空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

春山に 清流の音 こだまする。

2007年03月22日 07時37分57秒 | 思考試行
 昨日、春分の日を迎えて、父が、今晩か、2ないし3日だろう、と医師に宣告されてから、2週間を経過した。高齢故に、今後、どう変化するかは、わからないが、数値は改善にむかい、本人の状態は、小康状態を保っている。一時の、落ち着かない日々は、まるで、ウソのように、今は、落ち着いた暮らしとなった。病院通いは、変わらないけれども、明らかに猶予は与えられていて、質的な変化が、家族の中に、生まれてきている。

 さて、私のブログ生活は、3月をこえることとなった。思うに、擬似作家生活をすごすことができた日々であった。ip数や、pv数に励まされ、連続して更新することができるという体験をした。知人には、ブログをしているとは、話していたが、ついに、タイトル名をいうことはなく、ここまできた。したがって、ここで、ブログを一旦休むにあたり知人に関しては、挨拶の必要はない。しかし、いままで、読んでくださった皆様には、ご挨拶をしなければならない。

 ころは良し、4月を迎え、学校は卒業、入学のシーズンであり、新学期が始まり、会社や、国や、多くの組織で新年度となる。私も、卒業の時期を迎えたいと思う。

 このブログでは、総論を語りたかった。我らみな宇宙人であり、それ以下の、セクトにこだわる「愚」を告発してきたつもりである。この一点のみが、ブログを書いてきた動機である。量子的にみれば、スカスカの無に等しい我らの存在でありながら、一定規模の視点でみれば、我らの日常世界が現出する。この不思議さ。そして、世界で、社会で繰り広げられる日常世界の進歩具合のこと。宇宙人としての視野の確保が、今、本当に重要であり、意味のあることだと強調して、このブログのお休みの、ご挨拶としたいと思います。長い間、お付き合い下さり、まことに有難うございました。

 最後に、父親の病室では、酸素を常に供給されているのであるが、チューブの根元に、透明な、小ぶりのボトルがついていて、加湿するためか、酸素はこのボトルの、水を通って、鼻へと送られている。この、水の音が、なかなかいいのである。
そこで、一句をものしたので、絵手紙にでもして、父親の病室の、テーブルの上にでも、おいてやろうと考えている。これは、起床前に、布団の中で、思いついたもので、妻には、布団のなかで、披露をしておいたが、おそらく記憶にはないだろう。しかし、この一句が、いわばこのブログの書き手が、私であったという、証拠になるわけで、いわば、暗証番号の役割を果たすこととなる。

    春山に 清流の音 こだまする       「空をみながら」子

哲学がいる。

2007年03月20日 08時32分31秒 | 思考試行
 専門家というのは、専門のことはくわしいけれども、それ以外のことは、素人であり、一般の人々となんら変わりはないということは、案外知られていないのではないか。

 医師であるとか、弁護士、政治家、高級官僚、大學教授、芸術家、などなど、いわゆる名士とされる人々の、総合的な力量、常識、科学的知識など、あまり、語られていない。

 彼らの、専門的分野における、権威が、全人格にわたって、質的に違うかのような扱いをうけ、彼ら自身が、誤解している向きがある。

 昔、クイズ番組で、漫画家、大學教授、芸能人など、分野のちがう人々を解答者として、掛け率をかえて、得点を競うといったのがあったが、漫画家が常に、掛け率が低く(彼は、なんでもよく知っている。)実際得点は高かった。

 漫画家は、取材を怠っては、商売にならないから、実によく勉強しているのである。専門家としては、幅広く、なんにでも興味を抱く姿勢を、最も求められる職業と言えるのかもしれない。

 弁護士といって、なんだか、偉そうにしているのがいる。法律には、当然詳しいのだが、はたして、彼に死角はないのだろうか。人によるのは、当然であるが、弱者の気持ち、がまったく、理解できないのがいる。考えたこともない様子である。

 そうかと思えば、才能に満ち溢れているのに、奉仕にのみ、考えがいき、自身の才能を生かしきっているとは、いえないような人もいる。

 おそらくは、自分の欲望との、調整をうまくやり、社会的にも、貢献できるためには、そのための哲学が必要である。

 健康な哲学をもち、自身の努力と、他者との関係において、いい関係をもてることが、望ましいと思う。

 人間の目標は、こうした哲学をもって、生きることにあるのではないだろうか。

 そこで、小生といえば、それを望むばかりの、欲ボケのオッサンである。奉仕の精神の弱い、自己中心的な欲望に振り回されている、というしかない。

 それでも、それではねえ、と思っていることが、救いといえば、救いかもしれない。目を三角にして、利益追求にのみ関心があるわけではないからだ。



 

労働行政がおかしい。

2007年03月19日 08時25分13秒 | 思考試行
 機械は、動かさずに放置すると、どこかに、不具合を生じる。メンテナンスが必要である。

 人間も同じで、たえず動き、活動しなければ、必ず退化し具合が悪くなる。

 いつまで、どこまで、やるのか、アクシデントのない限り、可能性を求めて、前進する他、生きる道はない。

 やすらぎは、そのあとに、やってくる。

 新しいタネを見つけて、育てる。そこに生きがいがある。

 どんな些細なことでもいいのではないか。安部公房さんの「砂の女」という小説がある。とらわれた主人公が、自力で、水を獲得する手段を、見つけ出して、生きがいを見出す、というような筋書きであった、と思うが、日常生活の中で、こうしたことは、常にあるのではないだろうか。

 何かを始めること、そして、継続すること、そこにしか、活路はない。

 とはいいつつ、政治の影響が大きいのだが、労働行政の貧しさのために、意欲ある若者達を、いじめ、つかいすてにして、いま、社会をゆがめてきている。動きがいのない、ものにしてきている。

 富裕層に迎合した、かれらの言い分に、従った、こんな変な政策をいつまでとり続けるのか。将来の見通しのたたない状況に、わかものたちを、追い込んでいる。

 いつの時代もそうであるのだろうが、力の強いものは、より強くなろうとしたがる。力のみをもとめ、それ以外に、価値を認めない、という輩がいる。

 本音のところで、弱者を使い捨てにして、心の痛まない連中である。弱者を軽蔑し、馬鹿にし、自らの利益をうみだすための、利用の対象としてしかみない。

 こういう連中は、少しつきあってみれば、わりと簡単に発見できる。

 駐車違反の取締りが、強化されたが、同じように、このような連中もとりしまるべきである。

 そのために、何をするのか、まずは、そういう政治の現実を暴くこと、その背景にだれがいるのかを、明らかにすること、具体的にそういう連中を指弾すること、である。彼らの、具体的な、シワザを、記録し、告発の準備に入ろう。

 いつまでも、こんな状況をみすごしてはいけない。

 人間は動かなくてはならない。どう動くのか。舞台装置がこわれていては、人生劇場もいいものにはならない。

 まずは、労働行政が問題である。この舞台装置に、注目しつつ、足元から、行動を始めようではないか。派遣業法や、その他の脱法行為を告発しなければならない。 やらなければ、はじまらないのである。

ネコ社会に学ぶべき。

2007年03月18日 08時20分17秒 | 思考試行
 猫を、全部で7匹飼っている。3匹は、おおむね屋内で、あとは、庭にいる。庭の猫は、隣の家との間であるとか、当方の物置にその寝場所を確保している。彼らとの付き合いは、もう何年にもなる。

 避妊、去勢手術をゼンイン行い、それから、安定して、付き合えるようになった。いわば、死ぬまでの間のつきあいとなって、単純化され、限定的になったことで、激しい変化の妙は、味わえなくなったが、静かな変化の妙を楽しむこととなったのである。

 実際、彼らは、それぞれ、性格はことなり、こちらとのやりとりについても、みんな全然違うので、飽きることがない。それぞれ、自分をもっており、バランスを保ちながら、生活をしている。

 我ら夫婦も、その中に組み込まれている感じであり、格別特別扱いを受けているわけではない気分である。エサを供給はしているが、それは、アンタタチの役割だろうという風情であり、尊敬や、感謝というものは、うすい。

 特に、屋内猫については、顕著でエサをいれても、すぐには、よってこず、しばらくして、注目していないな、と思われる充分な時間をとって、カリコリと食べるのもいる。

 そこへくると、庭猫は、戸口で、朝晩ガラス戸ごしに、その姿をみせて、ひたすら、我らが現れるのを待っている。なにか、用をしていて、忘れていたときに、ハットして戸口をみると、待っているので、驚く。

 我慢強く、そして、彼らは、食べる前に、こちらへ、身体を押し付けたり、ひとしきり、周りをまわったりして、感謝の意を示すものもいる。全員ではない。しないのはせず、えさを入れ終わるまで、遠巻きにして、待っているのもいる。それぞれ、違っていて、しかし、そのことについて、違和感を覚えることはない、それぞれ、それで、自然であり、全体としては、調和がとれている。

 なんとも不思議である。人間世界も、おそらく、同じであるように、思える。みんな個性的である。あまり、干渉せずに、お互いの好みで、生きていくことを保証する制度を考えることが、いいのではないだろうか。

 人様に、国旗をみろだとか、国歌を歌えだとか、国家を尊敬しろだとか、妙なオシツケは、時代錯誤であり、自然に反する行為ではないか。もっと考えて、政治は行わなければならない、と思う。

 大きな流れの中で、不本意に、流されていくのは、本当に生きたといえるであろうか、自分の時間、自分のことを、もっと考えて、そのなかから、他者との関わりについて、深めることができるのでないか。

 仲が良いときばかりではないが、人間は一人では生きることができないし、つまらない。良く生きるためには、相互に必要であり、その関係性についても、考えなくてはならない。それができて、人間になったといえるのではないか。

 自分たちさえ、よければ、であるとか、セクト主義的に特定の価値観に基づく、集団行動は、時に誤る。国家、民族、宗教、政治、なにかの利害で、組織をつくり、その成果をめざしていくなかに、病気の元が、隠れている。

 社会を、健康なものにすることを、願いたい。その意味では、ネコ社会は、結構参考になるのではないか。

変わる。

2007年03月17日 09時58分53秒 | 思考試行
医師が、今晩か、2,3日と「宣告」してから、9日経過した。説明を受けた時には、データを示し、CT写真を見せてくれた。なるほどと、納得せざるを得なかった。

 そのとき、人はみな、それなりに、覚悟を決め、考えを深め、対処する。それぞれ、動きには、個性があり、興味深いものがある。

 そして、その日がすぎたとき、事態は、新たな変化をみせる。緊張は、持続せず、次のステップに上ったような気がしてくる。落ち着いて、対処する気になってくる。

 日常に戻ったようで、前の日常ではない。前より、良くなっている、と思える。

 それは、一連のことが、決して無駄ではなく、意味があったのだ、というように思えることが、裏づけとなっている。

 医師は、あらためて、説明をしてこないが、私とは、別の時間帯で病院にきていた弟に、数値が改善していることを述べたと言う。

 父の様子をみていて、そうだろうな、とは思っていたが、弟からきいて、はっきり安らぎを覚えることができた。

 そのことを、父に伝えると、その翌日は、さらに良くなっていた。以前の状態については、なにも話してはいないから、数値が悪かったことは、知らないのであるが、なにしろ、苦しかったから、本人としては、理解できる話であり、自然な運びに思えたことだろう。

 まさか、自分が死ぬことを、周囲が覚悟していたとは、思わないだろうから、本人のみは、意外でもなんでもない。

 呼吸も、楽になり、突然襲う身体のビクビクも起こらなくなり、尿もしっかり出るようになった。この調子で、退院できればと思う。たとえ、歩けなくとも、いろんな手段はあるので、それこそ、新しい人生が始まるような気がする。

 歩けている時は、当たり前であるが、終わりだといわれてみると、どんな風であっても、命があるほうが良いのは、事実であって、そのことを思い知らされる。

 そして、生きていて良かったと、思えるようなことに、遭遇し、それは、おそらくありふれたことだと思うが、感じられたら、こんな素晴らしいことはない、と思う。長生きをしたといっても、充分生きたとは言いがたい現状を、ムスコの目からみても、前進の余地が、見えるからである。

 本当の喜びを知らない、ような気がするのである。世代によって、取り巻く時代環境が違う。戦争に大きく影響をうけて、価値観にも刹那的なものがある。なにしろ、赤紙一枚で、自分の全人生を、束縛されてしまうのである。いま、憲法改悪にむけて、動きが始まっている。戦争で命が変形される実例を、目にしている思いがある。

 

 

信頼して生きよう。

2007年03月16日 19時36分36秒 | 思考試行
 未来永劫人間はいきるわけではない。そのときは必ず来る。振り返ってかなり生きてきたなあ、という感慨があるのであれば、それで良しとして、「カミサンの思し召し」にまかせたらいいのではないか、という心境に立ち至る。

 考えれば、いろいろあった。私の人生をふりかえってみても、それほど、誇る人生ではないけれども、あまり、人様に非難されることもないとすれば、それで、いいではないか、とも思う。

 思い込みで、間違いであった、という事件についに遭遇した。永年、思い続けてきたことが、全然間違っていた。この年になって、こんな風になるとは、思いもしなかったが、事実が判明して、それは良かったのであるが、自信を失わないのは、どういうわけか。

 それは、語調強く主張しながらも、逃げ道を、一応は準備していたからで、その辺は、年の功というより、イヤラシサということだろう。

 思いもしないけれども、その用意だけはしておいて、もし、自分が正しいのであれば、それで良しとして、万一まちがっていれば、逃げ道を残しているという、いやらしい領域をキチンと確保しているところが、気持ちの悪いところといえる。
 
 しかし、そのおかげで、決定的な立場に立つことはない。ただし、自分が正しいことを、前提として、確信して、話しているから、端々にそれが自ずと現れる。
謙虚な姿勢を保ちつつ、その実背景の「自信」の表現を、続けることとなる。

 これを、はたからみていた家内に言わせると、自信に溢れて、迫力ありすぎだったといわれてしまうこととなる。

 後だしで、いろいろ言われても仕方がないが、ここは、やはり、謙虚に反省して今後に生かして生きたいと思う。本当に、口から出す言葉は、簡単ではあるけれども、その効果は大きいものがある。

 とはいいながら、あまり、気にすることなく、自分の思うまま、そのままに話せばいいのではないか、とも思う。自分で完璧にしようなどとは思わず、そのまま言えば、間違いであれば必ずどこかで、補正してくれることになるのではないかとも思う。

 甘えればいいのではないか。そのために起こる現象は、すべて、自分の成した行為の結果であることを、認めてそれを受け入れればいいのであって、逃げる必要はないのである。

 信頼して、自分のいいたいことを言う。それを受けて、心ある人々が、証拠を示してその誤りを指摘してくれるに「ちがいない。」


 

いい人はいい。

2007年03月14日 08時56分27秒 | 思考試行
 優しい人がいる。病院で、看護師さんたちが入れ替わり、たちかわりやってくる。当然、声のかけかた、表情、仕事の仕方、などみんな違う。マニュアルがあって、やるべきことは、きまっているのだろうが、この個性の違いというのは、その方の、生きてきたその歴史にあり、また、資質もあるのだろう。

 皆さん、本当によくやってくださる。そして、なかに、本当にこんな人もいるのかと、感動させてくれる人がいる。言葉にすれば、優しい、としか思い浮かばない。

 表情が、魅力的で、心底患者のためにと思っておられることが解る。そして、驚くべきことに、どうやら、見舞いにくる家族の様子にも目を配っているらしいことだ。それも、管理上必要だから、ということだけではないようで、その配慮に気付いたとき、こちらは、その優しさに圧倒された気分である。

 そういう人がいること、そのことが、人生の喜びに通ずる。いい人はいい。という言葉を、教科書でみたことがある。当時小学生で、クラスではやり言葉になったことを覚えている。まさに、いい人はいい、である。

 父の入院は、さまざまに、家族に影響を与えているが、この人に会えたということは、本当に、喜びであり、入院のおかげであるともいえる。なにがよくて、なにが悪いのか、本当に、人生は意外なことが起こる。

真実一路

2007年03月13日 09時15分43秒 | 思考試行
 文章で書いてしまうと、非常に明快で、それ以外の考え方をしていないかのようにみえる。今まで、書いてきたものを読み返すと、真意がかけていず、一面を誇張しているところがある。わざと言い切ってみたり、表現に適当とは思えないところが多々ある。つまりは、ウソである。こんなものを読まされる方はたまったものではないが、しかし、ケシツブの本音もまざるので、まるっきり虚構ともいえない。

 悪意とか、恨みとか、基本的には、感じないので、あまり悪口めいたことは、言ったことは、多くはないと思うが、と書くといかにも温厚な、性格であると、自己認識しているようであるが、その実、反省してみれば、けっこうケンカしてるし、怒り心頭で、文句もたれている。それほど、きれいにいいきれない。

 影では、結構口うるさいオッサンといわれている、雰囲気は感じている。妹あたりが、やんわりと、オトウサンに似ているところが、あるようだから・・・などというと、誰が、どのように考え、どう伝わったのか、ということの、類推はつく。
 自分に心当たりはあるし、面従腹背の経験もあるので、そういう仕儀に相手を追い込み、妹に、そのウップンをはらしたな、とか思うのである。どう考えるかは、みんなそれぞれ勝手であり、そうした事態に立ち至るのは、自分の責任でもある。

 要は自分自身が、自分を騙さないことだろう。恥じない行動を、心がけ、なんといわれようと、良かれと思う方向で、動いていくしかない。そのなかで、相手のことも、充分考え、配慮し、対処していくことである。そのためには、誤解、嫉み、ねたみ、なんであっても、プロセスとして、見守り、一喜一憂はしないことである。

友達家族

2007年03月12日 09時10分10秒 | 思考試行
 昨日は、日曜日で、弟家族が一家で、見舞いに来る。弟は、8歳年下だが、子供が3人いる。一番下が、今春大学生になる。一応みんな大人の領域になっているはずであるが、「友達家族」というのか、挨拶ができない、自分たちのことだけに関心があり、世話になっているとの意識はなく、感謝ということを知らない。といったことに、明確に気付いた。

 アトピーなのか、肌が痒そうで、体型も変である。なにを食べているのだろうか。手作りの料理は、ほとんどしない、と過去に聞いたことがある。

 母親の体型が、もっとも変である。まとめて、思い返すと、結局のところ、子供状態のままで、大人になってしまった感がある。脱ぎ捨てた靴はそれぞれ、バラバラで躾けられたことのないものの特徴を、如実にしめしている。

 観察すれば、指摘すべき点がすぐに、浮かび上がる。はて、どうしたものか。変にこじらせると、子供だけに、対処が難しいかもと余計なことも思う。

 本来なら、避けたいところであるが、相手は「利用」することには、聡いところがあって、妻はそのことを、思い出し、夜になって、胃の調子がおかしいと言い出した。

 さて、対処をどうするか。やるべきことを、したたかに、しなやかに、彼らを教育していくのも、仕事と考えて地道にやっていくしかないのだが。

 

自分のペースで。

2007年03月11日 16時36分46秒 | 思考試行
 病状は、一進一退で、完全な回復は、望めないにしろ、体調のいい日は、食欲もあり、意識も鮮明で、明るい雰囲気が流れる。悪いとなると、話すことも相当エネルギーを要するので、目を開いていても、意識があるのかどうか、も定かでなかったりする。

 帰り際に、その旨言うと、思わぬ鮮明さで、返事をくれる。ほんの、一言しゃべってくれるだけで、安心する。みんな微妙な変化に敏感である。

 しかし、時間をくれていることは、有難いことである。さまざまに考え、うろたえ、人生を味わっている実感がある。そして、あるべき方向を、なんとなく、みんなが把握していく感じがでてくる。

 長生きして、最後の瞬間まで、やはり、精一杯努力を続けることが、周囲に対しても、いい効果を与えている。

 あわてず騒がず、じっくりと、自分のペースで生きていくほかない。

総論

2007年03月10日 08時41分17秒 | 思考試行
 人間同士の付き合いについて、方法は一つではないことはわかる。人の数だけあるのだろう。結局、思いやりとか、優しさ、自己中心的でない、など、人のために行動することを、忘れていない人というのは、周囲の人間にとって、非常に有用であり、都合のいい存在であることは間違いない。

 また、人はそこにしか真の喜びは感じられないのかもしれない。心底にそういう思いがあって、行動できる人は、まさに、自己実現のできた人ということになる。

 ところが、人は自分の欲望を離れて生活はできない。その矛盾する対立は、どのように、解決すればよいのだろうか。

 これは、解決できない、問題であって、両方かかえながら、すごしていく他ないというのが、私の解答である。そんなことは当たり前といわれるが、それでいいのだと思う。

 もっと、いい解決方法があるのだろうか、と探すことは、しかし、やめてはいけないように思う。総論というのは、だいたい、簡単で、味のあるものにはなりがたいし、なんの解決にもならないから、あまり、語られることがないように思うが、しかし、大事であることには、異論はないだろう。

 多くの各論を重ねるなかで、みのり豊かな、総論が生まれるし、それは、みんなの財産になることは、間違いないのではないか。

お湯割り復活。

2007年03月09日 23時24分34秒 | 思考試行
今日は、非常に元気である。昼食のおかゆを、ほぼ全量食べた。食欲はないようだが、頑張って食べている。朝食も、ミルク及びパンを全部食べたという。

 もう先がない、という医師の診立てに間違いがあるのでは、と思う。全体としては、回復が難しいのはわかるが、尿もまた出てきているし、一本調子で悪くなるのではなく、徐々にということなのであろう。

 関東から、妹の婿も明日、見舞いにくるという。家に泊まることになるだろうが、これへの対応が、また大変で、客を迎えたことの少ない彼らにとって、その負担はあまり、感じないので、妻のプレッシャー、ストレスが気になる。

 弟から、夕刻電話がはいる。やはり、調子はよくなさそうである。時間帯によって、大きく容態は、変化しているようである。医師は姿を見せない。

 あまり、集中すると、待っているようなムードがでてくるような気がする。今日から、日常生活の態度に変えることとする。考えるべきこと、やるべきことを、順にやっていくしかない。

 焼酎お湯割りを復活する。

「帝国軍人」の微笑

2007年03月08日 22時33分36秒 | 思考試行
 覚悟はしていたつもりだが、やはり、眠りは浅く、少し変だ。しかし、仕事はドンドンこなしておかないと、気持ちが落ち着かない。なんとか、片付け病院へいくと、医師が待ち構えていて、説明をしてくれた。採血の結果、尿の量が少ないことから、人工透析のレベルまで悪化している。全身に汚れたモノがたまってくる。細菌の巣と化した肺の片方が、ついにその機能を閉じた。次々と数値化されたデータが開示される。ついに、今まで口にしなかった、見通しを聞いてしまう。

 待っていたように、医師は、アッサリと、いった。早いと、今晩、2ないし3日間ぐらいと思われるとの診立てである。しかし、意識はクリヤであり、酸素濃度をあげていることもあって、息苦しさはない状態で、とてもそうは思えないでしょうけど、という。徐々に全身のバランスが、悪化していく道中とはとても思えない、表情をしている。

 兄弟や、孫たちが次々と病室を訪れ、本人もある種の覚悟をしている風情がみられるようになってきた気がする。毎回、じゃまた明日くるわ、というと、即座にオーといっていたのが、ジーット見て、少し間があった。そして、すばやく右手を肘で折り曲げ、敬礼のポーズ。一瞬、ホンモノの「帝国軍人」がみえた。命をかけさせられた、戦争に参加した人の姿である。演技ではない。別れの挨拶をうけた気がはっきりした。

 そして、今日は、家族を病院へ送り届け、急ぎの仕事をこなしていく、朝、出かけるときに、「どこへいくのか」と質問、具体的に仕事の内容をこたえる。復唱する。嫁ぎ先の関東から帰ってきている妹はおどろいている。

 そして、夕方弟も仕事をぬけて、病室にきていた。私のことをまだか、と聞いていたという。日頃、病院への付き添いにきていたし、今回の入院に関しても、最初から、一日も欠かさずきているのは、私だけだから、当然といえば、そうだが、みんなに、ちょっとしたヤキモチをやかれる始末である。そして、なんともいえぬ微笑をうかべた。弟が、こんな顔はみたことがない、インプットされた、とさわぐ。

 恥ずかしいぐらいに、確かにいい顔である。絵がかけたら、将来描きたいと思う。モチーフができた。昨日の「帝国軍人」が「菩薩」になっている。危ない、人前でなきそうになる。私ももういわば老人だぜ、と言い聞かせなければならない。

 冗談にまぎれて、一日つきあっていた家族を連れ帰らなきゃね、と、じゃ明日また、というと、はっきりと、明るく即座にオーとこたえた。ドラマみたいな、演出だぜ。

ほんとうに無理?

2007年03月07日 08時41分30秒 | 思考試行
 昨日は、あわただしく、というのは、「いつ何があってもオカシクナイ。」の医師の電話を、深夜に受けたものだから、そのときの段取りが、頭に浮かび、消えするものだから、どうしても片付けておかなくては、と思うものを、済ませておくことに、こだわったからである。

 考えればそれも、大したことではないのは、当然なのだが、渦中にあっては、やってしまわねば、と思い込んでしまう。

 ところで、病院へいくと、けっこう元気で、自力の脈を打ち始めているという、医師も首をかしげている。私のなかで、在宅で最後をみとるのが、スジではないかと思い始めている。いまは、大勢のスタッフのおかげで、なんとか、本人は、文句をいいながら、(苦しいので、当たり前のことなのではあるが、)生きていることができているのだが、在宅でそんなことは、不可能とおもいこんでいたが、ここまでくると、介護の大変さを、きちんと体験することも、人生のカリキュラムの大事な要素の気がしてきた。

 父は、自分の母親の世話をしていた。昔のことで、病院へ入ることなく、エンエン何年にわたるのだろう、介護を続けた。いまさらながら、頭が下がる。そのことを自慢げに話すことは、なかった。

 私は、在宅では無理であると、医師にもはなしていたが、あるいは、本人は、口にはしないが、在宅を希望しているかもしれない。本人にも在宅は、無理といっていたが、それは、母や、妻の状況からいっていたので、お前はどうなのか、と自問自答したわけではなく、あまり、考えもせず、無理無理と結論付けてきていた気がする。

 大小便の処理は、これは、自然のことであり、これを扱うことは、人間にとって当たり前のことなので、そんなこともできずに、人間を語る資格はない、のかもしれない。それをしてきた人と、しなくてすんだ人との差は、当然あるのだろう。

 母は、当時外へ働きにでていた。それが、母の自慢でもあるが、それは、逃げの手段の一つであったかもしれない。それは、少し酷な言い方かもしれない。その後父親の「しょんべんまき」事件に何度も遭遇しているし、その種の世話は、何度もしているのである。やっていないのは、私なのである。

 仕事と、覚悟の問題で、無理無理といってきたが、ここで、やはり、本人の意向をキチンときいて、やるべきことをやる時期がきたのかもしれない。

味わいながらいこう。

2007年03月06日 21時45分30秒 | 思考試行
 昨日深夜医師から電話あり。なにがあってもおかしくない状態であるという。しかし、今すぐ来いというわけではない。在宅の仕事で遅くなる。なんとか、片付けて1時半をまわるが、果たして眠れない。朝方漸く2ないし3時間眠ることができた。

 今日は忙しく、やるべきことをやる。仕事を終えて、病院に夕刻駆けつけると、自力の脈が回復しているという、だるさを訴えるが、結構元気を回復している。医師も意外の様子をみせている。東京から、駆けつけた妹も、あまりの元気さに、ビックリ。

 今日か、明日か、と思わされ、そのつど覚悟するのだが、徐々に事態が進行していることは解る。少し好転したからといって、わずかのことであるのだが、大きくみえてしまう。このようにして、納得をさせられていくのであろうか。

 大口のお客との対応を終えて、少しホットする。別にどうとでも対応できるのだが、きれいに片付けておきたい気分が、慌しくさせている感がある。何もかもなげすてて、気軽な気分で、すごす毎日がくるのだろうか、という気分がでてくる。

 今、すごく眠い。おそらく今日はさすがに、よく眠れるのではないだろうか。
はらをくくっていくしかないのであるが、悟っていない凡人の悲しさである。それは、それで、味わいつつ生きていくしかない。