電脳筆写『 心超臨界 』

幸せは外部の条件によって左右されるものではない
自分の心の持ちようによって決まるのである
( デール・カーネギー )

人間通 《 処女——谷沢永一 》

2024-08-06 | 04-歴史・文化・社会
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女の価値を処女か非処女かという本来は判定できない肉体上の唯(ただ)一点のみによって截然(せつぜん)と峻別(しゅんべつ)する評価軸は人間の正味を判断する智恵(ちえ)ではなく愚かな思いこみにすぎぬのである。


◆処女

『人間通』
( 谷沢永一、新潮社 (2002/05)、p62 )

「処女の純潔(チャスチチィ)は人界に於(お)ける黄金、瑠璃(るり)、真珠なり」と絶叫したのは北村透谷である。或(あ)る女が処女であるとどうして解(わか)るのか。処女膜だ、と透谷は言うかも知れない。その単純な思いこみを嘲(あざわら)うかのように「処女膜の存否が処女の決定に役立たないことは、もう誰でも知っている」(昭和13年1月1日『主婦之友』附録『結婚秘典』)と式場隆三郎が注意している。最初の性交によって処女膜が歴然と破れるのではなく単に亀裂(きれつ)が入るのみなのだから男根を抜くと亀裂が元に戻り形状は殆(ほとん)ど変わらない。一回や二回のあっさりした性交の経験があったかどうかを処女膜の検定だけで見抜くことは不可能である。本人だけが知っているかと言えば年頃の熟睡中に致されて遂(つい)に気がつかなかった例もある。要するに処女には二種類があるだろう。第一種は自分は処女だと言い張っている女である。第二種は或る男によって彼女は処女であると信じこまれている女である。

不幸にもこの処女崇拝が近代日本の男たちを深く捉(とら)えた。女は絶対に処女でなければと思いこんだ処女信仰ゆえの悲劇を描いたのが横溝正史の『本陣殺人事件』(角川文庫、双葉文庫)である。世には未だ若く分別がつかぬうち男の値打ちがよく判(わか)らずして性交渉に入ったのち、われ過(あやま)てりと後悔し目覚めて人生経験を積み、賢く毅然(きぜん)と秀(すぐ)れた人格に成長した女も少くない。女の価値を処女か非処女かという本来は判定できない肉体上の唯(ただ)一点のみによって截然(せつぜん)と峻別(しゅんべつ)する評価軸は人間の正味を判断する智恵(ちえ)ではなく愚かな思いこみにすぎぬのである。
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