電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

つけようと思ってつけられるものではない身体性は演技の上手下手を超えている――齋藤孝さん

2013-03-16 | 05-真相・背景・経緯
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『眼力』http://tinyurl.com/ac559q4
【 齋藤孝、三笠書房 (2008/02)、p179 】

◎黒澤明が三船敏郎を見出した瞬間

黒澤明の著書『蝦蟇(がま)の油 自伝のようなもの』(岩波書店)によれば、黒澤が三船敏郎を発掘した時の話は非常にエキサイティングだ。映画『酔いどれ天使』の製作のため、東宝がニュー・フェイスを募集した。そのときの審査の様子が書かれている。これも、眼力が身体の持つエネルギーを感知することで発揮された例だ。

  その面接と実技の日、私は「我が青春に悔いなし」のセット撮影中
  で、その試験に立ち会えなかったが、昼の休みにセットから出て来
  ると、高峰秀子に呼びとめられた。

  「凄いのが一人いるんだよ。でも、その男、態度が少し乱暴でね、
  当落すれすれってところなんだ。ちょっと、見に来てよ」

  私は、昼食もそこそこに、試験場へ行ってみたが、そのドアを開け
  てぎょっとした。

  若い男が荒れ狂っているのだ。

  それは、生け捕られた猛獣が暴れているような凄まじい姿で、暫く
  私は、立ち竦んだまま動けなかった。

黒澤明が立ちすくんで動けないくらいのエネルギー値とはどれくらいの凄まじさだったのか。実はそれは応募してきた男が、演技の課題として与えられた怒りの表現を演技していたときのこと、虚構なのだが、それでもものすごいエネルギーが発散されていたのだろう。

演技が終ると、男はふてくされたように椅子に座る。審査員の多くはそれを不遜な態度だと見たが、黒澤は彼の照れ隠しだと見抜いた。

  私は、その男に不思議な魅力を感じて、審査の結果が気がかりだっ
  たので、セット撮影を早目に切り上げて、審査委員会の部屋を覗き
  に行った。

  その若い男は、山さんが極力推しているにもかかわらず、投票の結
  果落選ときまった。

  私は思わず、ちょっと待ってくれ、と大きな声を出した。

当時はオーディションの審査委員会が映画製作の専門家と労働組合の代表たちで構成されていた。労働組合の力が強かったために決議はすべて投票である。そのため専門家の票数が足りなかった。黒澤明はもともとそのシステムが腹に据えかねていたので、待ったをかけたというわけだ。

  俳優の素質を見極め、その将来性を判断するためには、専門家の才
  能と経験がいる。

  俳優を選考するのに、俳優に関して専門家の一票も門外漢の一票も
  同じ一票だと考えるのは、宝石の鑑定は、宝石商にやらせても、八
  百屋にやらせても同じだ、と考えるに等しい。少なくとも、俳優の
  選考に関しては、その道の専門家の一票は、その道には素人の一票
  に比べて、三票或いは五票に値すると考えて投票の計算をやり直し
  てもらいたい、と私は強く主張した。

最終的には、このときの審査委員長がその若い男についてはすべて責任を持つということになり、採用した。彼こそ三船敏郎である。黒澤は三船に対し、それまでの日本映画にない才能、すなわち表現力のスピード感を感じた。「なんでも、ずけずけずばずば表現する、そのスピード感は、従来の日本の俳優には無いものであった」と表現されるような身体性は、つけようと思ってつけられるものではない。演技の上手下手を超えている。

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