こっからは寺町通を東進します。
途中潜り抜けたのが、
あの日本一長い商店街でした。
寺町通はむかし、奉行所の与力が
住んでいた場所であり、
町名も「与力町」になっています。
古い街ですから、お寺もいろいろとあります。
これは「山片蟠挑墓所」。
山形は大阪の大豪商で、
こんな辞世の句を読んでいる。
「神、仏 化物もなし 世の中に
奇妙ふしぎ のことはなおなし」
そしてもう一つの辞世の句もある
「地獄なし 極楽なし 我もなし
ただ有る者は 人と万物」。
鎖国の時代に地動説を説き、
世の出来事にはみなわけがある
と言ってたそうで、
町人学者の呼称も受けている。
彼が亡くなったのが1821年であるので、
大塩の乱より15年前に亡くなっています。
その人の墓がこの善導寺なんだそうです。
そしてこの善導寺にはもう一人、
天下の尺八奏者「近藤宗悦」の墓があります。
尺八の音楽家で、
高年は勤王志士で虚無僧に扮して
連絡役を果たすなどの役割もしたそうだ。
大塩の乱よりも少し先の出来事である。
そして、ここが「緒方洪庵」の墓所がある龍海寺である。
大塩の乱が起こったころは
九州にいたが、同じ時代に生きて
彼は近代医学の走りを支えた。
その墓地はここだが、
今回の歩行の最終場面近くで出てくる
「適塾」を開いた人でもある。
そしてここが日本で初めての
感化院が設けられていた跡という。
ビルの隙間にちょこんと石が立っていました。
「池上雪枝」は、
「青少年更生事業の母」あるいは
「少年感化の母」と称されるひとで、
子どもの感化院では
神道に基づく国家観や宗教観を教えるとともに、
石鹸や洋傘製造なども教え、
若い人に自立の機会を与えたという。
まあ、若い人にこういう機会を与える
というのは立派なものである。
今なら、社会から退職した年寄りに
生きていく機会を教える、
老年感化院なんかあっても面白いかもねえ。
それはまあさておき、
この辺りには幕末に活躍した
歴人のお墓があったりするのだが、
残念なことにどのお寺も
こんな風に入り口が閉まっているんだよね。
そりゃあ、声をおかけください
という表示もあったりもしましたが、
いちいち呼び出すほどのこともないので
ピンポンできないわなあ。
とにかくまあこの辺りには
命かけて庶民の救済に走った平八郎の他、
様々な世界の要人が多くいたようです。
そこから1号線に出て歩いていくと、
おお~お昼前にこういうお店の前を通ります。
大阪国際女子マラソン応援時に
満員で入れなかった得得うどんです。
む~あの時の悔しさをはらすべく
入ろうかと思いましたが、
このあとにぎやかなところに出るしなあ、
ぐぐぐっと我慢しました。
そのにぎやかなところというのが、
ここです。
大阪の人たちに「大阪天満の天神さん」
と慕われている「大阪天満宮」です。
その境内に近づいていきますと、
そこにあるのが「天満天神 繁盛亭」です。
上方落語協会に就任した
「桂三枝」(現在6代目桂文枝)が
落語会を行える空き店舗を
商店街側に依頼したところから始まり、
最終天満宮の土地を借りて
落語専門の定席を新設することになり、
2006年に完成したものだ。
最近の落語は特に若い女性に人気だそうで、
席はいつもにぎわっているそうだ。
そこから神社の方に向かっていきますと、
テントが並んで立っていたりして
賑やかそうです。
案内を見てみると「天満天神梅まつり」の最中でした。
日にちはあの東北震災の一日前の3月10日。
そう、先ほど得得うどんを我慢してよかったです。
東北グルメ市があって、
そこで喜多方ラーメンを
いただいたdoironなのでした。
続く