シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

戦場でワルツを

2009-12-10 | シネマ さ行
アカデミー外国語映画賞を「おくりびと」と争い、むしろこちらのほうが本命視されていた作品である。

映画監督のアリフォルマンは友人から悪夢に悩まされていることを聞く。そして、それが1986年のレバノン侵攻のときに出兵したときの後遺症だとも。そして、フォルマンはその話を聞いて、自分もあの時出兵したのに、そのときの記憶がぽっかりと抜け落ちていることに気付く。フォルマンは悪夢を見る友人に「自分じゃなくて誰か他の人(専門家)に打ち上げたほうがいいんじゃないか?」と言うが、その友人は「だからお前に話してるだろ」と言う。映画監督である自分に友人はそのことを打ち明けた。当時同じように出兵していた彼に。そして、そのときの記憶のない彼に。ここから彼の映画監督としての“旅”が始まる。

フォアマンはまずどうして自分の記憶がないのかを精神科医の友人に相談する。そこで人間の記憶とは実に曖昧なものであることを知り、断片的なレバノン侵攻の記憶の中に登場する友人たちをたどって、あそこで自分が本当に見たものはなんだったのかを調べ始める。

この作品はアニメーション作品。と言っても、記憶や空想以外の場面は実際に人間が演技をした映像をアニメのように処理してる。「ウェイキングライフ」という映画があるけど、あんな感じと一緒なのかなと思う。この作品では主人公が記憶をたどる旅なので、それぞれの記憶や夢や空想がアニメで表現されることで違和感なく見ることができる。さまざまな再現を用いなければいけない作品なので、アニメにしたのは正解だったのかも。

さて、主人公はレバノン侵攻で何が起きたのかを探り、自分のゆがんだ記憶の再生に努めるわけだけど、最終的に話は「サブラ・シャティーラ虐殺事件」というものに辿り付く。フォルマンが友人たちに話を聞いてまわりながら、過去の戦争を辿っていくという手法は非常に興味深いもので、フォルマン自身の記憶が抜け落ちてしまっていることから、観客も主人公と同じ目線で記憶を辿っていけるようになっているところはエンターテイメントとしてもレベルの高いものになっていると思う。ただ、最終的に辿り付く「サブラ・シャティーラ虐殺事件」というものについて知識がなかったために、いまいちよく分からない展開になってしまった。それ自身はワタクシの勉強不足なので仕方ないことだったと思う。実際に虐殺を行なったのはイスラエル軍ではなく、レバノンの民兵だったことに頭が少し混乱した。

最後にアニメから虐殺事件の被害者たちの実写映像に変わるところで、観客は一気に現実に引き戻される。変な言い方になってしまうけど、とても賢いやり方だと感じた。これが、現実にあった戦争の話だということが分かっていても、やはりアニメだけで終わってしまうより、最後の実写映像があることによって、観客の受ける印象は随分変わったと思う。

フォルマン監督がこの作品を制作している最中にまたイスラエルはレバノン侵攻を始めてしまった。なんという皮肉だろう…


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