電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのよう
ユーモアは一瞬にして
大地と空気とあなたを洗い清めてくれる
( L・ヒューズ )

用意ができたとき師が現われる 《 深い人間理解――徳永康起先生 》

2024-10-02 | 06-愛・家族・幸福
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。


昭和19年5月12日、ニューギニアのポーランジャの空中戦で戦死した生徒がおります。若冠十九歳でした。この生徒は、兄さんがすばらしく頭がよく、いつも家で比較されて、偏愛の中で冷たく育っておりました。学用品を買うのにも「馬鹿タレ、勉強もできんものが、何を金が必要か」と叱られるのです。それが恐くて、ある日、彼は友人の切り出しナイフを盗みました。


◆深い人間理解

『母のいのち子のいのち』
( 東井義雄、探究社、p124 )

人間いちばん奥深いところにある心 ――いのちが芽をふくとき――
(13)「教育」というしごと

私は四十年間「教育」の仕事にたずさわらせてもらってきました。そして、今も、大学の講義に出させてもらっているのですが、近ごろ、私のやっていたことは「教育」になっていたのだろうかと、はずかしい思いでふりかえらせてもらっているのです。

熊本県に徳永康起という先生がいらっしゃいます。三十三歳で校長に抜擢されながら、自ら希望して平教員に降格され、八年前退職され、今も問題少年たちのために献身的な仕事を進めておられる先生です。次のは、その徳永先生のご講話の中の一節です。


昭和19年5月12日、ニューギニアのポーランジャの空中戦で戦死した生徒がおります。若冠十九歳でした。この生徒は、兄さんがすばらしく頭がよく、いつも家で比較されて、偏愛の中で冷たく育っておりました。学用品を買うのにも「馬鹿タレ、勉強もできんものが、何を金が必要か」と叱られるのです。それが恐くて、ある日、彼は友人の切り出しナイフを盗みました。

教室で「今朝買ってきた切り出しナイフがなくなった」という生徒の訴えを聞いてヒヤッとしました。「あの子ではなかろうか」と暗然といたしました。生徒を外に出して調べてみると、案の如く、桐の柄がついて、桐の蓋が三角形についているあのナイフを、外側は削って墨を塗っているけれども、鞘を抜けば新品の切り出しナイフが彼の机の中にありました。私は、すぐその足で自転車を飛ばして金物屋に行き、それと同じ物を、失くした生徒の机の奥にいれておきました。

やがて、教室にはいってきた生徒に「君はあわて者だから『なくなった』なんかいうが、よく調べてみるんだね」というと、机の奥の奥から切り出しナイフをさがしだして「先生、ありました、ありました」と喜びました。そのとき、教室の一隅から、うるんだ眼で私を見ておったのが、昭和19年5月12日、空中戦で亡くなったその生徒でした。彼は、死の前日、手紙を書いて私に送ってくれました。「明日は、ポーランジャの空で僕は見事に戦死できると思います。その前にたった一言、先生にお礼を申し上げたい。あの時に、先生はなんにも言わないで僕を許してくださいました。死の寸前になってそのことを思い出し『先生ありがとうございました』とお礼を申し上げます。どうぞ先生、体を元気にして、僕のような子どもをよろしくお願いします」というのが絶筆でした。

私は、私が彼と同じ境遇におかれたら、これ以上の荒れ方をするだろうと思ったときに、どうしてあの子を怒ることができたでしょう。今、彼の墓前には、私が植えた八重クチナシが大きく育っております。(後略)


教育というしごとは、ひとりひとりの子どもに対する徳永先生のような深い人間理解と愛によって「教育」になっていくのでしょう。
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