かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

ゲームにのめり込んでしまうのは、そのゲームに危険な中毒性があるからなのか?

2010-08-23 21:27:44 | Weblog
 やっぱりアメリカは訴訟社会なんだな、と思うニュースを見ました。ハワイの男性が日常生活に支障をきたすほどにオンラインゲームにのめり込んでしまったのを、そのような中毒性の高いゲームをその危険性も知らしめなかったせいだ、として制作・運営会社を訴えており、米連邦裁判所の判事が、この訴えを一部認め、門前払いせずに裁判を進行させる姿勢を示した、というニュースです。
 私はゲームにはあまり興味がないせいもあって、この訴えには奇異な印象しか抱けないのですが、一方でネトゲ廃人なる言葉もありますし、日常生活に支障をきたすまで行かなくても、睡眠不足になったりするような弊害はありうるのだろうな、とは思います。ただそれがゲーム会社の責任なのか? と言われると、どうにも?となってしまうのです。競馬や競輪で身をもち崩したり、カジノで財産を失ったりするのと何が違うのでしょう? これら賭け事は、大体において褒められたことではないという扱いを受けているように感じますが、と言って、廃止せよとか、生活が崩れたのはこれのせいだ、と協会やカジノを訴えたりするようなことはないのではないでしょうか。それこそそのヒトの個人的な責任の範疇なんじゃないの? と思うのですが、この裁判の話は、どうも個人の責任だけとは言えないかも? という可能性が示唆されるかもしれない、というのです。
 ゲームに関する心理的な影響や中毒性について、どれくらい研究されているのかよく知らないのですが、我が国にあるような、科学的な要素が完全に欠ける短絡的なゲームやコミック、アニメ悪玉論とは違う、客観的で意味のある研究や調査に繋がるのなら、このような裁判もやってみる価値があるような気がします。まあ、サブリミナル効果のように、影響あるのかないのか今ひとつ判然とせず、研究が続けられていくだけに終わるのかもしれませんが、いずれはそのような取組みの成果が、より安全にゲームにのめり込む手法の開発に結びつくかもしれませんし、中毒を治療や緩和したりできるようなプロテクト技術ができたりするかもしれません。疑わしいものは世の中から抹殺しようと躍起になるよりも、余程建設的で意味深い事なんじゃないでしょうか。

コメント
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