ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大阪ぐるっと平八郎 3

2016年03月19日 21時30分42秒 | ウォーキング

喜多方ラーメンで、
お腹も幸せになったdoironは



境内のいろんなものを見たあと








お祈りもちゃんとしながら



天満宮を出て東の方へと歩き始めます。



ここが「星合の池」です。



949年に天満宮が御遷座になったときに、
この池の水に霊光が映ったとされる池です。
霊光って何だろう。
辞書で調べたら、神秘な光みたいな感じでした。

池の中にはカメの姿が見られたと



こんな石が置かれていますが、
心配いりません。
ちゃんと生きたカメも生息しています。





またこの池の端には、
昔の天神橋の銘板が置かれています。



あ、そうそう喜多方ラーメンを
食べてこなかったら、
ここできっと「すべらんうどん」を
食べてたかもしれませんな。

そんな池を出てさらに進んでいきますと
天満別院の辺りで、
ふと電柱の陰に隠れていた与力・・・
じゃなかった警察官と遭遇しました。

道に敷かれた「一旦停止」の違反の
検問中でありましたよ。
ああ~驚きました。
おでこに霊光が指したかもしれません。

でも、doironは歩行者ですからね、
一旦停止してませんよ。
携帯見て歩いているのも、
地図をパラパラしながら歩いているのも
問題ないですね。
あ、カメラ?もし
「何を撮影してるんや」と追及されても、
写っているのは石碑や池の亀くらいですからね~。

まあ、結局何も言われなかったのですが、
やはり突然の出会いだったので
ドッキリしました。

そっから谷町線をこえた
小学校の入口にあるのが、
この「川崎東照宮跡」だ。



あの徳川家康を「東照大権現」と名乗り、
各地に権現さんを立てた。
これは豊臣氏を敬う大阪の人々の想いを
薄れさせるために建てたといわれている。

実は、この東照宮こそが、
大塩平八郎たちの「乱」の
集合地点なのであった。



この東にある今は造幣局の辺りに
大塩邸があったそうだ。

その造幣局の横に「大塩の乱槐跡」がある。



乱のときに彼らの砲弾で裂けた
樹齢200年の槐が枯死した
といわれる場所である。

さて、ではここから彼らが
与力として仕事をしたという、
東西の大阪奉行所の跡を目指していきましょう。

あ、今年の造幣局の
桜の通り抜けの日程表がありましたし、



こんな物販店もありました。



時間のある方はぜひどうぞ。

さて、では道は東天満交差点から
谷町筋を南下していきます。



そして、天満橋を渡り



大塩は38歳まで与力を務めた
東町奉行所は、谷町1丁目交差点を左折し、
大阪合同庁舎を過ぎそうになったところで、
道沿いに小さな看板になって立っていました。



そういえばこの合同庁舎には、
テレビがアナログからデジタルに変更になるときに、
研修を受けに行ったことがあります。

むむ~仕事は昔の奉行所の
延長なのかもしれません。

ほかにも何度も来たことがあるのになあ、
こんな石標が立っていたことは
この日初めて知りました。



大正8年に大阪府によって建てられたんですねえ。

こういう跡碑は誰のどんな意思で
残されるのでしょうか。

建築基準法や文化財保護法で
何か決められた条文でもあるんでしょうか。

その辺のことはよくわかりません。

そこからしばらくは大阪城公園の中を
進んでいきます。



平八郎は造幣局の辺りにあった
自宅に火を放って決起し、
与力町を襲撃した。

そのあとは難波橋を渡り船場界隈を
襲撃したというから、
この辺りは全く乱の影響は
受けていないところです。

堀沿いの道を進んでいきますと、
時間的には昼休みですから、
仕事の合間にランニングをしている
といった人が大勢いましたし、
もちろん外国人の方たちも多くいます。

この辺の昼休みの景色も、
昔に比べたらかなり変わったんでしょうねえ。

大手門を過ぎたあたりの右手は



大阪府警と



NHKなどが並んでいます。



その間の道を西向いて進んでいくことにしましょう。
続く