植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

第二次クリミア戦争 プレイレポート

2007年11月28日 12時12分24秒 | 国:ロシア
 先週末、セルフコンにてクリミア戦争と植民地戦争を行いました。まずはクリミア戦争のプレイ報告から。

 前回、ここに掲載して是非やりたいと手を上げた知り合いと、その友人の方と、セルフコンの参加者で、2回目のクリミア戦争を行いました。今回は、私はトルコ(なのでブログもトルコ視点です)。前回、サルデーニャで何も出来ず空気だったのですが、今回のトルコではまさに「瀕死の病人」の気分を十分に味わいました。
 ロシアからのスタートで、ロシアは様子を見たのか正教徒の保護(トルコにとっては絶対飲めない条項)について強く抗議をしてくるののみで最後通牒を行わない事に疑問を持ちましたが、それがロシアが手薄なカフカスに兵を移動させる時間稼ぎと言うのが判り焦ります。そこで至急、キプロスの割譲を条件に英国に接近。色よい返事が返って来たのでひと安心し、次はフランスに聖地管理権を条件に接近しますが、こちらはあまり良い返事が来ず雰囲気的に英土VS露(仏)と言う構図が出来そうな感じでした。
 しかし、ロシア・トルコがどちらも開戦に踏み込めないで居る間に、英国が両国の平和を口実に艦隊と陸軍を派遣しては、トルコにカトリックや正教徒の保護を求め、ロシアには黒海艦隊への牽制を行うと、トルコ・ロシア両国の間に英国に対する警戒感が強まります。その中、ロシアから両海峡の通行権を条件に同盟を組もうと言う誘いがあり、一挙に英(仏)VS露土と言う構図が頭に浮かび上がります。
 ここで問題となったのが、ロシアの本気度と旗色が鮮明でない(と思われる)フランスの動向でした。ロシアと水面下で何度か交渉を重ねると、英国よりは信頼できる感じが出てきました。あとはフランスですがこちらは固く、聖地管理権を与える代わりに、対トルコの債権放棄を引き出すに留まり、本来の同盟もしくは対英戦への中立は引き出すことが出来ずに終わります。しかし、少なくとも英国と同盟関係に無いことだけを確認したので、対英戦を決意します。
 一方、ロシアはフランスと対プロイセン同盟を結んだ上で対英戦に踏み切り、トルコ・ロシア両国は両海峡の通行権の条約に調印し、対英路線をハッキリさせました。
 当然、これに対して英国は抗議します。しかし、開戦には踏み切らずフランスを抱きこんでその調印の撤回とロシアの黒海艦隊を解体することを強く求めます。これで英仏の同盟がほぼ成立したと考えました。
 そして遂にロシアが英・仏に最後通牒を突きつけ開戦に突入。後を追うように、トルコも英国のみに宣戦布告を行います。

 これによって、英国は軍事行動を行い、イズミト沖の海域でロシア艦隊と交戦し、さらにイスタンブールに陸軍を進め沖合いからの艦砲射撃を行いつつイスタンブール攻略を行います。準備万全の予定だった露土両軍は、不調で次々英国軍に負け戦況が不利な状況になります。
 仕方なく、トルコは特殊カードの「プロイセンの和平調整」を使い、全ての国に和平を求めますが、英・仏は勝利ポイントをマイナスにしても交戦を行い続けます。
 さらにイスタンブールへの攻勢を続ける英国に対し、遂にフランスが動きます。陸軍をイスタンブールに向け、さらに海軍も海上を封鎖する形で進軍を行い、各国に圧力を掛けた上で外交交渉を行います。
 そこで締結された条約は、ロシアに黒海艦隊の解体を求めることで、これに対してロシアは英仏両国からの軍事支援を見返りを求め、英仏がそれに同意し、クリミア戦争は終結に至ったのでした。


 結局、両海峡の通行権と、英仏両国からの軍事支援が効いてロシアが6ポイントとダントツトップ。フランスはこの軍事支援が誤算で2ポイントと2位となりました。英国は、ロシアに黒海艦隊の解体で両海峡の通行権をほぼ相殺し-1ポイント、トルコは大きなマイナス無く1ポイントで3位で着地したと思ったのですが、よくよく見直し見ると、ロシアへの英仏両国からの軍事支援がマイナス1づつとなり結果-1でと言う結果でした。
 せめて、ロシアが軍事支援を求めた際に一方の支援をトルコが受けるように上手く話を持っていくべきでした。

 後々話を聞いてみると、英国は最初から3カ国でのトルコ解体を狙っていたそうで、その結果からもロシアと組んだのは正解でした。一方、ロシアは対プロイセン同盟でフランスとしっかり不戦の約束を結んでおり、他の国が1歩も2歩も上手ということを実感し、下手の横好きを暴露したゲームでした。

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ゲームコンセプト⑧スウェーデン・デンマーク

2007年11月23日 17時27分26秒 | ゲームシステム
 追加宗主国の第二段は北欧のバルト帝国のスウェーデンと、北方貿易で栄えたデンマーク=ノルウェーです。

スウェーデン 【総生産6/5/5】
●ストックホルムの血浴によってカルマル同盟が崩壊すると、1523年にはグスタフ1世がスウェーデン王に即位してヴァーサ朝を開きます。その後も、北方七年戦争でデンマークを、リヴォニア戦争ではロシアを撃破し、さらに三十年戦争にも介入しドイツ沿岸を手に入れ、バルト海をスウェーデンの内海にし、「バルト帝国」を実現します。その総生産は6としました。
●1654年にカール10世が即位しプファルツ朝が開始してからも、北方戦争・スコーネ戦争とデンマークとの戦いつづけバルト帝国を維持し続けますが、1700年にデンマーク・ポーランド・ロシアに同盟された大北方戦争に大敗をすると、ロシアにバルト海への出口を確保され、ここにバルト帝国は終焉を迎えます。その為、総生産は5としました。
●その後、度々内政干渉を強めてくるロシアに対して、グスタフ3世は1788年に第一次ロシア・スウェーデン戦争に勝利することで中興を果すものの、その後ナポレオン戦争の一環で行われた第二次ロシア・スウェーデン戦争に大敗すると600年に及び支配してきたフィンランドを失ってしまいます。ウィーン会議で代替としてノルウェーを得るものの国際的地位は低下してしまいます。その為、総生産は5としました。

デンマーク 【総生産5/5/5】
●カルマル同盟を引き継いだオルデンブルグ朝でしたが、スウェーデンの独立を許してしまいカルマル同盟が崩壊します。その後、北方七年戦争でスウェーデンの再征服を目論むも失敗し、三十年戦争の局地戦として行われたトシュティンソン戦争でもスウェーデンに負けるとその地位は逆転し、スウェーデンにバルト帝国を実現されてしまいます。その為、総生産は5としました。一方、海外進出ではノルウェー領であったアイスランドの支配や、1612年に東インド会社を設立するなどを行っています。
●17世紀・18世紀と北方戦争・スコーネ戦争、大北方戦争と幾度と無くスウェーデンと戦いますが勝つことが出来ず、失地回復を果たせずに終わります。その為、総生産は変わらず5としました。一方、海外進出ではインドのトランケバールや西インド諸島に植民地を建設し、独自の交易圏を樹立し、デンマーク海上帝国を実現します。
●ナポレオン戦争でフランスからの圧力で英国と戦いコペンハーゲンの海戦で大敗すると、長く支配し続けてきたノルウェーを失います。ノルウェーの入植地であったフェロー諸島・アイスランド・グリーンランドはデンマークの手元に残されますが、ここにデンマーク海上帝国は崩壊します。

※この2カ国も対比関係にあります。デンマークはノルウェーを、スウェーデンはフィンランドをその領土としています。しかし、その支配は異なっており、ノルウェーはノルウェー王位をデンマーク王が兼ねるという同君連合の形で、フィンランドはスウェーデンの一地方という形です(但し、スウェーデンがフィンランド領内を実効支配していた現在のフィンランドの1割にも満たない領土で、以外はサーミ人などが済む未開拓の土地です)。
 その為、このゲームでも扱いは異なっており、デンマークは本国の国力1とは別に国力1のノルウェーを植民地として、持った状態でスタートします。植民地の為、租借/割譲の対象になり、戦争で奪われることもあります。一方、スウェーデンはフィンランドの国土と合わせて、本国の国力2としています。
 なお、デンマークはノルウェーを所持している間、総生産+1の補正を受ける特殊効果があります。デンマークはノルウェーだけでなく、ノルウェーが所持していたアイスランド・グリーンランドを得ており、北方航路による貿易を行っていました。これがデンマーク海上帝国の原動力の1つだったことから、ノルウェーを得ている間は、総生産が合計6の中ぐらいの国としました。
 デンマークはナポレオン戦争後にノルウェーを失い小国に転落しますが、このゲームでもノルウェーを失うことで、国力1・総生産5と言う小国となります。

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東郷神社

2007年11月19日 20時41分42秒 | 国:日本・アジア
 チーズフェスタで表参道まで行ったので、ついでに東郷神社に参拝してきました。東郷神社といえば、言わずと知れた日露戦争でロシアバルチック艦隊を撃破した日本海軍の東郷平八郎をその死後に祭った神社です。

 その創建は、全国からの献金で行われたことから、当時多くの人々に崇敬されていたことが伺えます。(もっとも当時の世相もあったのでしょうが…)

 原宿というとても喧騒とした中でも、境内に入るととても静かで別世界のようでした。本殿の周りに、写真のようなイラスト?で日本海海戦での日本海軍の活躍が描かれており歴史好きにはたまりません。

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ゲームコンセプト⑦オーストリア

2007年11月15日 19時50分59秒 | ゲームシステム
 次に、基本の宗主国10カ国以外で別途用意している追加の宗主国について紹介します。

オーストリア 【総生産6/6/6】
●1508年にマクシミリアン1世が神聖ローマ帝国皇帝となると、以来ハプスブルグ家は皇帝位の世襲に成功します。その後、カール5世は婚姻により、ブルゴーニュとスペイン、ナポリを得てヨーロッパの大半を支配するに至ります。その後、弟フェルディナント1世がオーストリアを統治しますが、三十年戦争の終結と共に結ばれたヴェストファーレン条約により、神聖ローマ皇帝の地位が弱められます。この戦争でぶつかり合ったオーストリア・ハプスブルク家、フランス・ブルボン家、スウェーデン・ヴァーサ家は何れもヨーロッパの大国で、総生産を等しく6としました。
●オスマン・トルコによる第二次ウィーン包囲を撃退すると勢いに乗り、ハンガリーを奪還し、ハンガリー王位も世襲に成功します。しかし、その後スペイン継承戦争・ポーランド継承戦争でフランスと凌ぎを削り、さらにマリア・テレジアの相続を巡るオーストリア継承戦争では、フランスの支援を受けた新興国プロイセン相手に苦境に陥り、シュレージエンを失ってしまいます。しかしマリア・テレジアの相続は認められ、以後マリア・テレジアとその息子ヨーゼフはオーストリアの強国化に勤めます。この時代もトータル的に考え、フランスと同じく総生産は6としました。
●ナポレオン戦争で敗退し神聖ローマ皇帝位とドイツ諸侯への影響力を失い、オーストリア帝国として再出発せざる得なくなります。しかし、ウィーン会議を取り仕切った宰相メッテルニヒにより、オーストリアは大国としての地位を維持します。その後、プロイセンとの普墺戦争で大敗すると、プロイセンによるドイツ帝国を実現されてしまい、オーストリアはドイツ人国家ではなく他民族国家としてハンガリーの自治を認めるオーストリア・ハンガリー帝国へと生き残りの道を模索することになります。この時代の総生産も当時の五大国に数えられていることから、総生産は6としました。

※常に対抗しあったオーストリアとフランスは、3クォーター通じて総生産は何れも6にしてあります。しかし、フランスが国力2なのに対して、オーストリアは国力1です。ボヘミアやハンガリーを含めれば国力は同じく2ぐらいでしょうが、別の王位として継承していた為、国力に含めず変わりに「婚姻」として、使われていない宗主国カードを1枚を植民地として得ることが出来るようにしました。これによって、史実どおりスペインを得ればオーストリアの国力1にスペインの国力2を加える事が出来、フランスを凌ぐ帝国を築けます。ましてロシアとの婚姻を成功させれば、追加で国力3を得ることが出来るなど、大きく飛躍するチャンスがあります。また、ドイツやイタリアの場合、強国化も行うことが出来るので、それも国力を増やすチャンスとなります。
 しかし、この婚姻で得た宗主国はあくまで植民地扱いですので、租借や割譲をされたり、戦争で奪われたりする対象となりえます。奪った国にも等しく強国化を行うことが出来るのも1つの特徴となっています。

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スペイン国王セウタ訪問

2007年11月14日 19時39分53秒 | 国:スペイン・ポルトガル
 このほどスペイン国王が、自国のセウタに訪問したことで、モロッコとの間に軋轢が起きているそうです。
 ジブラル海峡のアフリカ側にあるスペイン領で回りをモロッコに囲まれた領土です。元々、カルタゴがこの地に要塞を築いたのが最初で、その後ローマ・西ゴートと支配を受け、北アフリカにイスラム帝国が進出し、イドリース朝・ファーティマ朝・ムワッヒド朝などのイスラム圏の支配下に置かれます。
 15世に入りレコンキスタを終え、イベリア半島を奪還したポルトガルが対岸のセウタを攻略します。その後、セウタはポルトガルがスペインと同君連合となった際に、ポルトガルが再独立した後もスペインに残され、以来スペイン領であり続けます。
 この様な経緯から、モロッコではセウタの領有を主張しており、スペイン国王が自領としてセウタを訪問した事に反発しているわけです。
 一方、ジブラル海峡の対岸のヨーロッパ側は、英国が領有しており、この地が地中海と大西洋を繋ぐ要所だったことを伺わせます。

スペイン国王訪問、外交問題に=モロッコ領有主張の飛び地 (時事通信) - goo ニュース

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チーズフェスタ

2007年11月11日 19時38分26秒 | ゲームシステム
 今日、表参道で行われているチーズフェスタに行ってきました。こちら11月11日の「チーズの日」を記念したイベントで、会場では4種類のチーズを無料で試食できます。1時間半ごとに試食できるチーズの種類が変わりますので、長時間いるのであればパンフを見ながら目当てのチーズまで待つことも出来ます。まあ、そこまでチーズに詳しくないので、行った時間のチーズを食しましたが…(^^♪
 写真は、オレンジの方がノルウェーのリダー、白がアメリカのフラッグシップと言うものです。特にフラッグシップは濃厚で少しかじっただけで、チーズの味が口全体に広がり、飲み物が欲しくなります。(^_^.)
 会場ではちゃっかし、ワインやビールなどが販売されているのですが、高いので食べるだけ食べて、飲み物は外で(^_^;)

 しかし、イタリアはもとより、フランスやスペインなど植民地戦争でも登場するう各国のチーズが取り揃えられており、ヨーロッパの味を垣間見た1日でした。


チーズフェスタ

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双頭の鷲(わし)の下に

2007年11月07日 21時30分20秒 | 国:ドイツ・オーストリア
NHKのBS-Hiで12日・13日・14日と3日間、ハプスブルク帝国の特集が行われるそうです。サブタイトルは以下の通り。
 第1回「双頭の鷲の下に」
 第2回「女帝マリア・テレジア」
 第3回「美しく青きドナウ」
『「ヨーロッパは一つだ」という思いがあるのは、かつてそれを成し遂げた国家があったからだ。一つは古代ローマ帝国。そしてもう一つはハプスブルク帝国である。』と書かれており、ちょっと持ち上げ感がありますが、『ハプスブルク帝国の700年に及ぶ歴史を紹介しつつ、独特の文化を花開かせた三つの時代に主なスポットをあてる。』とあり、単に歴史だけでは終わらない感じがあり、今まで知っている知識とは違った側面からハプスブルグを見れそうで、とっても楽しみです。

NHK BSオンライン

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ゲームコンセプト6 イタリア・日本

2007年11月04日 09時08分38秒 | ゲームシステム
 基本の宗主国10カ国としては最後になります。

サルデーニャ・イタリア 【総生産5 強国化で6】
●この当時のイタリアは、ミラノ公国、ナポリ王国、ヴェネチア共和国、教皇領とばらばらで、さらにフランスと神聖ローマ帝国がイタリアの支配権を争っていた為、荒廃している状態です。その中、ヴェネチアとトリノ、ニースを中心としたサヴォイア公国が比較的独立性を保っていました。このゲームでは後にサルデーニャ王国そしてイタリア王国を成立させるサヴォイア公国を宗主国と考えています。しかし、サヴォイア公国はまだ形式上神聖ローマ帝国の封建下にあった為、総生産を5としました。
●サヴォイア公国はスペイン継承戦争に参加し、シチリアを得てそれをサルデーニャと交換することで王位の使用を許され、サルデーニャ王国を成立させます。しかし、依然小国の為、総生産は5です。サルデーニャ王国以外のイタリア諸国は、ナポリ・シチリアがスペインの支配下にあり、北イタリアはヴェネチアを除きオーストリアの影響下にある状況です。
●ナポレオン戦争後、サルデーニャ王国が中心となりオーストリアのイタリア半島への影響力を排除していくことで、イタリア半島の諸国を併合して行き、イタリア王国を成立させます。リビア・エチオピアなど海外植民地もったイタリア王国ですので、総生産は6ぐらいですが、このイタリア統一運動自体を強国化と扱った為、総生産は5のままとしました。

※イタリアは独立カードによる強国化により、国力を0から1、総生産を5から6にすることが出来ます。これはイタリア統一運動(リソルジメント)の結果、他国のイタリアへの影響力を排していくことで、イタリアの諸国が統一されイタリア王国を成立させたことを表しています。
 史実では19世紀を待たねばリソルジメントは起きませんが、15世紀に僭主を攻めて教皇領を回復した教皇軍総司令官チェーザレ・ボルジアはイタリア統一の野望を持っていたと言われています。可能性はかなり低いですが、このゲームでは19世紀を待たずしてイタリアの統一の実現を強国化として表すことにしました。



日本 【総生産5 強国化で7】
●安土桃山時代です。織田信長が室町幕府を倒し、全国統一目前で本能寺の変で死に、跡を継いだ豊臣秀頼が天下統一を成し遂げます。戦国時代真っ只中の為、総生産は5です。
●徳川家康が関が原の合戦に勝利したことで、天下を手中に収め征夷大将軍として江戸幕府を開き、幕藩体制を確立させます。家光の時代に鎖国体制が整い、以後200年に渡って諸外国との通商が制限されます。このゲームでは鎖国では他国との条約も出来ませんので、鎖国体制にはなっていない状態とします。しかし、どちらにしろアジアの小国扱いですので総生産は5です。
●幕末に黒船来航により開国を余儀なくされ、このことが幕藩体制の崩壊を招き、明治維新が起こり、大政奉還、明治政府の発足へと繋がります。発足した明治政府は、数々の内外改革を推し進め、富国強兵に勤めたことで、アジアの奇跡と言われる発展を成し得て列強とみなされるようになります。明治維新を迎えるまでは、総生産は5で、迎えたことで7と考えてよいでしょうが、明治維新イベントを強国化としているので、総生産は5です。

※日本は市民革命カードによる強国化により、総生産を5から7にすることが出来ます。これは明治維新により、数々の改革が行われ、日本が急速に近代化を推し進めたことを表しています。明治維新は、英語でレボルーション(=革命)と言い表し、大名ではなく下級の武士である維新の志士によって革命がなったと言うことで、市民革命カードを対象としました。
 史実では、19世紀にならないと幕藩体制は綻びませんが、歴史のIFとして革新的な富国強兵を行った信長が天下を取った場合や、家康も海外貿易を重視していたことなどから、それまでに日本が海外に乗り出す列強となる可能性が考えられたために、強国化扱いとしました。


ゲームコンセプト1
ゲームコンセプト2 ポルトガル・スペイン
ゲームコンセプト3 オランダ・英国
ゲームコンセプト4 ロシア・オスマントルコ
ゲームコンセプト5 フランス・ドイツ
ゲームコンセプト6 イタリア・日本

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