電脳筆写『 心超臨界 』

何もかもが逆境に思えるとき思い出すがいい
飛行機は順風ではなく逆風に向かって離陸することを
ヘンリー・フォード

以来、リリーフピッチャーに対する私の認識は一変した――二宮清純さん

2012-01-24 | 05-真相・背景・経緯
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『最強のプロ野球論』http://tinyurl.com/7yuskuw
【 二宮清純、講談社 (2000/6/20)、p23 】

さらに細かく指摘すれば、フォークにも二通りの投げ方があった。ひとつは浅目の握り、二つ目は深目の握り。1―2もしくは1―3のカウントで内野ゴロが欲しい場面では、ボールひとつ分構えているミットより低目に決まる前者を採用し、三振が欲しい場面ではボール二つ分低目に落ちる後者を採用した。

絶妙の制球力を誇る江夏はボールの落差をミリ単位で調節することができた。

私は次のような話を江夏自身から聞いて、腰も抜かさんばかりに驚いたことがある。その時には「本当だろうか?」と少々、いぶかしく思ったものだが、その後、江夏に関する取材を深めていくにつれ、やがて疑問は氷解した。

驚くなかれ、江夏はこう言ったのである。

「オレはゲッツーを全て狙って取っとった。それも、どこに打たすかまで決めとった。たとえば打者走者が足の速い選手やったとする。この場合は4―6―3や。なぜなら(当時の日本ハムの内野手では)セカンドの菅野(光夫)は肩が弱いため、ファーストへの送球はショートの高代(延博)で勝負させなあかん。その場合には菅野をセカンドベース付近に寄せとかなあかん。少しでもトスする距離を短くさせとかんと高代の肩がいきてこんのや。

反対に打者走者が鈍足の場合は6―4―3でよかった。これは余裕のある時やね。まあ九割方、狙ったコースに打たせることができた。ゲッツーなんて運や偶然で取るもんやないで。どこに打たすかまで全部計算済みや。リリーフピッチャーやったら、こんなこと当たり前やで」

目からウロコが落ちるとはこのこと。以来、リリーフピッチャーに対する私の認識は一変した。

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