
四国の5日目、まだ宇和島にいます。
宇和島藩と言えば和霊騒動、と言われるほどに、現在もいろいろな史跡が残されています。
家老の山家公頼が主君である伊達秀宗に誅殺をされた騒動は、宇和島藩の存続すら危ぶまれた事件になっていきます。
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市の中心部にほど近いところにある、和霊廟と山家公頼邸宅跡です。
公頼は秀宗の父である伊達政宗から家老としてつけられた家臣でしたが、同じく政宗の家臣であった桜田元親らと対立をします。
政宗からの信頼が篤かった公頼は秀宗からは疎まれて、遂には誅殺の憂き目に遭います。
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しかしその後、公頼と対立をしていた者が不審の死を遂げたり、秀宗も病に倒れるなどして怨霊騒動になります。
この怨霊がどうのというのは伝説の域をでませんが、これほどの立派な和霊神社が建立をされ、その主祭神が山家公頼だということだけは間違いのない事実です。
またこの騒動により親子が不和となり、政宗は幕府に宇和島の返上を申し出たため、危うく宇和島藩は消滅をするところでした。
さて、いよいよ宇和島城です。
登り口は2箇所あるのですが、今回は搦め手にあたる上り立ち門から登ることにしました。
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この上り立ち門は宇和島市の文化財に指定をされており、慶長年間、あるいは寛文年間の建立ではないかと言われています。
武家屋敷の正門とされる薬医門形式であり、戦国期の門とは違って戦いに向いたものではないように見えました。
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門をくぐると石段が続いており、ひたすら登っていくことになります。
宇和島城は梯郭式平山城ですから標高もそれなりにあり、比較的きれいに残された石垣を横目に天守閣を目指します。
15分も登ると広い場所に抜けますが、ここが児童公園になっている長門丸跡です。
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ここから一気に天守閣まで行きたい気持ちを抑えて、逆に道を下って上り立ち門とは対角線上にある桑折氏武家長屋門に向かいました。
この門は家老であった桑折氏の屋敷の門を移設したもので、当時からここにあったわけではありません。
従って当然のことながら城門の体を成していないのですが、武家屋敷としても貴重な建造物です。
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ここから再び天守閣を目指して登り始めたのですが、下ってきたのと同じ道を通っても面白くはないので、鬱蒼とした木々に囲まれた別の細い石段を登ることにしました。
しかしこれが結果的には正解で、いろいろな史跡を通りながらも実は近道でもあったという、まだまだ自分の勘も捨てたものではなかったようです。
井戸門跡、井戸丸跡、山里倉庫、雷門跡、三ノ門跡、二ノ丸跡、一ノ門跡と、ほとんどが石垣ぐらいしか残されてはいないのですが、それでも往時の規模を知るには充分すぎるぐらいの史跡がここそこに散らばっていました。
そして登っている途中でちらちらと見えていた天守閣が、ようやくその全容を現します。
3重3層の天守閣は現存天守であり、国の重要文化財に指定をされています。
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前回に訪れたときにもそうだったのですが、午前中は正面から見ると逆光になる、なかなか写真が撮りづらい城です。
宇和島城は橘氏が最初に築いたと言われており、その後は西園寺氏、小早川氏、戸田氏を経て、藤堂高虎が城主となります。
慶長年間に高虎は大改修を加えますが、今の天守閣は2代藩主の伊達宗利の時代のもののようです。
天守閣から見た宇和島市街です。
開けた町並みが海と山に囲まれた風景は、何とも言えないバランスがあります。
自然と文化が融合した、とは言い過ぎでしょうが、のんびりと時間を過ごすにはぴったりの場所だと思います。
宇和島城を出て次に向かったのは、宇和島伊達家の資料を展示している伊達博物館です。
前回は休館日だったために入れず、よってかなりの期待をしていたのですが、その立派な建物と今回の旅で一番高かった入館料に比して、やや内容は期待はずれでした。
多くの資料を分けて展示をしているのでしょうから今回は運が悪かったのだと、9月からの創立35周年特別展である戦国武将伝を見たかったと、そんな思いで博物館を後にしました。
【2009年8月 四国の旅】
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