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簡体三国志:糜竺

所属:劉備
年齢:約35歳(200年の時)

 完全にキャラが孫乾と被っています。糜竺は孫乾と同じく、劉備が徐州を治めた際にその配下となります。孫乾がこの頃に登用されたのに対して、陶謙の元で働いていたようです。元々裕福な家柄で、財もかなり持っていたようで、しかも劉備の人柄にかなり惚れ込んだようで、妹を劉備の嫁としてさらに資金面でバックアップするなど、その後流浪する劉備にこれほどまで尽くすかってぐらいに支援します。
 劉備内での役割は、孫乾と共に使者にたつ事もありますが、特に表立って出てはきません。しかし、小作人1万人を抱えていたこともあるぐらいですから、人を使う役人的な能力は高かったのか、劉備が曹操の下に居た際に気に入られて、太守の地位を貰っています。

 そんな彼が報われるのは、劉備が蜀と言う国を得てからで、その際には安漢将軍に任命され、諸葛亮を上回る席次の官位を貰っています。

 能力値は 1/1/4/2。統率能力は皆無と言う記述があるので、統率1は確かでしょう。弓が得意と言う記述があるので、1/2/3/2か 1/2/3/3でも良いかもしれませんが、そうなると孫乾よりは下の能力になりますね。悩みどころです。


 ちなみに、妹は第一夫人の甘夫人よりも、家柄が良かったので第二夫人ですが表向きは正室扱いだったそうです。甘夫人との仲は良くいつも一緒でした。演技では長坂披の戦いで、劉禅が囚われそうになるのを防ぐため、井戸に身を投げたのは彼女の方です。
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簡体三国志:孫乾

所属:劉備
年齢:約35歳(200年の時)

 この人物も知らなかったですが、知ってから色々な作品を見てみると、結構登場しています。チョイ役で。以外にも登場していて驚きです。
 演技・史実共に、劉備が陶謙の跡を受けて徐州刺史となっに時に配下となり、その後、転々とする劉備に付き従って、袁紹の元に庇護を求めに言ったり、その後は劉表の元に劉備を迎えいれるようにお願いしに行ったりと、使者兼外交官として活躍します。
 きっと孫乾が居なかったら、劉備は食い繋げなかったかもしれません。ある評で「劉備のマネージャのような存在で、宿泊先の手配や仕事を探してくれる」とありましたがまさに!と思ってしまいました。

 劉備が入蜀して暫くしてなくなっています。50歳にはなっていないと思われますので比較的早い死でした。

 外交交渉を政治力と考えるととても有能なのですが、治世はその任を与えられなかったので不明。それ以外の戦争や策謀では一切話が出てこないので、1/1/4/2 としました。4はかなり多めに見てますが、それぐらいしかキャラがたたなかったので。
 ちなみに 政治が高いと知力も高いのが普通なのですが、政治だけってキャラが珍しいのでこの能力を採用と言うのもあります。
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簡体三国志:劉封

所属:劉備
年齢:約12歳(200年の時)

 劉備の義理の息子です。まあ微妙な知名度です。演技では劉禅が生まれた後に、養子にして関羽に「「阿斗(劉禅)君がいるのになぜ養子をとるのか?」と言われてしまいますが、史実では、劉禅が生まれる前のようです。
 跡継ぎを作って一族を存続させるのは当時はかなり重要だったので、まだ息子が居ない状態の劉備にとって劉封は是非とも必要な息子だったと思います。劉封は当時20歳前後で、もっとも若者ざかりの好青年だったでしょう。しかし、その直後に劉備に実の息子劉禅が生まれます。
 それでも劉封はその後数々の武功を上げ、将軍として活躍する道を見出します。そして孟達と共に上庸を落とし、副軍将軍にまでなります。
 しかし、その直後に孤立する関羽への援軍を上庸の治安が悪いことから拒絶し、そして関羽が死にます。当然、劉備は激怒! そのお咎めを恐れた孟達が魏に寝返り、上庸を落とされてしまいます。そして成都に戻る死を賜ることになります。そこには後継者争いの憂いを無くすと言う諸葛亮の進言もありました。

 劉封は視野が狭かったものの実直な人物だったのかもしれません。一方、孟達はその逆でした。彼と一緒に上庸を治めたことがその判断を誤らせたのかもしれません。

 能力は 3/3/2/2 まあこんなところでしょう。

 

 
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簡体三国志:虞翻

所属:王朗⇒孫策⇒孫権
年齢:約36歳(200年の時)

 あまり知らなかった軍師・政治家ですが、三国志外伝を読んで好きになった人物です。元、会稽郡を治める王朗の下で働いており、そこに孫策が攻めてくると、父の喪中であるにもかかわらず王朗との面会を求め避難をするように勧めたり、王朗が敗戦して逃げると随行し守護したりと、適格な状況分析と実直さが際立ちます。
 その後、王朗が降伏すると、孫策に招聘されて仕官に応じます。以後は、孫策の軍師として孫策の遠征に従軍し、三つの郡を制覇します。また、その弁で豫章郡の太守華歆を服従させるのにも貢献しています。
 外伝では孫策と波長があったのか、孫策が弁がたつので中央に派遣しようとすると、孫策の下にいることを願い出たため、留め置かれています。
 そんな虞翻の活躍も、孫策の死で一変します。君主となった孫権は孫策と違い率直な発言をする虞翻とは合わず、度々衝突すると丹陽郡そして交州にまで左遷されてその地で没します。

 能力値は戦略家のイメージがあったので 1/2/3/4としましたが、このゲームではもしかしたら 1/2/4/3の方が適切だったかも。
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簡体三国志:蒋琬

所属:劉備⇒劉禅
年齢:約12歳(200年の時)

 劉備が荊州を抑えていた際に仕官し、そのまま入蜀。諸葛亮が北伐でするの際には、成都の留守を預かり、諸葛亮の死後は最終的に大司馬まで昇ります。
 実質、諸葛亮の後継者となった人物で、諸葛亮が「私が死ぬことがあれば、後事を蒋琬に託すべきです」と上書したのが有名です。
 他の人に「前任者(諸葛亮)に及ばない」と言われても「事実私は前任者に及ばない」と言う謙虚さも好感です。

 能力は、統率3、武力1、政治4、知力4のミニ諸葛亮といった能力。統率が2か3か悩みましたが、同軍で馬良が2/1/4/4なので同じになるのを避けました。しかし、一応諸葛亮の後の北伐推進者で、その計画を立案していたのですが、前線経験は無いような・・・

 年齢は諸葛亮よりもかなり若いので、馬謖などともに子供にしちゃいました。実際は、20歳前後で仕官のようです。
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簡体三国志:呉懿

所属:劉焉⇒劉璋⇒劉備
年齢:約30歳(200年の時)

 知名度はあまり高くは無いですね。呉懿の父が劉焉と親交があった為、父亡き後、劉焉が蜀に移る際に一緒に移り仕え、そのまま劉焉の子 劉璋に仕えます。
 その後、劉備が益州攻撃の際に負け降伏し、以後は劉備の配下となります。主な話として出てくるのは1つのみで、諸葛亮が北伐を行う際に、街亭へ派遣する将軍に馬謖を指名しますが、他の将軍達は実績のある魏延や呉懿を推すと言う件。街亭の戦いが 228年なんで馬謖は38歳、呉懿は 60歳ちょっと前。まあ実績あると言うか、経験豊かな老将ですね。

 呉懿を話す上で、外せないのは実は妹の呉氏。呉氏は劉焉の三男と結婚します。三男と言っても劉焉は後継者に考えていた子です。しかし、若くして病死してしまいます。そんな中、劉備の入蜀があり、その際蜀の群臣が劉備に呉氏を娶るように勧めた為、劉備の妻となり、劉備が皇帝になると穆皇后となります。
 劉備の結婚が215年頃とすると55歳ぐらい。呉懿が45歳ぐらいですので、妹は30歳すぎくらいでしょうか・・・
 蜀の群臣が勧めるってことは、蜀の群臣の代表格だったのかもしれません。

 能力は、統率は上記の話から3、武力は特に一騎打ちや武勇の記述が無いので2、政治は統治能力はそこそこあったのでは?と推測で3、知力は特に策謀の話が無いので2としました。
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尖閣諸島の歴史

 いや~、中国漁船の船長逮捕問題で、中国に言われたい放題です。中国の漁船は単に漁業を行っていただけなのか、それとも初めから領土的主張があってのことか…(まあ、日本の監視船が居る海域なんで、凄い水産資源があるわけでも無いので、危険を冒してすると言うことは領土的主張ですか…)

 尖閣諸島の位置は、沖縄と台湾の間。同じ間にある石垣島の北、中国本土よりにあります。その歴史を見てみると意外にも、明治初頭までどの国にも所属しない空白地でした。
 近くに琉球王朝があり、琉球の人はそこに島があることは知っていたようですが、石垣島ですら、琉球にとっては辺境のようなところでしたので、ましてやもっと小さい尖閣諸島はその版図には組み入れてなかったようです。
 それが琉球王朝が日本に組み込まれた後、明治初頭に日本が他の国が領有権を主張していないので、日本が主張し日本領に組み入れます。(無人でしたので…)

 以来ずっと一貫して日本領なんですが…

 中国及び台湾側の領有権の主張根拠は、尖閣諸島は地理的に台湾島の付随諸島で、明治時代に台湾は清朝の支配下にあり、その際尖閣諸島も所有していたとのこと。それが日清戦争で不当に奪われたのとのこと。(ちなみに下関講和条約には尖閣諸島の名は挙がっていませんが、台湾の割譲際に一緒に奪われたと言う解釈です)

尖閣問題、強気の中国(産経新聞) - goo ニュース
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簡体三国志武将:楽進

 合間合間に、簡体三国志で扱っている武将を紹介していこうと思います。まずは先頭バッターは、魏の切り込み隊長「楽進」。
 曹操の陣営だと活躍した武将が多く、誰を採用するか悩んだのですが、小柄と言う特徴から残りました。まあ、五将軍に数えられるので入れて当然と言えば当然ですが…
 夏侯淵や曹仁など名だたる将軍がいるので、中々活躍の場が少ないのですが、楽進はの呂布、張超、橋蕤との戦いでは、いずれも一番乗りとしての戦功を立て、また官渡の戦いでは、烏巣を強襲し、淳于瓊を討ち取ったりとかなりの大活躍をしています。しかも大きな大敗も無いのです。
 それなのに二線級の扱いを受けている状況を考えると、大軍を指揮する司令官と言うより、別働隊を率いての奇襲が専門で、勇猛果敢だが大兵力の統率には向いていなかったのかもしれません。
 それで、このゲームでは統率はやや良いの3、一方武力は名だたるの4、政治・知力は何も記述が無いことから、やや低いの2としました。

所属:曹操
年齢:約41歳(200年の時)
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名将の采配

 いい番組を見つけてしまいました。既に何回か放映されてしまって、あと数回の放送なんですが、NHKの「名将の采配」!

 何のことは無く、歴史上の実際の戦いをジオラマで再現して、出演者に名将の立場になって、兵力の駒をジオラマ上動かして貰い、名将の采配と同じかを当てるものなんですが、、、

 いやー、お金を全くかけていない割りに面白い! 状況解説の後、相手の兵がある中、如何にして勝利するかを出演者が考えている間、同じように考えられるのが良いです。

 なんか戦術ボードゲームをしているみたいです。

NHK:名将の采配
http://www.nhk.or.jp/program/saihai/
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