その力石に書かれてあった名前は
「千代の富士」
これは、この力石を持ち上げさせて
お祈りさせようという陰謀ですか?
いえいえそうではありません。
力自慢の石です。
じつはこの山阪神社には、
あの千代の富士の「九重部屋」が
宿舎をはっていたのでした。
力石は入門関取の入学試験・・・なわけはないです。
本殿の奥に入っていきますと、
そこに練習部屋がありました。
窓から除いてみますと、
その中には土俵があり、
しかもその土俵に「必勝」の文字が
塩で刻んであるではないですか。
たぶんみんなあそこで円陣を組んで
「今日も頑張るぞ~」
と声をかけた関取に掛け金が支払われるわけですな。
なんてことを言ってると、
張り倒されそうです。
相撲取りには勝てそうもありません。
まだ、陰謀と闘っているほうが楽そうです。
と、その時です。
裏の公園の方に向かっている二人の力士が見えました。
近づいていくと、
どうやら選択した稽古まわしを
干しにきているようです。
う~む、まわしの全貌がよくわかりません。
どこをどこにかけてどう占めるのでしょうか。
いたくないのかなあ?
気持ちいいのでしょうか?
一体どれくらい占めるのでしょうか。
そこに力士の陰謀はないのでしょうか
むむ~謎だらけです。
特に、トイレがあれば用足しに駆け込む我らにとって、
おしっこできないまわしで歩くというのはもう殺人行為です。
相撲取りも年を取ったら
そんなことに真剣に悩まないといけないかもですね。
まあ、還暦迎えて相撲とる人はいないでしょうが。
ネットで調べてみたら、
けいこまわしは前の部分を
垂らしてできるそうですよ。
よかったですねえ。
でも、化粧まわしや本番の締め込みでは
トイレはできないみたいです。
当日おしっこが近かったり、
お腹の緩い力士がいたら大変ですねえ。
いやあ、まわしに秘められた
力士の苦労を知ってしまったようです。
あ、そうそうここにはもう一つ見どころはあります。
それが「田邉町之碑」です。
そのむかし、ここに渡来した「田辺史」の名前から、
この地域の田辺というのが決まったようですねえ。
巨木、力士、地域のいわれも潜んだ山阪神社。
ドジ旅にはちょっと拡張が高かったかもしれません。
さあ、では次の目的地である
「田辺不動尊法楽寺」に向かいましょう。
山阪寺の近くの商店街には
「九重部屋」の歓迎幕がかかっていました。
ここで、なにか昼食代わりに
食べるものでもと思ったのですが、
それらしきものがありません。
むむ~これは陰謀です。
闘わなくてはなりません。
ぐわっ、ここにもまわしが干してある。
いや、ちょっと寂しい商店街の屋根でした。
法楽寺に向かって歩き回った挙句
スーパーを見つけたので、
ここで、昼食を買いました。
今日はこの後、歩行後に
一杯ひっかけて帰るのですから
まあいわゆる予行演習というやつで
ビールとおにぎりを買いました。
ブラドジにはピッタリですなあ。
ではまあ法楽寺で見学をした後
休憩しつついただきましょう。
まずは巨木です。
ここもまたクスノキのようです。
樹齢は800年くらいと言われています。
大阪市内でも昔は2里ほど先からでも見えたといいます。
住吉大社のクスノキに次ぐ古さ
と言われているそうで、
大きなクスノキは広大な影を作り、
多くの信者がこの木のところに集まったそうです。
ああ、そうかあ、神社や寺院にクスノキが多いのは、
目印になったり
そんな広大な日陰を作ったりもするんですね。
そんなクスノキの横には、
「田辺大根」の碑です。
この法楽寺周辺はこの大根の産地でした。
特に品種改良された筒状の大根は、
この法楽寺の「西門」の横門の名前を取って
「横門大根」と言われていたそうです。
ある時絶滅したと思われていたこの大根も
ある日市場に出ている大根を
偶然に発見した人が種を譲り受けて育てたそうで、
今は和泉市などでも盛んにつくられているそうです。
巨木だけでなく、こういう小さな植物も
命をつないでいくのは大変やねえ。
巨木の横にはこんな大事な
植物の碑もあるのでありました。
碑から生えている大根が面白い。
さあ、ではお昼時間です。
頭ではなく、鐘をついて
食事に向かいましょう。