初めてサロマ湖100kmマラソンを完走したのは
もう今から20年以上前。
その時に一緒に行った職場の大先輩、
マラソンの大先輩であり
人生の大先輩でもある“のんさん”は、
もうとっくに定年退職をされ、
今は孫守りに忙しい日々を送られている。
そののんさんと先日メールのやり取りをし、
高野街道を歩きませんかとお誘いしたら、
「積もる話もあるし是非」
と返事をいただいたので、
近々まずは作戦会議をする予定でいる。
で、その作戦会議に先立ち
doironなりに事前にいろいろと検討をしてみた。
「高野街道」はご存じのように、
真言宗の聖地・高野山への参詣のために、
人々が歩いた道のことをいう。
ひとくちに高野街道といっても、
実は東高野街道、西高野街道、
中高野街道、下高野街道の4本がある。
中でも東高野街道は最も長く
京の都から洞ヶ峠を越え
河内長野にいたる街道で
最も古くから開けた街道である。
次いで西高野街道は
京都から船で下ってきて、
堺の港から高野にいたる街道で、
河内長野までにすべての高野街道は
この西高野街道に合流し、
高野山にいたっている。
中高野街道は大阪市内の杭全神社から
大和川を高野大橋で越えて
大阪狭山にいたる街道で、
下高野街道は四天王寺から
同じく大和川の下高野橋を越えて
大阪狭山で西高野街道に合流する街道だ。
その四本についていろいろと検討してみた結果、
今回はもっとも西を通るルートの
西高野街道を歩くことにした。
西高野街道には里石も整備されているし、
高野にいたる一本道であることに
激しくそそられたからだ。
そもそもこの高野街道は「参詣道」なのだ。
熊野街道のように
複数の聖地を巡りながら
最終的に目的の聖地を目指す
「巡礼道」とは少々趣が異なる。
そのため熊野街道はクネクネと聖地を巡っているのに対し、
高野街道は高野山にお参りするために
ひたすら高野を目指す
直線的な街道として残っている。
そんな高野街道をのんさんと歩くためには
のんさんが生息している藤井寺を
基本に考えることになるので、
まず歩きはじめの駅として、
藤井寺からできるだけ来ていただきやすい所を
スタート地点に選ぶことにした。
終点からは歩行後に一杯やれる藤井寺に近い方が
いいだろうということで、
三国ヶ丘から歩き
近鉄南大阪線の駅を目指せる
西高野街道を選ぶことにした。
その西高野街道は南海堺駅前が起点なので、
まずあらかじめ堺から三国ヶ丘まで歩いておくことにした。
歩いたのは、少し前からかかっていた
企画提案原稿が、思いのほか順調に校了した
先週金曜日の午後だった。
熊野街道もこれからますます佳境に入ってくるが、
これからはこちらも並行して歩くことになるだろう。
ポカポカ陽気の中、
泉O津を電車で出発。
ところが堺駅に降り立つと、
な、な、なんと外はあられ交じりの雨。
傘も持っていなかったので
一瞬躊躇したが、すぐにやんできたので、
携帯のナビをセットし、歩き始めることにした。
時刻は12時37分。
堅川にかかる勇橋を渡って、
環濠都市堺の名残、土居川の
栄橋の西詰に立つと
そこが新たな参詣の始まりの地点
西高野街道の起点であった。
では高野に向けていざ出発。
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