このたび突然の「たちくらみ」失神発作が起きて、救急車で搬送され、いままで心臓関係の罹病歴があることから、この際、原因を見つけようということで入院となった。
ところが腎臓の数値が悪く、まずは、腎臓の数値を、心臓検査ができるところまで改善したうえでということで、早速治療にとりかかる。
その結果、直近の数値は改善されてきたが、正常値には遠い。ただ、正常値になるまでには、かなり長期入院となりそうなので、事情もあって、退院の希望を述べたところ、過去の治療歴から退院ができるとなって、1週間ほどで、退院が実現した。
この間、時間はたっぷりあったので、あれこれ思案する。テレビをみず、新聞もよまず、差し入れの文庫本を読むだけ。こういう時間も必要かもしれない。
イスラエル―パレスチナ、ロシア―ウクライナ、中国の動きが気になる。日本だって、唯一の被爆国として世界にむける姿勢は、適当とは思えない。
何か共通して、人類の克服しなければならない課題の解決のために、しっかりした方策がうたれて、着々と進行している、と言う風には見えない。
本当に、世界をよくするために、という視点が、どこも共通して、ないように見える。自分の国の都合だったり、リーダーの個人的な「こだわり」だったり、固定的な観念だったり、相容れない価値観の衝突が目立つ。
組織内の価値観の衝突がないのは、独裁者がリーダーであれば、実現するのだが、それは歴史をみれば、いいものとの結論は、到底出せない。
意見、見解をのびのびと述べあい、みんなが納得できるようなことになればいいのだが、それが難しい。力関係がはっきりしていれば、その単位で独裁が始まる。独裁者に従うことで、もめごとは起こらない。それでいいはずがない。良い世界にはみえない。
組織として、異論がでても、きちんと意見交換ができ、気持ちよく、組織運営ができる世界にならなければ、そんな組織は、まともとは思えない。はたして、そんな組織があるだろうか。
たまに、会社組織でそんな会社があったりする。新入社員がみんな成長し、元からいる社員も生き生きとして事業展開をしていて、業績もよく、成果を従業員にも反映している。経営者が、理念が素晴らしいのだろう、立派な会社が現実にある。
やればできるはずである。政治の世界だって、地方自治体で格別の子育て対策に力をいれて、流入人口が増えているところもある。いいところにはみんな住みたいのだ。欠点があろうが、改善可能なこともあるはずである。
人類が、うらみつらみ、勢力争い、昔はこうだったから、取り戻したいだの、とても公平とは思えない、思い込み、価値観のもとに、こだわって生きていたりするのは、本当になさけないことである。