ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

くるくるとリサイクル公園へ

2013年03月21日 21時31分04秒 | トライアスロン

どうも、タイトルをみていますと
ジダンの毒が抜けきっていないようです。

そこで気分を変えて
歩く旅が続いたので
ここらで少し違った刺激を加えるべく
先週、天気のよい穏やかな日を選んで
チョー久しぶりにバイクに乗りました。

今シーズンのためのバイクの整備は
先日、すでに済ましてあったので
タイヤに空気を入れ、
アウトドアライドのための持ち物を
しっかりチェックするだけで
ちゃちゃっと出発しました。

行先は、和泉の山麓にある

リサイクル環境公園

近辺で、一般廃棄物や産業廃棄物の
処理をしている
D栄環境グループにより運営されています。
この民間処理場では
doironが以前働いていた市の
粗大ごみなんかも処理を請け負っているはずです。

その公園は季節に応じた植物が植えられた
山麓の丘陵地にあり、色とりどりの花々が
訪れる人の目を楽しませてくれるところです。
今の季節は、しだれ梅と水仙がきれいだというので
バイクをくるくる漕いで
行ってみることにしました。

そこへ行くまでは2カ所の坂を上ります。
ひとつは

観音寺の坂

色々と思い出のある坂です。

平地に別れを告げ、大阪湾まで見渡せる
高台を目指して急こう配を昇っていく坂です。
当然、ギアは一番軽くして
心拍数をあげないように
くるくるとまわしながらゆっくり登っていきました。
リハビリライドね。

それでも坂を上り切ったところでは
少し息もハアハアしたな

そしてそこを上り終えてからは
緩やかな登りこう配が続きます。
そうやなあ、時速25km位ですかね。
たらたらと登っていきました。

和泉中央もぬけ、
家を出て10キロもいくと
山もぐんと近づいてきて
黄砂に煙る大気の中でも
岩湧山のハゲ山が見えてきます。

そして周りもかなり山麓風の景色になります。

一直線に上がってきた道も



この公園で左折し、公園に行くためのスーパー農道
に出るべく、トンネルの手前を
左に上がる急な道を
うんこらしょと上がっていきます。
これが二つ目の坂道です。

もうこの頃になると
脚もバイクに慣れてきています。
一段と早く、くるくるとペダルを回し
登っていくと、着きました着きました。



結構人がたくさんいて
皆さんしだれ梅の園地で




食べ物を広げて寛いではりました。

公園内を歩いていると
「こんにちは」という声があったので振り向くと
このあたり界隈を歩いていて
ここに来たというしりあいのおじさんに会いました。

そういえば、さきほど
坂道で抜いてきた人です。
暖かいとはいえ、まだ三月半ば。
にもかかわらず
半袖で歩いていた元気な人です。

それにしても、
行動パターンのよく似た
友達のなんと多いことか。
われながら感心しますわ。

しばらく過ごした後は
天気も悪くなってきたので
元来た道を一直線に帰りました。

久しぶりのバイクにもかかわらず
結構脚が回ったのは
ジムで近頃、熱心に
バイクを漕ぎ続けているおかげかもしれません。

ただ、実車となるとやはり
腕の力を思いのほか使っているようで
翌日、肘から肩にかけて
重~い感じの疲労感に包まれてしまいました。

次は、包近の桃でも見に行き
その後は和泉の名桜「百滝桜」でも
ボチボチ見に行こうと
湿布を貼りながら思っているdoironでした。


ご近所博物館

2013年03月20日 19時52分15秒 | 最近の出来事

今日は春分の日。

「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り
すっかり春めいてきた季節の中で
桜を初め、各地の春の景色を
愛でながら、アクティブに
過ごしたかったのですが、
残念ながら今日は天気がイマイチでした。

なので、いただいてあった
招待券で入れるご近所にある

O阪府立弥生文化博物館

にぶらっと遊びに行くことにしました。



今日まで有効の券でしたので
滑り込みセーフです。

歩いて、5分のところにあるので
「いや~ん、弥生」とか
「弥生、よいよい」などとタイトルをつけて
ジダン風のシリーズものにするほどのこともありません。

普通に、裏の公園を抜けて
行ってきました。



雨にけぶる弥生文化博物館

ここは1991年に開館し
もう20年以上の歴史を持ちます。
今のO阪市長の橋〇氏が
知事の時代に、改革の名の下で
存亡の危機にさらされた博物館です。
でも今は生き残っています。
エントランスには
府内各地での歴史イベント案内や
パンフレットが置かれています。

展示室はこんな感じ。



ここは常設の展示室です。

弥生時代当時の人間、弥生人は
結構毛深くて
しっぽまである
こんな恰好だったそうです。



だって、だってそう書いてあるんやもん。

で、この犬の正体は
弥生時代の犬で弥生犬・海渡クンというそうです。

実際は、当時の女性は卑弥呼に例えて
こんな感じ



そして男性は、当時のかっこいい人に例えて
こんな感じ



え、違う?

じゃあ、こんな感じかも



はいはい、わかりました。
悪いのは私です。
チャンネル替えないでくださいね。

だって、衣装が用意されていて
誰でも弥生人になれるんやもん。

(ああ~、たまにコメントをくれる”一匹狼”さんに着せてみたい。
さぞかし似合うやろなあ。)

などと、不謹慎なことをしながら
(だ~か~ら~ 用意されてるんやって)
展示もしっかり見て回りましたぜ。



これは、その展示の一角に
あったもの。

先日、歩いた道にはめられていた
パネルにあった絵柄は
ここからきているんですねえ。

ご近所にあった、こんな博物館。
多分、このブログで中身を紹介したのは
初めてだと思います。
(何せ2000話以上あるもんで・・・
探せんし、憶えとらん)

なかなか、静かないいところで
招待券が手に入ったら
また行こうかなって思ってます。

橋〇さん、じゃなかった
今は松Iさん。
潰さないでね~。


今頃わかっても遅いかもねえ

2013年03月19日 21時11分38秒 | 最近の出来事

息子の部屋を勝手に我が物顔で
使っているdoiron。
すべて占領しているわけではなくて
部屋の片隅に
彼が使っていた
顕微鏡やら画板やら
捨てるに捨てられない表彰状やらが
目立たないように残っている。
ていうか、目立たないように
片隅に追いやったんじゃがね。

そんな荷物の一つに
彼のお絵描き道具入れと
お習字箱もある。
これはまあ、doironも使えるかと
目論んで、残してあるものだ。

学生の頃、これを持って
学校へ行ってたんやろなあ。
お習字箱のあちこちについてる
墨の汚れは彼の勉強の名残でもある。

とまあ、そんな彼の持ち物を見ながら
彼のこどものころを懐かしく振り返るとともに
自分にもそんな授業を受けた記憶が
うっすらとよみがえってきたりもする。
しかし、自分の学生の頃の記憶の中に
お絵描きやお習字が
楽しかったという部分が
少しもないのにはがっかりする。

今なら、お習字の時間なんて
待ち遠しくて仕方ないだろうに。

図画の時間も待ってましただろう。

なのになぜ、当時それを楽しむ気持ちが
少しもなかったんだろう。
材料もテーマも方法も
すべて与えられて、教えられて
作り上げていくことだけに
専念する機会を与えられていることを
なぜもっともっと楽しめなかったんだろうと
後悔するのである。
若い時にはほかにもっと
楽しいことがあったんやろねえ。
でもそれが何だったのかも
今は記憶の彼方にかすんでしまっている。

話は変わって、先日10歳年上の
親戚の人が60年ぶりで
doiron家を訪ねてきた。
60年ぶりということは
まだその頃doironはいない。
だからその人はdoironにとっては
相手の家でお会いしたことはあっても
こちらの自宅でお会いしたことが
なかったということになる。

なんでも、doiron市の周年事業で
歴史のシンポジウムがあるから
聞きに来て、近くまで来たので
寄ったのだそうだ。

60年前と今じゃまったく街の様子は
違っているだろう。
doiron家の前にあった小川は
下水管になり、
近所にあった大きな池も今は
小学校になっている。
道も広くなり、地形もずいぶん変わっているだろう。
ただ、唯一変わらずあるのが
神社とその森にあるクスノキの大樹だったそうだ。

そのことは、彼をとても感激させた
何せ、歴史マニアなのだ。
過去の痕跡などを見つけることに
たいそう喜びを感じる人なのである。

そういえばdoironも
神社仏閣、街道などに
最近興味を抱いている。
人間て歳を取るとなぜか
歴史に興味を持つようになる人が多いんだよね。

それは何故なんでしょう。

もう今はこの世にいない人々の
生き様を知ることで
自分の生き様を確認しようとするのだろうか
それとも、何らかの形で
自分を歴史のワンピースとして
残しておきたいという思いから
先人の姿を偲ぼうとするのだろうか。

そのへんはまだ自分にもよくわからない。

でもねえ、ここでもまた思うんだ。

学生の頃習った歴史の授業も
退屈だったなあって。

受験のために、年代を覚えて
人の名前を憶えて
そんな授業のなんとつまらなかったことか。

しかし、もし今自分が学生なら
目をキラキラさせて
日本史や世界史の授業を受けただろうな。

そう考えると、勉強って
きっともっと楽しいもんなんだろう。
ただ、悲しいかな
若い時にはそのことに気が付かないんだよな。

そう、それはやはり
若い人にとって勉強は
受験のために詰め込むものでしかないのかもしれない。
自分から興味を持って
好奇心を抱いて学ぶ
やっぱりそれが本当の勉強なんだろう。
勉強というものは本来そうあるべきなんだって
今頃わかってきたのが
我ながらなんとも情けないなと
思ったりしているわけです。


和泉名刹、ご明察 後編

2013年03月18日 21時41分04秒 | ウォーキング

和泉中央からてくてく歩いて、一時間。

ようやく松尾寺に到着しました。



本堂に行くには、こんな階段を
上がっていきます。
70段くらいですが
かなり急です。巻き道もありそうです。

階段の途中にあったのが

首堂(こうべどう)



この写真には、日付以外に
ちょっと写りこんでいるモノがありますが
ここではさらっと流しておきましょう。

階段の途中には立派な山門もあり



持国天と増長天がお出迎えしてくれます。

そして登りきったところが本堂です。


再掲

それにしても写真が微妙に
右に傾く癖がありますね。
どうも脳内バランスが悪いのかもなあ。
と、アップして今気が付きました。
ビンズルさんの頭をなでなでしてきてよかったですわい。

このお堂の周りにもいくつか祠があり
ビンズルさんだけでなく
不動明王や弘法大師も祀られています。
いろいろとお祈りしがいはありそうです。

きっと地元の人は
何かにつけてお詣りするんでしょう。
このあたりの町名は
松尾寺町といいます。


なぜか時計が無性に自己主張している公民館。
このあたりの人は時間に厳しいのかも。

いずれにしても松尾寺は
地元の大切なお寺なんでしょうねえ。

そして各家の玄関口に
こんな紙が貼られているのも
なにか関係しているんでしょうねえ。



とまあ、お詣りを終えて
もしここから、帰りはバスでというなら
この辺りはバスを見かけたら
手をあげると止まってくれるようです。





こんな杭がたってました。
安全第一であることは後ろのトラ柵に
言われるまでもありません。

でもdoironは帰りは別コースを歩きました。

境内を抜け、山道を入っていくと
池沿いの緑に覆われた
道に出てゆきます。
まるで山の中を歩くようで
初めての人は
ちょっと心細くなるかもしれませんが大丈夫です。



振り返ると、こんな道を通ってやがて、



池のふちに出て
ちゃんと街に出てゆきます。

そんな山道にサヨナラして
盛んに住宅開発をしているはつが野から
和泉中央までは歩道をまっしぐらに歩きます。



この道をゆくときにはいつも
かつてランで通った時に
土砂降りの雨に降られたのを思い出します。

こうして全行程9.5キロ
歩数にして1万3000歩のウォーキング終了です。
バイクで駆け抜ける
ランで走り抜けるのとはまた違ったものが
見えたような気がした
名刹の旅でした。


和泉名刹、ご明察 前編

2013年03月17日 21時43分14秒 | ウォーキング

ジダン風のブログにはまっている
今日この頃です。
異なるのは、アップがこちらは
一日に一回ということで
少し、手抜きの感も否めませんが・・・
doironは歩いてますが
走ってもよし、バイクでもよしの
コースですから、スポーツライフの
参考になれば幸いです。
と、この謙虚さは
ジダンブログにないでしょう

それでは和泉の山麓にある名刹、松尾寺を
訪ねるウォーキングを紹介します。

和泉中央までは
南海バスも多く出ていますが
車で行っても、一日最大料金の設定がある
駐車場に止めれば
もしあなたが、同行二人なら元が取れます。

doironはひとりでしたが
駅の北側の病院横のPが
一日最大1000円だったのでそこに止めました。
(結果的に700円で済みましたがね)

車を降りて、和泉中央の駅の方に向かったのが
午前10時10分。
この時間なら、ホームセンターのPを利用
ということも考えられますな・・・

で、その時間からもうウォーキングのカウントは始まっています。

駅の建物や商業施設の中を通り抜け
シティプラザという公共の建物も
通り抜けると、まずトンネルをくぐります。



写真は、今回ミセスの
コンパクトデジカメを借りたので
知らないうちに日付が
写りこんでおりました。
トリミングしても差し支えない写真は
切っていますが
そうでないのには写りこんでいますので
目障りな時もあろうかと思いますが、ご容赦を。

このトンネルは、桃山学院大学
(通称 ピン大)への通学路であると同時に
大学周辺住民の皆さんにとって
重要なトンネルだと思います。

トンネルの向こうには長い歩道橋が続き



ここを過ぎると、やがて街に出ます。

この時、目に入ったのがこの看板





帰るまでずっと

桃太郎通り商店街

だと思っていましたが、よく見ると
桃大(ピン大)通り商店街だったんですねえ。

周りを眺めてもお店はまばらで
どこが商店街なのか
わからないまま
標識に沿って、狭い道を右折すると
そこにはこんな吊り橋がありました。



その名も



さすがに大学の構内に続く
道だけのことはありますねえ。

この橋までは約20分で到着です。
そしてこの橋を渡ったところ
正面から左にかけてがピン大



右がピン大グラウンドです。

大学構内なのか、一般道なのか
よくわからない道を歩いていくと
やがてこんな公園に到着します。



宮の上公園

この公園内にあるのがこれ



いずみの国歴史館です。

入館料は何と0円。
doiron家近所の弥生遺跡で発掘された
出土品も数多く並んでいましたぜ。





これは、なんと驚き
池上・曽根遺跡で見つかった
イノシシの骨~



まるで日本列島の形ですね。
これが出土したことで
何を隠そう池上曽根遺跡が
かつて日本の中心であり、
卑弥呼が住んでいた場所であることは

明々白々

doironは卑弥呼の子孫なのだ。

頭が高い~

なんちゃって。

そんな展示があるかと思えば
こんな素敵な資料も



図鑑もらえる

って、なんかのゲームみたい。
「魔剣グラムもらえる」みたいなね。

図鑑だけでなく、様々な資料も
いただき放題のありがたい施設でした。

15分くらいをそこで過ごし
トイレでマーキングもします。そして
そこを出てから、さらに公園内を進み
公園に沿って右に曲がると
住宅街の細くて急な坂道に出ます。
ホントに急こう配の道で
その坂を転がりおりたら
交通量の多い道に出ます。
でも、そこを走るのはほんのわずか。
すぐに久保惣記念美術館の横の
細い路地に入っていきます。
そうして交差点で、先ほどの
交通量の多い道に再び出たところを
右に曲がるとその美術館の正面です。



ここにも何回か来ているのですが
今回は、時間がないのでパスです。
もし中に入って、展示品とかの
ことを書き始めたら
凄いことになりそうなくらい
ここはすごいところです。
なので、それはまたいずれ、ということで
先に歩を進めます。

その美術館交差点のすぐ先に
左に山の方に入っていく道があります。
そのあたりからすでに
松尾寺の参道が始まっているようです。

のどかな田舎道を
春の小さな野草たちを愛でながら
そしてまた、春めいた空気を感じながら
歩いていくと



やがて行く手の遠くに
大きな樹木の樹冠が見えてきます。



これこそが、和泉市最大の樹木

松尾寺の大クスです。

記憶のいいお方なら
以前このブログで紹介したのを
憶えておられるかと思います。

そんな、クスノキがこれ



立派ですねえ。
平成10年に立てられた看板に、
樹齢約700年と書かれてありましたので

今は樹齢710年のクスノキなんですね。
幹回り10m、樹高約30mと書かれてありました。
思わず手を合わせたくなったら
やはりそこに祠がありましたわ。

そんなクスノキに到着したのが
午前11時25分。
スタートして1時間15分経っていますが
歴史館で15分を過ごしたので
ここまで丁度一時間でした。
距離は約4キロほどでしょうか。

松尾寺はもうすぐそこです。

次回に続く~


和泉名刹、ご明察 予告編

2013年03月16日 21時43分58秒 | ウォーキング

先日、親父のかかりつけの診療所で
医師会のてくてくマップを見かけたことを
ブログに書いた。
泉州地方のウォーキングの名所を
地図と言葉で書いてある本で
非売品であったが手に入らないかと
思っていたところ
なんと、たまたまこの前
和泉の和紙のことで
調べに行った図書館に
その本が置いてあったので
無事、借りることができました。

そうしてその本を読んでいると
以前走って行ったことはあったものの
別ルートで行ったために
知らなかったコースが書かれてあったので
昨日、春めいた陽気の中
またもやてくてくと歩いていくことにしました。
目的地は、和泉の名刹

松尾寺

え?じゃあ熊野街道沿いにあるの?

いや、あるとすればそれは、松王子

ないけど・・・

そしてここで警戒すべきは
このコースがジダンブログで
先を越されているかもしれないということです。
彼のブログも、話が多くて
検索にかなりの時間を
費やされてしまいます。

まあ、もし紹介されていても
doironの視点でご紹介できたらと
思っている次第でごじゃります。
いちいち調べられへんし。

では次回からの予告編も兼ねて



これが松尾寺。

きっちり作りこまれたお寺って感じでした。

doironが訪ねた15日は、参拝客もおらず
境内は静まりかえり
ただ鳥の声が聞こえるのみの
落ち着いたお寺でした。

そのお寺は、役行者が開基した寺ですが
かつて織田信長によって全山が壊滅させられました。
しかしそれをまた豊臣秀頼が再建し
現在に至っている
そんな、天台宗のお寺です。

寺の名前が町名にもなっている
知る人ぞ知る名刹でありますね。

コースは和泉中央駅から
建物の中を通り抜け
大学の通学路にもなっている
トンネルや吊り橋を渡って
歩いていくというコースで
途中、「いずみの国歴史館」や
「久保惣記念美術館」に接した道を行く
という、文化の薫り高いコースです。
この辺りは、以前よくバイクやランで
ウロウロしたコースなのですが
こんな味のあるコースがあるとは
知らなかったです。

洗練された泉北高速の駅前から、
心地よい歩道を歩き
やがて、のどかな自然たっぷりの
田舎道を行くという
なかなかのコース。
写真、コースタイム等きっちりと
取材してきましたので
次回からの
このシリーズで紹介したいと
思っています。

全長9.5キロ
歩数1万3000歩のコースです~

次回に乞うご期待!


小栗街道が近いどう最終話

2013年03月15日 21時55分14秒 | ウォーキング

いにしえの街道を歩くというのは
普段何気なく歩く道とは
明らかに何かが違う。

それは、何なのかよくわからない。
街並みの景色であったり、
道が持つ見えない力だったり
流れる風の色だったり
沁みついた人々の祈りだったりする
からなのかもしれない。

人々の暮らしはたしかに
この街道の上に成っていた。
そして今も成っている。


どことなく風情のある街道(府中町)の景色


一人で歩いていても
周りの人々の生活の姿に自分が溶け込み
なにか大勢の人々の
ザワザワした気配も背中に貼りつく。
そしてまるで風や光が街道に沿って流れているように
景色が移動してゆく。
街道を歩いているという意識から
そう感じるのかもしれないが
そういう事を排除しても
街道を歩くと感じるものがある。
霊感、というのではない
直感、ともいうべきものなのかもしれない。

その原因の一つが、
街道上にある多くの地蔵だ。
今回歩いた街道部分は4~5キロ程度だろうが
その道のいたるところにあったのが

地蔵尊

数えていなかったが
ざっと思い出しただけでも
一日で見た地蔵は
多分20を超えているだろう。
子安地蔵、子宝地蔵
安全祈願地蔵といろんな思いで
造られた幾多の地蔵があり
そこに注がれた数多の祈りがあった
のにちがいない。


小栗の名がついた地蔵(再掲)


平松王子近くの地蔵


三名地蔵と名がついてました


井ノ口王子跡にあった地蔵
少子化社会の救世主になれるか。

昔の人はわけのわからないことに
きっと怯え続けたんだろう。
それは病気であったり
予測できない気象であったりしただろう。
それに直面した時
人々は祈るしかできることがなかったはずだ。
そうして、見えない力に
すがって生きてきたからこそ
人々が行きかう街道沿いに
地蔵の建立が盛んだったのだろうと思う。

熊野に向けて人々の祈りは、
街道をゆききし、
その街道のいたるところで
祈りが注がれたがゆえに
街道はパワーストリートなのである。

近所には、この小栗街道(熊野街道)のほか
紀州街道もある。
次回の街道の旅は
そこを歩いてみようと思っている。

さて、次は和泉の名刹、松尾寺を
本日徒歩で訪ねたので
新シリーズ
「和泉名刹、ご明察」が始まるよ。

その時はまた






2013生誕祭

2013年03月14日 21時24分17秒 | 最近の出来事

いつも今頃になると
世間でよく言われるのが
ホワイトデー
そしてお水取りも最盛期で
JRのダイヤ改正の時期なのですが、

何よりも本日、なんとおめでたいことに
そしてまた珍しいことに

doironのお誕生日です。
ちなみに、魚座、さる年、A型です。

え?めでたくも、珍しくもありませんか。

でもありえないほど
激動した56歳が昨日で終わりました。

そして、なんと今日から
不思議なことに

57歳

不思議じゃありません。
当たり前ですね。

56+1=57
わかるっちゅうねん。

そのことを民衆に知らしめるために
我が家の煙突から、今日
黄色い煙を上げました。
コンクラーベじゃあるまいし。
それに、なんで黄色やねん・・・

さてさて、そんな57歳の抱負は
といいますと
なんといっても
先日チラッと書いた

さらなる復興

そのために成すことは

ダイエット

ですかね、やっぱり。

そうしてすっきりした体で
人並みに250キロくらいは走れるように
ならないかなあ。

そして、お仕事もね、しないとね。
でも、これがまたなかなかでねえ。
ただでさえ、こんな中高年を
雇ってあげようなんていう
奇特な方はおられないし、
さりとて自分で事業を起こすなどと
いうことは、そんな商才もないし
家のことをこなしながら
片手間にできるというほど
仕事は甘くもないしね。

ただ、なるようになると思いつつ、
日々、腐らないようには
過ごしていけたらいいかもね。

とまあ、今はね
こうしていただいている時間を
無駄にではなく
やりたいことができる時間として
できることを全力で
やっていきたいと思っている
誕生日のdoironなのでした。



ロールケーキをアレンジした
バースデーケーキ
おいしかったな。

でも明日はこのケーキのカロリーの分
運動しなくてはと思っておりますです、はい。



小栗街道が近いどう5

2013年03月13日 22時10分55秒 | ウォーキング

このブログのシリーズで
和泉市最後の王子である
井ノ口王子にたどり着いたのは
歩き始めて1時間50分。

小栗街道が和泉泉南線と
合流したところが





井ノ口王子

今は地元の会館にもなっているお寺の
境内にその石柱が建てられている。

ここは槇尾川にかかる橋
柳田橋の北詰に当たる。
資料ではこの寺の裏手に
一段と低くなっている窪地があって
それを地元の人は
「オージャクボ」と呼んでいたらしいが
どうやらそれは「王子ヶ窪」から
きているんだと書いてある。

ところで、この柳田橋の下を流れる
槇尾川なのだが
槇尾山西面に端を発した父鬼川が
槇尾山口あたりから名前を
槇尾川に変えて海に向かって流れてゆく。
和泉の重要な水の流れとなっているんですね。

井ノ口王子の前に立って
小栗街道の来た道を背に先を眺めてみると
橋のたもとに南に続く
一本の小さな道が見える。
どう見ても街道の続きに見えるので
歩いてみることにした。

資料では、この井ノ口王子から
1000メートルにわたって
小栗街道は消失していると
書かれてあったはずなのに
と思いながら、住宅地を抜け
コンビニの裏を通り
小さな小川沿いの道をゆくと
橋を渡ったところでT字路でつきあたり
道は左右に分かれていた。
左はずっと以前にランで通ったことがあり
知っていたので
右に曲がり遊歩道を歩いていくと
立派な橋に出た。
この川が松尾川でこの少し下流で
牛滝川と合流し、太い松尾川となって
流れてゆき、
さらにその先で、先ほどの柳田橋の
下を流れていた槇尾川と合流し
大津川となって、大阪湾に注いでいくのである。
いつかはそんな川を巡る旅も
してみたいと思う。
タイトルは
「川の流れのように」ですかね、やっぱり。

で、ここでであった松尾川にかかる
その橋の名前がな、なんと

「小栗橋」



どうやら断片的に小栗街道が
現れては消えを繰り返しているんでしょう。
今度こそ本当に
そこを最後に小栗の名が
少し南の岸和田市内まで
消失しているようでした。

小栗橋を渡って、比較的大きな公園の周りを歩くと
行き止まり。
橋を戻って下流へ行くと
また行き止まり。
この辺りは、川の流れで
地形がかなり入り組んでいて
そこへJRの線路もあったりするから
風通しがあまりよくありませんでした。
結局、元来た道をかなり戻って
踏切につながる道へと
ようやく出てきました。

これで信太王子以南の
和泉の小栗街道は全部歩いたことになります。

ここからは、整備されている
松尾川の河川敷を下流へ歩き
一路家路へと向かったdoironなのでした。



この時歩いた距離は、合計12.8km
17150歩の旅でした。
身近なところですが
足でてくてく歩いてみると
意外な発見があったりするし
地域の歴史のかけらに触れて
なかなか味のある3時間を
過ごさせていただきました。

街道をゆくということで感じたこと
そして街道を歩きながら
気付いたことがもう少しありますので、
それは次の
街道が近いどう最終話で書いてみます。


小栗街道が近いどう4

2013年03月12日 21時45分46秒 | ウォーキング

小栗街道を南下しながら
歩いていくと、いろんな街の景色に
出会います。
特にお店が面白い。
今時珍しい刃物のとぎ屋さん
「鍵開けます」と看板に掲げてある合鍵屋
店の入り口に
「万引きおことわり」
と店の看板より大きく書いてある
何を売っているのかよくわからん店
屋根が大きく崩れた店で古本を並べている店
なんと長屋の一角で開業している医院

とまあ、そんなお店が次々と
現れてきました。

そして、こんな街並みに沿って
神社もあります。
先日、蔭涼寺から歩いて降りてきた道との
交差点をすこし西に行くと伯太神社があります。
ここには、あの平松王子が合祀されているとのことです。
とりあえず、神社では
世界平和をお祈りしておきました

こういうウォーキングの合言葉は
いつも心に太陽を
いつも財布に賽銭を ですな。

また元の街道に戻って
さらに南下していきます。
街道に沿っては
いろんな石碑もあります。
これは、信太山駐屯地前の
三叉路に立っていた石碑。


左に行けば、和泉市の池田を経て
松尾寺に至る道だと書かれてあります。
確かに、いまでも使える交通標識です。
そして、右の側面には


そう、右が小栗街道と記されていますので
ここは石碑に沿って
右の道を取っていきます。



これはその先の伯太高校の前に建てられた
石碑です。


街角には様々な案内が建てられています。
おや、何やら梵字も刻まれた
石碑が現れました。


「牛」の文字が見えますが後は読み取れません。
この後すぐにあった、泉井上神社にも
梵字の刻まれた石碑があったので
そんな関係かもしれませんが、わかりません。

で、その泉井上神社への参道が
小栗街道より続いています。



この神社は、「和泉市」の名前の由来となった
由緒ある神社です。
詳しくは、案内板をお読みください。



て、手抜きやあ
ていうか、市の名前の由来なんて書いてないやん。

そう、そうでした。
由来は境内の清水跡に建てられた和泉清水の看板にありました。



そうです。この神社こそが
和泉市のルーツ。
和泉市はここを中心に
栄えていった街なんですねえ。

この神社は、子どものころから
doiron近郊の人々は
府中神社と呼んでいます。
昔から、盆踊りの夜店が派手だったので
よく連れてきてもらいました。
親戚の人に連れられてきて
お面を買ってもらい
帰りに銭湯に寄って行ったような記憶があります。
遠い記憶のかなたの出来事が
うっすらよみがえった参詣となりました。

実は小栗街道に面しているのは裏口で
本当は南から入ってくる
こちらが正門だと思います。



そうそう、さっきの梵字の石碑ですが
境内の一角にこんな石板が立っていました。



これは珍しい、石の塔婆だそうです。
これにも釈迦、文殊菩薩、普賢菩薩を表す
三つの梵字が刻まれています。
街道沿いの石に刻まれた梵字に
どんな意味があるのかはわかりませんでしたが
きっと、そんな神仏の近くにある石碑なので
何らかの関係があるのだろうと
勝手に推察しています。

そしてまたまた、小栗街道に戻り
さらにさらに南下します。
和泉中央に続く幹線道路を横切り
小学校の裏手を歩いていくと
交通量の多い府道和泉泉南線に出ます。
その交差点にあるのが
和泉市最後の王子

井ノ口王子

なのでした。

またまた続く

*ところで、ジダンブログに登場する
カワセミと水仙のマンホールのふたには
カラーバーションがあります。


これが雨水のカワセミ


そしてこれが水仙

おススメです。

みんなに見てもらいたい。
それは、推薦~

とまあタイアップ企画ということで

野球選手は、タイ・カップ~

失礼しました。