ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

歩いた鍼中野 2

2016年03月10日 21時26分06秒 | ウォーキング

以前働いていた職場には、
この辺出身の人がたくさんいました。

もしかしたらぶらぶらと
歩いているんではないかと、
前から人がチャリンコで来たりすると、
ついつい顔を眺めてしまいます。

でもカメラを構えて
あまり人をじろじろ見るのは
よくありませんねえ。

先日テレビで京都のお寺にいる
盗撮者をとらえる番組をしていました。
あんなのがいるから、
いつもカメラを抱えて
うろうろしている高年のおじさん
というのも変な目で見られてしまうんだよねえ。

繁華街じゃ知らない間に、
私服警官に尾行されていたりしてね。

まあ、最終的にはうつっている道標や
看板とかを見てもらったらわかるんやけどね。
ある意味変なおじさんとして
別の注意が入るかもしれませんがね。

で、いよいよこの辺りに以前から
「ある」とは知っていたけど
見たことがない道標があるはずです。

ネットでは同じ道標が
いくつかあるようでしたが、
同じ物なので、一つ見れたらいいかなあ
と思いつつ探していますと、
おや?目の前に何か石のようなものがあります。

ごみのようなものが被さってますので、
どけてみると、おおこれでした。



下のほうがアスファルトに埋もれてますが、

左は「はりみち」、
右は「でんしゃのりば」と刻まれています。



「はりみち」は中野鍼灸治療院
のことをさしています。
そして、電車とは今の近鉄や地下鉄のことではなく、
先ほど通った阪神高速の下を走っていた



もう今は廃線の
「南海平野線駒川駅」を表しています。

これらのことからこの地域を
「針中野」と呼んでいるようですが、
実際は「鍼中野」だったのですねえ。

まあ、しかしここにこんな道標があることは
ずっと以前から聞いていたのですが、
ようやく実物が確認できて良かったです。

目標は達しましたが、
もう少し歩いてみましょう。



そのまま道を南方向に進んでいきますと、
そろそろお昼になりましたあ。



今日はどうしようかなあ、
公園でコンビニ弁当にしようかな
と思っていたら
ちょうどおあつらえ向きに
ラーメン屋さんの横を通ったので、
今日はまあたまにはいいかと
贅沢にも「ラーメン」でも食うか
とお店に入ったのでありました。

あっさりしょうゆ味の「半チャン定食」、



にらもやしと漬物は「食べ放題」なのだ。



はい~ちょっと贅沢しちゃいました。

でもビールは飲んでませんよ。
お腹がいっぱいになったところで、
さらに道を南の方へと向かいます。

矢田中学のところを東に曲がりますと、
そこにあったのが

「須牟地寺(すむじ寺)跡」です。



奈良時代この辺りは住吉郡住道郷に属していました。
この辺りの住所は「住道矢田」と読みます。
寺の名前、昔の郷の名前が
一致しているのもきっと
歴史が絡んでいるのでしょうねえ。

旧のお寺を焼き尽くした灰を集めて
この塚は作られているそうです。



さて、この辺りからはもう
南の方に大きな堤防が見えています。



「大和川」ですね。

ウォーキングを始めた最初の頃は、
これを歩いてさかのぼって
藤井寺の先輩宅まで
歩いて言った記憶があります。

あ、ここで新たなマンふたを発見です。



ここまではずっとこんな感じで、



大阪城が描かれていましたが。
このふたには大阪城のほか
橋と船も描かれています。

うん、ちょっと贅沢なマンふたでしたね。

またもや道は阪神高速の方へと
出てまいりました。



まもなく終点の地下鉄「喜連瓜破」駅です。



じつはこの駅の名前も
気になっていたのですが、
これはまた別の機会に紹介いたしましょう。

こうして東住吉区の長居から
平野区の喜連瓜破の間を
こんな風に歩いた



「鍼中野の旅」終わりです。