植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:陳琳

2010年11月02日 23時56分21秒 | ゲームシステム
所属:袁紹→曹操
年齢:約40歳(200年の時)

 次の「建安の七子」の一人は、袁紹の元で打倒曹操の檄文を書いて曹操に感服された陳琳です。
 最初は何進に仕え主簿を務めます。この時、何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、「動乱を招く元になりかねない」と諌めますが聞き入れられず、そして陳琳の言ったとおり、何進は逆に宦官に殺され、その宦官は袁紹に殺され、その後董卓による横専と動乱が始まってしまいます。
 陳琳自身は、洛陽での混乱を避け華北に移り、袁紹の元に仕え文書作成を一手に任されるようになります。そして、袁紹が曹操と対峙するようになると、曹操打倒の為の檄文を書きます。この文章は苛烈だったもののとてもよく出来ていたようで、後に袁紹・袁尚が滅び、陳琳が曹操に降伏すると、この時の檄文のことが持ち出された上で文章好きの曹操に許され、以後曹操の下で公文書の草稿を一手に任されるようになります。
 こうして彼が残した文章や詩は後に彼を「建安の七子」の一人に数えられるようになります。
 戦争には直接関与しなかったので、統率・武力は1でしょう。純粋な政治能力や、策謀の知力も高くは無いでしょうが、彼の文章が力を与えると言う理屈で、3としました。まあ、1/1/3/3では将軍として表には立たないでしょうから、1回のみ政治・知力判定を助けるぐらいの能力と言う事で…
コメント
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