葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

花環の時代から

2006-11-13 14:32:06 | 作務衣はじめ 昔話
約10年以上も前の話ですが、

当時はまだ自宅での葬儀が主体でした。

花環(はなわ)と言って外に大きな造花の輪の飾り物で大きな名前が書き込まれます。

その花環の数が葬儀の大きさの規模を表現いたしておりました。

花環の100本も出ると、それはもう・・お大臣クラスみたいな・・荘厳な感じです。

時代は変わり、バブルがはじけ、格差社会の現代は、

ほとんど花環が出なくなりました。

結果、花環屋さんが食べていけなくなり、葬儀社を始めたりするところが増えてきました。

葬儀の形態が自宅から式場へ変わり、街の中の式場では花環が物理的に不可能という地域が多いのです。

花環が出せない=見栄を張れないという事は=お金を使いたくないという事・・・等考える人も多くなりました。

花環の時代の終焉は見栄の張る時代の終わりを意味します。

すると、今度はお葬式に何を求めるのでしょうか・・


家族葬の存在・・・なんとなく解りかけて来ました。

お金は、自分たちに関わる部分に掛けたいということが、

定着しつつあります、

本当に必要と思えることだけに、費用を掛ける。

しかも、なるだけ負担の少ない方法で・・・

でも、くれぐれもお金だけでは判断しないように・・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする