領分には、近づかない。

官僚達は、自らの省益のために、その権限を拡張すること、最低でも守ることを、至上命題にしてきた。彼らは、お互い偉そうにしてきた。お互い、棲み分けて、偉かったと思えてきた。事実、官僚以外の、みんなは、彼らにヘイコラしてきた。

それなりの仕組みとして、機能してきた。だが、矛盾も起こる。政界にも変化が生じた。弱者切捨ての傾向が、強まるなかで、気分的な不満感がたかまってきた。民主の政権交代につながった。不充分ながら、仕組みに、アナが開きはじめた。

政策変更の軋みが、とりわけ官界につよく表われてきた。すべての抵抗の源泉は、ここにある。しかし、その姿を容易には見せない。政権に協力すると見せかけながら、その足を引っ張る。

芝居は続く。観客たる国民は、自分が主人公だと思える舞台には、まだまだなってはいないが、もっと自分達がつまらないと思う舞台になりそうな雰囲気をただよわせながら。


皆が心をそろえてという時期に

2011年05月29日 18時52分33秒 | 思考試行

未曾有の大災害のなかで、どのようにしていくのかというこの時期に、政界の様子は何事か。6月頭には、大政争が起ころうとしている。谷垣氏は、腹をかためているという、一体何を考えているのか。

それが、歴史ある日本の現在の政治状況である。大災害があっても、何とも思っていない政治家の連中。この時期にも政争を辞めようとしない連中。まったくあきれるばかりである。

国民は、みんな被災者に思いをはせ、心ある人々は、多額の支援金を寄せている。まだまだ寄せなければならないと思っている。小生も憚りながら、金融資産の1パーセントは、寄付している。

もし、全国民がそうすれば、14兆円が集まるという。みんなしっかりと支援金を拠出してほしい。孫社長は、100億円の寄付をもうしでている。週刊誌は、まだ孫氏が、出していないなどと悪意の記事を載せている。記事を書いたあなた!自分もだせよ!

だいたい、口のたつ連中というのは、心がないのでは、と思ってしまう。口ばかりで、やることをしない。ケチなのである。資格団体などの、拠出金など、話にならない低額である。余裕がある人は、もっとしっかりと支援してほしいものだ。

それにしても、自民公明の態度は、何だといいたい。よくもそれで、政権をとってきたものだ。それは、官僚任せで、知恵をつけてもらって、よきにはからえなら、誰にもできる。今のこの時期、菅さんらは、自前の頭を使うことを諦めてはいない。しっかりやっている。

官僚は、あちこちで、相当のサボタージュをしているかもしれないが、それでも、菅さんらと心を通じ合って努力してきている層も見えるように思う。みんながみんな、旧勢力の味方であるとすれば、この国は、一切、動かないと思うからだろう。良心的部分もある。

この時期、みんなが、一生懸命に、力をあわすことができるならば、この国は、まだ、希望があると思うが、さもなければ、スッパリと、諦めて、滅亡の道を歩むほかない。それも、選択である。別に、そうなったからといって、地球が困るわけでもない。それは、日本国民の自業自得である。そのときは、諦めるしかない。


大義なき政治行動

2011年05月29日 11時01分16秒 | 思考試行

理由をあげられなくて、とにかく菅さんではダメだ。では、話にならない。そんなことをしている時期でないことは、普通の感覚だ。国会が、やるべきこと、やることは、山ほどある。

地震の起こる前から、今の動きがあって、なんでもかんでも、菅さんを降ろしたいムキがあった。その連中は、理由もなにもない。とにかく、煙たくて仕方がないようだ。この大災害が起きても、彼らの動きは止まらない。これが、彼らの本質をよく示している。

被災者や、国民のことなど、眼中にないということだ。国民のみんなは、このことに気付かないといけない。国民のみなさん!あなたがたは、すでに、フラレテイル。彼らの思いは、権力、利権、そこらにある。国民のことなど、どうでもいいのだ。

菅さんは、利権にからまないし、ヘンテコな動きにはのらない。かれらにとって、やりにくいことは、良くわかる。理屈にならないのに、無理にでも不信任決議を出そうという理由は、そこにある。

そのプロセスのなかで、いろんな風景が見えることだろう。大いに、この機会に国民は学ばなければならない。かつてない真相が明かになる舞台なのだから。ここで、見落としたら、何を勉強したの、と後世の人に言われることだろう。

ここで、学んで、日本はよくなった、世界に本当の意味で、出て行く機会になった、と言われるようでありたい。


種類分けができそうなマスコミ

2011年05月28日 07時30分40秒 | 思考試行

古館さんと、鳥越さんの昨日のニュース番組をみていたら、読売やフジと違う。こちらの方が、よほど常識的というか、違和感がない。正直、救われた思いがする。気分の悪くなるような、テレビニュース番組の多いなかで、本当に貴重な「普通の感覚」がそこにある。まさに、救いである。マスコミがすべて、悪くなってしまうというのは、やはり良くない。そうは、言っても、ヘンテコスジが、隠然たる勢力を保つ世の中、いつ潰されるか、心配になる。この程度のことでも、おそらく、ヘンテコスジの目は、光っているに違いないのだから。善良なる国民を騙そうと躍起なのだから。

世の中、狂ったようになる時代というのがあった。橋下クンが、国歌や、国旗に注目して、これを支配の道具にしようとしているが、このバカみたいなことをやりたがる神経は、結構、時代を暗くさせる効果を醸し出す。ヘンテコスジのネライにそうものであり、橋下クンは、まさに、彼らのスターになりうる傾向が、そのセンスには充分ある。大衆受けするから、彼自身が道具となる危険性は、高いのである。

みんなで、心をあわせるというのは、そんなことではない。先の戦争体験から、人を脅したり、無理強いしたりして、一方向へ寄せることの、反省が生まれた。そこからの不起立である。中味は、良心的なのである。免職どころか、いわば平和を大事にする考えである。生徒達を戦争へ駆り立てた、かつての教育の反省があるのである。国家主義や支配の秩序なんてものは、不必要である。意見をすり合わせ、心をそろえて暮らすことを考えるならば、「強制」「支配」は、バカが考えることである。そんなことをして、何になる。


原発所長の「常識」に救われる

2011年05月27日 11時12分23秒 | 思考試行

現場を知らない東電本社。官邸の「空気」を伝える東電フェロー。ちょっと質問をしただけで、できあがるストーリー。評論家の大騒ぎ。しかし、現場の常識は、生きていた。海水の注水は続けられていた。それでも爆発は起きた。だれの責任かといえば、複雑な話にはなるだろうが、少なくとも菅さんの責任ではない。

海水騒ぎで、自民党の谷垣さんは、菅さんをとっちめるつもりが、ありもしない話にのって、失礼千万の質問をし続けたことになる。最近は、自民党の質問は、テレビで見る気もしないから、どんな調子であったかは知らない。それでも、予想はつく。質問時間の大半を、これにあてたと新聞にはあるが、さぞや、ネチコチとやったのだろう。

どう考えても、菅さんには、利権とつながる要素がない。買収されたりしない。仲間と談合したりする気配もない。ただただ、やるべきことをやろうとしているにすぎない。

それに、躍起となって、不信任を突きつけたいとする一派。フジテレビなどは、サミット取材の記者からして、菅さんの極めて、常識的と思われる冒頭演説に対して、「絵空事」の扱いをする。悪意が浸透している。なぜ、そんな言い方をしなければならないのか。彼もその仲間か、手下か、なのだろう。

小沢氏らは、サミット前に、菅さんを下ろしたかったようだ。それは、何故か。菅さんが、輝く舞台に立ってしまうと思ったのだろうか。菅さんは、今、もっともふさわしい役回りにいるように思う。東工大出身の理系で、市民運動出身である。家庭でも政治を語りあうという。利権を求めない。政治家としても、今までにないタイプの人である。

政治家といえば、オモテとウラ。とか、利権との結びつきとか。あっちこっちから、金を受取る政治家の姿が、いわば常識的であった。建設工事をめぐっては、落札の成功報酬の請求を秘書を通じてさせるのは、いわば、あたり前の姿である。

それとは、真逆の人達である。菅さんらのグループは。まじめなのである。

問題は、これを攻める連中の真の姿である。マスコミも、評論家も、タレントも、新聞も、官僚も、学者も、よくよく見なければならない。満遍なく、金や利権がばらまかれているかもしれないのだ。結果として、騙されて泣くのは、国民自身なのだから。

事態がどうすすむのか注視したい。原発所長が、本当のことを言うタイミングが問題になっている。その処分も言われている。しかし、彼は、やらなければならないことをしたまでである。ヘンテコな指示などに従っていたら、もっとヒドイことになっていただろう。現場の常識を発揮してくれたのである。


谷垣クンは、本当にバカだなあ

2011年05月26日 19時28分17秒 | 思考試行

どうしても、菅内閣の不信任決議を出すんだと息巻いている、谷垣くんは、何を考えているんだろう。菅さんは、よくやっているではないか。数をたのんで、ひきずりおろそうと躍起だが、その動機の出所はどこだろうか。参議院選挙で勝ったことをそんなに生かしたいのか。

実は、利権構造が、その裏面にある。小沢氏の利権構造が明らかになるなかで、必死の抵抗のあがきが、古い構造につながる人びとを駆り立てている。数字的には、民主の小沢グループもあわせれば、不信任は可決となるだろう。

そうなれば、せっかくの新しい動きが、頓挫することになる。しかし、それも仕方がないだろう。国民の目が、その程度であるということだ。その結果、君らは、得票がすくなくても、選挙制度の不公平の結果、議席はなんとか多く獲得したのだから。その結果、不信任決議は、なんの道理もないのに、可決することになるのだ。

だが、そこには、スジがない。誰の目にも、正当といえるスジがないことは明らかである。こんなことに国民が、すべて騙されるとは思えないが、あるいは、騙されてしまう人もいるかもしれない。しかし、騙されない人がいることも知っておくべきだ。

こんな動きに同調する買収された政治家達は、どういう思いで今まで生きてきたのだろうか。スジの通らない、永田町の論理で動く人びと。今は、キミたちのしでかすことが、成功したとしても、それは、歴史の世界では、必ず、バカなことをしたなあとういうことになるだろう。理が通らないこと。それは、なにより、キミたち自身が知っていることだ。

さて、どうなることか。キミたちは自由だ。好きにすればいい。

キミたちは、やるといったらやるだろう。そうすればいい。そして、そのことが、バカげたことだということを、キミたちが、やる前に、このように記録しておきたいと思う。バカだと指摘する声があったという事実を残しておきたいと思う。


今の状況からどうするのかが大事

2011年05月26日 08時36分40秒 | 思考試行

これからどうするか。それが、もっとも大事だろう。マスコミは、海水注入について、菅総理が、言った、言わないの問題をとりあげ、何か致命的なミスを犯したかのような言説をとりあげる。フジテレビは、青山氏の取材をまるまる流している。こんなことでいいのだろうか。新聞記事とも違う時系列の話になっている。

本当か、どうかを確かめるすべもない。一方的な非難の連続である。どうして、そんなに菅さんを非難しなくてはならないのか。おかしい。ヘンテコである。

どこからの、どんな意図があるかは、不明だが、いまのこの時期に騒ぐことではないだろう。問題にすべきことでもない。これから、どうするかが、大事なのである。

それにしても、海水注入なんてことは、専門家にとっても、まったく考えていない状況だったのだろう。菅総理が、「詰めろ」と言ったらしい。それはそうだろう。真水がなくなって、どうすればいいのか、詰めなければ行動できない。

原発は一切事故がない、という前提から、すべては始まっている。安全対策然りである。無人ロボットの開発ができていたにも関わらず、「そんなものいつ使うのか」となり、これを採用しなかったという。

その他の、安全対策の検討も、安全神話から、充分やってこなかったことが、わかっている。「もしも」、何ていえば、原発村ではオミットされたという。学者の世界では、助手以上にはさせない、とかあからさまな、差別的な仕打ちを受けていたという。

そういうことこそ、充分な検討が必要だし、非難されなければならない。問題の本質にせまらず、とにかく、菅さんの引き下ろしに、懸命になっている勢力がいる。ネタ探しに躍起となっている。小沢氏らと気脈を通じているヘンテコグループである。

自民党、東電が進めてきた原発政策。その行き着く先が今の現状である。それを、言わずに、「言った、言わない」問題に固執するさまは、異常といわなくて、何と言うのか。菅さんらは、やるべきことをやらないできた連中の、その尻拭いをさせられているにもかかわらず、そうした不満を言わない。

今は、何をすべきかに、集中しているのである。まことに立派である。


「自分さえよければ」対「助け合い」

2011年05月24日 07時39分18秒 | 思考試行

助け合おうという姿勢の勢力と、利権をあさり、ねらい、相手の足をすくおうとばかりしている連中の戦いが、今続いている。

助け合おうという人びとは、自分のことしか考えられない連中のことを含めて、その対象にしているけれども、その相手は、邪魔ばかりする。

自民党は、公明党は、みんなの党は、そのイジワルさを、よく示してくれている。そうだ、君たちは、そういう人達だったのだ。もっと、もっと、その汚さを出してくれ!もっと、その本質をだしてくれ!もっと野次れ!もっと騒げ!

汚さの根源がどこにあるのか。人をクイモノにし、踏みつけにし、利権を確保する。人を差別し、階級を設け、弱者を作り出しておいて、なんとも思わないその価値観。弱者を、あいつらバカですよ!と本気で思っている。

勉強しなければ、ああなるよ!などと、思っている。対して勉強もしていないのに、だ。

汚い本音。すばやく、利権を求めて、動く目、耳、鼻。恥知らずの言動。

クリックひとつで、大金持ちに。

そんなことを、いつまで許しておくのか。もっと、もっと、その汚さのありったけを見せてくれ!!


元はと言えば

2011年05月24日 07時12分01秒 | 思考試行

谷垣さんもエライ役回りを演ずることになったもんだ。原発推進をしてきたのは、誰だったんだ、何処だったんだ?長年政権をとり、国策としてやってきたんじゃないか。いわば、自分達の失敗ではないか。ひとこと、口先だけの責任を言って済む問題ではない。

その後処理を、政権をとった菅さんに委ねざるをえなくなっているのに、よくも、エラそうに、細かいチェックができるもんだ。自分達の反省がまるでない。マスコミも同様。原発推進の旗をふって、今日の事態を招いた一端の責任というものがある。

しかも、事実をネジマゲて、政権側にあたかも、ミスがあったかのように、粉飾さえしかねない調子である。このひどい姿勢には、あきれてモノがいえない。

事故を「菅さんの責任」と言い放つヤカラがいる。それも、放送局のオエラガタがだ。恥じをしらない。見ていて気分が悪くなる。シロをクロと言いくるめる姿である。何がエリートだ。ふざけるな!

しかし、この気分の悪さこそ、健全な印である。これをみて、そうだ、そうだ、などと国民が言い始めるとしたら、人類は、生存していく資格がない。

世界中、へんなところは、イッパイある。人類そのものが、果たして、生きていく価値が、意味が、と考え込んでしまいそうである。

なんとか、いい方向を見つけて、気持ちよく前向きに生きていきたいものである。菅さんらの、仕事ぶりは、やるべきことをやる姿勢がキチントしている。これこそ、政権交代の効果である。

今の時期、利権集団や、ネジマゲグループや、思惑だらけの連中をコントロールして、正道をいくことができるのは、菅さんらをおいてないとさえ思える。このなかで、何が正義か、よく見極めていこう。


発言と訂正

2011年05月23日 10時25分48秒 | 思考試行

菅政権で、内閣参与の発言が、軽いという取り上げ方がされている。事実と違う内容を発言し、それが、訂正されたりすることが、新聞に出ている。

勿論、間違ったことを言うと、それなりの反応、効果があり、被害者がでることもある。間違ったことを言うことは、良くないに決まっている。

それでも、そこに、悪意でなければ、その後処理がきちんとできるのであれば、それは、発言者の誤解があったということ、そして、それが是正されたことを意味するので、発言が、軽い、重いではなく、思ったことを言わなければ、何を考えているのかがわからないから、ともかくも言う方が、良いと思う。間違っていれば、訂正することで、事態の正確な把握につながるのである。

そうではなく、はじめから悪意で、発言するのは本当にタチが悪い。たとえば、今回の大震災での、原発事故を、フジテレビのなんとか局長が、「菅総理の責任だから」ときめつけて、退陣を約束すれば、野党の協力も取り付けられるのではないか、などといったものなど、ムチャクチャな論理を平気でいう。

同席していた細野氏は、それには、関わりない態度をとったが、表情は怒りというものではなく、政治家らしい意味不明の微笑を浮かべていた。そこには、権力闘争の反映があるのだろうか。それともアホなことをいうなあ、ということか。永田町の風景の一端をみた感じである。

そして、この放送局がとったアンケートでは、政府の出す原発情報を、80パーセントの人が信頼していない、という。ホントだろうか。こういう、アンケートの真偽を、まずは、疑う。意図的なのである。菅総理の退陣をなんとか世論にしたいという、どこかの思惑がミエミエである。

この国の、政治家、支配層、権力志向の連中、評論家たちは、「ヘンテコグループ」と「まじめグループ」に、はっきりと分かれてきているように思う。

国民の目は、どうか。騙されやすい人が、かなりいる。子供の目のようなところもある。

ツボにはまれば、真実を知り、ヘンテコグループの長年の支配から、いよいよ、脱却するかもしれない。今度の大震災が、その機会になる可能性もある。責任もない人に、責任を負わせようとしたり、ヘンテコグループの馬脚があちこちで出てきているからだ。

ヘンテコグループよ、おおいに、発言してくれ。黙って、賢そうな顔をされると、ホントに賢いかな、と誤解してしまう。倒閣運動でもなんでも大いにやればいいのだ。その中に、そういう連中に騙されては、いけないことの意味が、はっきりとでてくる。

菅さんらは、本当によくやっている。やるべきことを、やるのみである。それでいいのだ。


浮かびそして動いている存在

2011年05月22日 06時46分05秒 | 思考試行

視野を広げてみると、宇宙の場で、すべての星は、浮かんでいる。そして、その位置は、とどまることなく、猛烈なスピードで、動いている。

日常生活は、地球の重力にとらえられて、浮かぶ体験というのは、特殊だけれども、大きくみれば、浮かんでいるのが、常態であり、本当の世界といえる。

そして、星同士は、相互の距離を変えながら、その場にとどまっていることはない。すべては、動いている。

全体として、浮かびそして動いている。

このなかで、我々は、さまざまな事件に囲まれながら、生きているのだが、こうした全体状況を、いつも意識しているわけではなく、日常の、自分をとりまく状況のなかで、日々を暮らしている。

日々、緊張と戦いの連続という人生もあるだろう。憎しみと悲しみの生き方もあるだろう。そして、自然との豊かな関係のもと、暮らしている人、自然の存在を意識することもなく、コンクリートジャングルのなかで、数字を追っかけている人もいる。

天文の世界は、日常生活のさまざまな事情と、どう関わりあうのだろうか。宇宙の存在の実態、形態、歴史をしることで、日常生活に対する姿勢、考え方に影響があるとすれば、それは、間違いなく、「いい方向」だと思いたいのだが、そうはいえないような、破綻も考えられる。

破綻しようが、うまくいこうが、どっちみち大したことではない、という風になると、人間は、破綻へ向かうのか、それとも、共生することができるのか、どちらへも行けそうだが、ヘンテコ政治家たちは、おそらくは、宇宙のことなんぞ、無関心ではないだろうか、とも思える。

 


政治家と議員歳費

2011年05月21日 06時43分52秒 | 思考試行

仕事の割り振りや、行政の仕方で、業界の浮沈が決まる。労働法制をかえると、今のように派遣労働者が、増えて、正規雇用から、若者たちがしめだされ、それこそ、浮き上がることのできない低賃金労働者として、使い捨てにされてしまう。一億総中流と言われたのが、ウソのように、階層社会ができてしまった。政治は、議員は、絶大な力を持っているのである。

そもそも、政治家は、社会の支配層が、支配の仕組みの一つとして、支配層が、作ってきたものであり、日本の場合、庶民からうまれてきたものではない。庶民は、与えられた条件のなかで、つつましく、時流にあわせて、生活しているのみである。政治家を志すとなれば、たいへんな努力が必要である。

貧乏人のセガレは、おおいに、努力して、その属する階級をあげて、その後に、政治家になっていく。庶民の立場のままから政治家には、なれない。そのようにして、政治家は、支配の立場にいるのである。

そのため、議員は、地盤、看板、カバンを持つものが、その席をしめることになる。地元の有力者、官僚、国の支配層と結託し、世界の動向や、庶民の動向もみながら、政治に参画してきた。多額の報酬を、お手盛りで決め、当然のように、支配者の一員として、セレブとしての待遇を歴史的に受けてきた。

そして、議員としての経歴のなかで、実力を身につけ、徒党をくみ、策略をこうじて、最高権力者を目指すこととなる。経済界の利益を守り、官僚の代表として、また、組織の力を背景にして、議員達は生息する。

こうしてみると、菅さんは、例外中の例外である。政治家の家系ではなく、市民運動の出身であり、考え方も庶民の側に立つことも可能な側にいる。それが、支配層からみれば、危なくてしようがないということだろう。支配層からの「弾圧」が続く。

彼は歳費を、自ら削る。これこそ、従来の政治家の発想ではない。政治家が、本当に国民の暮らしを考え、世界の平和を目指す気なら、セレブであって良いわけはない。彼はその方向へと足を踏み出している。

政治家に関して、そういう考え方が、常識となり、実現したときに、人間社会の基本ができたといえるのではないだろうか。


「国旗」「国家」を言い出したらアホだ

2011年05月20日 07時51分05秒 | 思考試行

橋下知事は、府政改革に相当な成果を挙げているとは思う。すべてがいいのかどうかは、知らないけれども、建設業関係の手続きにいくと、あきらかに、合理的になっていたので、ビックリした。

それから、いいのかどうかは、分からないが、大きな、よくはやっていた府庁内の食堂が、無くなってしまった。外部の人も利用できるが、府職員のための、施設という意味合いが濃かった。安くて、うまかったのである。小生も、よく利用していた。

府がなんで、・・・とばかり、「正論」を、知事が吐いたのかもしれない。彼の目は、随所に光っているようにみえる。あそこで働いていた人達はどうなったのだろうか。配慮はあったのだろうか。

そして、ついに、学校行事における儀式における「踏み絵」を持ち出してきた。国旗や国歌に、起立しなければ、免職する場合もあるというのだ。そういう条例を、多数をしめた議会で通そうという。

これは、象徴的な事件である。職をかけるルールというのは、いってみればどうでもいいところに適用するべきではない。人の考え方の問題の領域というのは、いわば、どうでもいいことで、そこを規律しようとすると、「魔女狩り」のあやまちをすることとなる。

無理矢理、起立せよ、と言われれば、嫌だねという気分になる。強制されればされるほど嫌になる。お願いされれば、いいよ、テナもんだ。しょうもないことを強制して、支配力を強めようというつもりらしい。それは、アホのやることだ。


西岡参議院議長のヘンテコさ

2011年05月20日 07時28分33秒 | 思考試行

おかしいと、うっすら思っていたが、この人は、やはり、おかしい。菅首相に、退陣をせまる発言をはじめた。同じ民主党にいた人である。小沢氏らと行動をともにする気らしい。

この人は、「国会議員のイカガワシサ」を、体現しているような雰囲気を漂わせている人である。策士とか、政界の裏面、事情に詳しそうで、いかにも古いタイプの政治家という感じを受ける。

普通の人は、あんな表情はしないだろう、という表情をする。政治家の極致の姿という印象である。政治家以外の人が、あんな表情、態度で、果たして生きていけるだろうか。

まさに、権力を背景に、モノをいう、みたいな顔つきである。どういうわけか、人間を判断するのに、顔つきというのは、大きな判断材料である。

人を脅すときは、それらしい顔をする。苛める人の顔は、そういう顔である。心から、何かを慈しむ顔というのは、すぐ分かる。と、思っている。

なかには、演技や、例外もあるかもしれない。だが、概ね、生活のなかで、多くの人に会い、接触してきたら、人の表情を、見分ける能力というのは、ついてくるのではないだろうか。西岡参議院議長は、なんだか、「正義の味方」とはみえないのだ。

古い利権勢力の、一翼だな、という印象が強いのである。