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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

中山道訪ね旅 3

2016年03月04日 21時11分32秒 | ウォーキング

諏訪大社の手前にあるのが

「諏訪大社下社春宮下馬橋」



です。
年に二回だけ神輿だけが通るみちです。

小さな川の上にかかっていた橋で、
諏訪大社の中では
最も古い建物だと言われています。



住吉さんの太鼓橋の、
二分の一から三分の一くらいでしょうか。

下社春宮はここから直線で進んでいきます。



この神社には本殿がありません。
下社春宮は杉の木を
秋宮は一位の木をそして
上社はお山を御神体としております。

おっ、ここの狛犬なんですが



青銅製の狛犬としては、
日本最大の狛犬だそうです。

また神社の中には、
申年と寅年に行われる「御柱祭」の
木が建てられています。

これが一の御柱と



二の御柱。



樹齢200年くらいの巨木だそうです。
この巨木が大勢の民によって
山から切り出され運ばれてきます。

御柱祭りは4月に山出しといって、
大きな坂道を転がる「木落し」と
5月の騎馬行列や時代絵巻を見せる
「里曳き」が行われ、
その後境内に建てられます。

たまに命を落とすこともある「木落し」は
大きな見どころの一つです。

この日は最後にその木落が行われる
「木落し坂」も見に行きます。

さて
この春宮には「筒粥殿」というのがあり、



ここで毎年筒粥炊出しが
夜っぴいて行われ、
今年の豊凶が行われるそうです。

そしてもう一つ、この春宮に来たら
どうしてもよらねばならない名所があります。

それが「万治の石仏」です。

入り口に大きな御影石の鳥居がありましたよねえ。



これを作るときに石にのみを入れたら、
なんとその石から血が流れだしたそうだ。
なのでその石を阿弥陀如来として祀ったそうだ。

万治の時代(1660年)の出来事ですね。
山のふもとにはこんな看板を
作っている人もありました。



ではそこに向かいましょう。

筒粥殿から出て、川のほうにおりてゆきます。



ここは「砥川」ですね。
雪解け水でしょうか、
本当にたくさんの水が流れています。

ここには浮島神社というのがあります。



川の中にできた中州に社殿が建っていますが、
流れることのない神社で有名だそうです。

そんな浮橋から橋を渡って、



進んでいきますと・・・

ありました。

これが「万治の石仏」です。



「よろずおさまりますように」と
心で念じながら、石仏の周りを
時計回りに3回周り願いを届けます。

本体を見ますと、
大きな石の上に念を刻む体を描き、
上にちょこんと頭部が乗っています。



胸に掘られた袈裟には、
宇宙の姿が刻まれているそうだ。

この姿を見たあの「岡本太郎」が
「こんな面白いもの見たことがない」
と絶賛したというし、
あの作家の新田次郎も絶賛しているし、
原田泰治が絵にも描いている。



おりていく道筋に岡本太郎の看板も立っていました。



石仏としては名作の一つなんでしょうね。

ネットで見てみると、
この石仏に関連した謎の数字探しなんかも
あるようですが、
ちょろっと見ただけじゃ
まったくわからない謎解きでしたな。

ちょっと高台にある丘の一角で、
下諏訪の町や諏訪湖が見渡せる
丘陵の一角に立っていて、
下諏訪の人たちに
ずいぶん愛されているお像なんでしょうね。

道はまた「中山道」へと戻ってきます。



こういうお寺関係の言葉が
いっぱい刻まれた石が



いっぱい並ぶお堂の入口に出てきました。



この階段の上にあるのが「矢除石」です。



あの武田信玄がこの石の上に立ち、
人に矢を射させたところ、
矢はすべて石に跳ね返されたそうで、
この石を「矢除石」と名付けて、
戦の前にはここに立ち寄った
という石だそうです。
まあ、わしを狙えと信玄に言われて
ほんとに打つような奴はいないだろうけどね。

それがこれ。



う~ん、ここまでくると
徳川家康や京都の上皇たちと違って、
信玄なんかが話の主人公になったりするのだな
と思いつつ続く。