電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

家はまた買えるかもしれないけど、このバイオリンとはいつ再会できるか分からない――辻久子

2024-02-19 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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「こころの玉手箱」 バイオリニスト・辻久子
 [1] 父の演奏写真
 [2] 大阪市中央公会堂
 [3] 恩師がくれた譜面
 [4] 愛器ストラディヴァリウス
 [5] 堂島川の眺め


なにしろ戦中派。家を焼け出されるくらいの経験は繰り返し味わってきた。おまけに当時、一年の大半は演奏旅行で家を空けがちで、事実上のホテル暮らしだ。「家はまた買えるかもしれないけど、このバイオリンとはいつ再会できるか分からない」。そう考えたら未練はなかった。マスコミに騒がれたが、今でも正しい判断だと思う。


[4] 愛器ストラディヴァリウス――家と引きかえ手にした“分身”
(「心の玉手箱」09.03.12日経新聞(夕刊))

バイオリン至高の名器とされるストラディヴァリウスのひとつ、1703年製の通称「ディクソン・ポインター」。私にとって、命に代えても惜しくない“分身”でもある。楽器のよしあしが演奏内容を大きく左右するからだ。

出合いは1973年、大阪の百貨店で開かれた世界の名器展だった。ストラドのほか、グァルネリも試し弾きした。そしてこのストラドのとりこになった。音が素直に鳴ってくれるのだ。普通、楽器はそれぞれ固有のクセがある。それをあらかじめ踏まえ織り込んで弾くものだと思ってきた。ところがこの楽器はクセがない。力を入れても音が濁らない。大海にゆったりと身を浮かべる客船のようで、7、8時間弾き続けてもへばらない。弦を緩め休ませなくても、翌日、演奏に堪える。

十日間の試奏期間をもらい、持ち帰って家であれこれ試した。手にした初日には、もう何としても手に入れたいと思った。以前、演奏力を認めてもらったソ連のオイストラフ先生に「それにしても、君はなぜこれほどそまつな楽器を使っているのか」と指摘されたことも、胸の隅にしこりとなって残っていた。

どうしたら手に入るか。銀行も貸し出しに応じてくれるだろうが、ローンを組むのはイヤだ。払い終わるまで自分のものでないような気がする。楽器は演奏家の分身なのだから、購入したその日から100%自分のものでなければ。そうだ、家を売ってしまおう。北海道に住んでいた夫にも相談もせず、甲子園(兵庫県に西宮市)の自宅を3千5百万円で処分した。

なにしろ戦中派。家を焼け出されるくらいの経験は繰り返し味わってきた。おまけに当時、一年の大半は演奏旅行で家を空けがちで、事実上のホテル暮らしだ。「家はまた買えるかもしれないけど、このバイオリンとはいつ再会できるか分からない」。そう考えたら未練はなかった。マスコミに騒がれたが、今でも正しい判断だと思う。

父に似てモノへの執着が薄い自分が、これほどの執着をみせたことはなかった。
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