植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

三国史略盤戯

2008年04月29日 10時15分59秒 | ゲームシステム
 ゲームマーケット続きです。

植民地戦争を売り切った後、ざらっと他の方はどんなものを作っているのか見て回りました。
三角貿易や、ローマ史を題材としたゲームなど好みなモノはいくつかあったのですが、結局、昨年気になっていながら買わなかった ひとあそかい様の「三国史略盤戯」を買いました。
決め手は、ルールを聞いたとき、どうも戦闘は、先鋒・中軍・後軍と武将(軍隊)を配置するのに惹かれました。まだ詳しくルールを読んでいないので判りませんが、簡単ながらも奥が深そうな気がして・・・(^^♪

2~4人用で、1時間半から2時間と言うので、是非参加者を募って遊んでみたな~って思います。

ひとあそかい

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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ゲームマーケット2008開催

2008年04月27日 17時46分48秒 | ゲームシステム
 ついに始まりました。ゲームマーケット2008! 2回目の出品なんで売れないかと心配しましたが、10時開会で16部を11時で完売! ありがとうございました。
 来年は、もっとつくろうかな・・・(←まだ売るのか!(~_~;))

 是非、当日買ってくださった方の感想をお待ちしております。

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日仏交流150周年

2008年04月18日 12時05分12秒 | 国:フランス
 電車の車内広告で「日本、フランス、交流150周年」を記念して、いろいろなイベントが開催されていることを知りました。
 150年前って…1858年って安政五カ国の不平等条約か!

 と言うことで、1858年(安政5年)外交圧力によって米・蘭・露・英・そして仏と順次結ばれた不平等条約の1つの「日仏修好通商条約」から150年だそうです。
 ちなみに10年前は、イギリスとの交流140周年記念が開催されていたそうです。(なんだかな…(^^ゞ)

 とは言え、こう言ったイベントは好きですので機会があったら何かに参加し、ここでご報告したいと思います。

日仏交流150周年

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チベット問題

2008年04月14日 17時53分06秒 | 国:日本・アジア
 以前に「中国の版図」と題して、チベットの自治・独立問題のニュースを取り上げましたが、依然この問題は広がり続けています。
 この問題に対して中国の対応は、強硬なまでの鎮圧とチベット側を悪としたプロパガンダ(政治的宣伝)です。装甲車や戦車まで投入しての鎮圧に対して、流れる放送はあくまでチベット人による過激な暴動シーンばかりです。一方、チベットの指導者(この暴動の指導者ではないでしょう)ダライ・ラマ14世は、中国の力による暴動鎮圧を非難しつつも、暴動自体の沈静化を呼びかけ、また五輪も別と言う考えを表明し、中国がもっとも恐れる五輪ボイコットが起こらないように国際社会に呼びかけています。
 中国側がダライ・ラマを暴動の首謀者として悪の親玉と喧伝するのに対して、ダライ・ラマはチベットの独立すら望まず(あくまで高度な自治)、五輪も支持するといった具合に中国との融和路線を模索しています。

 この両者の『戦略』、現時点ではダライ・ラマ側に分があるような気がしますが、結果はどうなるでしょうか? 見守りたいと思います。


 ちなみに日本も人ごとではありません。今月の26日長野善光寺で聖火リレーが行われます。激しい聖火リレーへの妨害活動が行われたパリに対し、中国のネット上ではフランス製品の不買運動が呼びかけられております。日本の聖火リレーの行方も見守りたいと思います。

チベット騒乱 中国“敵と交渉せず”(産経新聞) - goo ニュース

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ヴァロアの残り火 第三幕(1)

2008年04月10日 23時02分36秒 | 国:フランス
 ユグノー戦争時代のフランスで、王位継承権を持つPCが王位を目指すTRPG「ヴァロアの残り火 第三幕」恐らく最終幕です。
フランソワ・ヴァロア(4歳) ・・・ 亡きフランソワ2世と、メアリー・スチュアートの間に生まれた子。いきなり王弟アンリを抜いて、王位継承権1位のキャラ。※1
アンリ・ギース(23歳) ・・・ 亡きギース公フランソワの弟。兄と兄の子が亡くなった為、ギース公当主となり、フランスのカトリック盟主として権勢を振るう。
L・ロジーヌ ・・・ イタリアの雷と呼ばれたヌムール公の孫。再来と言われるほど武勇に秀でている。

■家系図 ※2
 4年前の1560年スコットランドの回想シーンから。スコットランド王宮では、女王メアリーが男子を産みました。女王の初の嫡男の誕生だと言うのに、駆けつける貴族は女王が懇意にしているダーンリー卿ヘンリー※3ただ一人。スコットランドの貴族は、生まれた子の父親がスコットランド人で無いこと知っていたからです。子の父親は亡きフランス王フランソワ2世。
 駆けつけたダーンリー卿は、この哀れな母子の幸せを願わずには居られませんでした。

 時は流れ1564年。フランスではパリ動乱が収まり、内戦が落ち着きパリも復興する中、改めてこの内戦で亡くなったギース公フランソワと、その子アンリの葬儀が執り行われていました。
 式を取り仕切るのは、弟の大アンリ※4。次男であるロレーヌ枢機卿が世俗の後継者になれないことから、三男である大アンリがギース公の当主となります。この式は彼が名実共にギース公を引き継いだアピールでもありました。
 そんな中、執事から亡くなったギース公フランソワの遺品を整理していたら、こんなものが出てきたと、手紙を渡してきます。その手紙は、メアリー・スチュアートがフランソワに宛てたもので、内容は衝撃にもメアリーにフランソワ2世との間の子を身篭ったとあります。もし、それが本当であればその子は今の国王シャルル9世よりも先に王になるべく存在です。アンリはその真偽を確かめるためにスコットランドに使者を急ぎ出すのでした。

 事が真実であると判明し、大アンリは一族の運命を左右する為、自らがスコットランドに赴くために船を出します。船の指揮官には、L・ロジーヌを任命します。途中、イングランド沖で海賊船※5とドンパチを行いますが、L・ロジーヌの手腕で見事に切り抜け、一向はスコットランドに到着します。

 そして大アンリはそこでメアリー・スチュアートと伴に出てきた4才の小生意気なガキに逢うのでした。大アンリはフランソワの言動に失意しつつも、髪の毛の天使の輪が王冠のように輝くと言う生まれながらの王の気品を垣間見せます。
 フランソワが小生意気なのは、スコットランドでの(特に軽薄色男のダーンリー)教育が悪いと考え、理由をつけ強引にフランスに連れて帰ることにしました。

 大アンリがスコットランドに赴いている間、フランスではカトリーヌがヴァロア家の権威を固めるために、王弟アンリを王の後継者を示すアングレーム公の位を授けます。これはシャルル9世の後を見据えた行動でした。実はシャルル9世は、病に伏せることが多くなり※6、世継ぎを望めないのでは? と考えた末のことでした。

 そしてフランソワを連れ、大アンリが帰ってきます。かくして、宝刀を手に入れた大アンリの野望が始まるのです。

 つづく…


※1:前回ディアヌを演じてくれたプレイヤーさんがまたまた王位継承権1位でしかも4歳児からスタートと言うマスター泣かせをやってくれました。(~_~;)
 今回は脇役でおとなしくするつもりだったようですが、キャラ作成の雑談の中で思いついたこのキャラ設定の魅力に負けたようです。

※2:今回は、プロテスタントのブランや、穏健派カトリックのエリオのプレイヤーが不参加の為、宗教バランスが一挙に強硬派カトリックに傾いてしまいました。

※3:ダーンリー、フランソワの父親代わりにと思い、メアリー・スチュアートに関係した貴族を探し出したところ出てきた貴族です。この時はぱっとでのダンディーな貴族ぐらいのつもりでしたが、史実でメアリーの再婚相手となり、二人の間に生まれた子がイングランド・スコットランドの最初の王ジェームズ1世であることが判明し、急遽重要なNPCに。

※4:PCのアンリ・ギースのことです。第二幕で、ディアーヌに袈裟切りにされたアンリは小アンリとします。

※5:おちゃらけで敵は若き頃のフランシス・ドレークを出しました。1564年現在彼はまだ海賊だったハズなので。能力を良くしたのですが、L・ロジーヌの能力と戦略の良さで完敗し、捨て台詞を吐いて逃走しました。

※6:史実では、ユグノー戦争で父と慕うコリニー提督が死んだことに心痛めて、早く亡くなったとも言われますが、ここでは前回兄弟の中で一番親しかった姉ディアーヌが亡くなり、その死すら公表されなかったことを悔やんでのことです。

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シャルル9世とエイプリルフール

2008年04月01日 21時59分35秒 | 国:フランス
 今日はエイプリルフールです。皆さんは嘘をつきましたか?

 このブログが嘘でないことを願いつつ、今日はエイプリルフールの起源についてです。エイプリルフールの起源は実は色々とあり、どれが正解かは不明ですが、TRPGでユグノー戦争を行っている「ヴァロアの残り火」でも出てきたフランス王シャルル9世が発端と言う説があります。
 キリスト教では、新年を祝う風習があります。この新年と言うのは時代によって何月かは違っており、シャルル9世の時代はイースターの3月23日(春分の日)でした。それで3月25日から4月1日を新年祭として盛大に祝っていたのですが、それがフランスでユリウス暦から、今のグレゴリウス暦に切り替える際に、正月も1月に設定したところ、3月の新年を祝おうとしていた人は祝えなくなり、人々は怒って4月1日に嘘で新年を祝う祭りを行ったことに由来します。

 グレゴリウス暦に切り替えることは英断だったと思うのですが、それが原因でエイプリルフールが出来るとは、思いもしなかったでしょう。(~_~;)


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