電脳筆写『 心超臨界 』

つぎの目標を設定したり新しい夢を描くのに
年を取りすぎていることなどけっしてない
( C・S・ルイス )

さわさんが教えてくれた企業の原点――多根裕詩

2024-07-31 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
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(2005年6月29日投稿)

人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える
しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に
( 森信三 )

三城の多根裕詩社長は、9歳の時に赤痢を患い、生死の境をさまよう。その時看護にあたられたのが、上海の陸軍病院で看護婦長をしていた永田さわさん。多根さんの母の友人で、その時たまたま帰省していたという。

さわさんが勤めていた陸軍病院は米ロックフェラーの寄贈施設だった。多根さんは、さわさんの話から、金もうけだけではない企業の使命を知らされる。Paris Mikiで知られる三城は今、中国に眼鏡店を133店持つ。かつてさわさんが勤務していた中国で、「その国の人のための企業」を実践している。

人は両親から生を受ける。これが出逢いの始まり。多根さんは9歳で赤痢を患った時、母の友人のさわさんに出逢い、命を救われる。しかも、その時のさわさんの教えが多根さんの企業人生の原点となる。

まるで中村天風先生とカリアッパ師の出逢いを思わせる。この出逢いのおかげで、天風先生は不治の病といわれる結核から生還し、その後の哲人の道を歩むことになる。いずれの話も出逢いの妙を感じさせる。


◆さわさんが教えてくれた企業の原点――多根裕詩

「交遊抄――人のための企業」三城社長 多根裕詩
2005.06.29 日経新聞(朝刊)

子供のころの私は病弱で、9歳の時には赤痢を患った。当時としては命にかかわる大病だ。回復できたのは私の両親と、同郷の出身でたまたま帰省していた母の友人、永田(旧姓鈴木)さわさんの看護のおかげだ。

東洋紡績で働きながら看護学校に通ったというさわさんは当時32歳で、上海の陸軍病院で看護婦長をしていた。三城は現在、中国に小さな眼鏡店を133店持つが、そもそも私が中国に親しみを感じるようになったのは、あのとき、さわさんが病床の私に中国での話をいろいろとしてくれたからだ。

なかでも印象深かったのは、さわさんが勤めていた病院がもともと、米ロックフェラーの寄贈施設だったという話。金もうけだけではない「世界の中の人の役に立つ企業」というさわさんの言葉は、企業が担う社会的使命を啓発するメッセージとして今でも私の中に強く残っている。

中国に1号店を出す1年前、1991年に上海大学眼鏡学部の設立に出資を決めたとき、私は真っ先に永田家に足を運んだ。さわさんは既に亡くなられていたが、誰より先にご霊前に報告したかった。さわさんが教えてくれた「その国の人のための企業」という原点を、これからも見失わずにいたいと思っている。
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