風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

劇団四季 『異国の丘』(7月7日)

2013-07-07 22:12:32 | ミュージカル



 涙さえ凍りつく 最果ての白い野に
 つながれた我が友よ 明日を信じよう

 音もなく降り積もる シベリアの雪の原
 魂は彷徨いつ 異国の丘に

 苦しみの果てに 儚く消えた 名もなき命
 祈りつづけた 愛する人の明日の幸せを

 国破れて 山河あり 
 父母を敬い 兄弟結ばれ 妻を愛し
 友を信じ 幼きを守れ 愛しき者たちよ

 時はうつろい 生命果てても 
 いつかは届け 我が心の声

 いつの日か蘇る 故郷の青い空 
 妻よ子よ 父母よ 燃ゆる想いを・・・

(異国の丘/明日への祈り)



今日は、劇団四季のミュージカル『異国の丘』を観てきました。
私は四季の洋物ミュージカルは苦手なのですが、昭和三部作のような和物や『ハムレット』のようなストレートプレイは四季独特の発声法は気になるものの割と抵抗なく楽しめるため、ときどき観に行きます。
中でもこの『異国の丘』は大好きな作品で、今回は数年ぶり3度目の鑑賞です。

この作品は輸入物のミュージカルが多い中で“日本人にしか演じるのことのできない”そして“日本人が演じなければならない”特別な作品であることはもちろんですが、それを抜きにしてもミュージカルとして非常によくできた作品だと思います。

まず、現在のシベリアの場面と過去のニューヨーク・上海・東京の場面を行きつ戻りつする演出が秀逸。
白色と灰色だけのシベリアの景色と色彩豊かな過去の風景との対比により、主人公秀隆の悲劇が自然に強調され、その切なさに胸が苦しくなる。

そして、音楽がとにかく素晴らしい。
特に最初と最後に歌われる『明日への祈り』は、何度聴いても胸が締め付けられます。
「父母を敬い 兄弟結ばれ 妻を愛し 友を信じ 幼きを守れ」
こういう言葉にまず拒否反応を起こしてしまうのが、私達戦後世代です。
ですが今日この歌詞を聴きながら、なんて強く、なんて暖かい言葉だろうと、そんな風に感じました。
もちろん国家から強制されるべきものでは絶対にありませんし、また個人により事情も異なるでしょう。
その上で、「自己を犠牲にしてでも愛する人を守りたい」、そんな風に生きられたらどんなに幸福だろうかと、そういう価値観からしか生まれない幸福(もちろん不幸もですが)をきっと戦前の日本人は現代の私達よりずっと当り前に持っていたのだと思い、少し羨ましくなりました。
独身の私だから、よりそう感じたのかもしれません。

キャストについて。
九重秀隆役の荒川務さん。事前にご年齢を知り不安いっぱいに臨んだ当日でしたが、歌舞伎ですっかり役と実年齢のギャップに慣れてしまっている私には、この程度はまったく問題ありませんでした、笑。
正直なところ歌唱力はもう少しどうにかならないだろうかとは心底思いましたが(聴いていてハラハラしました・・)、普通の台詞の声はとても若々しく気持ちのいい声をされていて、良かったです。
姿や雰囲気も、原作『夢顔さんによろしく』のボチのイメージとはだいぶ異なるものの、誠実そうで、さすがに“あの”石丸さんには適いませんが、魅力的なボチだったと思います。死の直前にベッドの上で神田に言う「清らかな心」という言葉が胸に沁みる・・・、そんなボチでした。
カーテンコールの笑顔も爽やかでとても嬉しそうで、こちらまで嬉しくなっちゃいました。いい笑顔をされる方ですね。

宋愛玲役の佐渡寧子さんも、とても可愛らしく凛としていて、声も綺麗で良かった。荒川さんのボチとよくお似合いでした。また、原作のイメージにも近かったです。

神田役の深水彰彦さん。歌もお上手で、体格もよく、見栄えしていました。この神田の描かれ方は、原作よりもミュージカルの方が好きです。裏切った方にもきっと迷いや苦しみがあったはず、と思ってしまう私は甘いでしょうか。

語り部も担当されていた吉田役の中嶋徹さんは、とてもいい表情をされるのですが、キャストの中でもとりわけ強い四季発声に最後まで違和感を拭えず、辛かったです。。。。。
本当に四季のこの不自然すぎる発声法、どうにかならないものか。。。。。


さて、以前にもすこし書いたことがありますが、私の亡くなった祖父もシベリア抑留者でした。
子供の頃、父や母の口から出る「シベリア」「よくりゅう」という言葉は「戦争に行った人」とは違う意味をもつことは幼心にもわかりましたが、具体的にどう違うのかがわからず、まるで不思議な異国の言葉のように感じたものです。

昭和20年8月15日、第二次世界大戦は終わり、日本は敗戦から復興への道を歩み始めました。

しかし一方で、終戦時満州にいた60万人もの日本人がソ連軍によりシベリアの捕虜収容所へ連行され、-40度の極寒の地で強制労働を強いられ、6万人以上の方々が亡くなりました。
日本への帰還事業は昭和21年末から始まりましたが、やがて米ソの冷戦により凍結。
最後の引
揚船「興安丸」が舞鶴に着いたのは、終戦から実に11年が過ぎた昭和31年12月のことでした。彼らにとって出征以来となる日本は戦争の疲弊からすっかり立ち直っており、彼らの帰国より少し前の7月、経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言しました。
しかしこの最後の船にさえ乗ることが許されず、その出港直前に収容所で命を落とした人がいました。
『異国の丘』の主人公のモデルとなった、近衛文隆です。その理由はただ一つ、彼が近衛文麿元首相の息子だったからです。

このような歴史を、一体どれだけの日本人が知っているでしょうか。
浜松町駅から四季劇場へ向かう人々の殆どは隣の春劇場(ライオンキング上演中)に流れていきますが、ぜひ少しでも多くの方が
秋劇場にも足を向け、68年前にこの国に起きた「戦後最大の悲劇」とも言われるシベリア抑留という歴史に思いを馳せていただければと思います。

7月13日まで、劇団四季・秋劇場にて。




舞鶴引揚記念館のある引揚記念公園の丘から見下ろした、舞鶴港。
シベリアや満州からの引揚船は皆、この舞鶴港に到着しました。
11年間、文隆がどれほど夢見たか知れない景色です。
ですが彼がこの景色を見ることは、ついに叶いませんでした。






引揚船の出港地であるソ連の「ナホトカ」の方角を示した方向碑。




4月下旬に訪れた引揚記念公園は、小雨のなか、八重桜が満開でした。
祖父の乗った引揚船がこの港に着いたのも、この季節でした。



『異国の丘』 ~明日への祈り(プロローグ)~


『異国の丘』 ~異国の丘~


『異国の丘』 ~明日への祈り(エピローグ)~

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