電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
■超拡散記事『ジャニーズ事務所等日本のタブーの芸能界や在日外国人の凶悪殺人事件を実名報道で斬り込むBBCへ情報提供』
■超拡散NEWSポストセブン記事『《壮観》三浦春馬さんの提灯が靖国神社「みたままつり」にズラリ並ぶ理由「毎年参拝」の意外な縁と今も続く「ファンの熱量」』
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「こころの玉手箱」 バイオリニスト・辻久子
[1] 父の演奏写真
[2] 大阪市中央公会堂
[3] 恩師がくれた譜面
[4] 愛器ストラディヴァリウス
[5] 堂島川の眺め
なにしろ戦中派。家を焼け出されるくらいの経験は繰り返し味わってきた。おまけに当時、一年の大半は演奏旅行で家を空けがちで、事実上のホテル暮らしだ。「家はまた買えるかもしれないけど、このバイオリンとはいつ再会できるか分からない」。そう考えたら未練はなかった。マスコミに騒がれたが、今でも正しい判断だと思う。
[4] 愛器ストラディヴァリウス――家と引きかえ手にした“分身”
(「心の玉手箱」09.03.12日経新聞(夕刊))
バイオリン至高の名器とされるストラディヴァリウスのひとつ、1703年製の通称「ディクソン・ポインター」。私にとって、命に代えても惜しくない“分身”でもある。楽器のよしあしが演奏内容を大きく左右するからだ。
出合いは1973年、大阪の百貨店で開かれた世界の名器展だった。ストラドのほか、グァルネリも試し弾きした。そしてこのストラドのとりこになった。音が素直に鳴ってくれるのだ。普通、楽器はそれぞれ固有のクセがある。それをあらかじめ踏まえ織り込んで弾くものだと思ってきた。ところがこの楽器はクセがない。力を入れても音が濁らない。大海にゆったりと身を浮かべる客船のようで、7、8時間弾き続けてもへばらない。弦を緩め休ませなくても、翌日、演奏に堪える。
十日間の試奏期間をもらい、持ち帰って家であれこれ試した。手にした初日には、もう何としても手に入れたいと思った。以前、演奏力を認めてもらったソ連のオイストラフ先生に「それにしても、君はなぜこれほどそまつな楽器を使っているのか」と指摘されたことも、胸の隅にしこりとなって残っていた。
どうしたら手に入るか。銀行も貸し出しに応じてくれるだろうが、ローンを組むのはイヤだ。払い終わるまで自分のものでないような気がする。楽器は演奏家の分身なのだから、購入したその日から100%自分のものでなければ。そうだ、家を売ってしまおう。北海道に住んでいた夫にも相談もせず、甲子園(兵庫県に西宮市)の自宅を3千5百万円で処分した。
なにしろ戦中派。家を焼け出されるくらいの経験は繰り返し味わってきた。おまけに当時、一年の大半は演奏旅行で家を空けがちで、事実上のホテル暮らしだ。「家はまた買えるかもしれないけど、このバイオリンとはいつ再会できるか分からない」。そう考えたら未練はなかった。マスコミに騒がれたが、今でも正しい判断だと思う。
父に似てモノへの執着が薄い自分が、これほどの執着をみせたことはなかった。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
■超拡散記事『ジャニーズ事務所等日本のタブーの芸能界や在日外国人の凶悪殺人事件を実名報道で斬り込むBBCへ情報提供』
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「こころの玉手箱」 バイオリニスト・辻久子
[1] 父の演奏写真
[2] 大阪市中央公会堂
[3] 恩師がくれた譜面
[4] 愛器ストラディヴァリウス
[5] 堂島川の眺め
なにしろ戦中派。家を焼け出されるくらいの経験は繰り返し味わってきた。おまけに当時、一年の大半は演奏旅行で家を空けがちで、事実上のホテル暮らしだ。「家はまた買えるかもしれないけど、このバイオリンとはいつ再会できるか分からない」。そう考えたら未練はなかった。マスコミに騒がれたが、今でも正しい判断だと思う。
[4] 愛器ストラディヴァリウス――家と引きかえ手にした“分身”
(「心の玉手箱」09.03.12日経新聞(夕刊))
バイオリン至高の名器とされるストラディヴァリウスのひとつ、1703年製の通称「ディクソン・ポインター」。私にとって、命に代えても惜しくない“分身”でもある。楽器のよしあしが演奏内容を大きく左右するからだ。
出合いは1973年、大阪の百貨店で開かれた世界の名器展だった。ストラドのほか、グァルネリも試し弾きした。そしてこのストラドのとりこになった。音が素直に鳴ってくれるのだ。普通、楽器はそれぞれ固有のクセがある。それをあらかじめ踏まえ織り込んで弾くものだと思ってきた。ところがこの楽器はクセがない。力を入れても音が濁らない。大海にゆったりと身を浮かべる客船のようで、7、8時間弾き続けてもへばらない。弦を緩め休ませなくても、翌日、演奏に堪える。
十日間の試奏期間をもらい、持ち帰って家であれこれ試した。手にした初日には、もう何としても手に入れたいと思った。以前、演奏力を認めてもらったソ連のオイストラフ先生に「それにしても、君はなぜこれほどそまつな楽器を使っているのか」と指摘されたことも、胸の隅にしこりとなって残っていた。
どうしたら手に入るか。銀行も貸し出しに応じてくれるだろうが、ローンを組むのはイヤだ。払い終わるまで自分のものでないような気がする。楽器は演奏家の分身なのだから、購入したその日から100%自分のものでなければ。そうだ、家を売ってしまおう。北海道に住んでいた夫にも相談もせず、甲子園(兵庫県に西宮市)の自宅を3千5百万円で処分した。
なにしろ戦中派。家を焼け出されるくらいの経験は繰り返し味わってきた。おまけに当時、一年の大半は演奏旅行で家を空けがちで、事実上のホテル暮らしだ。「家はまた買えるかもしれないけど、このバイオリンとはいつ再会できるか分からない」。そう考えたら未練はなかった。マスコミに騒がれたが、今でも正しい判断だと思う。
父に似てモノへの執着が薄い自分が、これほどの執着をみせたことはなかった。