電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

人間学 《 トップ業「三期六年」の意味――伊藤肇 》

2024-10-01 | 03-自己・信念・努力
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大体、社長になれるのは、50歳をはるかに過ぎてからだが、その年齢で全力投球が毎日続いたら、三期6年もやったらヘトヘトになってしまうはずである。それを20年以上も平然とやっているのは、「社長のサボタージュ」以外の何ものでもない。したがって最も理想的な形でいえば、三期6年の間に後継者を養成しておいて、さっさと退くことである。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p121 )
第4章 出処進退の人間学

◆トップ業「三期六年」の意味

第二の「頭取業を足かけ7年やりました」という台詞である。

相当に線がふとく、豪放磊落の男でも、社長になりたての一期2年間は死にものぐるいの努力を重ねる。文字通り、昼間はもちろん、夜寝ている時も経営のことを考えるのだ。

旭化成工業社長の宮崎輝がよくいう。

「ボクは副社長の時も、旭化成のことを真剣に考えつづけた。そして、考えながら、ベッドへもぐり込んだものだが、枕に頭をのせると同時に深い眠りに落ち込んだ。ところがどうだ。社長になって、同じように社のことを考えながらベッドへ入ると、ますます目が冴えてきて朝まで寝つかれない。社長と副社長との差はこれくらいあるぜ。しかし、これは社長になってみないと絶対にわからない」

副社長はいろいろ考えても、そのプランを社長に報告すればそれで終わりだ。社長はただ一人で決断しなければならない。孤独な厳しい作業である。

二期、3年―4年もこの緊張はつづくし、三期、5年―6年も、まあまあである。ところが、どんなに意志強固な社長でも四期、7年目になると、ぼつぼつ惰性(だせい)がでてくる。

大体、社長になれるのは、50歳をはるかに過ぎてからだが、その年齢で全力投球が毎日続いたら、三期6年もやったらヘトヘトになってしまうはずである。それを20年以上も平然とやっているのは、「社長のサボタージュ」以外の何ものでもない。したがって最も理想的な形でいえば、三期6年の間に後継者を養成しておいて、さっさと退くことである。せいぜい、妥協しても五期10年が限度であろう。社長に限らず、古今東西、いかなる名君、名宰相といえども、あまり長く、その職にあれば、必ず、マンネリ化し、飽きられるは歴史の常則である。

中山は、そこのところを「足かけ7年」で鮮やかに区切りをつけている。
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