かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

マスコミも、30年前の松本サリン事件のときに謙虚に反省できていれば、また違った未来があったかもしれません

2024-06-27 19:07:14 | Weblog
 今朝の奈良市の最低気温は20.5℃、昼の最高気温は25.1℃、五條市の今朝の最低気温は18℃、昼の最高気温は24.4℃でした。今日も一日日差しのないくもり空で、時折細かな小雨がぱらつく降り方をしましたが、そのためだけではなく、ここ数日を見ると朝から少しばかり異様に涼しい日になりました。そのせいなのかわかりませんが、ようやく回復を実感していた風邪がまた少しぶり返したような塩梅で、喉の痛み、咳、くしゃみなどがセットで復活し、身体に怠さが追加されました。まあ数日前に比較すればどの症状も大して強いわけではありませんが、そろそろ症状も無くなって、ようやく健康的な元気が取り戻せそうと思っていた矢先でしたので、症状の軽重よりもその症状がまた現れたことがよほどショックでした。「真夏」になる前に回復しておきたいのですが、なかなか思うようにならないのがもどかしいばかりです。

 さて、ネットニュースを観ていましたら、あの松本サリン事件から今日で30年になるという話が出ていました。カルト宗教教団オウム真理教がやらかした毒ガス兵器によるテロ行為でしたが、その半年後に東京の地下鉄で再びサリンが撒かれるまで、一般には表沙汰にならず第一通報者という善意の人物が容疑者として不当に捕まり、マスコミの手によってあたかも真犯人であるかのごとく連日連夜怒涛の捏造報道を展開されたという、我が国のマスコミの劣化凋落の嚆矢になったような事件でもありました。犯人たるオウム真理教のメンバー達はすでに死刑が執行されていますが、一見して真面目で優秀な人間達がいとも簡単にこのような無差別殺人を犯すことに躊躇しなくなるというカルト宗教の恐ろしさを浮き彫りにしたものでもあります。
 私自身は、当時はまだ読んでいた新聞で連日犯人扱いされていた方に対し、なんて酷いことをするのだろうと憤りを覚えていました。まあオウム真理教という宗教団体など知りませんでしたし、当時大阪日本橋でやたらと安く最新パソコンを売り出していた「マハーポーシャ」を時折観に行っていたくらいしかオウムとの接点はありませんでした。当時は報道内容を疑うなんてあり得なかったように思いますが、思えばそれを疑うようになってきたのも、地下鉄サリン後の報道の手のひら返しと、さんざん犯人扱いしたヒトへの謝罪も無いままオウム報道へと傾倒していくのを観たのがきっかけだったような気もします。もう一つは宮崎勤事件で過熱した偏向報道ですね。一罰百戒で自らを省みて襟を正す機会はあったでしょうに、どちらも反省すること無くひたすら拡大再生産を30年も続けていれば、信頼も信用も失うのは至極当然と言えるでしょう。むしろよく保ったなとかつての報道帝国の権威権力の巨大さがうかがえるというものです。
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