電脳筆写『 心超臨界 』

貧困は人格をつくる教師である
( アンティファネス )

保育を通して責任感というものを教える――モンテッソーリ教育法

2024-03-26 | 03-自己・信念・努力
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いったん自分が使おうと選んだ教具は、大切に扱うこと、その教具の目的に沿って使われること、最後までやり遂げること、そして、以前置かれていた場所に、置かれていたように戻すことが、子どもたち一人ひとりに求められます。かくて子どもたちは、自由とは、勝手気ままにすることではなくて選ぶこと、自由には責任がついてまわる“難しさ”があるということに気づいてゆくのです。


◆保育を通して責任感というものを教える

『目に見えないけれど大切なもの』
( 渡辺和子、PHP文庫、p97 )

幼児教育の一つに、モンテッソーリ教育法というのがあります。これは、今から百年程前に生れた、イタリアの女医マリア・モンテッソーリが考案したものですが、私がすばらしいと思うのは、この教育法では、まだ三歳位の幼い子どもに、保育を通して責任感というものを教えている点です。

子どもたちは朝登園してくると、保育室に行って、そこに整然と置かれているさまざまな教具の中から、その朝、自分が使おうと思うものを、自分で選びます。これは「自由選択」と呼ばれますが、この教育では一斉保育よりも、個人作業が主流をなし、また、年齢別よりも、縦割り保育が旨とされているのです。

私が、かつて任せられていた大学の付属幼稚園でも、この教育法を取り入れていましたが、子どもたちが教具を前にして、「今日はどれを使おうか」と考えている姿、その末に決断する姿を見て、ほほえましく思ったものでした。

いったん自分が使おうと選んだ教具は、大切に扱うこと、その教具の目的に沿って使われること、最後までやり遂げること、そして、以前置かれていた場所に、置かれていたように戻すことが、子どもたち一人ひとりに求められます。

これは、選んだ自由には、選んだものへの責任と同時に、選ばなかったもの、捨てたものへの責任があることを教え、かくて子どもたちは、自由とは、勝手気ままにすることではなくて選ぶこと、自由には責任がついてまわる“難しさ”があるということに気づいてゆくのです。

教具を使っている子どもたちを見ながら、私はよく『星の王子さま』の中のキツネの言葉を思い出していました。

「めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ」
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