いやー、エヴァ完結とともに「ついに現実のものとなったか……」といった感慨を覚えますね。
閃ハサ、ついに映像化が実現しましたね。
というわけで「機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ」、見てきました!
まあネタバレに関しては別に隠す必要も無かろうということでネタバレ反転はしません。
さっそく感想をば。
原作小説の方は恐らくちゃんと通しで読んだことはないような気がする。
ラストのオチについては知ってます。
全体のストーリーの方は大まかには知ってる状態ですかね。
ゲームなどではちょくちょく出てきた閃ハサですが、本格的に映像化したのは今回が初めてなので、キャラクターのデザインが明確化したのは今回が初めてと言っていいでしょう。
ハサウェイとケネスに関してはおおむねイメージ通りと言った感じ。
しかしハサウェイも大人になったもんだなあ……。
非常に印象的だったのが本作のヒロインであるギギ・アンダルシア。
彼女の印象がすごく不安定なんですよね。
恐らくこの不安定さは意図して造形された不安定さだと思うんですが、ときには成熟した女性に、ときには幼い少女のように見える彼女の造形は、なんだか視聴者=神の視点・第三者目線で描写されているというよりも、ハサウェイの彼女に対する印象が色濃く反映されているようにも感じられました。
不安定と言えばハサウェイも不安定なんですよね。作中ではマフティー・ナビーユ・エリンという偽名を名乗っており、2つの身分を持っているせいもあるのに加えて、確固たる信念を持っているように見えたり、ただ単にマフティーの活動や信念に盲目的にのめり込んだりしてるだけのようにも見えました。
本作のキャッチコピーの一つが「シャアの理想とアムロの情熱 2人の意志を継ぐ者」とありますが、ともすれば本作のハサウェイはシャアとアムロの不完全なデッドコピーに見える気もします。
このへんのキャラ造形は非常に印象的でしたし、非常にトミノ的でした。
次、MS戦について。
わたくし、全ガンダム作品の中でもっとも印象に残っているシーンをひとつだけ上げろと言われたら、F91の冒頭でGキャノンの空薬莢が一般市民に激突するシーンを上げるくらいあのシーンが印象に残ってるんですが、本作における市街地での戦闘は完全にそれのアップグレード版として感じられました。
本作におけるMS戦は、足元で逃げ惑うハサウェイとギギの視点から描写されていることが多いのも相まって、ロボット同士の戦闘というよりは怪獣映画の文法で描写されていると感じました。
流れ弾どころかそばでMSが動いてるだけで周りは壊滅状態になるということが、偏執的なまでに描写されていたと思います。
ビームライフルの粒子があたりに飛び散れば茂みは炎上し、バーニアを吹かせば建造物は吹っ飛ぶというあの描写は、完全に怪獣同士の戦いの足元では人間は逃げ惑うしかないという文法でしたね。
この描写によって、ガンダム世界において市街地でMSを行うことがどれほどの悪行であるかということの解像度が一気に向上したでしょうね。
もうひとつ、人間目線からのMSの恐ろしさを感じたのが、陸戦用ジェガンA型マンハンター仕様。
「ビーム兵装をすべて廃して対人機銃を装備」「人間目線で最も目立つ脚部部分のみリペイント」というコンセプトの時点でもうエグい。
解説によれば対人機銃は威圧目的とか書いてますが、威圧で済ませてるわけないよなあ……。
このように今回の閃ハサは、ミリタリー色を強調した08小隊とはまたことなる方向でMSを徹底的に兵器として、言葉を変えるなら「殺しの道具」として描いているという印象を受けました。
ただ、例外的だったのが本作の主役MSであるクスィーガンダムとペーネロペー。
特にペーネロペーは、飛行音からして完全にメッサーやグスタフ・カールといったMSとは明確に差別化、というかもう明らかに怪獣として描写されてますよね。
そして両者デザインもまたガンダムタイプの形状から大きく逸脱したまさに異形のデザインになっていて、善玉、悪役といった分類ではなく「まっとうでないガンダム」といった趣き。
特にクスィーガンダムの方はかなりの悪人面になってるよな。
また、戦闘シーンは全体的にヒロイックさを廃した描写になっているように強く感じました。
本作は3部作ということで、話としてはまだまだ冒頭部分と言ったところですが、続きが楽しみです。いつになるのかな……。
あと本作が映像化されたことで、ガンダム・センチネルとガイア・ギアの映像化の可能性が上がったと思いたい。