植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:張飛

2010年11月23日 16時11分37秒 | ゲームシステム
所属:劉備
年齢:約33歳(200年の時)

 中国ではもっとも親しまれている武将だそうです。演義ですとどうしてもトラブルメーカー的な扱いを受ける張飛です。関羽と同じく、劉備に早くから仕えて、劉備が各地を転々とするのに付き従います。
 劉備が陶謙から徐州を譲られ、その後劉備が袁術と戦う為に遠征すると留守を任されます。しかし、陶謙の旧家臣曹豹と対立し、それにつけ込まれて呂布に徐州を奪われてしまう失態をしてしまいます。これが原因で、劉備は曹操の元に身を寄せることになります。その後、曹操が呂布討伐を行った際は劉備とともに従軍し、その戦いでの功績を上げて曹操より中郎将に任命されています。
 しかし、劉備が曹操に背き、袁紹・劉表に相次いで身を寄せると、それにも付き従って、各地で転戦します。そして張飛のもっともの晴れ舞台は、「長坂橋大喝」です。荊州の劉表に身を寄せていた際に、劉表の病死によって曹操が侵攻してきます。劉備は妻子も棄てて、わずか数十騎をしたがえて逃げ出すという有様で、そんな中、張飛は殿軍を任され、長坂において敵軍を迎え、わずか二十騎の部下とともに川を背にして橋を切り落とし、「我こそは張飛。いざ、ここにどちらが死するかを決しよう」と大声でよばわると、曹操軍の数千の軍兵はあえて先に進もうとはせず、このために劉備は無事に落ち延びることが出来た。とあります。
 この時、曹操軍は勝ち戦を進めており、兵たちもこれで生き残れば報奨にありつける状態なのに、猛将として名高い張飛に敢えて挑み、死ぬ危険を冒したくないと言う気持ちがこの状況を生んだとされます。

 いずれにしろ、張飛が曹操軍にも有名が轟くほどの猛者だったのは確かです。

 その後、益州攻略においては、巴郡太守の厳顔を生け捕りにしたり、漢中戦では張郃の軍を撃退するなど、武功を上げ続けます。しかし、その最後はあっけないものでした。

 劉備が関羽の仇を討つため、呉に対して戦の準備をしている最中、かねてから張飛に恨みを抱いていており、この際に呉に寝返ろうと企んだ部下の張達・范彊に寝首をかかれてしまいます。張飛は関羽と逆で、部下には苛酷だが、士大夫は尊敬するという性格であったのが災いしたと言われています。

 最後に、張飛の妻についてです。妻は魏の夏侯淵の姪とも言われる夏侯一族の娘で、200年頃劉備が曹操に攻められ袁紹のもとに身を寄せていたときに、劉備と合流できないで居た張飛が山賊まがいに少女(だって当時14歳ぐらいだもの!)ををかっさらったところ、その少女が夏侯一族だと判明し、後日正式な妻として娶ったとあります。
 普通なら自決しそうな少女ですが、その後も張飛に付き従って入蜀し、張飛との間に生まれた娘は劉禅の妻、つまり皇后になっています。

 さて、その能力は武力は屈指なので5、政治・知力はそれを使った活躍が無いので1、統率はさすがに主人公クラスの贔屓目も加味して4としました。4/5/1/1なら能力が偏っていて楽しいと言うのもあります。
コメント
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