葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

喪主さんのしごとは

2007-12-06 16:44:24 | 道順庵の家族葬
喪主になると短時間に決め無くてはいけない事が山ほどございます、

参考書は、「失敗しないための・・・」とか、「葬儀のマナー・・・」云々

といった本が多くでております。

はて、本当は、喪主の仕事はなんでしょうか、

「あれも決めて、ここであいさつ、え~と親戚のホテルはと・・」

あまりにもすることが多い上に、親戚に連絡するのを忘れたりしたら、

田舎の方は「外された」と怒り・・・!、生花を頼まれて、名前を間違えたり

てんやわんやの状態で、通夜を迎えます・・・・

そして挨拶・・・を考えねば・・・


葬儀なのに、故人様はどこに行ったのでしょうか・・・

喪主様は、少しでも多くの時間を故人様のそばにいてあげること、

上手に失敗の無い葬儀より、慣れない葬儀を精一杯つとめること、

出来そうでできなかったことですね・・

でも、

葬儀は、だれのためなのでしょうか・・・

喪主さんのためですか、

家族のためですか、

昔、他の葬儀社さんから聞きました、「会社の方が見えて、お帰りのとき」

玄関まで見送りに行きました、「弔問の方を見送るのは」

「失礼に当たります」・・・という話しです、

「故人様より」「弔問のかた」が大事なのでしょうか・・・

どんなに偉い方でも、「見送らない方が」正しいのです・・・と、








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いきるための現実

2007-12-06 09:40:33 | 道順庵の徒然草
道順庵に来ますと現実離れした佇まいからして、

何となく現実の殻から抜け出た気持ちになります。

趣味や道楽でしたらのんびりとした気持ちですごせるのですが、

そうはいかないのが現実なのです、生きるためには「現実」の諸問題を

クリアしていかなければならないのです、

道順庵に係わってばかりもいられないのが現実です、

いろんなことをしながら、それでも道順庵に来たときに「ほっと」するのは

「他の現実の世界」があるからなのでしょう・・・

世の人もすべての人が現実と非現実の狭間で生きているはずです、

生きるための現実が「終焉」を迎えたとき・・・

そのときの道順庵でのやすらぎは・・

「ほっと」する瞬間なのでしょう・・・

もっと・・もっと・・夢とか、非現実の世界とか・・

あったら・・・・



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