もう道は中山道に入っています。
この「中山道」なんですが、
どうも資料や道標を見たら時々
「中仙道」という字になっていたりします。
確かに、別名としてどちらも正しいのでしょうが、
一つ参考に紹介しておきますと、
江戸時代の文書に
「正しくは中山道」と書かれた文書があるそうです。
庶民が間違って使って、
一里塚なんかにも「中仙道」と
書かれたりして広まっているんでそうです。
ネットに書いてありましたが
「旧中山道」と字を見たアナウンサーが
「いちにちじゅうやまみち」と
読み違えたこともあったそうです。
ここは「旧渡辺家住宅」です
「いちにちわたりあるくへんないえのじゅうたく」
ではありません。
18世紀中ごろに建てられた
諏訪高島藩の武士の家です。
県宝だそうですので、
入ってみようと思ったら・・・、
なんと「冬季休館中」だそうです。
ひゃあ~、こんな時期に
中山道を歩くなんて人はいないのかなあ。
この「冬季休館」はこのあと
ところどころで見ることになりました。
そうそう、ちなみに、
この住宅で育った人から
なんと3人の大臣が生まれているそうです。
なおかつこんな道を歩き続けます。
日陰の部分にはまだ雪の塊が
残っていたりします。
これが岡谷の防火貯水槽の石です。
雪の中でも目立つようにでしょうか、
大きくて派手なデザインですねえ。
そして、おお~ついにこんな石の
道標が出てきました。
「中山道」と書かれています。
岡谷と下諏訪の境界を流れる
「十四瀬川(じゅうよせがわ)」の
歩行者橋のところにも石が立っていました。
うんうん、街道筋はやっぱりこうじゃないとね。
それを渡り進んでいきますと、
こんな標識もあります。
これはアットホームですねえ。
と言ってもかなり細い道です。
突き当りにはこんな感じで
まだ手作り標識が続きます。
この標識の後ろが
「砥川(とがわ)」といいます。
中山道沿いの旧跡の一つとして
諏訪大社下社春宮のあるところを
抜けて流れてくるかわです。
では、ここで、その諏訪大社下社の方へと
大門通りを左折していきましょう。
と、ここで諏訪大社について
ちょっと紹介しておきましょう。
諏訪大社は「諏訪湖」の周りに
4カ所の境内地を持つ神社です。
諏訪市の上社本宮、茅野市の上社前宮、
下諏訪町の下社春宮と下社秋宮です。
全国の諏訪神社の総本宮となっています。
そういえば神戸再度山登り口にも
諏訪神社がありましたねえ。
上社が「建御名方神」(男神)を、
そして下社は「八坂刀売神」(女神)を
主祭神としているそうです。
この四つの神社にまつわる大きな祭りが
申と寅の年に行われる「御柱祭」で、
これは4つの上諏訪の神殿の周りに建てる御柱を、
坂道なんかを転がしなら運んでくる、
日本三大奇祭りのひとつなのだそうだ。
ん?申の年、
そういうたら今年は御柱の年ですねえ。
本番はもう少し暖かくなってからのようです(4月から5月頃)。
大門通りを北へ向かっていくと、
途中こんな「小社」があったりします。
下諏訪には諏訪神社に関する
小さな社が結構いっぱいあって、
「小社」と名付けられています。
とそうしているうちに、
前方の道の突き当りに
大きな鳥居が見えてきました。
あれが諏訪大社下社春宮です。
どんどん近づいていくと、
そこにあったのが「下諏訪温泉」です。
どうもこの辺りには、
各地で温泉がキラキラ湧いており、
それを利用した銭湯がたくさんありますし、
こんな足湯も各地で営業されております。
近くに大きな温泉があるわけでもないのに、
下諏訪の地勢はなかなかユニークで
不思議な感じのする処です。
わくわくと続く