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四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅〔其之拾九〕 第71番~第74番

2020年12月03日 | Ohenro88
  11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝)の旅』 (19)

9日目(12月3日)は、坂出プラザホテルを朝8時出発。一旦、丸亀方面へ善通寺市まで戻り、第73番・出釋迦寺、第72番・曼荼羅寺、第74番・甲山寺と巡拝し、弘法大師の誕生の地、第75番・善通寺参り。その後、第76番・金倉寺、第77番・道隆寺、第78番・郷照寺、第79番・天皇寺、第80番・国分寺と巡拝。高松市内に入り、翌日の都合から、第83番・一宮寺をお参りし、この日の宿泊先、高松東京REIホテルへの流れでした。弘法大師の誕生の地周辺のお寺ということで、弘法大師の伝説が残っています。大師が仏道入りを決意したという第73番・出釋迦寺の、"捨身ヶ嶽"の伝説もその一つ。弘法大師が、"真魚"と呼ばれていた7歳の時に、倭斬濃山(わしのやま・現、我拝師山)に登り「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に供養します」と願い、山の断崖から谷へと飛び降ります。すると、落下する大師の前に、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が現れて抱きとめ、一生成仏と宣し、大師の願いが成就されたという伝説。感激した大師は、後に、釈迦如来が現われた山を我拝師山と名づけ、その山に出釈迦寺を建立し、釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたというのが第73番出釋迦寺の縁起。その場所は捨身ヶ嶽禅定といわれ、今は寺の奥の院となっています。また、第71番・弥谷寺~第77番・道隆寺の7カ寺の巡拝は、一日お遍路、"四国霊場七ヶ所まいり"と呼ばれていて、お大師さまとの"同行二人"の信仰をもって、本堂・大師堂を巡拝することで、七つの福運を授かることができるとも云われます。



いよいよ最後の宿泊地となる高松市内への9日目(12月3日)の行程は以下のとおりです。

  12月 3日(木)
     = (73)出釋迦寺 = (72)曼荼羅寺 = (74)甲山寺 = (75)善通寺 = (76)金倉寺 =
     = (77)道隆寺 = (78)郷照寺 = (79)天皇寺 = (80)國分寺 = (83)一宮寺 =
    【宿泊】高松東急REIホテル(香川県高松市兵庫町9-9)


【第71番 弥谷寺】
剣五山 千手院 弥谷寺(けんござん せいじゅいん いやだにじ)
 〒767-0031 香川県三豊市三野町大見70
 [ご本尊] 千手観世音菩薩
 [ご真言] おん ばざら たらま きりく
 古より"仏の山"として信仰されてきた弥谷山。天然痘の流行を鎮めるため、行基が堂宇を建立し、聖武天皇の勅願により"大方広法華経厳経"を奉納したのが始まり。弘法大師が7歳の頃、この山を訪れ獅子の岩屋で苦行した。大同2年(807)、再び大師が修行すると、天より剣が5本降り、金剛蔵王権現のお告げを聞く。大師は千手観世音を刻んで安置し、伽藍を再興。山号を剣五山、寺名を弥谷寺とした。

仁王門






本堂


大師堂


奥の院 「獅子の岩屋」(弘法大師が、7歳の頃、この岩屋にて修学に励まれたという。)








【第72番 曼荼羅寺】
我拝師山 延命院 曼荼羅寺(がはいしざん えんめいいん まんだらじ)
 〒765-0061 香川県善通寺市吉原町1380-1
 [ご本尊] 大日如来
 [ご真言] おん あびらうんけん ばざらだど ばん
 創建は四国霊場で最も古い推古4年(596)。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建。初めは世坂寺(よさかでら)と称していました。弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。母玉依御前の仏果菩提を祈るためだったともいわれています。唐の青龍寺にならって伽藍を3年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を曼荼羅寺に改めました。

仁王門


本堂


大師堂








【第73番 出釋迦寺】
我拝師山 求聞持院 出釈迦寺(がばいしざん ぐもんじいん しゅっしゃかじ)
 〒765-0061 香川県善通寺市吉原町1091
 [ご本尊] 釈迦如来
 [ご真言] のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
 出釋迦寺の開基は、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ"捨身ヶ嶽"縁起に所縁があります。弘法大師が7歳の時、我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、釈迦如来と天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し堂宇を建てたといいます。

山門


本堂


大師堂




瀬戸大橋を望む眺望






【第74番 甲山寺】
医王山 多宝院 甲山寺(いおうざん たほうざん こうやまじ)
 〒765-0071 香川県善通寺市弘田町1765-1
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。ある時、甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し供養しました。その後、嵯峨天皇の勅命で、日本最大の溜池"満濃池"造りの別当に任命された弘法大師は、甲山の岩窟で祈願し薬師如来像を刻んで修法。無事に工事が完成させたという。そこで、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊として安置。山の形が毘沙門天の甲冑の形に似ていることから甲山寺と名づけた。




山門


本堂


大師堂


岩窟の毘沙門天


甲山寺のうさぎ(ご本尊の脇仏"月光菩薩"が左手に持った月から飛び出したうさぎ。)




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