シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

アドルフの画集

2007-02-05 | シネマ あ行
1918年第一次世界大戦後のミュンヘン。裕福な家の出のユダヤ人マックスロスマンジョンキューザックは戦争で片腕を失いながらも画商として成功しつつある。そんな彼が出会った画家志望の青年アドルフヒトラーノアテイラー。彼は戦争から戻り、苦しい生活を強いられていた。マックスはそんなヒトラーに同情し、いい絵が書けたらうちで売ってやると言う。ヒトラーは絵を描きながらも生活を保障してくれる軍隊で生活をし、彼らのプロパガンダを広めるため集会で反ユダヤの演説などをしていた。マックスはヒトラーに軍隊での演説なんかよりも絵に専念するように叱咤激励するのだが…

これはもちろん史実に基づいた話ではなく、ヒトラーが画家を目指していたことをヒントに作られたフィクションなのであるが、物語としてとてもよく出来ている。こういう物語を作ると、どうしてもヒトラーを肯定的に受け止めていると批判が出がちだが、この物語がヒトラーが行った反ユダヤ政策の肯定につながるとはワタクシには思えない。

ただ、一人の人間の人生として考えたときに、「もしあのときこうだったら」という考えはたとえそう考えることが無駄だと分かっていても必ず存在する。それはたとえヒトラーでも同じこと。ヒトラーがもし画家として成功していたら。その「もし」から逆に考えを広げていって作られたのがこのお話である。

裕福なユダヤ人マックスとみすぼらしいヒトラーを対比させてこの物語は進む。反ユダヤの思想はこの時点ですでに浸透しているし、ヒトラーの中にも十分芽生えていたものだが、まだこの時点ならば、いかようにも転ぶことができたであろう歴史。マックスとヒトラーの間で揺れ動くこの先のユダヤ人の運命。本人たちの気づかないうちにユダヤ人の運命が彼らによって綱引きされているようだ。この映画の中でマックスがどういう行動を取ろうと、実際に殺された何百万人の命が帰るわけではないというのは当たり前なのだけど、見ている間は思わず、「マックス、頑張れ。あなたの言動ひとつで彼を、そしてたくさんのユダヤ人を救えるんだ」と思って、ついつい手に汗握ってしまう。

ついに、ヒトラーの非常に素晴らしい絵が出来上がり(それは彼の第三帝国の思想から生まれたものではあったが)個展をさせてやると息巻くマックス。もうこの演説が最後だと軍に別れを告げカフェでマックスを待つヒトラー。

もしもあのとき…このラストに胸が詰まる。

若き日のヒトラーを演じるノアテイラーが似てるとも似ていないとも分からないけど、独特の雰囲気をかもし出していて、危うい不気味さと繊細さのようなものをうまく表現していたし、映像に表れる終末観やマックスが発表するアートなどもなかなかの見ものである。