おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

秋の風物詩〔国営ひたち海浜公園〕

2013年10月21日 | NON
10月20日“オータムフェスティバル2013”『国営ひたち海浜公園』に寄り道。
しかしながら、この日の『国営ひたち海浜公園』は台風並みの暴風雨の嵐の中。ご当地グルメイベント、茨城県各市のPRイベントや、ご当地ゆるキャラ大集合、イバライガー撮影会など予定されていた“オータムフェスティバル2013”は中止でした。但し、この日の訪問目的は、秋の「コキア」。春に一面スカイブルー一色の「ネモフィラ」に染まった「みはらしの丘」。秋はその丘を真っ赤に彩る「コキア」が有名です。アカザ科バシア属の「コキア」、別名ホウキ草といい、花ではなく草木。加工すると‘畑のキャビア’として親しまれている“トンブリ”になるのだそう。先週の台風26号にて唐黷トしまいないよう囲いをしたなどとNHKTVニュースになっていました。紅葉は今が盛りの見頃とのことで、天候無視で強行訪問しまたが、先週の台風の影響でしょうか、コスモスはほとんど唐黷トいましたし、コキアはもう少し赤みが増しイチゴ色になれば、綺麗さは感動レベルになるのではと思いました。
大変だったのは、ひたちなか市において一番標高が高い「みはらしの丘」。海から吹く豪風が巻き、私のビニール傘は一瞬で骨だけになってしまいました。そんなこんなでじっくりと「コキア」を鑑賞することはできませんでしたが、茨城を代表する秋の風物詩「コキアの丘」を目に焼き付けてきました。




















北茨城五浦:岡倉天心ゆかりの地めぐり

2013年10月20日 | NON
10月20日、映画『天心』に触発されて、北茨城の天心ゆかりの地を訪れました。
前日、職場のゴルフコンペ参加にて帰省せず、20日は一日ドライブ散策。北茨城:五浦(いづら)へ向かいました。新天地を求めた岡倉天心が、五浦に出会ったのは明治38年(1903年)、天心40歳の頃のこと。明治38年には自らの設計により邸宅と六角堂を建築し、翌年には、横山大観らを呼び寄せます。国内外において精力的に活動しながら、天心は終生この地を拠点としました。現在、北茨城市、五浦海岸周辺は、天心ゆかりの美術館や天心遺跡が観光地となっています。
まずは『茨城県天心記念五浦美術館』へ。常設の「岡倉天心記念室」では、天心の書斎や天心の多方面にわたる業績、大観らの五浦の画家たちが日本画の創造にまい進した五浦の地の歴史的重要性を紹介しています。また、企画展「岡倉天心と文化財~まもり、つたえる、日本の美術」では、明治初期、文明開化の余波で荒廃していた寺院や古美術品の保護に文部官僚として奔走した岡倉天心。天心によって保護された文化財、和歌山熊野速玉大社の国宝「国常立命坐像」や京都平等院「雲中供養菩薩像」まど明治30年代に修理された仏像・神像が展示されていました。
次に茨城大学五浦美術文化研究所へ。道すがら、天心の墓地を参拝。登録有形文化財『岡倉天心邸』の縁側には映画『天心』の看板やャXターが鎮座。東日本大震災(3.11)津波にて流失した『六角堂』は平成24年に再建され、昔の佇まいが甦っていました。思いのほか小さな建物でしたが、太平洋を望む入り江は、この日の荒天に一段と波高く荒れていて、波に洗われた特徴的な崖や岩礁が厳しく情緒深く良い感じした。
その後、『五浦岬公園』では、映画『天心』ロケセット「日本美術院研究所」を見学。天心の4人の弟子たちの創造の場を体感しました。
岡倉天心生誕150年(没後100年)の今年、映画『天心』を鑑賞し、にわかマイブームの岡倉天心ゆかりの地散策に大満足。









六角堂〔観瀾亭〕(東日本大震災3.11津波で流失するも、平成24年再建)












岡倉天心邸(登録有形文化財)







(「亜細亜は一なり」石碑)


岡倉天心の墓地



茨城大学五浦美術文化研究所(天心記念館)











(ウオーナー像)

五浦岬公園(映画『天心』ロケセット)







  木村武山        菱田春草        横山大観         下村観山





天心

2013年10月19日 | Movie
10月19日、シネプレックス水戸での先行上映:映画『天心』をレイトショーで鑑賞。
今年、茨城で最も注目を集める映画のひとつが、北茨城にて晩年を過ごした岡倉天心をモデルにした映画『天心』。2013年は、岡倉天心生誕150周年(没後100年)を迎えるのを記念し、天心の生涯を追った映画です。
日本近代美術の父とも言うべき岡倉天心。1863年に横浜で生まれ、27歳で東京美術学校の校長に。そこでは、天心と共に新しい日本画の確立に奮闘する横山大観らも学んでいました。その後、岡倉天心は1898年35歳で東京美術学校を退き日本美術院を創立。しかし、西洋絵画の技術を日本画に取り入れようとする新しい試みは、世間から批判を受け、うまくいきませんでした。次いで1905年、天心は北茨木市:五浦(いづら)の別荘を改築し六角堂を建設。日本美術院の再起を賭け、横山大観・下村観山・菱田春草・木村武山ら4人の画家たちを呼び寄せました。当時は「美術院の都落ち」と揶揄されることもありましたが、4人の画家たちは岡倉天心の指導の下、優れた作品を残し、日本美術史に大きな足跡を残します。
本作品では、岡倉天心の鬼才ぶりと、岡倉天心に師事し、五浦で七転八豆葛藤の日々を送る菱田春草ら弟子達の姿を描いています。100年前、「クールジャパン」を創った男たちの魂の物語。岡倉天心を演じるは鋳?シ人(若き日の天心:大和田健介)。物語は、中村獅童:横山大観の回想という設定で、神息と言われた下村観山に木下ほうか、弟子物語で夫婦愛美しい菱田春草に平山浩之行、木村武山には橋本一朗、そのほか脇を固めるのは温水洋一、渡辺裕之、本田博太郎らとキャスティングも渋いのです。
エンターテイメントとして愉快痛快な映画ではありませんが、北茨城の地で日本の美術の源流が脈々と流れ出る史実と、その中心にいた日本近代美術の父:岡倉天心(1863~1913)を知るには秀逸。
茨城県では地元をあげて岡倉天心が盛り上がっているよう。にわかながらマイブームです。













vsジェフユナイテッド市原・千葉〔第93回天皇杯3回戦〕*PK戦*

2013年10月14日 | FC TOKYO
10月13日『ジェフユナイテッド市原・千葉vsFC東京〔第93回天皇杯3回戦〕』
こんなゲームになろうとは。帰宅時間を家人へ告げて来た者としては想定外、でもまんざらでもなし。一発勝負のトーナメント方式の天皇杯だからこそ、我等のシオ“No.1 塩田仁史 劇場”でした。手に汗握り、声は枯れの大興奮!のPK。両チーム8人づつが蹴り「6≠T」の勝利は感無量にて、スタジアム遠征観戦、サメ[ター冥利に尽きます。これだからサメ[ターはやめられないゲームとなりました。愛しき谷澤(ヤザー)の活躍に「J2相手に苦戦して・・・」などの外野の声も気になりません。
思うに、昨年の天皇杯2回戦、対:横河武蔵野FC戦の延長後半最後のFKが塩田の頭と手の先を超えたゴールでの劇的敗戦から、今年は天皇杯2回戦でその横河武蔵野FCを退け、3回戦のこの塩田劇場での勝利は、チームにとって塩田にとって天皇杯“倍返し”に値する勝利。
このままお正月まで驀進するのではと胸の期待は膨らむばかり。カップを奪い取れ!


“ No.1 塩田仁史 劇場 ”開 幕!


“ No.1 塩田仁史 劇場 ”プログラム



ジェフ4人目(No.3駐熾j) No.1塩田 右足一本スーパーセーブ







FC東京 1人目~4人目
 No.49ルーカス○    No.6太田宏介○   No.13平山相太○    No.17河野広貴×



ジェフ6人目(No.39谷澤達也) No.1塩田 どんぴしゃ読みでビックセーブ







FC東京 5人目~7人目
   No.8アーリア○      No.4高橋秀人×      No.7米本拓司○
     


ジェフ8人目(No.33高橋峻希) 気迫のNo.1塩田 ボールはクロスバーへ







FC東京8人目 No.2徳永悠平○












“ No.1 塩田仁史 劇場 ”完 結!




vsジェフユナイテッド市原・千葉〔第93回天皇杯3回戦〕

2013年10月13日 | FC TOKYO
10月13日『ジェフユナイテッド市原・千葉vsFC東京〔第93回天皇杯3回戦〕』
千葉遠征観戦は、2012年5月5日『ジェフユナイテッド市原・千葉レディースvsINAC神戸レオネッサ』以来、Jでは2009年11月22日J1第31節の城福トーキョー以来の「フクダ電子アリーナ」。天皇杯での対ジェフ千葉戦は、2010年11月17日雨の味スタ以来でしょうか。あの日ゲームは、大熊ヤング東京が大暴れ、権田・椋原・平出・草民・大徴重松がスタメン、幸野志有人も途中出場し、大窒フ2ゴールで快勝。親心大満足な試合でした。
さて、今日はJ1前節鹿島戦の完敗を受けて、かつ日本代表:森重・権田不在の中、チームの状態を窺う大事な一戦。個人的な注目選手は、不死鳥No.15平松大志、ジェフ千葉ではNo.39谷澤達也にNo.30森本貴幸かな。
ゲームはというと、小粒ながらもスピード感あるジェフ千葉に掻き回されてボールが落ち着きません。前半は、No.7米本がCBNo.16丸山、No.5加賀の後ろまで下がる場面も多く、またジェフNo.30森本も実にいやらしい裏への飛び出しがあったりで、互角の戦いでしたが、41分No.49ルーカスがPKを貰うと自ら決めて先制し前半終了。1点リードの後半は一進一退も、終了間際の後半45分ジェフNo.9深井のゴールで追いつかれてしまいます。延長戦に入ると一転、途中出場のNo.13平山にボールをあつめて攻勢に、惜しいゴールも数ありましたが、あと一歩。「1≠P」延長戦終了。
“塩田劇場”待つPK戦にもつれ込みます。(続く)


(日本代表No.3森重の代役)スタメンCB、No.16丸山祐一に期待



(日本代表No.3森重の代役)キャプテン、No.8長谷川アーリアジャスール



前半41分 No.49ルーカスがPKゲットし自ら先制ゴール!















ヒラマツ!トーキョー!



No.39谷澤達也は、No.30森本貴幸に替わって途中出場





ゲームはPK戦へ〔To Be Continued〕