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コンクラーベ

 12日からカトリックの頂点であるローマ法王を決める選挙コンクラーベが開催されます。ローマ法王は本当に初期の頃を除いて、現法王が後継者を指名するが許されなかった為に、次の法王はこのコンクラーベによって決まります。コンクラーベは、法王を補佐する役職である枢機卿の人たちの投票によって決定されます。このような形式になったのは、法王の権力が強いので、特定の派閥や国・地域に偏らないようにして、均衡を保つためです。
 今回、退位したベネディクト16世はドイツ人、その前のヨハネ・パウロ2世はポーランド人、その前のパウロ6世はイタリア人です。その前はイタリア人法王がしばらく続きます。
 では次の法王候補はと言うと、ブラジルのサンパウロ大司教のオジロ・シェレル枢機卿の名も挙がっており、選出されると初のヨーロッパ以外からの選出の可能性もあるそうです。


 しかし、今回の退位は表上は健康上の理由ですが、実際のところはカトリック教会の一部の聖職者が行った性的虐待事件の責任を取っての辞任とされます。今回のコンクラーベの選挙権を持つ枢機卿の1人が性的問題を起こして不参加と言うことですから、かなり教会にはびこる問題の様です。是非、次の法王は問題の解決に向けて教会改革を行って欲しいものです。

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イタリア統一150周年

イタリアが統一150年を迎えています。150年なので1861年になります。イタリアで民族統一の機運が高まり、各地でフランスやオーストリアからの支配を脱する反発が起き、ついにサルディーニャ王国を中心にイタリア北部が統一され、さらにジュゼッペ・ガリバルディが私設軍隊を率いて両シチリア王国を打ち倒し、北イタリアに合流するとトスカーナなどの中部イタリアも住民投票によって合流したことてイタリア王国が成立したのが1861年のことです。

もともとイタリアと言う国の領域は、フランク王国の分裂によって決まりました。西フランクはドイツとなり、東フランクはフランスとなります。中央フランク王国は、オランダ、ベルギー、スイス、北イタリアの領域でした。その内、オランダ、ベルギー、スイスが東西のフランク王国に併合されたため、中央フランク王国はイタリア王国として北イタリアのみを版図とする国家となります。
南イタリアは、この当時は東ローマ帝国の版図で後にシチリア王国が建国されます。その後も南北が同一の国家となることはなかった訳ですから、ローマ帝国以来イタリア半島の統一を果たしたこととなります。

ランゴバルド王国がけっこう南まで支配域を広げたんですが…
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ヘタリア

 イタリア兵の弱さを皮肉って「ヘタリア」と言うことは知っていましたが、こんな本が出ているとは思いませんでした。
 Webサイト「キタユメ。」で連載中の日丸屋秀和氏によるウェブコミックで、これが書籍となって刊行されたようです。

 第一次・第ニ次世界大戦前後を中心に中世からの欧州を中心とした各国を擬人化し、漫画としているもので、どうしようもなくヘタレなイタリアに、頼もしいドイツが嫌々ながらもイタリアの世話を焼くと言った内容が中心です。
 イタリア、ドイツ以外にも、礼儀正しく温厚な日本や、意地っ張りで皮肉屋のイギリスなど多くの国が登場します。

 書かれている漫画の内容は、かなり実際の歴史の通りで、各国の対応や国民感情をそのままキャラクターが体現しており、楽しくもあり歴史の場面に納得してしまいます。
 第二次大戦北アフリカ戦線で有名な話で、ドイツ兵が乾パンをかじりながら貴重な水をチビチビ飲むのを横目に、大型の鍋で豪快に湯を沸騰させてパスタを茹でていたのがイタリア兵がそれが原因で、砂漠で水が尽き降伏してしまったと言う逸話も漫画化されており、キャラクターのイタリアが泣きながらドイツに救援を求めたりします。
 その他、このブログでも取り扱った、オーストリア継承戦争やイタリア戦争など、各キャラクターがその歴史を物語として織り成すとまた違った感じでとても楽しいです。

 暫くは、「キタユメ。」に入り浸りそうです。

キタユメ。

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gooあしあと は こちらのURLから↓
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~usa_neko/
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イタリア統一 サルデーニャとヴェネチア

 前回のヴェネチアの続きです。イタリア統一を成し遂げたのは、サルデーニャ王国です。何故、1000年も続いたヴェネチアではなく、サルデーニャだったのでしょうか?
 1つはイタリア統一運動(リソルジメント)が始まったのが、ナポレオン戦争後の1815年からとされ、そのときにはサルデーニャ王国はあっても、ヴェネチア共和国はウィーン会議によってオーストリア領に組み込まれてしまった為と言うのがその理由でしょう。
 では何故、サルデーニャ王国はナポレオン戦争を生き残り、ヴェネチア共和国は滅亡したのでしょうか? これはサルデーニャ王国はナポレオン戦争でも首都ニースをナポレオンに奪われながらも、国王はサルデーニャ島に非難し、王国が存続していたことと、フランス革命戦争に参戦していたことが同国の存続に繫がり、逆にヴェネチア共和国は、フランス革命戦争に参戦しておらず、また完全にナポレオンに占領されてしまったことにあると思います。
 さらに、では何故、サルデーニャ王国は参戦し、ヴェネチア共和国は参戦しなかったのでしょう? この確たる理由は定かではありませんが、サルデーニャ王国は、1701年-14年のスペイン継承戦争、1733年-35年のポーランド継承戦争、1740年-48年のオーストリア継承戦争に参加し、いづれも戦勝国となっております。
 一方、ヴェネチア共和国は18世紀には対外戦争をしておらず、17世紀末の第二次ウィーン包囲後のヨーロッパ諸国(教皇領・オーストリア・ヴェネチア・ポーランド)のオスマン・トルコとの戦争に参加し、1699年にダルマチアをオスマン・トルコから奪還したのが最後です。
 この18世紀が両国の差を招いたのではないでしょうか?

 また、ヴェネチア共和国は15・16世紀にヴェネト州に領土を広げて以降は、イタリアへの領土拡大は行っていません。上記のダルマチア取得以前にも、レパントの海戦でオスマン・トルコを破っていますが、望んだのはかつての領土だったキプロスでした。
 一方、サルデーニャ王国は、上記の3つの継承戦争ではいづれもイタリア半島の領土を狙っております。

 初めからイタリアへの覇権を狙っていたサルデーニャ王国と、地中海の交易路の確保に固執したヴェネチア共和国。この方針の違いが両国の存亡に繋がったのかもしれません。


 植民地戦争で、一時期ヴェネチア共和国を作ってみたことがあります。海軍での陸軍の乗員を可能としたり、かなり強引な宗主国でした。
 ヴェネチアを宗主国にするのはちょっと無理がありました……。(^^ゞ

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ヴェネチア共和国の興亡

 今回は、ヴェネチアについて書きたいと思います。ヴェネチアは、7世紀に東ローマ帝国宗主権下の自治領としてドージェ(元首)が選出されてから、1797年にナポレオンが侵入し滅亡するまで1000年以上に渡って、アドリア海の北岸のヴェネチア(ベニス)を首都として栄えた共和国です。
 その版図は、イタリアの現在のヴェネト州からクロアチアのアドリア海沿岸部(ダルマチア)、そして一時は、ギリシャのクレタ島やキプロス島まで進出し、海洋国家として栄え、『アドリア海の女王』と称されます。
 その国力を維持していたのは、中東と欧州を繋ぐ地中海交易で、遠くアジア・インドから陸路で持ち込まれた香辛料などを中東・地中海を通じてヨーロッパ各地と交易することで栄えました。アナトリアから中東にオスマン・トルコが進出してからは、対決と協調路線を繰り返しながら、常に交易路の確保に努めました。
 しかし、大航海時代により喜望峰航路が発見され、各国が自前で植民地から物資を輸入できるようになるとヴェネチアの交易路の価値が低下し、ヴェネチアは緩やかに衰退していきます。
 15世紀にはイタリア諸国を巻き込んで、大国オーストリアやフランスとも渡り合い、イタリアでもっとも強力な国だったヴェネチアは、18世紀末にはナポレオン戦争に向かうオーストリア軍に領内を勝手に通行されるなど、国家としての権威は無くなっており、ナポレオン戦争後のウィーン体制ではオーストリア領として組み込まれてしまいます。

 その後ヴェネチアは、イタリア統一戦争を成しえてイタリア王国を建国したサルデーニャ王国が普墺戦争に加担し、オーストリアに勝利したことで、イタリア王国の一部となります。

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箱根ガラスの森

 休みに箱根ガラスの森美術館に行ってきました。あまり工芸品・美術品には興味が無かったのですが、「いま、千年の眠りから醒めるヴェネチアン・グラス 水の都の炎の奇跡」と題して、ヴェネチア共和国時代の工芸品を多数出展していることに惹かれた次第です。(*^_^*)
 特に広告に使われているゴブレットも凄かったのですが、レース・グラスと呼ばれる白い線を模様にし、ガラスの中に埋め込んだものの模様の精巧さには驚きました。
 当日は雨でかなり寒くゆっくりとは出来なかったのですが、建物の外観も中世を偲ばせる感じで、とても満足しました。

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ロンバルディアの鉄王冠

 ちょっとかっこいい用語を見つけたので紹介です。カール大帝をはじめ、神聖ローマ皇帝や、後世ではナポレオン・ボナパルトやオーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が戴冠した王冠に『ロンバルディアの鉄王冠』※1と言うのがあります。
 ロンバルディアは現在の北イタリアの1州ですが、568年にランゴバルド族がこの地に侵入し、王国を築きます。ランゴバルド王は代々鉄の王冠を身に着けていたため、ランゴバルド王国がカール大帝に征服された後はカール大帝も戴冠し、以後北イタリアの支配者としての象徴となりました。
 フランク王国崩壊後、北イタリアを支配した神聖ローマ皇帝に鉄王冠は引き継がれ、神聖ローマ皇帝が北イタリアの支配権を失うと共に使われなくなりました。

 しかし、1805年ナポレオンが北イタリアを支配し、イタリア王国(-1814年)を建国するとその際に用いられ、またナポレオン後はロンバルディアとヴェネチアを支配下※2に置いたオーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世もこれで戴冠しました。

 近代、鉄王冠の名はオーストリア帝国において名誉ある鉄王冠賞として使われ、クラシックのアントニン・ドヴォルザークなどが受賞しています。

 ゲームで、オーストリアが婚姻でイタリアを引き当てた際は、「ロンバルディアの鉄王冠を得た!」というのも面白いでしょう。
【名言】ロンバルディアの鉄王冠を得る
 (オーストリアの婚姻により)植民地としてイタリアを得た時。


※1:ウキペディア:イタリア王国に画像があります。

※2:1815年のウィーン会議によりロンバルディアとヴェネチアは、ロンバルド・ヴェネト王国が建国し、王位はオーストリア皇帝が兼ねた。

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17世紀のイタリアの勢力図

 この休日に18世紀のイタリアの地図を眺めていたのですが、当時イタリアは、フランス、オーストリア、そしてスペインがその勢力下においており、

【ナポリ・シチリア両王国】スペイン領から、1730年から34年の僅かの間オーストリア領になり、再びスペインに帰属
【トスカーナ大公国】一時フィレンツェ共和国となったものの、再びメディチ家の支配の後、オーストリアのロートリンゲン公の所領となる
【パルマ公国】教皇によって作られたパルマ・ピアチェンツァ公国が1731年に廃絶し、1748年からスペインが所有
【ミラノ公国】フランス・スペインが支配した後、1714年以降オーストリアが支配。

 と、イタリア人の国家は、ローマの法王領とヴェネチア共和国、そして後にイタリアを統一する、サヴォイア公国です。
 サヴォイア公国は、スペイン継承戦争により、サルデーニャ島を獲得し(シチリアと交換)王位を得て、サルデーニャ王国となります。しかし、その首都は本土のトリノにあり、また今ではフランス領であるニースも支配していました。
 後に、サルデーニャ王国がイタリアを統一すると、その所有をフランスに認めてもらうためにニースを割譲し、今の国土となります。

 このゲームでは、18世紀から19世紀の領土で宗主国の地図を書いております。特にドイツなどは、強国化を現すためにドイツの領土の中にプロイセンの版図を書いております。まあ、素人が書いているので、正確に何年にと揃えられていないのが現状で、よくよく見てみるともう少し手直しした方が良さそうなものもあります。
 私の自己満足ですが、いずれ満足していくように直していこうと思います。入手時期によってイラストが若干異なる場合もありますが、ゲームに支障はありませんのでご容赦ください。

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神の代理人

知り合いから塩野七生の「神の代理人」を借りて読んでおります。塩野七生さんの作品は少し難しいものの歴史の奥深さを感じれて好きです。
この作品は神の代理人であるルネサン期のローマ法王を主人公にした短編が4作品収められております。
十字軍を再び起こそうとしたピオ2世、狂信的な修道士と対峙する理知的なアレッサンドロ6世など同じ法王でもやはり人間。まったく違った面を見せてくれます。

カードゲーム「植民地戦争」で扱う時代よりは300年ほど前の時代ですが、キリスト教の宗教観や、時の政治、そして当時のイタリアの情勢などが判りとても面白かったです。

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リソルジメント

昨日のトマトの話から今日はイタリアの歴史についてです。
このイタリアって国が出来たのは1861年とかなり新しいです。5世紀に西ローマ帝国が滅亡した後、19世紀末にサルデーニャ王国が、ほぼ現在のイタリアの領土を得るまで、イベリア半島を統一する国家は現れませんでした。
その間のイタリアは、ジェノヴァ共和国・ヴェネチア共和国・ミラノ公国・トスカーナ大公国・ナポリ王国・シチリア王国・教皇領など多くの都市国家や、各国の諸侯の領土でした。
それではまずいと考えたイベリア半島とその周辺の島々は、イタリアと言う独自の統一国家を作ろうと立ち上がります。この運動をリソルジメント=イタリア独立運動と言い、特にサルデーニャ王国が中心となり、イベリア半島を統一しイタリア王国を建国します。

今でもイタリアでは、イタリアと言う国を愛する気持ちよりも、各地域を愛する気持ちが強いといいます。イタリアのサッカーのプロリーグ「セリエA」が地域に密着しているのはこんな歴史的背景があるからかもしれません。

このカードゲームでは、宗主国イタリアは強化ルールによって、独立カードを自国に使用することで、国力と総生産が上がります。これはリソルジメントによって、サルデーニャがイタリアを統一したことを表現しております。
ドイツの際にも説明したとおり、この強化は他国が交渉カードで阻むことも出来ますので、自国も交渉カードを念のため用意するのが良いでしょう。

【名言】リソルジメント
 イタリアが独立カードを出し、強国化に成功した状態。またはそれを目指すこと。


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