A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

第20回東方紅楼夢戦利品レビューその3

2024-10-11 19:49:38 | 同人誌感想
 どんどん進めていきます紅楼夢戦利品レビュー。10月過ぎたらもう年末まで体感3秒くらいだからな……。
 
・八雲藍という式<おんな>(SASUKEの里)
 本作は厳密には例大祭新刊なんですが、わたくし人形使いはうっかりさんなのでこないだの夏コミで入手するのを忘れていたので紅楼夢のときにようやく手に入れました。
 東方獣王園にて藍さまの過去が一気に開示されたことで八雲一家メインのサークルさんの脳が軒並み破壊されたことはまだ記憶に新しいところですが、本作はそんな八雲藍という式<おんな>を改めておさらいしてみようという幻想郷が誇るいらんことしいの紫さま発案のお話です。
 冒頭でのマミ虐待はもはや様式美。
 八千慧組長と早鬼に関しての紫さまの例えがもはや現代では通じない客層の方が多そうで助けて胸が苦しい。今じゃ「ファンディスク」って言葉も通じないとかマジですか……?
 そして誰もが期待していた藍さまとマミゾウさんの絡みについてはもはやお気の毒というほかありません。マジで絡みなかったからな……。マミゾウさん、フィジカル面だけでなくメンタルもマミ虐されておもしろかわいそう。砂になってる……。
 狐仲間の典についてはけっこうニュートラルな感じでしたが、本作ではなんか典は一方的に藍さまに憧れてるような描写が多いので今後のドロドロな展開が楽しみです。でも橙には見せられない……。
 で、満を持して昔の女こと饕餮ですよ。どうなるかと思いきや昔の女から直接NTR話を聞かされるという塗炭の責め苦を受けて脳が破壊されるという憂き目に……。さすが藍さま、恐ろしい式(こ)……!
 かように藍さま周りの人間関係に黒い雲がかかってきましたが、今後の「八雲式」シリーズは一体どうなってしまうのか。マミゾウさんはどんな責め苦を受けることになるのか(責め苦を受けることは確定事項)。「SASUKEの里」さんからはこれからも目が離せません。
 
 今日はここまで。
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第20回東方紅楼夢戦利品レビューその2

2024-10-10 22:05:24 | 同人誌感想
 11月は冬コミ原稿に加えて紅楼夢お礼SSやらGCR二次創作やらで忙しくなること確定なので、10月のうちに紅楼夢戦利品レビューはできるかぎり進めておきたい。
 
・阿求とニ三シリーズ総集編③ 心に名前を付けるなら(涼来来!)
 文車妖妃の少女「ニ三(ふみ)」と阿求の「カゾクのカタチ」を描いたシリーズ、今回めでたく3冊目の総集編となりました。今回は過去作4本に加えて書き下ろし1本の5本が収録されています。
 それでは収録作品ごとに感想を。
 
・童話作家!? アガサクリスQ
 阿求が「アガサクリスQ」のペンネームでミステリー小説を書いていることは読者には周知の事実ですが、二三や小鈴はそのことを知りません。阿求は、幼い二三が自分が書いたミステリー小説を安全に読めるのかという心配から、そして妹紅の一言から一転、童話の執筆に挑戦するのですが……。
 本シリーズはですます調の飾らない言葉で登場人物たちのみずみずしい感性を描いているのが魅力なんですが、本作では幼い子に刺激の強い作品を触れさせることの是非や悩み、友人知人が自分が書いた作品を読んでいると知ったときの気恥ずかしさ、そして書いた作品が既存作品の寄せ集めになってしまうという落とし穴、そこからの阿求の本当に自分とそして二三と向き合って書かれた童話が完成するという流れは、ジャンル問わず一度でも創作を手掛けたことがある人には共感できる内容だと思います。決して大仰ではなく、等身大で「作品を作る」という行為を阿求と二三のささやかな日常を通して描いた作品です。
 そしてラスト、完成した作品「おかあさんと呼ばれて」が総集編1巻のタイトルというのがまたいいんだ……。この童話は阿求と二三を題材にしているんですが、それに気づかない二三をして「素敵な鈍感さ」と表現するこの語彙よ……こんなやさしい言葉があろうか……。
 
・稗田阿求は気が気じゃない!
 前巻で想いを伝え合い、晴れて妹紅と結ばれた阿求。しかし、だからこそ阿求は妹紅の周りの人々が気になって仕方なく……。
 本作では、妹紅と距離の近い菫子の出現にやきもきして嫉妬する阿求の姿がおかしくも微笑ましく描かれています。
 こういった話だとキャラごとのヘイトコントロールが難しかろうと思うんですが、それが本作ではうまいことやってるなあと思いました。本作では菫子が阿求の恋敵的なポジションですが、妹紅の天敵である輝夜を登場させることでヘイトが菫子に向かないようにしてるのが上手い。このへんの読者の感情のコントロール、思ってるよりもはるかに難しいからな……。
 本シリーズのストーリーの軸はいくつかあって、阿求と二三の物語、阿求と妹紅、そして阿求と小鈴の物語。前巻から徐々に漂ってきていた青娥の暗躍が表面化していき、小鈴の阿求に対する愛憎入り交じった感情が少しずつ漏れてくる……という流れをうまいことメインテーマに乗せているのが巧者といった感じ。
 
・うちの子にスペルカードはまだ早い!
 ふとしたことからこころとスペルカード対決をすることになった二三。しかしお母さんたる阿求はそんな危険なことに二三を巻き込むわけには行きません!と反対。さて、二三の初のスペルカード対決はどうなるのか!?
 本シリーズはいわゆる「疑似家族もの」に分類されるであろう物語なんですが、本作は特にお母さんポジションの阿求、お父さんポジションの妹紅というポジションでそれぞれ二三という幼い存在に対する接し方の違いやスタンスを丁寧に描いているのがいいですね。
 そして本作が上手いのは、冒頭で11代目阿礼乙女であるオリジナルキャラ・稗田阿与壱と二三が昔を振り返るという形で描いている点。そしてラストでいよいよ小鈴の歩む道の雲行きが怪しくなっていく点を並行して書いていること。創作をしたことがある人なら分かると思いますが、作品というのは複数のストーリーやエピソードを同時進行させようとするとこんがらがったり荷物の積みすぎで話しが進まなくなったりするもの。その点、本作はそれらのエピソードにちゃんと優先順位をつけて進めてるので読んでて引っかかりがありません。特に小鈴周りの話の流れがどんどん不穏になっていくのがハラハラを楽しませてくれます。
 
・私のコノハナサクヤヒメ
 妹紅たちとお花見を楽しむ阿求。しかしその裏では、ある企みが進行していた……。
 これまで裏で静かに進行していた青娥の企みがいよいよ表に出てくるお話。これまでのタメが実に効いています。小鈴の阿求に向けるさまざまな感情が丁寧に描かれる一方で、阿求と妹紅の絆が深まっていくのが皮肉な対照構造になっていて不穏な雰囲気を引き立ててくる。
 そして作中の冒頭で取り上げられている「桜と岩」=「木之花咲耶姫と岩長姫」というモチーフの使い方がまた上手い。本来は岩長姫の方が「永遠の命」を象徴する存在なんですが、阿求は永遠の命を持つ不死人である妹紅をコノハナサクヤヒメに重ねて見ているというのがなんとも皮肉。そもそもこの「木之花咲耶姫と岩長姫」というモチーフが「期限付きの命と永遠の命」という対置構造なんですよね。この辺を考えると本作は、一連の「阿求と二三」シリーズの中でも大きな転換点となると思います。
 そして小鈴の決定的な感情。これも上手いと思うんですよね。原作ゲームに登場しているキャラと書籍キャラである小鈴との決定的な違いである「弾幕ごっこが出来る/できない」という点をうまく小鈴の嫉妬や劣等感につなげて、原作キャラなら当たり前である「弾を撃てる」という行為を小鈴ができるようになるというイベントを「決定的な一線を超えてしまった」として表現するという。こういう「ゲーム内では当たり前のことを作中の重要なファクターとして再解釈する」というのはわたくし人形使い自身も目指すところです。
 
・心に名前を付けるなら
 今回の総集編のタイトルと同名の書き下ろし。
 いやー意外だった。なにが意外って、これまでの流れからすればタイトルにある「心」の持ち主は小鈴だと思うじゃないですか。それがこう来るとは……。
 意外性というものは、安易に狙うとややもすれば変化球ではなく的はずれな方向にボールを投げてしまうものですが、この書き下ろしにおける「心」の持ち主がこのキャラであることには必然性と納得を感じました。そしてこのエピソードがこれから始まるであろう大きな転換点へのつなぎになるであろうことは確実だと思うのでこれからの展開が楽しみです。しかし青娥さんはほんとこういう役似合うよなあ……。
 
 ……といった感じで一気に5本分の感想を書いてみました。それにしてもこうやって通して作品を読んで思うのは、本シリーズオリジナルキャラである二三の存在が、30歳まで生きられないという宿命の阿求と永遠に死ねない不死人である妹紅という正反対の属性を持つふたりを結びつけるジョイントとして機能しているという点です。前段で本作はいわゆる「疑似家族もの」としての側面があると言いましたが、本シリーズにおける阿求、二三、妹紅の三者によって構成される「カゾクのカタチ」は、まさに彼女らだからこそ作り上げることができた「ちょっと不思議でとても素敵なカゾクのカタチ」だと言えると思います。
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大阪ステーションシティシネマ「憐れみの3章」見てきました!

2024-10-09 22:29:12 | 映画感想
 紅楼夢が終わったばかりなのに新作映画が続々上映開始しているので休んでる暇がありません。
 というわけで今日見てきたのはこの作品!
 
 
 本作は、申告した期間内にカップルが成立できなければ動物にされてしまう謎のホテルとそこでの人間模様を描いた「ロブスター」、死んだ胎児の脳を移植された女性の成長と冒険を描いた「哀れなるものたち」といった不気味かつどこか滑稽な作風が魅力のヨルゴス・ランティモス監督の最新作。
 タイトルの通り3つの章で構成された本作では、「生活の全てを思いを寄せる男性に指示される青年の葛藤と苦悩」「海難事故で失踪していた妻がよく似た別人になって帰ってきた男の崩壊していく生活」「宗教団体の新しい指導者となるべき人物を探す女」という3つの奇妙な物語で構成されています。
 わたくし人形使いは「哀れなるものたち」でランティモス監督作品に初めて触れてその圧倒的な奇妙さとユーモラスさに魅了され、「ロブスター」でその幻惑的な世界観に惑わされ、そして本作を見てみたわけですが……正直なところなーーーーーんもわからん!
 前2作はすでに感想を書いているんですが、ぶっ飛んだ設定や世界観ではあったもののそれなりに考察や解釈を書くことはできたんですよね。
 しかし本作はなんかこう……曇りガラスを通して見ているように全体像がぼんやりしてて掴みどころがない感じなんですよね。3つの物語は同じ俳優が違うキャラクターを演じており、相互に関連していることは察せられるんですが、そのつながりが曖昧模糊としていてどのようにつながっているのかはっきりしない感覚なんです。おそらくこれはランティモス監督の意図したものなんでしょう。
 各章のタイトルにある「RMF」とはなんなのか、共通して登場する「ブルーのBMW」の意味とは? これらの疑問の答えが明示的に語られることはありません。この感想ブログを書いている時点ではネタバレや考察は一切見ておらず、パンフレットも意図的に購入してません。なので本当にわからん……なにもかもわからん……。いやここまでなんもわからん映画は初めてかもしれん……。
 これは複数回見ることでわかってくるタイプの作品……と見せかけてなんもわからん度が増していくタイプの作品なんだろうな……。
 というわけで本作の感想は本当にわからんのであんまり書けることがないんだよな……。いろんなものが対置構造になってる感じはするんですが……。
 これちょっと本格的な感想は保留ということで、2回目見てきます。
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第20回東方紅楼夢戦利品レビューその1

2024-10-08 20:01:42 | 同人誌感想
 天候にも恵まれ、無事終わりました第20回東方紅楼夢。
 しかし俺たちの戦いはこれからだ! というわけで恒例の戦利品レビューはっじまっるよー。
 
・守護びってん 泥舟海運の東方油絵画集(泥舟海運)
 一見ほのぼのな絵柄に切れ味鋭いギャグを隠している本サークルさんの新刊、今回は2本立て!
 「守護びってん」、このタイトルですでに勝利確定ですよ。あまりにも懐かしい。調べてみたら連載開始は1996年……うっ頭が……。
 泣く子も黙る恐ろしい反社組織鬼傑組の組長である八千慧ちゃんのお出かけを守るべく、美天ちゃんが奮闘する!
 その結果組長はハーネス装着の憂き目に。さらにはおむつ装着未遂の危機を迎える組長の姿には涙を禁じえません。美天ちゃん、完全にお母さん。そしてラストページでのあまりにも無慈悲なタイトル回収よ。
 美天ちゃんは獣王園の新キャラの中でも特にこうばさんお気に入りのキャラだそうなのでこれからも活躍していただきたい。
 あとカワウソ霊に混じって翠香さん霊が当たり前のようにいるのが笑えます。動物霊扱いなんだ……。
 そして2冊目「泥舟海運の東方油絵画集」、タイトル通りこうばさんがこれまで描かれてきた油絵の画集です。本作は初の画集ということでめでたい。こうしてまとめて見てみると圧巻ですよね。
 本作では全体的に紅魔館のアイドルレミリアおぜう様のカリスマがマイナス方向に炸裂しておりしばしばただの幼女になってて感動の涙がちょちょぎれます。
 特に「悲劇のスカーレット」はもはや名画の域。悲劇の瞬間を切り取ったマスターピースと言えるでしょう。パッチェさんが見たら卒倒するまで爆笑してそう。
 あとは「まな板でリンゴを切る早苗さん」があまりにもひどすぎて笑ってしまう。そこら辺にあるものの有効活用。
 というかこの画集、レイアウトからタイトル文字のフォントからまさに画集といった構成になってるんですが、その構成の中に「もうすぐ負けるお嬢様」とか「君臨するこいしちゃん様」とか書いてるのでなんかふつふつと笑いが込み上げてきます。
 そして本を閉じるたびに裏表紙のBIGドレミーさんで必ず笑ってしまう。
 
 今日はここまで。
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TOHOシネマズ梅田「悪魔と夜ふかし」見てきました!

2024-10-07 23:34:55 | 映画感想
 今日は所要で梅田まで行ってきたので映画を見てきました。オタクは1日のうちに予定を詰め込みがち。
 今日見てきたのはこれ!
 
 
 TOHOシネマズ梅田の上映スケジュールを調べてたときに見つけて気になったので見てみることにした作品。
 時は1977年。人気番組「ナイト・オウル」の司会者ジャック・デルロイは、かつては大きな人気を博したものの現在は人気が低迷していました。そこで彼はハロウィンの夜に降霊術や霊視といったオカルト生放送を行い一気に人気を回復しようと目論みます。その日のスタジオでは数々の超常現象が発生、視聴率はうなぎのぼりに。しかし、番組のクライマックス、かつてカルト教団で生贄用の子どもとして確保されていた少女・リリーの登場によって、生放送中のスタジオでは恐ろしい怪現象が発生。
 本作はそのときの放送を収録したマスターテープが発見されたという設定で当時のようすを描いたいわゆるファウンド・フッテージものの作品です。
 
 わたくし人形使いはもういいトシのおっさんなので、80~90年代の心霊写真やUFO、ミステリーサークルといったオカルトブームを経験しているんですが、本作はオーストラリア映画とはいえその当時の「明らかに胡散臭いけど、もしかしたらこの中に『本物』があるのかも……?」というあの疑念と期待の入り混じった感情を思い出せる作品でした。
 主人公である司会者ジャックは直接的にオカルトを行うわけではありませんが、なんかこう雰囲気が明らかに胡散臭いというか何かを隠してる空気がにじみ出てるのがすごいと思いました。彼の背景は直接的には描写されないものの、表情の細部に後ろめたさや気まずさが出てる感じ。
 そして番組の、ひいては本作の非常にショッキングなキャラクターである少女リリー。本作はテレビ番組を収録しているマスターテープということで各種カメラを切り替えながらスタジオを映し出しているんですが、ときどきリリーが明らかに「こっち側」、つまりカメラの向こうにいる視聴者=この作品を見ている観客に視線を送ってるんですね。この違和感、居心地の悪さがたまらん。
 あらすじを知っているので「このスタジオでなにかとんでもないことが起こる」ということは確定なんですが、それがいつ来るかはわからない。この崩壊の瞬間がわからないという居心地の悪さ、嫌な空気感、これが本作の「生放送を行っている」という設定と相まって臨場感がありました。
 また本作は、いわゆるオカルト番組のお約束を一通りやってくれるのもよかった。胡散臭い霊能者による霊視、スタジオの観客の死んだ家族を言い当てる、でもどうもやらせっぽい、霊能力の研究者vs批評家のバトルといったこのテの番組に欠かせないもろもろを楽しめました。今じゃあこういうのは一笑に付されるでしょうしオカルトブームも過去のものになっているので、ノスタルジーを感じました。海外のこうした番組のことはあまり詳しくないんですが、詳しい人はスタジオの作りや雰囲気なんかも楽しめるんじゃないでしょうか。個人的にはBGMや効果音をすべてスタジオ脇のバンドが生で演奏してるのにインパクトを感じました。
 
 そして本作はオカルトものとしての側面以外に、テレビ番組の裏側を描くという側面もあります。本作は先述の通り番組を収録したマスターテープという体裁なんですが、それに混じって番組がcmに入ったあとのスタジオの舞台裏でのスタッフのやり取りも描かれてるんですよね。
 本作ではスタジオのシーンはカラーなんですが、舞台裏のやり取りはモノクロ。これがなんとも示唆的で「メディアの暗部」といった感じです。そしてこうしたやり取りはここだけでなくあらゆるメディアで当たり前に行われているだろうという。
 危険を承知で視聴率のために番組を続行しようとする番組のプロデューサー、人気回復の視聴率リスクとの間で板挟みになるジャック、スタジオでは決して出てこない人間模様がモノクロで描かれるさまはある意味オカルト現象よりもショッキングだったかもしれません。
 そして番組ではついにリリーへの悪魔憑き、生放送での悪魔の登場が実行されます。ここで引き込まれたのが、怪現象が起こるだけでなく、起こった怪現象を検証するパートがある点。さらに反証を掲げる批評家も憑依現象を催眠術とみなして、自らの手で悪魔憑きを再現してみせます。これによって観客はだんだん自分が見ているものが信じられなくなっていくという流れは非常によかった。
 ……という番組の流れの中に、実は司会者であるジャック自身が本作で紹介されたカルト教団に関わっている疑惑を少しずつ忍ばせているのがうまい。ジャックは「グローブ」という高いステータスを持つ人々で構成された紳士クラブに所属しているんですが、この集団が劇中で紹介されたカルト教団であろうことが終盤で明らかにされます。終盤、リリーの悪魔憑きが極限状態に達しスタジオは大混乱に。その中で「生放送を収録しているマスターテープ」という体裁だったはずの本作のカメラはルールを破り、スタジオではなくジャック自身の悪夢の世界を映し出します。ここは賛否あると思いますがわたくし人形使い的にはアリでした。最終的に自分の過去を暴かれるというのが皮肉が効いてて好き。
 しかしそのバレパートが短かったのでけっこう消化不良で終わってしまった感もありましたかね。「生放送を収録しているマスターテープ」というルールはすでに破っているので、いっそパプリカ並みに現実を飛び越えた幻覚パートにしてもよかったかも。
 本作の舞台は架空の深夜トークショーということで作中のライティングや色調もビデオテープっぽいチープさやにじみ感が出ているのが画面づくりに凝ってる感が出ててよかったですね。また、生放送ゆえのトークのギリギリ感やアクシデントも今ではなかなか見られないもので懐かしい気持ちになれました。あと悪魔憑き全開のシーンはなんかやたら派手で逆に笑ってしまった。
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第20回東方紅楼夢行ってきました!

2024-10-06 18:48:47 | それさえも平穏な日々
 いやー今回は晴れてよかった!
 というわけで今年で20回目を迎える東方紅楼夢、行ってきました!
 
 
 紅楼夢における最大手カップリングは台風×紅楼夢であることは言うまでもありませんが(要出典)、今年は前日までは天気が崩れ気味でしたが、当日は快晴! なんかこれだけ天気が良かった紅楼夢はずいぶん久しぶりのような気がします。
 さてわたくし人形使いは今回もサークル参加。なんとか完成した新刊を持っていざインテックス大阪へ。
 今回は今まで使ってたキャリーバッグの車輪部分が完全にオシャカになってしまったので新しいキャリーバッグで参戦したんですが、まあ楽で驚きました。今まではほとんど引きずってたからなあ……。イベントでは移動に体力を使って毎回ヘロヘロになってますが、これで無駄な体力を消耗せずに移動できるであろう。同人イベントにおいて無駄にできる体力など1ドット分もないからな。
 紅楼夢は会場が近いのとサークル参加時間帯が遅めなのでゆっくり家を出られるのがいい。サークル入場時間ちょうどくらいに会場に到着し、しばらく待って会場入り。紅楼夢はあまり待たなくていいのが救いです。今日は快晴で日差しもかなり強かったので一般待機列はかなり辛かったんじゃないでしょうか。日傘さしてる人もけっこう見受けられた感じ。
 さて無事入場して自分のスペースに向かいます。毎回この瞬間はイベント参加してる感があっていいですね。非日常の入口。
 今回のスペースはこんな感じ。
 
 
 紅楼夢の分はともかくコミケのに持っていく本は平積みでは収まりきらなくなっているので今年の冬コミから紙製の棚を導入する予定。
 いやーしかし毎回思いますがこうして自分の本を机に並べてると感慨深いものがありますね。これ全部自分の頭の中から出てきた幻覚と妄想ですよ……? 己の妄想と幻覚を自腹を切って印刷して周目の前に陳列するとか完全に異常行為なのでは……?
 などという常識的な思考はイベント開始の拍手の前に露と消えるのでした。ヒャッハー開場じゃい!!
 今回もたくさんの人がスペースに来てくださってありがたい限り。イベントでしか直接顔を合わせない方も多く、久しぶりにお会いする方もいたので今回の紅楼夢は本当に楽しかったですね。
 コロナ禍のせいでイベントが開催できなくなったり縮小されたりしてましたが、やはり「自分の目の前で実際に他の人が自分の作品を手に取っている姿を見られる」というリアルイベントの楽しさは唯一無二です。
 そして東方界隈への若年層の流入が肌で感じられるのもリアルイベントのいいところ。データで知ってるのと実際に見てみるのとではやはり違いますからね。今回は中学生くらいの男の子がスペース前でずーーーーーーーっとどの本にするか熟考した後にヨイダン本2冊を手に取ってくれました。自分では自分の作品は若年層にはとてもじゃないけど好まれるものではないんじゃなかろうかと思うんですが、こうして実際に若い世代の東方ファンが自分の作品を手に取ってくれるのを見るとなんかもう現実感がメリメリなくなっていきます。これ本当に現実?
 また今回はずっと作品を読ませて頂いているサークル「涼来来!」さんが久しぶりに紅楼夢に参加するということでご挨拶できたり、お隣のサークルさん「アトリエ=ダルサラーム」さんが以前感想を書いた「東方ええじゃないか合同」に参加されてたり、閉会間際に突然土露団子さんが出現したりとさまざまなサプライズがあって楽しいイベントでした。
 今回は開会から閉会まで天気も崩れず屋台の煙も吹き込まず終始平和なイベントでした。紅楼夢はなにかとトラブルがあるのでこれだけ平穏無事に終わった紅楼夢は久々のような気がします。特に天気。
 しかし油断はできません。イベントが終わるとついつい全てが終わった気になってしましますが、次は冬コミが控えているのでなんの余裕もない。さらには冬コミ原稿に加えて今回のステキすぎる表紙のチルノを描いてくれたなまねこさんへのお礼SSと来年のゲームレジェンドで出す予定のGCR二次創作小説があるのでなんにも終わってなーい! 俺たちの戦いはこれからだ!(ヤケクソ)
 というわけで、今回参加された一般参加者、サークル参加者の方、そして運営の方、お(疲れさまで)したッ!!(体育会系挨拶)
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「エスプレイドΨ」トロコン完了!

2024-10-05 20:19:27 | STG
 ちょっと前の話なんですが、こないだから口半開きでプレイしてました「エスプレイドΨ」、ようやくトロコンしました!
 最後に残ってたのはやはりというか「いろりの部屋マスター」(いろりの部屋の全エリアを全キャラクターでプレイする)でした。しかし条件は「プレイする」であって「クリアする」ではなかったのでまあまだなんとかなった感じ。なのでトロコンはしましたがいろりの部屋の完全クリアはまだ。
 というか祐介の16倍ラッシュがまったくクリアできない。なんで?
 思うに祐介はメインショットとパワーショットを同時に発射できてしまうので、倍率がかかる前に敵を破壊してしまってる感じですかね。あとメインショットの横幅が狭いので雑魚敵が処理しにくいんだよな。
 またここのクリア条件って実は「16倍ラッシュをつなぐ」ではなく「円アイテムを100個取得する」なので円アイテムを逃さず取ることを意識したほうが良いかも。
 いろりの部屋全体で見るとストーリーモードの各難易度ごとの完全クリアが残ってます。あとどうもガードバリアゲージは前回のプレイから持ち越しっぽいので、ほかのエリアでゲージ満タンにしてバリアでゴリ押しというのもアリかも。
 とまあ一応トロコンしたので、残りのステージはちょくちょくやっていくことにして、今度は「怒首領蜂大往生臨廻転生」のトロコンを目指します。
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久々に戸山流の稽古をしました。

2024-10-04 23:38:17 | 居合
 もろもろの原稿が忙しくなってくるとすぐに運動不足になってしまうので、今日は久々に自宅稽古。
 やろうやろうと思ってて後回しにしてしまってることは無數にあるんですが、今日はそのひとつである戸山流抜刀術の稽古をしようと思いたち、稽古資料を整理しつつ部屋でも大丈夫なように小太刀サイズの木剣を使って稽古しました。
 今回稽古したのは基礎居合六本と八方抜き。今は道場には通ってないので業の内容はかなり記憶が曖昧になってしまっているので、一度しっかり確認しなくてはと思いつつも後回しにしてたので今日は思い切って業の確認をしてみました。
 基礎居合は比較的シンプルなのでまあなんとか内容は覚えていたんですが、八方抜きの方は曖昧になってたので業の内容を改めて確認すると記憶が刺激されたのかなんとか当時の業を思い出すことができました。なんだかんだいって体が覚えるくらいには稽古できてたと思って良さそう。
 ただやはり自宅稽古ではやれることが限られるので、体育館などの広い場所で稽古したい。公共の体育館自体はどこにでもあるんですが、そのほとんどが個人で使うことを想定してないところが多かったり個人で使えるものの料金が高かったりするんですよね。
 現在のところ稽古に使ってるのは尼崎のスポーツ施設なんですが、土日は剣道場が予約で埋まってることが多いので稽古したいときに使えないこともしばしば。反面、サンサン劇場や梅田方面への映画館に行きやすいので稽古の帰りに映画を見に行けるというメリットもあります。料金も安いしな。
 また近所の公園などで稽古するという手もあるんですが、
 最近はすっかり運動不足になってしまってるので、少しずつ体を動かして体力を着けていきたいもの。それに体動かしてないとやはりストレスが貯まるというか鬱屈しやすくなるので運動は定期的にしていきたい。
 あと戸山流の業について確認しようと調べてみたらまさかのkindleで「軍刀の操法及試斬」が配信されていることが判明。さっそく購入しました。
 レビューに書いてあったんですが、「電子書籍だと稽古中にページを開く手間がないので使いやすい」というのはなるほどといった感じ。スマホなら夜中の稽古でも見やすいしな。
 居合に関してはまあいろいろあって今は道場に通ってないんですが、少しずつ自分の稽古を取り戻していこうと思います。
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大阪ステーションシティシネマ「ベイビーわるきゅーれナイスデイズ」見てきました!

2024-10-03 23:47:43 | 映画感想
 今日は生憎の天気となりましたが事前に天気をまったく調べてなかったので雨の中映画を見に行くことになってしまいました。まあ場所が大阪ステーションシティシネマだったのでそんなに濡れずに済みましたが。
 さて、今回見てきたのはこれ!
 
 
 スピーディかつパワフルなアクションとちさと&まひろのコンビのゆるい日常で人気を博した阪元裕吾監督による殺し屋ムービー「ベイビーわるきゅーれ」シリーズの第3弾。今回は宮崎が舞台だ!
 殺し屋協会に所属する二人組の殺し屋ちさととまひろは、宮関へ出張中。無事ミッションもこなしすっかりバカンス気分のふたりでしたが、ターゲットがいる宮崎県庁でトラブル発生。ターゲットを発見したところで協会に所属していない野良の殺し屋・冬村かえでと出くわします。
 150人殺しを目指す怪物的な強さの冬村に苦戦したふたりは、とうとうターゲットを取り逃がしてしまいます。ちさと&まひろコンビは、その尻拭いのために派遣されてきた地元の殺し屋・入鹿みなみと七瀬のふたりとチームとなって冬村とターゲットを追うことになるのですが……。
 
 まずはアクションについて言及せねばなりますまい。もはや説明不要とは思いますがやはり書かなくては。
 本作のアクションの何がすごいかって、こないだの「侍タイムスリッパー」と同じくCGやワイヤーアクションに頼らない「生身のアクション」である点。例えばキャラが吹っ飛んでコンクリ壁を何枚も突き破って……というのは「凄まじい力」は感じられるものの「現実的な痛み」はあんまり感じないもの。
 しかるに本作のアクションはどれもこれも痛そうで痛そうで生々しい。パンチ1発で相手は都合よく倒れてくれないので何発も何発も打ち込むし、ナイフでも1回刺して終わりじゃなく何回も刺す。痛い痛い痛い。フィクションの世界、ことアクション映画の世界では人間はぽんぽん死ぬものですが、本作を見てると人間を殺し切るのって難しいんだな……と思わされます。
 そしてこのアクションの密度がまたすごい。銃撃戦に格闘にナイフコンバットとさまざまな種類のアクションが楽しめるまさにアクションの幕の内弁当といった感じ。今回は1対1の戦い以外にも農協を装った殺し屋組織「ファーム」vs主人公側4人チームの集団vs集団のバトルの割合も多かったのが良かったですね。
 そして本作のアクションのすごさのひとつに、「アクションの種類と目的がはっきりわかる」という点があると思います。どういうことかと言うと、あれだけ矢継ぎ早のアクションを繰り広げていながら「相手にダメージを与えるための攻撃」と「相手の注意をそらすための攻撃」と「相手のバランスを崩すための攻撃」と「相手との間合いを離すための攻撃」が見てて全部わかるんですよ。
 わたくし人形使いは格闘技に関しては男塾と聖闘士星矢の知識しかありませんが、それでも見てて今の攻撃が何を意図した攻撃なのかがはっきり分かるんです。そしてバトルシーンでは余計なセリフもない。本作におけるバトルシーンは、寡黙にして雄弁なバトルシーンと言えるでしょう。
 
 キャラクターもまた魅力的。ちさととまひろのコンビはもちろんのこと、新キャラの入鹿みなみと七瀬がまたいいキャラしてる。
 まず大谷主水氏演じる七瀬の宮崎弁丸出しの喋り方がたまらん。実はわたくし人形使いは宮崎県出身なんですが、久しぶりにこんなネイティブな宮崎弁を聞きました。というかこれ他県の人が見てて何言ってるかわかったんだろうか。「てげてげ」とか。ちなみに「てげてげ」とは「適当、いい加減」といった意味です。
 そして今回の新キャラの中でツボったのがやはり元AKB48の前田敦子氏演じる入鹿みなみですよ。イヤミなお局的キャラでちさととのコマの上に「!?」が表示されてそうなピキピキなやり取りでハラハラさせつつも笑わせてくれます。
 そして中盤での和解。「最初は対立してたふたりがピンチを救われたことで和解する」というのはお約束中のお約束ですが、それをイヤミなく奇をてらうこともなく真正面から描いてるのが清々しい。そこから終盤の集団戦にもつれ込んで戦うことでチグハグだった4人がしっかりチームとなったことがアクションで示されてて好き。この「肝心なことほどセリフではなくアクションで示す」というのが良いんだよな。
 また、この「反目していた相手との和解」には自己開示がセットになっているのもお約束なわけですが、その自己開示の中身というのが「中学の頃に名探偵コ◯ンの灰◯哀にあこがれてクールキャラを気取ってたらいつの間にかそのままキャラが固定されて友達がいないままこのトシになってしまった」という……。
 本作は「殺し屋協会に所属する殺し屋の日常」というトンデモをテーマにした作品なんですが、なんか変なところでこういう現実との地続き感を出してくるので笑えます。そして入鹿さん、ミッション完了後の打ち上げで酔った勢いでガチオタっぷりを遺憾なく発揮してますが、ちさととまひろとは世代差があって絡まれてるちさとが全然言ってることがわかってないのがあまりにも辛すぎる……。
 酔った勢いでオタ語りの時点でたいがいですが、世代差に気がついてないのが見てて泣きそうでした。前段で本作のアクションを「痛そうで痛そうで生々しい」と評しましたが、見ててもっともダメージが入ったのはここだったかもしれません……。ううっ脇腹が……。
 
 辛いと言えば本作における最強の敵、冬村かえでですよ。あまりにも孤独な男。
 本作の主人公であるちさととまひろは二人組。それに対して冬村は常にたったひとり。びっしりと書き込まれた彼の日記帳は、本来なら誰かに聞いてほしかったであろう彼の言葉の成れの果てだったように思います。本作ではちさととまひろをはじめとする主人公側、そして殺し屋組織「ファーム」が集団であることが、ことさらに冬村の孤独を際立てていると感じました。
 そも、1作目2作目でちさととまひろ、特にまひろは殺し屋なんていう因果な商売を選ばざるを得なかった社会不適合者として描写されてきました。また、同じ阪元裕吾監督作品で同じく殺し屋をテーマとした作品である「グリーンバレット」でも、プロの殺し屋を目指して訓練を行う少女たちは誰もが生きづらさを抱えていました。「最強殺し屋伝説国岡」でもそうでした。坂元監督の描く一連の殺し屋作品は、一貫して「社会に適合できなかった人々がそれでも同じ苦しみと生きづらさを抱えつつ懸命に生きる姿」を描いていると感じています。
 しかるに冬村には苦しみを分かち合う仲間がいない。これは「2」の敵であったゆうりとまことが二人組かつ兄弟であったことと非常に対照的です。もぬけのからになっていた彼の潜伏先の私室、あの己を鼓舞するメッセージが悲痛なまでに大量に貼り付けられたあの部屋こそ彼の心の内そのものなんですよね、きっと。
 冬村は敵であってもちさとやまひろとは例えば「恋人の敵」といったような個人的な因縁はありません。因縁がないということはつながりがないということでもあります。ひたすら孤独なんですよね冬村は。
 そんな孤独な男が唯一社会とつながりを持てたのが殺し屋家業。アルバイトをしようとしたりお役所手続きに頭を悩ませたりといったように、うまく行かないとは言え社会とのつながりを持とうとしているちさととまひろに対し、彼はこの「殺す」という手段を持ってしか外部と関われなくなっています。以前書いた「2」の感想で、「本作における殺し合いは一種のコミュニケーションである」と書いた覚えがありますが、冬村にとって殺しは手段ではなく目的でもなく、唯一自分が孤独でなくなれる方法だったのかもしれません。自分一人では「殺し」はできないのですから。
 こう書くとこの冬村は殺人狂のように思われますが、(意外なことに)本作、ひいては本シリーズでは、「殺しに快楽を見出しているから殺し屋をやっている」という人物はおそらく一人もいません。だれもが「それしかなかったから」という理由でやっているんですね。
 冬村は150人を殺すことを目的としていますが、じゃあなんのために?というと別になんのためってことはありません。大金が手に入るわけでもなければプロの殺し屋にランクアップできるわけでもなく組織のトップに立てるわけでもない。彼にとってこの150人殺しは、ただ単に無聊を慰めるためのものに過ぎません。
 しかし彼はその殺しの果てに、ちさととまひろと戦うことでわずかに心を通わせる相手を得られたのだと思います。おそらく彼の実力を持ってすれば、大抵の敵はあっさり、つまりコミュニケーションが成立するまでもなく殺せたことでしょう。しかしちさととまひろだけは違った。
 特にまひろとは冒頭での戦いとラストバトルとで、それぞれハンカチを相手に差し出すという行動を立場を変えて繰り返しています。これが上手いんだよな。このシークエンスの繰り返しで、まひろと冬村とのあいだの心の交流、葛藤と逡巡が伝わってきました。そして最後の、ハンカチと拳銃どちらを選ぶかという選択。
 先日の「侍タイムスリッパー」の感想で、「優れたバトルシーンは単なる戦闘ではなくコミュニケーションである」といったようなことを書きましたが、本作ひいては本シリーズに登場する殺し屋たちは、誰も彼もが「殺し合う」ということでしかコミュニケーションができない不器用な人々なのだなあと思います。
 本作は「最終的に相手を殺す」というところから逃げません。しかしながらそれは恨みや憎しみから導き出された結果ではありません。「仕事だから」というのももちろんあるでしょうが、同じ生きづらさを抱えた相手に対する一種のけじめというか敬意なんじゃないでしょうかね。
 
 いやー回を増すごとにアクションが凄まじいことになっていきますね本作。これだけのアクションをやってる邦画ってまずないので坂元監督はこれからもどんどんアクション映画を撮って頂きたい。そしてTVドラマの「ベイビーわるきゅーれエブリデイ」も見なくては。
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塚口サンサン劇場「マルホランド・ドライブ」見てきました!

2024-10-02 23:38:20 | 映画感想
 今日も塚口。明日も塚口。毎日塚口。
 ……はさすがに無理ですが、それくらいのペースで通わないと全作品拾いきれません。
 というわけで今日見てきたのはこれ!
 
 
 「名前だけは知ってるけど実際には見たことがない映画」というのはたくさんあるんですが、本作もそのひとつ。名前はかの「シルバー事件」がきっかけで知りました。
 本作はみんな大好き鬼才・デヴィッド・リンチ監督のカルト映画……というかデヴィッド・リンチ監督の作品って全部カルト映画だよな。
 冒頭でいきなり起こった交通事故から生き残った女性。記憶を失った彼女は女優志望の女性・ベティの家に転がり込みます。「リタ」と仮の名前を名乗った彼女は、ベティと共同生活をしながら自分の失われた記憶をたどって行きます。
 いっぽうで、若い映画監督アダムは新作に出演する女優を探していました。映画会社のさまざまな思惑がうごめく中、ベティは彼の映画のオーディションに向かうのですが……。
 
 わたくし人形使いは本作を見るのはこれがはじめて。そして初見感想を大切にしたいのでこの感想を書いている時点では本作のネタバレについては一切検索していません。
 いやーもう全然わからん。
 劇場で配布されていたパンフレットには、「マルホランド・ドライブを読み解くためのデヴィッド・リンチによる10個のヒント」と称して注目すべき10個のヒントが書いてあったんですが、まあ初見ということでざっと目を通して頭の隅に置いておく程度で見てましたが、なんかもう幻惑的な展開に翻弄されっぱなしでなにが本当でなにが嘘なのかわからず頭がフットーしそうになってました。
 ネタバレを一切調べない今の状態で書いてみると、全ては女優になれなかったベティの妄想だったとか、リタ=カミーラはベティが女優になれた場合の可能性だったとか、本編はベティが女優になれた/なれなかったふたつの世界線が入り混じって描写されているとかいろいろ考えられますがまとまった答えは正直出ませんね……。
 でも最後に登場したあのホームレスの老婆はたぶん夢破れたベティの行き着いた先だったような気がします。そして彼女が持っていた紫色のキューブは、彼女がかつて持っていたであろうさまざまな可能性を封じ込めてたのかなあ。あの鍵をリタに託したのは彼女自身だったとか。
 本作は最初はミステリーやクライムサスペンスを思わせる導入ですが、ストーリーが進むに従ってだんだん非現実的な描写が増えてきます。そしてあのキューブを開いたときから明確に時間軸や現実感がおかしくなっていくんですよね。ストーリーの仕組みやネタバレ、印象的なシーンに込められた意味やギミックなどは初見なのでほとんどといっていいほどわかりませんでしたが、その幻惑感を楽しむことはできたと思います。というかデヴィッド・リンチ監督作品っていわゆる正解を求める作品ではなく、正解がわからない中で転がされるというのがいちばん性に合った楽しみ方なのかも。
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